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本編 平凡地味子ですが『魔性の女』と呼ばれています。
75.遅れた伝言
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案の定仕事が長引いて予想していたよりずっと戻るのが遅くなった黛は、通りすがりにナースステーションに一声掛けてから帰ろうと顔を出した。
すると看護婦に「そう言えば先生、伝言聞いてますかー」と尋ねられ首を傾げる。子育てが落ち着いてパートで勤務している四十代後半の彼女は、黛の事も自分の息子のように時には厳しく時にはゾンザイに……そしてごく稀に優しく扱ってくれる信頼できるベテラン看護婦だ。
「加藤先生が伝えてくれるって言ってたんだけど、お友達と待合わせしてるんでしょ?スタバ閉まっちゃうから早く行かないとマズいんじゃない?」
「聞いて無いけど……加藤先生いたんですか?」
「忘れ物取りに来てたわよ。じゃあ、すれ違っちゃったのかな」
と、伝言の書かれた付箋をPCから剥がし、差し出した黛の掌に彼女はペタリと貼り付けた。
『黛先生 江島さんから スタバ待合わせ』
黛は「有難うございます!」と慌てて頭を下げ、控室へ早足で駆け込んだ。
スマホの電源を入れると、メッセージが残っていた。
『K大病院のスタバにいます。仕事終わったら連絡して』
その瞬間、黛は白衣を脱ぎロッカーへ放り込んだ。
時間は既に午後九時十分前。スタバの閉店直前である。リュックを肩に掛け控室を飛び出した。
ガラス張りのスタバを見やると、見慣れたシルエットが目に飛び込んできた。
黛の胸が歓喜に震える。
信の事も、仕事の葛藤も全て吹き飛んで、ただワクワクと胸が高鳴った。
入口に飛び込むと、七海がスクッと立ち上がるのが見える。
間に合った……!と思った時、彼女の目の前に大学の同期で今は同僚の加藤が立ち塞がっているのに、初めて気が付いた。
「黛君が―――自分で『強く断れない』なんて、ある訳がないじゃないですか。彼は嫌な事は嫌と、ハッキリ相手に言う人です。だからそれを貴女に言われる筋合いはありません。相手に嫌われようと、何と罵られようと、黛君が言いたい事を言わずに口を濁すなんて事ありません」
拳を握ってシッカリとした口調で力説する七海を見て、黛は(一体何の話をしているんだ?)と訝しんだ。
「アイツは本当に口が悪くて―――本当に人の気持ちを思い遣るなんて芸当、昔から出来ない奴で―――私にも結婚相手がいないだの、就職できるつもりでいるのかだの―――好き勝手に罵倒して、それから地味だの平凡だの、私が自分でも分かっている事をゴリゴリ抉るように揶揄ったり―――彼女が出来ても相手もしないで幼馴染の家に入り浸るわ―――ヨモギ大福は俺のだとか我儘な事言い出すし、アイツ以外にも食べさせようと二個買ってきたのに、隙を見て二個とも平らげるわ―――ゲームに集中したら返事はしないし、自分の自慢話ばっかりするし、ちょっと金持ちの家に生まれたからって私の事、庶民扱いして馬鹿にするし―――」
眉を吊り上げて主張する七海は、怒りをあらわにしていた。
ヨモギ大福にそれほど拘っていたなんてこっちが吃驚だ、と一瞬呑気に黛は考えた。
しかし何故七海は、おそらく顔を合わせた事も無い加藤相手に自分の事を罵っているのだろうと、不思議に思った。
(女二人で俺の悪口言い合ってるのか?)
と黛は七海の長い愚痴を聞きながら、口を挟めずに立ち尽くしてしまった。
何故ここに加藤がいるのか?と彼は改めて考える。
伝言を手に入れて七海の存在を知ったのだろうが―――わざわざ自分の悪口を聞きに来た訳ではあるまい、とやっとバカげた推測を頭から追い払った。
おそらく黛に気のある彼女が、彼の待ち合わせの相手を見に来たのだろう。そして相手が女性と知って牽制する事にした―――と言う所だろうか。
優し気な風貌の七海は一見、大人しそうに見える。そう言う相手に強く出るタイプだと黛は加藤を認識していた。
一気に黛の悪口を並び立てた七海は、怯んで組んでいた腕を下ろした加藤に気付くと、ハッと息を呑んで何やら弁解めいた口調で慌てだした。
「あっでも―――黛君にも良い所あるんですよ?えっと、えっと……あ、そうだ!」
しかし全く褒めていない。そしてそんなに考え込まないと良い所が思い浮かばないのか?と黛は呆れた。良い所を褒めるどころか、むしろ先ほどの愚痴よりひどく貶されているような気がするのは気のせいでは無いと、シドロモドロになる七海を見て思う。
―――黛は思わず噴き出しそうになり、口元を歪めて踏みとどまった。
七海は散々黛を微かに持ち上げ、ガツンと下げを繰り返し―――一旦口を噤んでから漸くフォロー(?)の言葉を声高に叫んだのだ。
「ちょっとは良い所も、有るんです……っ!仕事も頑張っていますし、私の両親に会った時もちゃんと普通に社会人の挨拶が出来ましたし……っ」
もう我慢出来なかった。
黛はゲラゲラと笑い出し、お腹を抱えた。
「お前っ……散々罵倒しておいて、俺のいい所それだけしか思い浮かばねーってどういう事?!それに全然褒めてねーじゃん!」
