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・番外編・仮初めの恋人

11.恋の傷跡(★) 【最終話】

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進級して2年生になった。クラス替えがあって、私と胡桃は別のクラスになった。
そのうち新しい友達もできて、なんとか楽しくやっている。

克己とは結局付き合っていない。

1年生の間は「とにかく学校では近づかないで……!」と口を酸っぱくして言い募ったので、学校では他人のように生活していた。
だけど家に帰れば、何故か細目の男が食卓に座っている……。

先輩とはすれ違うと挨拶する程度の付き合い。
もう付き合う以前のように一緒にカラオケに行ったり、帰り道にミスドに寄ったりすることも無い。先輩は気にしないかもしれないけれど、私には無理だった。

遠くから、先輩が女友達と肩を並べて歩くのを見ているだけだ。






**  **  **






日曜日。田舎の祖父母の家に遊びに行く事になり、ママに付き合ってお土産を買うため出掛けた百貨店で―――バッタリと先輩と顔を合わせた。

先輩はその精悍な目元を少し見開いてゆっくりと微笑むと、丁寧に私の母に会釈した。
そのあまりのカッコ良さに目を白黒させるママ。「学校の先輩」という私の説明も耳に入っていたかどうか分からない。
少し浮足だったまま「じゃあ、あっちで買い物してるから話が終わったら電話して」と言ってそそくさと去って行った。イケメンに免疫が無いから、落ち着かなかったらしい。

「買い物?」
「はい、田舎に帰る用のお土産を買いに。先輩は?」
「俺?俺は、母親の荷物持ち」

鼻歌でも歌うように楽し気に言う。
そういえば先輩は自称『マザコン』だった。と、思い出した。

相変わらず背が高く、姿勢が良く、カッコ良い。

こんな人と1年前付き合っていたなんて、不思議だ。何かの間違いか―――夢の中の出来事だったのでは無いだろうかと思ってしまうくらいに。

今彼には決まった相手がいないのだと、風の噂で聞いた。
人気者の先輩の噂は、特に集めようとしなくても自然に回ってくる。先輩が今フリーで、前回からかなり間が空いているらしいからチャンス!と拳を握る子もいるし、受験生だから勉強に専念しているんじゃないかと分析する子もいた。



でも誰も。
先輩の本心には触れていない。



昔好きだった忘れられない人?一番好きな人?子供の頃からの許嫁?―――そんな漠然とした女性像は噂で語られるけれども……その相手がどんな女の人なのか、年下なのか年上なのか、同級生なのか―――学生なのか女子大生なのかOLなのか、美人なのか可愛いタイプなのか―――っていう事については、全く分からないままだった。



「あの先輩……」
「蓮君!『じゃがブタ』と『じゃがカニ』、どっちが良い?どっちも好きすぎて決められないんだけどー……っと」



飛び込んできた明るい声に―――何を聞こうとしたのか忘れてしまった。
先輩の後ろから、黄色い冷凍食品の箱を両手に持った美女が現れたからだ。

私は息を呑んだ。

彼女は私を見てちょっと目を瞠ったけれども、すぐにニッコリと柔らかい笑みを零した。

「あらあら、蓮君のお友達?」

ふふふ……と楽しそうに笑う彼女の顔に、屈託は無い。
私はポカンと口を開けて立ちすくんでしまった。

彼女こそ―――以前先輩と一緒に映画館で親し気に話し、ホテルのエレベーターへと消えていった女性なのだから。遠目に一度見ただけだけど、間違えようがない。私の記憶に、彼女の美しい肢体とその柔らかな笑みが……鮮明に刻み込まれていたから。

からかうような彼女の台詞に、先輩は眉を顰めて面倒臭そうに言った。

「学校の後輩」

そんな拗ねたような表情は、初めて見る。いつだって余裕で、口の端に優しい微笑みを湛えていた彼が見せた人間臭い表情を私は食い入るように見入ってしまった。



彼女はやっぱり―――先輩の特別な人なんだ。



彼女はそんな特別扱いを特に有難いものと感じていないように、口を尖らせて言った。

「えー何、その言い方。わかった!『彼女』なんでしょ?」
「……違うよ」

一体、彼女は先輩の何なんだろう。
この遣り取りは付き合っている相手ではありえない。
やっぱり先輩の片思いの相手?年上の従姉?近所の幼馴染のお姉さんとか―――それとも噂通りまさかの『婚約者』?

