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番外編 裏側のお話

(109)ウエディングドレス 8【最終話】

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『ウエディングドレス』最終話です。

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「『なぞ』?……ですか?」
「ええ。だから―――スッキリしました。今度こそ、本当に」
「あ、はは……」



ますます訳が分からない……と言うような戸惑った表情の七海を見て、妙に雪の胸はスッキリとしてしまっていた。その場で別れ、アトリエへ戻る道すがら思う。

やっと、ケリを付ける事が出来たのだと。

その日は暫く振りにグッスリと眠る事が出来た。
そうしてベッドに起き上がり「うーん」と伸びをする。今日は休みだ―――スマホを何とは無しに手に取る。そうしてアドレス帳を開き……彼のアドレスを表示する。未練がましく残しておいた連絡先。こちらから連絡する勇気は持てなかったし、期待していた連絡もこの三年、全く無かった。

あれだけ拗らせるなら……未練を残しているのなら。そう、自分から連絡をすれば良かったのだ。
小さなプライドを大事にして、勇気を出してぶつかる事さえしなかった。相手から頭を下げてくれるのを―――心のどこかで期待していた。

つまりはそう言う事。雪は彼との復縁より、自分が気分良くいられる方を優先したのだ。自分に都合の良い事を、自分を捨てずに得られる事を期待してしまっていた。そんな高飛車な態度で得られるほど―――彼は安くは無いのだ。
でも、これで良かったのだ。
多分、雪が心の奥底で期待した通りに、彼が下手したてに出て来たとしたら……雪の気持ちは萎えてしまっただろう。手に入らないと十分に分かっていたからこそ、雪は彼に執着していたのだ。

トコトン自分ってメンドクサイ。

本当にそう思う。

そして昨日目の前に自然に座っていた彼女を思い出す。
スッと自然に伸びた姿勢。自分を大きく魅力的に見せようとか、相手に優越感をいだきたいとか―――そんなものは微塵も感じられない七海の、あっさりとした佇まいを。

七海は四つも年上の雪より、ずっと大人の女性だった。
新婚の夫の元カノにいきなり誘われ一対一で対面したと言うのに、怖れも見せず警戒心をあらわにする事も無く、対抗して幸せ自慢をする訳でも無く、あくまで普通に、雪に対応してくれた。

穴が在ったら入りたいとはこの事だ。

雪はそんな彼女の落ち着きを―――地味だとか、魅力が無いとか勝手に決めつけて、あまつさえ彼に相応しくないなんて、考えてみたりしたのだ。
そんなんだから、振られるのだ。
いや、振ったのは自分なのだけれども―――雪は振られる前に振ってやろうと考えていたのだ。今漸くあの頃の状況や自分の心情を客観的に見る事が出来る。もう振られる寸前だった、だけど雪のプライドがそれを許さなかったのだ。

そして冷静になった頭で過去の断片を組み立ててみる。あくまで想像、勿論仮定の話なのだが……。

きっと彼は高校生の頃、七海の事を好きだったのだろう。
けれども相手にされなかったとか?とにかく七海の口調から推測するに、当時、彼の事を友人としてしかとらえてなかったのだろう。そして振られたか、男性として見られる事は無いと諦めたかして……彼は彼女と付き合う事は叶わなかった。それでも彼は諦めきれずに、ずっと友達付き合いを続けていたのだろう。七海にとっては『腐れ縁』だが、彼にとっては必死に維持して来た、細い糸だったのかもしれない。

だとしても雪があの頃もし、自分のプライドを捨てて素直に彼に向き合ってたら。年上だからとか、学生と社会人だからとか……そう言う表面的な事に拘らず、彼の事を思い遣り自分の率直な気持ちを訴えていたら―――あるいは、彼の気持ちが雪に傾く可能性もあったのかもしれない。

けれどもそれは、実際は前提からしてあり得ない話なのだ。

雪がそんな自分の幼さや、弱さに気付けたのは―――彼との別離が切っ掛けだからだ。彼と上手に向き合えない自分、その理由をちゃんと認識する事が出来たのは、彼と別れた痛みのお陰なのだ。それが無ければ―――未だにずっと自分を誤魔化し続けて、適当な心地良い付き合いをし、気の入らないまま自分の境遇に文句を言いつつ、自分を甘やかしてくれる男を捕まえて、煮え切らない気持ちに蓋をしながら生きていたのだろう。



