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後日談 黛家の妊婦さん2
(149)お兄ちゃんと一緒2
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前話の続きです。
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七海が選んだのはキッシュプレートだ。ベーコンとチーズがたっぷり入ったキッシュロレーヌは店内で焼き上げたばかりでホクホクとした食べ心地。セットになっているスープはヴィシソワーズ。喉を滑り落ちる冷たさが気持ち良い。ジャガイモの甘い後味にニンマリしていると、ビーフシチューをアッと言う間に平らげた海人が、スライスされたフランスパンをつまらなそうな表情でモグモグと食んでいた。
「これじゃ足りん」
女性ならお腹いっぱい、と言う量なのだろうが、体の大きな海人には物足りないらしい。グラスワインに口を吐けて、七海の皿をジッと眺めている。
「……キッシュも食べる?」
「いいのか?」
「うん、今胃が圧迫されていて一遍に沢山食べられないのよね。一切れで十分だと思う」
「いろいろ面倒なモンだな」
ここで海人は初めて同情の視線を七海に向けた。
「本当にね。ちょっとした段差を登るのも、バランスが難しくってちょっと怖いんだ。お腹が大きくなる前は駅にあるスロープとか手摺とかあまり気に留めて無かったんだけど、体が不自由になるとこういうのって大事なんだなーって実感する。年を取ったらきっとこれが無いと出掛けるのも大変だろうなって思ったよ」
すると感心したように、海人が頷いた。
「ふーんなるほど。設計する時も必ず高齢者への配慮ってするものだけど、自分でそう言う体験を出来るって言うのは貴重だよな」
仕事の話題を口にする兄の顔は、珍しくキリッとしていた。
「お兄ちゃん、真面目に仕事してるんだね……」
七海が感心したようにそう呟くと、海人はニヤリと嗤って胸を張った。
「ったりめーだろ?」
「てっきりプロ・ゲーマーになるものだと思っていたよ」
海人が家で真面目に勉強している所など目にした事は無かった。大抵いつもゲーム機を独占していて、どちらかと言うと兄がしているゲームを七海は横で眺めている事が多かったように思う。
「今だって大して変わんねーよ。現場に出る以外はひたすら画面に噛り付いて孤独にカチカチやっているんだから。それにゲームでだって、街造ったり家作ったりしてただろう?」
「そうなの?じゃあパソコンで建物の絵を描いてるってこと?」
就職して家を出て行ったきりの兄の、仕事をしている様子を七海は目にした事は無い。それを具体的に想像するのは難しかった。
「ただ相手がある事だからなぁ……顧客とのすり合わせが一番大変で肝心な所なんだけどな。でも出来上がった物に満足して貰った時は、かなりスカっとするぞ」
兄のドヤ顔を見て、七海は思う。きっと今のお仕事が海人にとっては天職なんだろうなぁ、と。七海は海人のように我を通したりすることは無い。それを良い資質ととってくれる人もいるが、それは七海が何かに執着したり、どうしてもやりたい事があって努力している人間ではない、と言うことでもある。七海はずっと主張の強い兄と妹の間で、流されるままにノホホンと生きて来たのだ。
黛家でもそういう立ち位置は変わらない。龍一や玲子は彼等にしか出来ない仕事をしている特別な人間だと感じる。そして我の塊でその為に努力を惜しまない黛も、七海とは真逆の人間だった。彼等のように強い意志も無く、何か突出した特技がある訳でも目だった容姿がある訳でも無い。仕事だって続けようと思ったのは、求められたことが嬉しかったというのが大きい。―――つまり流されているだけ、とも言える。
「凄いなぁ……」
「おっ?なに、妙に素直だな。やっとお兄様の凄さに気付いてくれたのか?」
兄がウキウキとそう嘯く態度を目にした時は決まって、七海は若干引き気味に対応するのが常だった。
だけど今はそう言う努力を冗談に出来る余裕をかえってスゴイとさえ感じてしまう。専門的な技能を持って、それに誇りを感じている人生って素晴らしい。自慢気な彼の大言壮語も、伊達じゃ無かったと言う事なのだろう……なんて、そんな風に感じてしまう。
「うん。―――でもそれに比べて、自分って本当に何にも出来ないなぁ、努力していないなぁって反省しちゃう。流されてばっかりで」
すると海人は切れ長の大きな目をカッと見開いた。七海はその表情を見て反射的に、弱気な台詞を叱られるものと思ったのだが……
海人は七海を見据え、手を顔の前に上げて盛大にブンブンと振ったのだ。
「いや、じゅーぶんお前スゲーから。逆によくそんな変わらずに落ち着いていられるのか不思議でしゃーないわ。俺だったらあんな美形で金持ちの医者なんて……例え仲の良い同級生だって結婚するの躊躇うぞ?よくそんな大した見た目も学歴も無いのに、覚悟も無く嫁げたよな、ホント。俺なら絶対無理……!嫁があんなハイスペックだったら格差に落ち込み過ぎて、そんな呑気にニコニコしながら食ってられねーって。毎日浮気とかされねーかってビクビクするだろうしよー……」
『すげーすげー』と、繰り返し七海を評する兄。
しかしどうしても七海には、それは褒め言葉に聞こえなかった。せめてもう少しオブラートに包んだ言い方をして欲しい……と、またしても七海は願わずにはいられなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
海人は『ゲームと同じ』なんて言っていますが、たぶんそんな事は無いです。自分の苦労をアピールしたくないタイプで、妹の前では『サラッと出来るスゴイ俺!』でいたい。『おにーちゃん、すごーい』ってずっと思われていたい兄心です。
