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・番外編・ 天然タラシ(無自覚)はご遠慮ください
3.飲み過ぎじゃない?
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最後のショートカクテルを煽るように飲み干して、カンッとグラスをテーブルに置いた和美は「じゃあ、送るよ」と言って、立ち上がる。
「飲み過ぎじゃない?」
心配そうに尋ねるハナに、和美は軽く笑って否定した。
「そんなでも無いよ。明日休みだし、大丈夫」
「もう帰ったら?」
「いや、送るって決めたからホテルまで行くよ」
真面目な和美は言い出したら聞かない所がある。ハナは諦めて和美のしたいようにさせる事にした。
「えーと、じゃあ」
ハナはホテルの前で立ち止まると、振り返ってお別れの挨拶を口にしようとした。
和美は無言で数秒ハナを見下ろしていたが、表情を強張らせてボソリと呟いた。
「部屋まで送る」
(やっぱり、酔っているよね)
見下ろす眼光の鋭さにハナはやや怯んだ。
優しい笑顔がデフォルトの筈の、和美のすごんだ表情には迫力がある。しかも小柄なハナが見上げると、照明の灯が顔に影を落とし更に威力が増すのだ。
「あ、うん……」
ハナは言われるがまま、エレベーターを上がった。
部屋の前に立ち扉を開けた。それから部屋の凹みにカードキーを差し入れると手狭なビジネスホテルの室内に淡い光が灯った。
「じゃ、ありがと。またね」
「……」
「え?ちょ、ちょっと……和美?」
和美が扉を壁に押し付けるように押さえて、入って来た。
バタン。
その手を離すとオートロックの分厚い防火戸が、スーバタンとあるべき場所に戻った。扉をピタリと閉まり、和美とハナは部屋の中に取り残されてしまった。
「話がある」
和美はまだ無表情のままだ。低価格のビジネスシングルは部屋数を確保するため天井がギリギリまで低い。かなり高身長の和美がその狭い部屋に仁王立ちしていると、半端では無い圧迫感で胸が苦しくなるような錯覚をハナに与えた。
「何……?あ、えっと座る?」
また子供の事だろうか?そういえば最近、仕事の話題ばかりで家庭の悩み事に関する相談が少なかったような気がする。明るい昼間に話し難い内容もあるかもしれない―――ハナはそう思い到った。だからお酒を飲んで勢いを付けたのだろうか、とバーでの和美の挙動を思い浮かべる。
「うん」
聞いているかいないか判らないような―――心ここに在らずといった生返事をして、和美はハナの肩に手を置いた。そしてその手を背中に滑らすと……もう一方の手をハナの腰に回して抱き寄せた。
「和美?」
ぎゅうっと抱き着いて来た大きな男が、肩口に埋めた顔を離して至近距離でハナを見つめた。
「ハナ……」
名前を呼ばれ返事をする間も無く、唇を温かいもので塞がれた。
次には足が浮いて、ハナは自分が抱え上げられた事に気が付いた。
呆気に取られている間に、和美はハナを抱えたままずんずんと部屋のベッドまで移動し―――ハナの軽い体が力強い腕に寄って狭いベッドに押し付けられた。
** ** **
パチリと目を覚ますと、分厚い遮光カーテンの隙間の向こうは未だ闇世だった。街灯の灯りが微かに混じり……仄かに明るい。
結局ハナは和美に流されるまま、2度目の朝を迎えてしまった。
狭いベッドだから仕方がない事だが、和美はハナを抱き込むように身を寄せていた。裸の肌の感触が気持ち良い。
ハナが男と寝たのはヒロキが亡くなって以来2度目の事だ。
つまり前回酔っぱらった和美を慰めたのは―――ハナにとってかなり久しぶりの性交渉だったのだ。家庭と仕事に掛かり切りで、これまで男性と付き合う暇は皆無と言って良かった。
(まあお誘い自体、無いのだけれど)
と、自嘲的にハナはひとりごちる。
32歳はまだ若い。恋愛を十分謳歌しても不思議はない年齢だと思う。