きっとあの時、紗里のアトリエで……初めて彼を目にした衝撃は間違っていない。



彼はキラキラしていた。眩しかった。確かに雪が密かに欲していながら、持ちえない資質を、彼は持っていたのだ。だから―――光に集らずにはいられない昆虫のように、フラフラと近づいてしまったのだ。そして近づき過ぎてその熱さに薄い羽を焼かれてしまった。身の程知らずだったと思う、だけど今はそれを後悔したりしない。



だって、確かに―――雪は彼に惹かれたのだから。



アドレスを表示する液晶画面ににもう一度目を落とし、雪は目を細める。
もうこれは削除しよう。
そう思って、ハタと気が付いた。

「あ、私彼に黙って奥様に……」

失礼な事をしてしまった。色々恥ずかしい気持ちが混じるけれども……結局雪のモヤモヤは晴れて、自分にとってはあの対面は必要だったのだと感じている。けれども彼の妻、七海にとっては―――顔を合わせる必要もない元カノに、以前の付き合いを匂わされただけ。顔にも態度にも出ていなかったけれども―――気分の良い体験では無かった筈だ。

あの調子だと、七海は彼に昨日の事を告げないかもしれない。
そっと傷つき、そのままそれを胸に抱え込むかもしれないのだ。

雪は逡巡し―――暫く悩んだ末に、最後に彼にメールを送る事に決めた。



『久し振り:
 この間奥様とお茶しました。
 貴方が元気だと聞いて安心しました。___お幸せに』



そして、ちょっと考えて。

『PS.私も元気です』

と書き足した。

「送信っと」

口に出して、勢いを付けた。送信ボタンを押し、送られたのを確認して―――それからやっと彼のアドレスを削除した。



彼は驚くだろうか?それとも怒る?大事な奥様にちょっかいを掛けた、昔の女に腹を立てるだろうか……?



だけどもう、そこは気にしない事にした。
自意識過剰は卒業だ。
私は彼の妻に声を掛けた。話した。そして―――救われたのだ。

自分が正しい道筋ばかり選べたとは思えない。フラフラして周りの人を巻き込んで、盛大に迷惑を掛けて来たのだと―――今では自覚している。

そして雪は彼が好きだった。
彼の本当の所を全然見てもいなかったし、知らないままだったけれども。
好きになった気持ちに偽りはない。例え自分の打算や狡さが混じった誘いが切っ掛けだったとしても、彼に惹かれた自分を否定するのは止めよう、そう思ったのだ。

もしかして、絶対無いとは思うけれど―――自分が送ったメールを見て、彼が雪を思い出し連絡をくれたり、それから雪が苦手とする筈の泥沼三角関係とか、略奪愛とか……このメールを切っ掛けに、そんな面相臭い展開に発展してしまう事も今後あり得ないとは言えない。
けれどもそんな起こっても居ない事を心配したり、踏み外す事を恐れてしたい事や言いたい事を我慢するのはもう止めよう。カッコつけたって何も良い事なんかない。

伝えたいから、伝える。

相手から返って来る反応を気にしたりしない。
そんな事は反応があってから、考えれば良い。

それにそんな事、起こりやしないんだって―――今はもう十分に分かっている。






結局、案の定返信は無かったのだけれど。
何となく『彼らしいな』と思い、ホッと胸を撫で下ろした。

だけどちょっとだけ残念に思った自分を―――雪はもう、自虐的に責めたりなんかしないのだ。






【ウエディングドレス・完】

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アラサー美山よしやまさんの自分探し。ここで完結とさせていただきます。

一見何でも上手く行っているような、感じの良い美人の美山さんも、物分かりの良い振りや余裕を見せている裏で、自分の思い込みに振り回されてしまいました。
美山さんは描写しない所で実際色々トラウマを抱えるような体験もしていて、大人になり切れないまま育ってしまった女性なのですが、その辺りはメインの話に関わらないので割愛しました。
仕事も一通りこなせるようになって、恋愛も色々経験して大人になったつもりの時に壁に当たる事もあると思います。目を逸らして来ていた自分の欠落に足を引っ張られてしまって愕然としたり。美山さんは自分の弱さに気付いて見つめる事が出来るようになりましたが、気付ける人ばかりでは無いし、彼女もまだまだこの先新たな壁にぶち当たる事もあるでしょう。
月並みですが出来れば彼女には『失敗は成功の元』と考えて、これからも前向きに日常を送って貰いたいと思います。

拙作をお読みいただき、誠にありがとうございました。
今回シリアスだったので、次話は少し明るい話を追加する予定です。

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