俺のねーちゃんは人見知りがはげしい

ねがえり太郎

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おとうとが私にかまい過ぎる

2.おとうとは子供?

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本校舎の2階から体育館へ繋がる廊下を進むと、分厚い木の引分扉の撓んだ隙間から歓声が漏れて来た。重い扉を開けると2階の観覧席の手摺越しに、観戦者が鈴なりに群がっているのが目に入る。

晶は人垣から離れた場所からバスケットコートを覗き込んだ。

(あ、清美)

背の高い弟の姿を認めて、手摺に体を預けて眺めた。
紅白戦だろうか。ゼッケンの付いたタンクトップを上から羽織ってコート全部を使って5対5でボールを奪い合っていた。ふと横を見ると観戦している生徒の大半が女子生徒だと言う事に気が付いた。

ワァッとどよめきと喝采の声が上がって、晶はコートに目を戻した。
女子生徒の悲鳴のような歓声も混じっている。
歓声の示す先は、見慣れた栗色の髪の選手。バスケットボールを叩き込んだゴールにぶら下がり、振り子のように体を揺らして、とん、と着地する背の高いバスケ部員だ。

ターン、タンタンタン……と、網から落ちた焦げ茶色のボールが床を押すように反発していた。溜息のような余韻がバスケットコートに残響する。

「かっこいい~~」
「ねー!思わず見入っちゃうよね」

清美は流れ落ちる額の汗を、右腕で乱暴に拭っている。

「わあ、腕の筋肉が良いねえ…」
「そのエロい表現、止めて。オバサンみたいだから!」

楽しげな漫才のような掛合いに思わず笑みが零れる。ちょっと気になる男子の仕草をネタにするのは、女性同士の楽しい言葉遊びなのかもしれない。

他人の目を通してみると、確かに清美は『カッコイイ』。
栗色の髪が、体育館の高いところにある窓から差し込む西日に反射してキラキラしている。
高1と思えないほど背が高く、鍛え上げられた肉体は野生の獣のようだ。精悍な眼差しも、色素の薄い目も美しく、中学校でもいつも女の子が彼を見て騒いでいたし、バレンタインにはチョコレートを山のように持ち帰って来た。彼女達には申し訳ないが、毎回、ほとんど晶と母親で美味しく味合わせていただいたものだ。

けれども晶の弟は―――姉馬鹿と謗られるだろうが、自信を持って彼女は断言する―――見た目だけの人間では無い。
小学生の頃からミニバスに通い始め、以来ずっとバスケットに全力を掛けて来た。その彼の努力を、晶は傍らでずっと見守って来たのだ。努力家で、それを自慢する事の無い素晴らしい人間だと、2つも年下の彼をそれこそ彼が小学生の頃から晶は尊敬していた。
晶と違って社交的で、ほとんど男の子ばかりだが、友達も多い。明るくて前向きで、ちょっと短気。晶と正反対の性質の弟は、いつでも晶の自慢だった。

しかし、あまり『カッコイイ』とは言えない一面も、清美は持っている。
家族だからこそ目にしてしまう男らしさとはかけ離れた部分も、沢山あるのだ。

例えば―――小学4年生から付けているお小遣い帳を、今でもきっちり継続している処とか。最近はまるで小姑かお姑さんのように、帰宅時間や交友関係に干渉する口煩い処とか。それから洗濯物を自分の決まった手順で必ず折り畳む、几帳面な処とか―――

でも。と晶は思う。

『カッコイイ』とは程遠く感じられる小姑のような優しさを、分かってくれ気に入ってくれる女の子は、きっといるだろう。弟の彼女やお嫁さんになる人は、そのまま自分の妹になるのだから、そういう清美の一見情けないように見える優しさに気付いてくれる人じゃないと。……と本気で考えてしまう晶も、大概『ブラコン』である。

弟の将来の彼女について思いを馳せていると、少し不穏な温度の声が耳に入って来た。

「あの娘、なーに?随分親し気だよね?」
「バスケ部のマネだよ。ほら、クラスの山田が『可愛いっ』って騒いでた」
「確か、清美君と同中じゃないかな」
「……確かに可愛いかも」
「えーー?そう?あの程度ならよくいるんじゃない??」

