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太っちょのポンちゃん 番外編 シロクマと遊び人

シロクマ社長

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無遠慮に社長室に踏み込んだ。
案の定、机に座りPCと睨めっこしているシロクマを発見する。

「やっぱいたか」
「ん?あっ、松山」
「後藤……たまにスマホ見ろよ」

ホケッとした顔で、飛び込んで来た俺を見返すその間抜け面を目にするだけで、力が抜ける。後藤はふっくらとした体の大きな男だ。けれどもやけに色が白い艶々としたもち肌と柔和な目元の所為で、その大柄な体の割に威圧感と言う物をまるで感じさせない。学生の頃から、コイツは性格の良さも相まって周りからマスコット扱いされる事が常だった。そう、言わばリアルな『シロクマのぬいぐるみ』みたいな存在なのだ。

「スマホ?……ゴメン。着信気付かなかった」

鞄からスマホを取り出し謝るその姿には、威厳の欠片も感じられない。コイツは集中する時敢えて一定時間、スマホを手放す習慣があるのだ。平日は分刻みのスケジュールをこなし外部と折衝し、内部に置いては大勢の部下の話を聞き指示を出す。常に誰かと繋がっている状態を維持しているコイツが、集中して内省し自分の思考に潜り込む時間を確保できるのは平日の早朝と、休日に限られている。
元々は物事に集中して周りの音が聞こえなくなる性質だった。俺が大学で初めて後藤を認識したのは、考え事をしながら歩いていて机に足を取られ派手に気躓いた瞬間を見掛けた事だった。その集中力には呆れると言うよりむしろ関心してしまった。後藤はもうその時点で既に今の会社の基となる情報サイトについて考えを巡らせていて、夢中になるあまり周りが目に入らなかったらしい。
大学にはこんな面白い奴がいるんだ……!と後藤が語る未来予想図に耳を傾けながら、俺は胸をワクワクさせていた。

後藤に会って初めて、俺は退屈でたまらなかったんだって気が付いたんだ。

色んな事に手を伸ばすけれども、どれも存外簡単にクリアできる。本来なら其処からが本番なのだろうけど、どうにも情熱を維持するだけの魅力を何にも感じられなかった。人付き合いも卒なく熟せる、女も労せずして寄って来る。本能に直結する恋愛であれば少しは夢中になれるんじゃないかとちょっとハードルの高い、俺に興味の無い女を落とす事に専念してみた事もあったが、少し丁寧に接しただけで思った以上に直ぐに落ちて来るものだから、そちらに掛ける情熱も直ぐに醒めてしまった。
簡単に物事を成し遂げられるのは、俺自身の力に依る訳じゃないって、勿論分かっている。容姿や能力もそうだし、興味のある事に専念できるのも生まれ落ちた環境のお陰に違いない。
資産家の家に生まれ、三人兄弟の次男で兄貴のように両親からのキツイ締め付けを感じずに育った。人の心にスルリと踏み込む軽さだけには自信を持っている。ソツないヤツ、と言われる事が多い。親戚には医師や法律関係の仕事に就いている人間が多いから、法学部に進学した。いずれ自分は親父や兄貴のように検察か警察に就職するよう求められるんだろうな、と想像していはいたが、ウチでは兄貴が全面的に親の期待もプレッシャーも引き受けているから、俺が違う職業を選んでも大して反対はされないだろう、とも思ってはいた。
能力もあってその上に更に努力を積み重ね続ける頼もしい背中を見て育った俺は、兄貴を気の毒に思うと同時にどうして其処まで愚直に物事に当たれるのか、理解できずにいた。兄貴にはいつも「本気でやれ」って言われるけれど……辛い事を本気でやって、何かを成し遂げて―――それで何なの?って思わずにはいられなかった。だって兄貴は自分を誇らしく思ってはいるかもしれないが、いつもガチガチに自らを追い詰めているように見えた。その様子を外から眺めていた俺には、世間的には輝かしい経歴を持つ、立派な我が兄の事を全く羨ましく思えなかったと言うのが本音だった。