お読みいただき有難うございました。
軽いおまけ話がもう一話くらいあります。
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七海が選んだのはキッシュプレートだ。ベーコンとチーズがたっぷり入ったキッシュロレーヌは店内で焼き上げたばかりでホクホクとした食べ心地。セットになっているスープはヴィシソワーズ。喉を滑り落ちる冷たさが気持ち良い。ジャガイモの甘い後味にニンマリしていると、ビーフシチューをアッと言う間に平らげた海人が、スライスされたフランスパンをつまらなそうな表情でモグモグと食んでいた。
「これじゃ足りん」
女性ならお腹いっぱい、と言う量なのだろうが、体の大きな海人には物足りないらしい。グラスワインに口を吐けて、七海の皿をジッと眺めている。
「……キッシュも食べる?」
「いいのか?」
「うん、今胃が圧迫されていて一遍に沢山食べられないのよね。一切れで十分だと思う」
「いろいろ面倒なモンだな」
ここで海人は初めて同情の視線を七海に向けた。
「本当にね。ちょっとした段差を登るのも、バランスが難しくってちょっと怖いんだ。お腹が大きくなる前は駅にあるスロープとか手摺とかあまり気に留めて無かったんだけど、体が不自由になるとこういうのって大事なんだなーって実感する。年を取ったらきっとこれが無いと出掛けるのも大変だろうなって思ったよ」
すると感心したように、海人が頷いた。
「ふーんなるほど。設計する時も必ず高齢者への配慮ってするものだけど、自分でそう言う体験を出来るって言うのは貴重だよな」
仕事の話題を口にする兄の顔は、珍しくキリッとしていた。
「お兄ちゃん、真面目に仕事してるんだね……」
七海が感心したようにそう呟くと、海人はニヤリと嗤って胸を張った。
「ったりめーだろ?」
「てっきりプロ・ゲーマーになるものだと思っていたよ」
海人が家で真面目に勉強している所など目にした事は無かった。大抵いつもゲーム機を独占していて、どちらかと言うと兄がしているゲームを七海は横で眺めている事が多かったように思う。
「今だって大して変わんねーよ。現場に出る以外はひたすら画面に噛り付いて孤独にカチカチやっているんだから。それにゲームでだって、街造ったり家作ったりしてただろう?」
「そうなの?じゃあパソコンで建物の絵を描いてるってこと?」
就職して家を出て行ったきりの兄の、仕事をしている様子を七海は目にした事は無い。それを具体的に想像するのは難しかった。
「ただ相手がある事だからなぁ……顧客とのすり合わせが一番大変で肝心な所なんだけどな。でも出来上がった物に満足して貰った時は、かなりスカっとするぞ」
兄のドヤ顔を見て、七海は思う。きっと今のお仕事が海人にとっては天職なんだろうなぁ、と。七海は海人のように我を通したりすることは無い。それを良い資質ととってくれる人もいるが、それは七海が何かに執着したり、どうしてもやりたい事があって努力している人間ではない、と言うことでもある。七海はずっと主張の強い兄と妹の間で、流されるままにノホホンと生きて来たのだ。
黛家でもそういう立ち位置は変わらない。龍一や玲子は彼等にしか出来ない仕事をしている特別な人間だと感じる。そして我の塊でその為に努力を惜しまない黛も、七海とは真逆の人間だった。彼等のように強い意志も無く、何か突出した特技がある訳でも目だった容姿がある訳でも無い。仕事だって続けようと思ったのは、求められたことが嬉しかったというのが大きい。―――つまり流されているだけ、とも言える。
「凄いなぁ……」
「おっ?なに、妙に素直だな。やっとお兄様の凄さに気付いてくれたのか?」
兄がウキウキとそう嘯く態度を目にした時は決まって、七海は若干引き気味に対応するのが常だった。
だけど今はそう言う努力を冗談に出来る余裕をかえってスゴイとさえ感じてしまう。専門的な技能を持って、それに誇りを感じている人生って素晴らしい。自慢気な彼の大言壮語も、伊達じゃ無かったと言う事なのだろう……なんて、そんな風に感じてしまう。
「うん。―――でもそれに比べて、自分って本当に何にも出来ないなぁ、努力していないなぁって反省しちゃう。流されてばっかりで」
すると海人は切れ長の大きな目をカッと見開いた。七海はその表情を見て反射的に、弱気な台詞を叱られるものと思ったのだが……
海人は七海を見据え、手を顔の前に上げて盛大にブンブンと振ったのだ。
「いや、じゅーぶんお前スゲーから。逆によくそんな変わらずに落ち着いていられるのか不思議でしゃーないわ。俺だったらあんな美形で金持ちの医者なんて……例え仲の良い同級生だって結婚するの躊躇うぞ?よくそんな大した見た目も学歴も無いのに、覚悟も無く嫁げたよな、ホント。俺なら絶対無理……!嫁があんなハイスペックだったら格差に落ち込み過ぎて、そんな呑気にニコニコしながら食ってられねーって。毎日浮気とかされねーかってビクビクするだろうしよー……」
『すげーすげー』と、繰り返し七海を評する兄。
しかしどうしても七海には、それは褒め言葉に聞こえなかった。せめてもう少しオブラートに包んだ言い方をして欲しい……と、またしても七海は願わずにはいられなかった。
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海人は『ゲームと同じ』なんて言っていますが、たぶんそんな事は無いです。自分の苦労をアピールしたくないタイプで、妹の前では『サラッと出来るスゴイ俺!』でいたい。『おにーちゃん、すごーい』ってずっと思われていたい兄心です。
お読みいただき有難うございました。
軽いおまけ話がもう一話くらいあります。
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