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番外編 裏側のお話
(137)彼女は『高嶺の花』
しおりを挟む『番外編 裏側のお話』に登場する遠野の婚約者で従妹の千歳ちゃんのお話です。
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クラス委員の遠野千歳はいわゆる『高嶺の花』だ。
容姿端麗、成績優秀。その上運動神経も抜群。受験勉強の為今では引退してしまったらしいが、陸上部に所属する彼女がグラウンドで背面飛びをしている姿を目にし、思わず足を止めて眺めてしまう男の何と多かったことか。
普段サラサラと靡かせている黒髪をポニーテールにキュッと纏め、キリッと高跳びの棒を睨む姿からは何とも言えない清廉さが漂よっていた。瞼を閉じれば今でもスローモーションのように鮮明に浮かび上がる。背を逸らし、天を仰いでゆっくりと空を飛ぶその姿―――そう、何を隠そうこの俺も彼女の雄姿をこっそり眺めているモブの一人であった。
他のモブより少しだけ違う所は、彼女と同じクラス委員をしていると言う立ち位置。ちょっとだけ、彼女と接する機会が多い。とは言え彼女は誰にでも丁寧に対応する。だから俺の事など何ら特別とは感じていないのだろう。
少々乱暴な口をきくクラスから浮いたピアスの男、似合わない眼鏡と分厚い前髪のオドオドと話す地味女子。それから決して目を合わそうとしないオタク男子、爽やかなサッカー少年から社会人の彼氏がいると言う噂のある、短いスカートの派手な女子まで。誰に対しても―――彼女は自然に、同じように接するのだ。
その様はまるで、俺が以前嵌ったライトノベルのヒロイン。
挿絵とソックリのストレートの黒髪。誰にでも平等で賢く、その上飛び切り美しい。
彼女は医学部を目指し、受験勉強に邁進しているらしい。そんな真面目な彼女と口をきくたび、周りの男どもは漏れなくドキドキと胸を高鳴らせていることだろう。一方彼女は、いつでもクールな姿勢を崩さず、まるで恋愛のような些末事に一片の興味も持ち合わせていないように見える。
そんな彼女が好きになる男は―――どんな奴なんだろう?
きっと背が高くてスタイルが良くて。頭脳明晰、眉目秀麗。おまけに資産家で仕事の出来るモテ男に違いない。そうきっと医学部に進学した彼女と付き合うのは、同じように医学部に進学するような優秀な男で―――少なくとも、パソコンでちまちまとプログラムを作るのを趣味としている俺のようなオタクでは断じて無い。
そんな『高嶺の花』遠野千歳の落とし物を拾ってしまった。
クラス委員会議の後ひと気の無いクラスに二人で戻り、帰り支度をしている時。マナーモードにしていたらしい彼女のスマホが震えた。鞄から取り出したその画面を見た彼女の表情に―――釘付けになった。
パッと振り返ったその顔は。
頬が薔薇色に染まり……瞳がキラキラと輝いている。
思わず見惚れていると、彼女はパタパタと忙しなく荷物をかき集めて顔を上げた。
「宇田君、さようなら!」
そう飛び切りの笑顔で言い放って、彼女は常になく慌てた様子で走り去った。俺はその笑顔に飲まれて声も出せずにただ頷き、その背中をボンヤリと見送ったのだった。
その時トサッと微かな音がして、足元を見る。
小さな布製のバッグが滑り落ち、中身の薄い冊子が飛び出していた。
遠野千歳の忘れ物か?そう思い屈んで手を伸ばした。拾い上げたその冊子を何気なく目にした時、俺の頭の中で―――無意識に彼女になぞらえてしまわずにはいられない、あのライトノベルのヒロインが描かれているのに気が付いた。
しかしかなり上手ではあるのだけれども……それはおそらく二次創作、と呼ばれる類の作品で。
好奇心が疼いた。
もしかすると彼女もこの作品を好んでいて、二次作品にまで手を伸ばすくらいファンだったりするのだろうか?アニメと言うかテレビさえ見ないのではないかと想像していた彼女、遠野千歳と自分に僅かでも接点が増えるような気がして、ワクワクした。
イケないと思いつつ―――その冊子を布製のバックから取り出しパラパラと捲り、目を走らせてしまった。
そこに描かれていたのは。
「―――っ?!」
あの学園ファンタジーのヒロインとその義兄であるヒーローが、くんずほぐれつ裸で絡まる光景。
信じられない気持ちでページを捲る。するとそのライトノベルのヒーローは、ヒロインの親友であるサブヒロインから迫られて今度はそちらと絡まっていた。震える手で更にページを捲ると―――今度は敵対する学校の、憎きライバルである筈の生徒会長をお仕置きの名目で辱め、結局その子ともイタしていた……。
俺の好きなあのヒーローは、義妹であるヒロイン一筋で……決してこんなハーレム野郎では無かった筈なのだが。
そして一番分からないのは―――何故こんな本が彼女の机の中から落ちて来たのか、と言う事だった。
暫くその冊子を手にボンヤリと佇んていた俺は我に返った。慌ててその薄い本を布製のバッグにしまい込み、遠野千歳の机の奥に押し込んだ。そして混乱した頭を抱えながらその場を後にする。
何だ?何だったんだ―――?いまのは。
あれ……あのイヤらしい本が俺達の『高嶺の花』の忘れ物だって―――?!
あの清楚で可憐な優等生が、あんな本を見る訳がない。しかも学校に持ち込むなんて……どう考えてもアレ、R18指定だよ?!