しかし自分に到っては元々あまり色気というものに恵まれていないし、母子家庭となった今では一家の大黒柱臭が半端無く、周囲から恋愛対象としては敬遠されているだろうな―――と想像していた。
……まあ自分自身も色々乗り越えすぎて、もう今更恋愛遊戯に興味を抱けない……という所が真実に近いのだが。
一方和美はハナと似た境遇のように見えるが、男性の場合は少し違うのだろうな……とハナは同情した。
(溜まっていたのかな)
と身も蓋も無い事を考える。だから、抵抗はしなかった。
最愛の妻を失って2年が経過したが、仕事は激務な上多忙だ。真面目な和美は近寄ってくる肉食女子に気軽に手を出すという気持ちにはなれないのだろうと、ハナは理解していた。和美の年齢であれば『付き合う』=『結婚前提』になってしまうかもしれない。
そうなると自分の好悪感情だけでなく、息子と付き合う相手としての相性も考えなければならない。
踏み出すには和美にはハードルが高いのだ。
だからエリカがいない悲しみを癒したくても、なかなか安心して甘えられる相手がいないのだろうとハナは推測していた。
ヒロキが突然いなくなってしまった時、ハナは遺体に寄り添って火葬場まで行った。
にもかかわらず、暫く人混みの中にヒロキに似た背格好の人物を見つけては―――違う人間だったと気付き落ち込んだ。
ヒロキの喪失から立ち直るのは難しかったし、長い時間を要した。
そして傍にいる筈の人がいないというのは―――本当に心の芯から寂しいものだ。娘の晶がいなかったら、手近な人間に意地汚く縋ってしまったかもしれない。
和美も寂しいのだろう。
しかしハナと違って和美はモテるのだ。近い内に可愛くて性格も良くて、清美の事も大事にしてくれる若い女の子―――おそらく野心家の萌香は難しいだろうが―――と付き合って再婚することになるだろう。
ハナは自分を大事そうに抱き留めている男の顔を、相手が眠っている事を良い事に無遠慮に眺めた。
優しいし実力も合って、出世頭の働き盛りで。
ギャンブルも煙草も深酒もしない。
お腹も出てないし、スタイルも良い背の高いイケメンで―――おまけにセックスも上手い。
ちょっと、仕事人間過ぎるところはあるが……。
これは、モテるハズだわー!
と、改めて納得してしまう。
「大体ズルいよね。男は年取る度にカッコよくなるのに、女はどんどんオバサンになっちゃうしさ」
えいっと身を乗り出し腹いせに和美の綺麗な瞼にチュッと口付ける。
するとパチッと和美が目を覚ました。
「ハナは可愛いよ」
精悍な瞳に至近距離で見つめられ―――ハナはパチパチと瞬きをする。
「起きてたの?」
(この天然タラシが)
と、苦々しく心の中で悪態をついて―――ハナは和美の強い視線に負けないよう睨み返した。しかしカーテンの隙間からうっすらと朝日が染みだしているのに気が付くと、思い出したように和美を急かした。
「そうだ。早く家に帰んないと。息子が家で待っているよ」
ハナは体を起こそうと、自分を抱き込む和美の胸に手を突っ張って離れようとした。
「ハナ」
拘束を緩めない和美が、ハナの頭に口を寄せ彼女を呼んだ。息が当たって地肌が少し暖かくなる。
「俺、ハナに言いたい事があったんだ」
言いたい事があってここまで付いて来たのに、目的も果たさず性欲だけ発散しちゃったんですね……とハナは心の中で呟いた。しかし声に出して揶揄うのも時間の無駄かな、とハナは続きを促した。
「はい、どーぞ」
「ちょっと、座って」
体を引っ張られて起こされる。
そしてベッドの上に半裸の男女が向かい合って座るという―――シュールな光景が展開した。女の子座りのハナに対峙する和美は、何故か正座だ。
「何、改まって……」
ハナは大仰な和美の態度に、違和感を覚えて考えを巡らせた。
そしてハッと息を呑んだ。
(もしかして、借金の申込み……?)
苦労人のハナには、その程度の想像力しか無い。
そんな事をハナが想像して、息を詰めているなどと一粒も思い至らない和美が―――意を決して、頭を下げた。
(え……土下座?どんだけ高額の借金をする気……?)