だけど後藤に出合って。

純粋に楽しくて仕方が無いって様子で、夢中になっているその力の抜けた姿を見て―――俺の心臓を覆っていた殻みたいな物がパリパリと音を立てて剥がれて行くのを感じたんだ。

なんて楽し気に学ぶのだろう?勉強するのも本を読むのも、何かを体験するのも、人と話すのも……どれも後藤にとっては自分の未来予想図の為に必要な経験で、無駄な物はないらしい。その体験から新しい発見をしては、如何にも嬉しそうに眼を輝かせ、ホヤホヤとした笑顔を湛えたままのめり込む姿に心を打たれてしまった。

それ以来何をするより、後藤と一緒にいる事や、話す事が俺にとって一番『夢中になれる事』に取って変わってしまったのだ。

後藤がキラリと目を輝かせるとどんな発想で新しい事を思いついたのかとワクワクして仕方がなくなるし、何に興味をもってどんな切り口でそれを語るのか、そう思うとコイツが口を開こうとする瞬間から、ドキドキと胸が高鳴ってしまう。

どんな聡明で綺麗な女、可愛い女、色っぽい女といるより―――後藤といる方が断然、楽しい。他の人間と会う時間は、後藤と会えない時間を埋めるための暇つぶしかもしれない……そう気付いた時、俺は自分の中にある矛盾に気が付いた。見ないようにしていた後藤に対する想いの、その真実の色合いを自覚するに至ったのだ。






大学在学中に起ち上げたアルバイト情報サイトは、求人広告の無料掲載や採用祝い金、求人登録手続きの画期的な簡素化など新しい試みで注目を集めた。俺の役割は後藤のアイデアを具体化する為のフォローだ。アイツがやりたい事に法律的な落とし穴が無いか、どんな窓口で手続きを進めれば良いか、そう言った事を調べてサポートする。俺達はそうして二人三脚で困難なゲームを勝ち進み、敵が現れればあらゆるアイテムを使い知恵を絞って攻略し長い階段を一緒に駆け上がって来たのだ。
俺のサポートが無ければ絶対に成し遂げられなかったと、後藤はほにゃりと笑いながら告げるけれど―――俺に言わせれば『俺』と言う存在は、後藤と言う船頭がいなければそもそも何処に向かうべきかも分からない力の有り余った漕ぎ手でしかない。あれもこれも全て『後藤ありき』だと言うのは明らかなのに、俺はいつも偉そうにニヤリと嗤って「そうだろう、そうだろう」と肩を叩くに留めるのだ。何故なら俺が替えの利く漕ぎ手なのだと、決して後藤に気取られてはいけないからだ。欠くべからざる存在と思っていて欲しい。万が一にでも後藤の隣、この場所を誰かに取って変わられたなら……俺はこの先の人生を、樹海に置いてきぼりにされた方位磁石みたいにウロウロと、失った大事な物を探し続けて無為に過ごす事になるだろうから。

目の前の柔らかい表情を湛えたふくよかなシロクマは、若干二十歳で一部上場を成し遂げると言う快挙を行った新進気鋭のやり手実業家には到底見えない。

これが一旦、仕事の事となると……柔和な笑顔の中にキチンと納まった瞳の奥に油断の無い光が覗き、礼儀正しい態度や言葉にも、実は付け入る隙がほとんど見いだせなくなるのだから、不思議なものだ。

外に出ればちゃんとしているのに―――自分のテリトリー内だと途端に集中するあまり周りの事が疎かになってしまうのだ。学生時代から、コイツのそう言う性質は変わっていない。
同じ大学に通っていた俺達。性格も見た目も色々と違うけれども、お互い妙に傍に居るのが心地良く感じたものだ。後藤が立ち上げたネットサイトが望外に好評を博し、どんどん忙しくなった。それがいつの間にか年商五十億を超え、五百名の社員を抱える優良企業に成長しているのだから―――人生って何が起こるか分からないもんだ。なんて三十にも満たない若輩者の俺が言うのもおこがましいかもしれないが。

「どーせ昼飯食うのも忘れているんだろ?」

後藤が学生時代からよく利用しているバーガーショップで買い求めたテリヤキバーガーとクラムチャウダー、それから俺がコイツの栄養状態を慮って用意した野菜サラダが入った紙袋を差し出す。