「あの、本当にただの『後輩』です」

先輩を困らせたく無くて、私は慌ててフォローした。
本当は『元カノ』でもあるけど。先輩の雰囲気から、それを言うのは憚られた。未練たらしい自分が嫌だが、いまだに私は先輩に嫌われたく無かった。

「そっか、残念……ゴメンね、気を使わせて。今度遊びに来て。お詫びに美味しい物ご馳走するから」
「……蓉子さん」

あくまで明るい様子の彼女を、先輩は低い声で制した。

「女の子を気軽に男の家に誘っちゃ駄目でしょ。ゴメンね、木村さん」
「い、いいえ。高坂先輩、大丈夫です」

『木村さん』―――初めて苗字で呼ばれてしまった。

ショックを受けつつ『蓉子さん』の台詞から受ける、先輩と同居しているかのような物言いにドキドキする。もしかして、先輩の片思いが成就したのだろうか。それで今彼は女の子との付き合いを止めているのだろうか。
いやいや……『蓉子さん』本人が私の事を『彼女』かもと誤解したのだから、そういう状況ではないだろう。一夫多妻制の世の中じゃあるまいし。

一夫多妻―――先輩ならあり得るかもしれないけど。似合い過ぎる。

「あの……じゃあ、失礼します」

いたたまれ無くなって、後ずさろうとした。
『蓉子さん』はその柔らかな笑顔見たままのとおりの優しい人なのだろう、俯く私に慌てたように言った。

「ゴメンね、はしゃいで茶化しちゃって。こんな可愛い子が息子の彼女かと思ったら、つい嬉しくなっちゃって……」
「だから、いつもそういうの止めてって言ってるでしょ?言われる女の子も気まずいんだから。それに思春期の息子の気持ちも、ちゃんと考慮してください」
「『思春期』!とっくの昔に終わってると思う……!」

掛け合い漫才のような遣り取りを聞いて、つい顔を上げた。

「むす……こ?」

今とてもあり得ない言葉が聞こえた気がする。

「この人、俺の母親」
「はぁあ!?こ、こんな若い綺麗な人がお母さん?う、うそ……」

動揺する私の前で真面目な表情を崩さないイケメンは、隣の美女に「『若くて綺麗』だって、良かったね」としらっと言い放った。
一方で言われた『蓉子さん』は「え?え?……ありがと、嬉しー」と頬を染めている。

どうやら、本当らしい。
私はつい、ポツリと呟いた。

「これじゃ、先輩じゃなくても『マザコン』になっちゃいますね」
「……」

言ってはいけない一言だったらしい。

「『木村さん』またね」
「あ、は、はい……」

ニッコリと張り付いた笑顔を向けて、先輩は私の言葉を無かった事にした。

それから『蓉子さん』の肩を掴んでクルリと方向転換し、背中を押してレジへ向かって去って行った。

遠ざかっていく『蓉子さん』は私に「またね!」と言ってから、「ねぇねぇ、蓮君『マザコン』って事になっているの?」と、ちょっと嬉しそうに先輩に尋ねていた。
先輩は浮かれた様子の彼女の質問を無視して「『じゃがブタ』と『じゃがカニ』どっちも食べたいから買って」とスルーしている。

遣り取りだけ聞いていると、確かにかなり仲の良い親子か姉弟―――だろう。

「お……」

私はその場に立ち竦んだまま思わず言った。



「お母さん……?!」



今日は眠れないかもしれない。―――そう思った。






**  **  **






結局、何だったのか。
今となっては、推測するしか無くて。

分かっているのは、あの綺麗な女の人は先輩の『お母さん』で、じゃああの日『家族で食事』って言うのは嘘では無くて。先輩のあの人を見る目に熱情が灯っていたように見えたのは私の嫉妬から来る勘違いだったのか、お母さんがあまりに若すぎるので複雑な事情があるのでは―――とか、考えても結局何が正解なのか、昔の記憶だから私の印象もあやふやになってしまったし、結局答えは見つからない。

翌年先輩は国立T大に現役合格し、東京へ行ってしまった。

あの後先輩と言葉を交わす機会も無いまま、卒業式に「合格おめでとうございます」「ありがとう」って遣り取りをやったきり、お別れとなった。






恋の記憶は時間が経つに連れ薄くなり、それに伴う痛みも癒えた。
時々雨の日に痛む古傷みたいに、じくじくと私を苛む事はあるけれど。
それさえ消え去ってしまったら、恋に溺れていた昔の私が可哀想だから―――古傷の痛みぐらいあった方が良い。