ハナは思わず顔を青くして、頭を下げる和美を凝視した。
「付き合って下さい」
「……」
ハナは無言。
和美は顔を上げて、今度はハナの顔をしっかり見て申し込んだ。
「ハナの事が好きなんだ。付き合って下さい」
「……あれ?」
ハナは首を傾げた。
「借金の申込み……ではない?」
今度は和美が首を傾げた。
「違う。何でそーなる」
「色仕掛け……」
正座した和美を見た時、咄嗟にハナは昨日の熱心な和美の奉仕の意味をそう曲解したのだった。下心ありだったか……!と。
「違う」
和美は呆れたようにハナの妄想力の暴走に溜息を吐いた。
しかし気を取り直して、軽く咳払いをしハナの瞳を再び覗き込む。
「だけど『色仕掛け』で落ちてくれるのなら―――もう1回頑張るけど」
ニヤリと和美はいつもと違う笑い方をした。
言った傍から色気が滲み出て来るような笑顔だ。
だからハナは何だかドキドキと落ち着かない気持ちになってしまった。
赤くなって口を開かないハナの様子を了解と受け取って―――和美はハナの頬に手を伸ばした。
そっと唇に触れ―――、一度離れてから再び深く口付ける。
じっくり味わうように時間を掛けてハナの咥内を堪能してから、改めて和美はゆっくりとハナに覆いかぶさった。
ポスンとハナの背中が、ベッドに到達する。
「あ」
その時思い出したように、ハナが素の声を発した。
流れを止められた和美は、訝しそうにハナの表情を見守った。
「……えっと……二股になるけど、それでも良い?」
「は?」
思わず、和美も素になった。
ハナが何を言っているのか、理解するのに数秒かかった。何故か和美はハナに恋人はいないと決め付けていたが、そういえば一度も確認していない事に気が付いて唖然とした。
「いったい、誰と……」
思わず声が擦れたが、ハナの答えに一気に力が抜けた。
「ヒロキの事、まだ好きだから」
「ああ……そう言う事……」
安堵の溜息を漏らすと、ハナが真面目な顔で言った。
「大事な事だよ」
「うん、そうだね。じゃあ、俺も二股だからお互い様……」
和美がこれ以上待てないというように、瞼を閉じてハナに再び覆い被さって来た。
ハナはその顔をまじまじと見つめながら「近距離に耐える綺麗な顔だな」と改めて感心していた。
唇が触れる直前でピタリと和美が制止し、パチリとその形の良い瞼が開いた。
「ヒロキ以外の生身の男は駄目だから」
真面目な顔で言うものだから、思わずハナは噴き出した。
「和美もね。あと、今後無自覚に女性を誑し込むのも禁止」
「そんな覚えないけど……判ったよ」
『もう話は終い』と、和美がハナの唇を性急に奪った。
こうして、2人は付き合う事になったのだった。
「飲み過ぎじゃない?」
心配そうに尋ねるハナに、和美は軽く笑って否定した。
「そんなでも無いよ。明日休みだし、大丈夫」
「もう帰ったら?」
「いや、送るって決めたからホテルまで行くよ」
真面目な和美は言い出したら聞かない所がある。ハナは諦めて和美のしたいようにさせる事にした。
「えーと、じゃあ」
ハナはホテルの前で立ち止まると、振り返ってお別れの挨拶を口にしようとした。
和美は無言で数秒ハナを見下ろしていたが、表情を強張らせてボソリと呟いた。
「部屋まで送る」
(やっぱり、酔っているよね)
見下ろす眼光の鋭さにハナはやや怯んだ。
優しい笑顔がデフォルトの筈の、和美のすごんだ表情には迫力がある。しかも小柄なハナが見上げると、照明の灯が顔に影を落とし更に威力が増すのだ。
「あ、うん……」
ハナは言われるがまま、エレベーターを上がった。
部屋の前に立ち扉を開けた。それから部屋の凹みにカードキーを差し入れると手狭なビジネスホテルの室内に淡い光が灯った。
「じゃ、ありがと。またね」
「……」
「え?ちょ、ちょっと……和美?」
和美が扉を壁に押し付けるように押さえて、入って来た。
バタン。
その手を離すとオートロックの分厚い防火戸が、スーバタンとあるべき場所に戻った。扉をピタリと閉まり、和美とハナは部屋の中に取り残されてしまった。
「話がある」
和美はまだ無表情のままだ。低価格のビジネスシングルは部屋数を確保するため天井がギリギリまで低い。かなり高身長の和美がその狭い部屋に仁王立ちしていると、半端では無い圧迫感で胸が苦しくなるような錯覚をハナに与えた。