するといつもコイツはニッコリと、微笑むんだ。

「ありがとう、松山」
「ああ」

衒い無い感謝の言葉、態度。目尻が下がって何とも言えない柔らかな笑顔になる。その笑顔に毎回懲りもせず胸を突かれてしまうのは……どうしようもない。むしろその快感を得る事を目的として、俺はこうしてコイツのフォローをしているようなものなのだから。

無防備なその笑顔を見ながら、否応なく笑ってしまう口元を隠すように手で覆いソッポを向く。それから自分の為に用意したホットドッグと野菜ジュースの入った紙袋を手に、応接セットにドカッと腰掛けた。

それから暫く黙々と二人で食事を平らげた。ペロリとハンバーガーを飲み込んだ後藤が「そう言えば」と口火を切った。

「あのさ」
「何だ」
「頼みがあるんだけど」
「……」

社長の癖に全く偉そうじゃないのは標準装備。しかし仕事に関してはズバズバ遠慮なく指示を飛ばす漢らしい面のある後藤が、妙に口籠って下手に出ているのが気に掛かった。

「何だ?」
「服を……その、選んで欲しいんだ」
「服?」

ザワリと胸が騒いだ。
知らず視線に剣呑なものを込めてしまったらしい。責められたように感じたのか、後藤は気まずげにサッと視線を逸らした。

「まさか……デートでもするってのか?」

仕事一途のコイツに女の影は無い筈だ。とは言え、増収を繰り返す優良企業の代表取締役社長である後藤を狙う雌豹は幾らでも何処にでも湧いて来る。独身で若くして富を得ている、しかも性格も悪くない―――後藤自身は自覚はしていないようだが、その妻に収まりたいと考え、擦り寄ろうとする女はそれこそ巨万といる筈だ。
後藤自身が自分がそう言う対象だと言う事に未だに気付いて無いのが救いだが。それ以前に、俺が自ら防波堤となって、そう言う女どもをブロックしているから尚更だろう。後藤に色目を使うような女も、ちょっと良い雰囲気になった女も、悉く俺の手で遠ざけて来たのだから。
恋愛事に慣れない初心な後藤と比べて手練手管に長けた見た目も女好みの、かつ社のナンバーツーとして実権を握る俺の手に掛かれば、簡単に落とせる。……下心のある女ならなおさら、最後まで致す必要も無い。ちょっと良い雰囲気を醸し出し、二人きりで食事に行く機会さえ作れば直ぐに目を潤ませてターゲットを変える。面倒臭そうな相手であれば深入りしない方が無難だ。ようはソイツの目を逸らし、後藤にちょっかいを掛けさせさえしなければ良いのだ。

変な女にコイツの日常を引っ掻き回されてしまったら仕事上、迷惑極まりない。

―――と言うのは勿論半分以上建前で、万が一そんな事になっちまったら俺の気持ちが平穏を保てない……と言うのが本当の本音のところ。

いつかはコイツも結婚するだろう、と言う事は十分承知している。
伴侶としては優良極まりない物件だろう。おそらく付き合った相手には誠実に対応し、浮気もせず、ただ仕事に奔走する事だろう。

俺の行いを耳にして苦言を呈する時のコイツの苦い表情を目にするとどうにも居心地が悪くて仕方ないが、けれども責めると言うより「松山の事が心配だよ」とポツリと零すその佇まいを目にしていると胸がザワザワ騒いで……嬉しさでどうしようもなくなってしまう。

俺は今でもお前のかけがえのない、大事な相棒でいられているだろうか。
友情でも良い、仕事の駒として、道具としての存在でも良い。俺を欠くべからざる存在として大事に考えてくれているのなら―――俺の献身は報われるのだ。どうかこの幸せな均衡が少しでも長く続きますように、と俺はただ祈るしかないのだ。

だから俺は焦った。

いよいよ『その時』が来たのかと。コイツが本気で女を好きになったと言うなら……いよいよその相手を見定めなければならない、と心の中で自分に言い聞かせる。
その女が性悪ならいつも通り誘惑して引き剥がし、本物なら……口惜しいが身を引き見守るしかない。