3年生になって、予備校のロビーで胡桃と偶然再会した。
クラスが変わってから、口をきいたのは初めての事だった。

「ええ~とぉ……久しぶり」

と言って明るく肩を叩いて来たから、吃驚し過ぎて思わずビクッと震えてしまった。

どうやら、彼女の『恋の傷』も癒えたらしい。彼女の場合は新しい恋が処方されて、劇的に症状が改善されたようだ。
私を無視した事も、非難したことも彼女の「八つ当たりだった」と謝られた。私も「いろいろゴメン」と謝った。それから―――昔のようにベッタリした付き合いはできないけれども、予備校の帰りに一緒にスタバで世間話をするくらいの距離の近さまで歩み寄るようになった。

これくらいがちょうど良いかも。

お互い昔は初めての恋に浮かれて、浮足立って、落ち着きというモノが無かった。例え親友だとしても、相手に何処まで話すかは自己責任だ。あそこまで明け透けに関わり合えば、剥がされる時痛みを伴うのは、当然の事だったのだ。



私達が拗れたのは、克己の所為じゃない。
距離感を間違っていたのだ。あれだけ近かったのに、大事なコトを打ち明け合わない関係は何処かいびつだった。破綻してもしょうがない。



胡桃が私の事を大事に思う気持ちを持っていたっていう事を、もはや私は疑っていなかった。だけど、克己を好きな気持ちと嫉妬心も本当だったと思う。相反する気持ちが同じ1人の人間の中に存在してもおかしくない。でも、距離感を間違えたから―――混乱しちゃったんだ、きっと。

のちのち大人になった後、お酒の席で胡桃にこの話をしたら「ほんと、あんたって馬鹿が着くほど『お人よし』だよね」って鼻で笑われた。でも声の温度が優しかったので、良しとした。






**  **  **





「胡桃と仲直りしたんだって?」
「誰に聞いたの?」
「胡桃」

サッパリしてるなぁ~。
妙に感心してしまった。

あの激しい終わり方が不思議になるくらい、友情についても愛情についても、胡桃には引きずっている様子は見られなかった。ホントのホントのところは分からないけれど……少なくとも表面的には、私に対しても克己に対しても平然と対応するようになった。

カッコつけて、汚い処を見せないように先輩に良い顔だけ見せようとした私は、何だかモヤモヤと……色々引きずっている。克己に関してもそうだ。カレカノにこそならなかったものの、家の出入りを許してしまっているから、何だかなあなあな付き合いが続いてしまっている。

胡桃みたいな遣り方が、一番いいのかもしれない。
後で禍根を残さないためにも。

「私には勇気が無いんだな……」
「何の話だ?」

テーブルの上のじゃがりっこを摘まみながら、克己が聞き返した。私はビーズクッションを、ギュウっと抱きしめて顔を埋めた。

「胡桃みたいに、ドカーンと克己をビンタして別れて、ガツンと嫉妬した相手に文句を言って、その時その時で発散すれば色々モヤモヤと引きずる事も無いんだけどな。羨ましい……」
「……」

モグモグと口を動かして、克己はテレビを見ている。

「ねえ、なんか言ってよ」
「うん」

ゴクリとじゃがりっこを呑み込んで、克己は頷いた。

「いいんじゃね」
「何が?」
「胡桃は胡桃で。お前はお前でそれぞれ違うんだから。『みんな違ってみんないい』」
「何それ」
「ナンバーワンにならなくってもさ、もともと特別なオンリーワンなんでしょ?」
「なんか聞いたコトあるようなフレーズ、ドヤ顔で言われても」
「少なくとも……」

言いかけてまた、じゃがりっこを1本摘まんで克己はポリポリとかじった。

「何よ」
「俺はいいと思うよ。お前のほうが」
「……」
「気が済んだ?」
「何のこと?」
「胡桃に遠慮してたんだろ。これで俺と付き合っても問題ないな」

一重の瞳を糸のようにほっそくして、克己がニヤリと笑った。
いつもなら「何馬鹿なこと言ってんの」って、一蹴する処なんだけど……



「うん。問題ない」



そう言ったら、いつも上から目線で『動揺』なんか「何それ食べれるの?」って感じの克己が。

じゃがりっこをのどに詰まらせてせた。

何となく仏心を発揮して、背中をさすってやる。
すると喉のつまりが取れた後、背中に当てたその腕を取られた。

「はー……」

もうひとつの手も取られ、私達は向かい合った。



「……やっと、捕まえた」



深いため息とともに呟いた克己の肩に、自分から頭を付けて。私は「待っててくれて、ありがとう」と彼に伝えたのだった。






【仮初めの恋人・完】
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高坂先輩に好感を持っていただいた方には、彼の影での所業を明らかにして印象を悪くするだけになってしまったかもしれません。大変申し訳ありません<(_ _)>

いろいろと痛いお話であるにも関わらず、最後までお読みいただいた方には感謝しかございません。誠に有難うございました。
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