そんなまさかっ……あっ……そうだ。
ショックで混乱する頭の中に、ある考えが浮かんだ。そうだ、それならあり得る。
アレは遠野千歳に不埒な欲望を抱く男の質の悪い悪戯なのだ。清楚で可憐で嫋やかな彼女の、あの本を目にして顔を真っ赤にしてうろたえる様を眺めてやろうと……そんな邪な目的の為に、あの薄い本を彼女の机に押し込んだのでは?!
だから、慌てて帰ろうとした彼女は、気が付かなかったんだ。
そうだよ、自分の荷物ならいつも沈着冷静な彼女が忘れる筈は無い―――いや、あのときは珍しくテンションが高かったような。誰からの連絡だったんだろう。
―――ひょっとして彼氏か?
いや、いやいやいや。遠野千歳は受験勉強中なんだから、彼氏とデートにうつつを抜かすなんてそんな事はしないハズ……って、これ完全に俺の願望だな。そうだよな、あんな可愛らしい彼女に彼氏がいないなんて、むしろあり得ないよな。学校内に彼氏がいるって噂はきかないから―――ひょっとして学外?もしかして年上のカッコイイ、お金持ちの彼氏がいるのかもしれない。あっ……そうか。もしかして医者になりたいと言うのも、その彼氏の影響だったりして。いや、ないか。あの凛とした佇まいの彼女が、そもそも男なんかに振り回されている所なんか、全く想像できない。きっと遠野千歳は優しくて立派な彼氏に、お姫様のように、それこそ蝶よ花よと大事にされている筈で……。
「……」
そんな詮無い事を考えて、少しだけ落ち込んでしまう。憧れの彼女に彼氏がいたからなんだって言うんだ。歯牙にも掛けられない俺は、そもそも落ち込む資格だってないだろうに……いや、そんな事考えている場合じゃない。
つーか、やっぱりアレ、誰か汚い欲望にまみれた男の悪戯だろう……!
―――だとしたら。
ヤバいんじゃね……?
あのまま机にしまっておいたら―――明日の朝、気付いた遠野千歳がショックで気を失っちゃうんじゃないか……?!
俺は玄関に続く廊下で立ち止まった。ふと思いついた考えがどうにもあの状況を説明するのにピッタリ過ぎるような気がして落ち着かない。ウロウロとその場を行きつ戻りつして、ついに心を決めた。
「う~……よし!」
明らかにモブでしかない俺だけど―――遠野千歳を魔の手から救う!
あのイヤらしい本は、俺がこの手で始末してやる……!!!
そう決意した俺はダッシュで教室へ戻り、彼女の机からその薄い本が入った布製のバッグを掴み取った。そうしてそれを丸ごと自分の鞄の中に押し込んで―――ダッシュで学校を飛び出し家路を辿ったのだった。
** ** **
「ちーとせっ」
ポン!と千歳は肩を叩かれ、振り返った。
「……小夏」
満面の笑みの友人、隣のクラスの小夏がニコニコしながら千歳の肩に手を乗せている。昼休みにお弁当を食べ終えた後、図書室へ向かおうと教室から一歩踏み出した千歳を見つけて、背後から駆け寄って来たのだ。
「小夏も図書室行く?」
「ん?いや?千歳みっけたから、声掛けただけ~!……ねぇねぇ!ところで昨日のお宝本読んだ?アレ良かったデショ」
「?」
振り返りニヤニヤ笑う友人を真正面に見据えて、千歳はキョトンと首を傾げた。
「本?ってナニ?」
「―――ん?」
長い付き合いの彼女は、真面目な千歳がふざけてしらばっくれるような性格ではないと知っている。嫌な予感がして、思わず声を落として小夏は尋ねた。
「私の最新おススメ本―――机に入れといたんだけど。白い帆布のバッグに入れて」
「……え?いつ?」
「昨日!放課後……!」
「……」
腕を組み、右手の人差し指を顎に当てて視線を天井に投げ―――それから改めて、千歳はコテンと首を傾げた。
「……無かったよ?」
千歳が真顔で答えると、小夏は目をカッ……と開いてポカンと口を開けた。
「えええ!」
そして両頬を両手で包み、ムンクの叫びのように声を上げた。
「あ、あれ……やっと手に入れた……お宝本……もしかして盗まれちゃった……??!うぇえええ……っ!!」
「小夏……私の机に本を入れてくれたの?」
「千歳、鞄あるのになかなか帰って来ないからっ!机に押し込んで帰ったの……!だって『転生のSYARIN』が始まりそうだったし……!」
「えーと『転生の……』?」
「『シャリン』!アニメ!だから、千歳に貸すつもりの本を机に押し込んで走って帰ったの……っ」
そこで漸く千歳も小夏の焦りに気持ちが追い付いた。目を見開いて声を上げる。
「ええ!」
「ど、どうしよ~……もう手に入らないかもしれないのに……」
(悩むトコそこ?!)
と一部始終を扉のすぐそばの席で聞いていた男は思った。
どうやらあの薄い本は、千歳に対する邪な欲望をたぎらせた小汚い男では無く、彼女の友人である『小夏』と言う隣のクラスの少女が千歳の机の中に親切(?)で押し込んだものだったらしい……。
処分しようと持ち帰ったアノ薄い本を、結局昨晩はじっくりと読み耽ってしまった男は―――クオリティの高さに心酔してしまい、直ぐに処分できずに自宅の机の中にいまだ保管している。
あんな……あんなモノを遠野千歳に読ませるなんて……学園の『高嶺の花』になんたる恐れ多い所業を……と慄きつつ、直ぐにあの本を処分せずにいた事に、男はホッと胸を押さえるのであった。
(しかし問題は―――)
男はガックリと項垂れ、頭を抱えた。
(どうやってアレを返すか!……だよなぁあ……)
「あああ~……」
小さな呻き声を上げて、男は机に突っ伏したのだった。
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