固唾を飲み返答を待っていると、後藤は照れたように頭を掻いてこう呟いた。

「―――同窓会があるんだ」
「は……同窓会?」

覚悟していただけに、気が抜けてしまった。なんだ、同窓会か。ホッとするあまり、俺は少し投げやりに返答した。

「いつもの格好で行けば良いだろう?」

一応身なりは悪くない。後藤のイメージに合った、素朴でありながら質の良いスーツをコイツの母親が見繕ってくれているからだ。

「うん……でも、さ。ホラ、松山はカッコイイだろ?」

照れたように微笑まれ、ドキッと胸が跳ねる。
俺の事を『カッコ良い』なんて!そんな事をサラリと言ってどうする気だ……!いや、コイツは天然なんだ。しかも俺の事を無類の女好きだと思い込んでいる。俺だってそう思っていたんだ、コイツへの気持ちを自覚するまでは……。

「仕方ないな。じゃあ、今日俺の行き付けの店に行くか?」
「頼むよ……!」
「しっかし、珍しいな。お前がそんなに見た目を気にするなんて」

後藤本人はあまり身なりに頓着しない性質たちだ。いつもそれなりの格好をしているのは、離れて暮らす母親が見かねて定期的に服を見繕ってくれ、それを順番に来ているからで。だから『カッコ良くなりたい』なんて願望があるなんて思いも寄らなかった。……うん?

同窓会に出席する為に『カッコ良くなりたい』と考えるなんて、まさか……。
ニコニコ無防備に笑う後藤に、俺は尋ねた。ゴクリ、と唾が喉を鳴らした。

「まさかだけど、その同窓会で初恋の相手と再会する事になっている、とか……?」

恐る恐る尋ねた俺が、後藤の表情を探るように見ると。

「……!……」

わかりやすいほど真っ赤になった後藤が……色が白いだけに、鮮やかに染まる。
その無防備な、分かりやすい反応に胸を射抜かれる。

そうか……好きなヤツが……同窓会に?

同じ大学の俺に案内は来ていない。だとすると高校か中学の同級生か……。俺は内心ガックリと肩を落としつつ、目を瞑った。

来るべき時が来てしまったのか……?コイツに女っ気が無かったのは、そもそもコイツの好きな相手が大学以前に出会った相手だったからかなのか?

……後藤ならあり得そうだ、と思う。初恋の相手をずっと心に閉まって置くなんて奇特な真似、コイツならやりそうだ。そしてコイツのキャラクターであれば、中学や高校でも、男女問わずマスコット的な扱いを受けていたことだろう―――もしかすると、その相手に男として見られなかった可能性もある。

けれども社会人になったコイツは、既に一国一城の主だ。学生の時分の男の魅力と社会人の男の魅力は違う。そう、権力や金を握っている、ただそれだけでも男としての魅力となるだろう。それ以上に大勢の人間を束ね、海千山千の年長者に相対しこの若さでその混乱を乗り切る手腕、自分の未来予想図を信じて大胆に突き進み、柔らかな物腰を保ったまま大勢の人間を引っ張っていくリーダーシップと包容力……そう言った物が、見た目の綺麗さや子供っぽい強引さを男らしさと勘違いしていた女どもの目にも、正しく魅力的に映るようになってきている事だろう。
だから後藤が改めてその初恋の相手に気持ちを告白したなら―――きっと、その恋は成就するに違いない。

俺は溜息を吐きつつ、頷いた。
顔を上げると、後藤の心配げな表情がぱあっと明るく変わった。

全くコイツには敵わないな。

俺は肩をすくめて、笑顔を返した。

「ったく、なら休日にダラダラ仕事している場合じゃねえだろ?ちゃっちゃと片付けて行こうぜ!」
「ありがとう!やっぱ、松山は頼りになるなぁ……!」

真っすぐに褒められて、頬が熱を持つ。ああ、単純極まりない自分が嫌になる。
この期に及んで……俺も存外どうしようもない。



コイツが笑顔になれるなら何を置いても、我が身が辛かろうと何だろうと協力してやりたいと思ってしまうんだ。
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