振り向きポカンと口を開けた間抜けな顔を晒している、ここ最近ずっと見たいと熱望していた顔が目に入り―――ますます嬉しくなって、黛は満面の笑顔で七海に歩み寄った。
(ホント、敵わねーな)
その瞬間、黛は白旗を上げる事に決めたのだった。
すると看護婦に「そう言えば先生、伝言聞いてますかー」と尋ねられ首を傾げる。子育てが落ち着いてパートで勤務している四十代後半の彼女は、黛の事も自分の息子のように時には厳しく時にはゾンザイに……そしてごく稀に優しく扱ってくれる信頼できるベテラン看護婦だ。
「加藤先生が伝えてくれるって言ってたんだけど、お友達と待合わせしてるんでしょ?スタバ閉まっちゃうから早く行かないとマズいんじゃない?」
「聞いて無いけど……加藤先生いたんですか?」
「忘れ物取りに来てたわよ。じゃあ、すれ違っちゃったのかな」
と、伝言の書かれた付箋をPCから剥がし、差し出した黛の掌に彼女はペタリと貼り付けた。
『黛先生 江島さんから スタバ待合わせ』
黛は「有難うございます!」と慌てて頭を下げ、控室へ早足で駆け込んだ。
スマホの電源を入れると、メッセージが残っていた。
『K大病院のスタバにいます。仕事終わったら連絡して』
その瞬間、黛は白衣を脱ぎロッカーへ放り込んだ。
時間は既に午後九時十分前。スタバの閉店直前である。リュックを肩に掛け控室を飛び出した。
ガラス張りのスタバを見やると、見慣れたシルエットが目に飛び込んできた。
黛の胸が歓喜に震える。
信の事も、仕事の葛藤も全て吹き飛んで、ただワクワクと胸が高鳴った。
入口に飛び込むと、七海がスクッと立ち上がるのが見える。
間に合った……!と思った時、彼女の目の前に大学の同期で今は同僚の加藤が立ち塞がっているのに、初めて気が付いた。
「黛君が―――自分で『強く断れない』なんて、ある訳がないじゃないですか。彼は嫌な事は嫌と、ハッキリ相手に言う人です。だからそれを貴女に言われる筋合いはありません。相手に嫌われようと、何と罵られようと、黛君が言いたい事を言わずに口を濁すなんて事ありません」
拳を握ってシッカリとした口調で力説する七海を見て、黛は(一体何の話をしているんだ?)と訝しんだ。
「アイツは本当に口が悪くて―――本当に人の気持ちを思い遣るなんて芸当、昔から出来ない奴で―――私にも結婚相手がいないだの、就職できるつもりでいるのかだの―――好き勝手に罵倒して、それから地味だの平凡だの、私が自分でも分かっている事をゴリゴリ抉るように揶揄ったり―――彼女が出来ても相手もしないで幼馴染の家に入り浸るわ―――ヨモギ大福は俺のだとか我儘な事言い出すし、アイツ以外にも食べさせようと二個買ってきたのに、隙を見て二個とも平らげるわ―――ゲームに集中したら返事はしないし、自分の自慢話ばっかりするし、ちょっと金持ちの家に生まれたからって私の事、庶民扱いして馬鹿にするし―――」
眉を吊り上げて主張する七海は、怒りをあらわにしていた。
ヨモギ大福にそれほど拘っていたなんてこっちが吃驚だ、と一瞬呑気に黛は考えた。
しかし何故七海は、おそらく顔を合わせた事も無い加藤相手に自分の事を罵っているのだろうと、不思議に思った。
(女二人で俺の悪口言い合ってるのか?)
と黛は七海の長い愚痴を聞きながら、口を挟めずに立ち尽くしてしまった。
何故ここに加藤がいるのか?と彼は改めて考える。
伝言を手に入れて七海の存在を知ったのだろうが―――わざわざ自分の悪口を聞きに来た訳ではあるまい、とやっとバカげた推測を頭から追い払った。
おそらく黛に気のある彼女が、彼の待ち合わせの相手を見に来たのだろう。そして相手が女性と知って牽制する事にした―――と言う所だろうか。
優し気な風貌の七海は一見、大人しそうに見える。そう言う相手に強く出るタイプだと黛は加藤を認識していた。
一気に黛の悪口を並び立てた七海は、怯んで組んでいた腕を下ろした加藤に気付くと、ハッと息を呑んで何やら弁解めいた口調で慌てだした。
「あっでも―――黛君にも良い所あるんですよ?えっと、えっと……あ、そうだ!」
しかし全く褒めていない。そしてそんなに考え込まないと良い所が思い浮かばないのか?と黛は呆れた。良い所を褒めるどころか、むしろ先ほどの愚痴よりひどく貶されているような気がするのは気のせいでは無いと、シドロモドロになる七海を見て思う。
―――黛は思わず噴き出しそうになり、口元を歪めて踏みとどまった。
七海は散々黛を微かに持ち上げ、ガツンと下げを繰り返し―――一旦口を噤んでから漸くフォロー(?)の言葉を声高に叫んだのだ。
「ちょっとは良い所も、有るんです……っ!仕事も頑張っていますし、私の両親に会った時もちゃんと普通に社会人の挨拶が出来ましたし……っ」
もう我慢出来なかった。
黛はゲラゲラと笑い出し、お腹を抱えた。
「お前っ……散々罵倒しておいて、俺のいい所それだけしか思い浮かばねーってどういう事?!それに全然褒めてねーじゃん!」
振り向きポカンと口を開けた間抜けな顔を晒している、ここ最近ずっと見たいと熱望していた顔が目に入り―――ますます嬉しくなって、黛は満面の笑顔で七海に歩み寄った。
(ホント、敵わねーな)
その瞬間、黛は白旗を上げる事に決めたのだった。
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