「何……?あ、えっと座る?」
また子供の事だろうか?そういえば最近、仕事の話題ばかりで家庭の悩み事に関する相談が少なかったような気がする。明るい昼間に話し難い内容もあるかもしれない―――ハナはそう思い到った。だからお酒を飲んで勢いを付けたのだろうか、とバーでの和美の挙動を思い浮かべる。
「うん」
聞いているかいないか判らないような―――心ここに在らずといった生返事をして、和美はハナの肩に手を置いた。そしてその手を背中に滑らすと……もう一方の手をハナの腰に回して抱き寄せた。
「和美?」
ぎゅうっと抱き着いて来た大きな男が、肩口に埋めた顔を離して至近距離でハナを見つめた。
「ハナ……」
名前を呼ばれ返事をする間も無く、唇を温かいもので塞がれた。
次には足が浮いて、ハナは自分が抱え上げられた事に気が付いた。
呆気に取られている間に、和美はハナを抱えたままずんずんと部屋のベッドまで移動し―――ハナの軽い体が力強い腕に寄って狭いベッドに押し付けられた。
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パチリと目を覚ますと、分厚い遮光カーテンの隙間の向こうは未だ闇世だった。街灯の灯りが微かに混じり……仄かに明るい。
結局ハナは和美に流されるまま、2度目の朝を迎えてしまった。
狭いベッドだから仕方がない事だが、和美はハナを抱き込むように身を寄せていた。裸の肌の感触が気持ち良い。
ハナが男と寝たのはヒロキが亡くなって以来2度目の事だ。
つまり前回酔っぱらった和美を慰めたのは―――ハナにとってかなり久しぶりの性交渉だったのだ。家庭と仕事に掛かり切りで、これまで男性と付き合う暇は皆無と言って良かった。
(まあお誘い自体、無いのだけれど)
と、自嘲的にハナはひとりごちる。
32歳はまだ若い。恋愛を十分謳歌しても不思議はない年齢だと思う。
しかし自分に到っては元々あまり色気というものに恵まれていないし、母子家庭となった今では一家の大黒柱臭が半端無く、周囲から恋愛対象としては敬遠されているだろうな―――と想像していた。
……まあ自分自身も色々乗り越えすぎて、もう今更恋愛遊戯に興味を抱けない……という所が真実に近いのだが。
一方和美はハナと似た境遇のように見えるが、男性の場合は少し違うのだろうな……とハナは同情した。
(溜まっていたのかな)
と身も蓋も無い事を考える。だから、抵抗はしなかった。
最愛の妻を失って2年が経過したが、仕事は激務な上多忙だ。真面目な和美は近寄ってくる肉食女子に気軽に手を出すという気持ちにはなれないのだろうと、ハナは理解していた。和美の年齢であれば『付き合う』=『結婚前提』になってしまうかもしれない。
そうなると自分の好悪感情だけでなく、息子と付き合う相手としての相性も考えなければならない。
踏み出すには和美にはハードルが高いのだ。
だからエリカがいない悲しみを癒したくても、なかなか安心して甘えられる相手がいないのだろうとハナは推測していた。
ヒロキが突然いなくなってしまった時、ハナは遺体に寄り添って火葬場まで行った。
にもかかわらず、暫く人混みの中にヒロキに似た背格好の人物を見つけては―――違う人間だったと気付き落ち込んだ。
ヒロキの喪失から立ち直るのは難しかったし、長い時間を要した。
そして傍にいる筈の人がいないというのは―――本当に心の芯から寂しいものだ。娘の晶がいなかったら、手近な人間に意地汚く縋ってしまったかもしれない。
和美も寂しいのだろう。
しかしハナと違って和美はモテるのだ。近い内に可愛くて性格も良くて、清美の事も大事にしてくれる若い女の子―――おそらく野心家の萌香は難しいだろうが―――と付き合って再婚することになるだろう。
ハナは自分を大事そうに抱き留めている男の顔を、相手が眠っている事を良い事に無遠慮に眺めた。
優しいし実力も合って、出世頭の働き盛りで。
ギャンブルも煙草も深酒もしない。
お腹も出てないし、スタイルも良い背の高いイケメンで―――おまけにセックスも上手い。
ちょっと、仕事人間過ぎるところはあるが……。
これは、モテるハズだわー!