やっかみ半分と羨望半分のヒソヒソ話。

コート脇では、話題の中心となったばかりのポニーテールのマネージャーが、タオルを被せるついでに清美の栗色の柔らかな髪をぐしゃぐしゃと掻き回していた。
清美は特に怒る様子も無く、笑いながら軽く抗議している。彼女達がやっかむだけあって、何だかちょっといい雰囲気だ―――と、晶が興味津々で眼鏡の奥の瞳を少し細めて相手の女の子の顔をよくよく観察しようとした時。



「ねーちゃん!」



晶に気付いた清美がパっと柔らかい表情になって、観覧席に立つ晶の真下に駆け寄ってきた。一斉に清美に向けられていた視線のベクトルが、晶に集中する。

「すぐ着替えるから、待ってて!」

視線が痛い。『姉』という呼称のおかげで『突き刺さる』というより、値踏みの色を帯びてはいたが。
地味で注目される事が苦手な晶にとっては居心地の悪い事、この上無い。
先ほど清美とふざけ合っていたマネージャーも、こちらをじっと見ている気がする。

見比べないで欲しい。

清美と比べて地味で目立たないと言う事は、自分が一番、よーっく判っているから。






1年生の下駄箱の前で膝を抱えて座っていると、程なく清美が現れた。シャツのボタンを留めず裾を開けたままで、ネクタイも閉めずに現れた。かろうじて中のTシャツは着替えたようだ。
家の外では清潔感のある身嗜みに気を配る清美なので、晶を待たせないようできるだけ急いだ結果のラフさなのだろう。

「そんなに急がなくても良かったのに」
「うん……ねーちゃんはそう言うと思ったけど」

清美は照れたように、笑った。

そして晶は大きなスポーツバックを肩に掛けた清美と、並んで校門を潜った。

「用事って何?」

夕方の長く伸びる影は、2人の身長差を更に誇張していた。ひょこひょこ二人を先導するように動く影を見ながら、晶は尋ねた。

「マネの子がさ」

晶の頭の斜め左上あたりにポニーテールがぽわんと、浮かんだ。

「『一緒に帰ろ』って言うから、ねーちゃんの用事に付き合うって事にして、逃げた」

それでは、彼女が自分を見ていたのはその所為だったのか、と晶は合点がいった。似てない姉弟だと値踏みされたのでは無く、自分の誘いを断る要因を作った我儘な姉は、アイツか!……と言う視線だったのに違いない。
目が悪くて良かった。……はっきり見えていたらその剣呑な視線に肝を冷やす事になっただろう。

「一緒に帰れば良かったのに。本当は何も用事、無いんでしょ?」
「……うーん」

と唸って、先ほどその彼女が触れていた柔らかい栗色の頭を掻きながら、躊躇いがちに清美は呟いた。

「多分あの娘……俺に気があるんだと思う。そういうの、面倒くさいから」

そして、二カッと歯を出すとおどけて言った。

「ねーちゃんと一緒に帰るほうが、楽だし」
「うっ…もー、子供みたいな事言わないでよ……」

晶は呆れて溜息を吐いて、清美を軽く睨みつけた。この先それほど接点があるとは思えないが、ポニーテールのマネージャーに恨まれるのは、あまり気分のいいものでは無い。

が、内心。姉心に少し面映ゆいのも事実だ。

中学を出たばかりの清美だが、すっかり大人びて見える。小柄で童顔な自分と比べると、尚更だ。
今日彼を知らない『大きな男の人』と勘違いした時晶は、弟の成長を改めて認識すると同時に、何だか姉離れが早まったような切ない気持ちに襲われたのだ。
小言が五月蠅いとか干渉し過ぎだとか文句を言いながらも、実際姉離れされてしまったら、きっと自分は物凄く寂しく感じるに違いない。晶はそれに気が付いていた。

一方睨まれた清美は―――ギクリと顔を強張らせている。それを見て、何だか可笑しくなって晶は微笑んだ。

「……子供、かなあ」

首を傾げ、清美は拗ねた様子で呟いた。

「姉離れしなさーい」

晶は弟に向かって、大人ぶって諭すように言ったのだ。



そして、晶は笑い出した。
清美の心がまだ幼いのだと、何となくほっとして肩の力が抜けたからだ。

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