と、改めて納得してしまう。
「大体ズルいよね。男は年取る度にカッコよくなるのに、女はどんどんオバサンになっちゃうしさ」
えいっと身を乗り出し腹いせに和美の綺麗な瞼にチュッと口付ける。
するとパチッと和美が目を覚ました。
「ハナは可愛いよ」
精悍な瞳に至近距離で見つめられ―――ハナはパチパチと瞬きをする。
「起きてたの?」
(この天然タラシが)
と、苦々しく心の中で悪態をついて―――ハナは和美の強い視線に負けないよう睨み返した。しかしカーテンの隙間からうっすらと朝日が染みだしているのに気が付くと、思い出したように和美を急かした。
「そうだ。早く家に帰んないと。息子が家で待っているよ」
ハナは体を起こそうと、自分を抱き込む和美の胸に手を突っ張って離れようとした。
「ハナ」
拘束を緩めない和美が、ハナの頭に口を寄せ彼女を呼んだ。息が当たって地肌が少し暖かくなる。
「俺、ハナに言いたい事があったんだ」
言いたい事があってここまで付いて来たのに、目的も果たさず性欲だけ発散しちゃったんですね……とハナは心の中で呟いた。しかし声に出して揶揄うのも時間の無駄かな、とハナは続きを促した。
「はい、どーぞ」
「ちょっと、座って」
体を引っ張られて起こされる。
そしてベッドの上に半裸の男女が向かい合って座るという―――シュールな光景が展開した。女の子座りのハナに対峙する和美は、何故か正座だ。
「何、改まって……」
ハナは大仰な和美の態度に、違和感を覚えて考えを巡らせた。
そしてハッと息を呑んだ。
(もしかして、借金の申込み……?)
苦労人のハナには、その程度の想像力しか無い。
そんな事をハナが想像して、息を詰めているなどと一粒も思い至らない和美が―――意を決して、頭を下げた。
(え……土下座?どんだけ高額の借金をする気……?)
ハナは思わず顔を青くして、頭を下げる和美を凝視した。
「付き合って下さい」
「……」
ハナは無言。
和美は顔を上げて、今度はハナの顔をしっかり見て申し込んだ。
「ハナの事が好きなんだ。付き合って下さい」
「……あれ?」
ハナは首を傾げた。
「借金の申込み……ではない?」
今度は和美が首を傾げた。
「違う。何でそーなる」
「色仕掛け……」
正座した和美を見た時、咄嗟にハナは昨日の熱心な和美の奉仕の意味をそう曲解したのだった。下心ありだったか……!と。
「違う」
和美は呆れたようにハナの妄想力の暴走に溜息を吐いた。
しかし気を取り直して、軽く咳払いをしハナの瞳を再び覗き込む。
「だけど『色仕掛け』で落ちてくれるのなら―――もう1回頑張るけど」
ニヤリと和美はいつもと違う笑い方をした。
言った傍から色気が滲み出て来るような笑顔だ。
だからハナは何だかドキドキと落ち着かない気持ちになってしまった。
赤くなって口を開かないハナの様子を了解と受け取って―――和美はハナの頬に手を伸ばした。
そっと唇に触れ―――、一度離れてから再び深く口付ける。
じっくり味わうように時間を掛けてハナの咥内を堪能してから、改めて和美はゆっくりとハナに覆いかぶさった。
ポスンとハナの背中が、ベッドに到達する。
「あ」
その時思い出したように、ハナが素の声を発した。
流れを止められた和美は、訝しそうにハナの表情を見守った。
「……えっと……二股になるけど、それでも良い?」
「は?」
思わず、和美も素になった。
ハナが何を言っているのか、理解するのに数秒かかった。何故か和美はハナに恋人はいないと決め付けていたが、そういえば一度も確認していない事に気が付いて唖然とした。
「いったい、誰と……」
思わず声が擦れたが、ハナの答えに一気に力が抜けた。
「ヒロキの事、まだ好きだから」
「ああ……そう言う事……」
安堵の溜息を漏らすと、ハナが真面目な顔で言った。
「大事な事だよ」
「うん、そうだね。じゃあ、俺も二股だからお互い様……」
和美がこれ以上待てないというように、瞼を閉じてハナに再び覆い被さって来た。
ハナはその顔をまじまじと見つめながら「近距離に耐える綺麗な顔だな」と改めて感心していた。
唇が触れる直前でピタリと和美が制止し、パチリとその形の良い瞼が開いた。
「ヒロキ以外の生身の男は駄目だから」
真面目な顔で言うものだから、思わずハナは噴き出した。
「和美もね。あと、今後無自覚に女性を誑し込むのも禁止」
「そんな覚えないけど……判ったよ」
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