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本編 平凡地味子ですが『魔性の女』と呼ばれています。

71.返せない理由

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 滅多に彼女から連絡してくる事は無い。俄かに気持ちが沸き立った。

 会いたいな。と黛は素直に思う。
 七海に会ったら、胸に掛かった靄もサラリと晴れるような気がした。

 しかし仕事で地の底まで落ち込んでしまうのは―――前回彼女が放った爆弾が―――自分の心に大きなダメージを浴びせた事が下敷きになっているのだろうとも思った。

 次に会ったら……信との結婚話の進み具合を聞かされるかもしれない。いや、七海が言わなくても黛は気になって衝動的に尋ねてしまうのだろう……。そして更にダメージを受けて、仕事も手に付かない状態に陥ってしまったら。

 そう思うと、返事をどう返してよいか分からなくなった。

 会いたい。
 しかし会うのが怖い。その口から信との順調な付き合いについて語られるかと思うと、最悪なまでに弱っている今の自分には耐えられない気がしていた。



「ちょっと、顔色悪いんじゃない?」



 研修医のロッカー兼控室となっている荒れた事務室の机の上から顔を上げると、同期の加藤が自分を覗き込んでいた。
 黛は加藤の事があまり好きでは無かった。成功している広告が大仰な美容整形外科医院の娘で、常々他人を見下す癖があった。まあ七海に言わせれば黛も十分不遜だと怒られるかもしれない。しかし加藤は、本人は気付いていないのかもしれないが特権意識が滲み出る事があり、研修医の仕事も自分の家で働くまでの通過点くらいにしか思っていないような口振りで話すことがままあった。

 学生時代から彼女は黛に何度か意味深な行動を仕掛ける事があったが、黛は気付かない素振りでスルーしていた。性格の悪い女と付き合う趣味は無かった。

「別に。寝不足なだけ」

 と素っ気なく言うと、彼女は黛の横に腰掛けた。

「黛ってずっと彼女いないよね?忙しいから?」
「さーね」

 興味なさげな声を出しても、変にポジティブな加藤は気が付かない様子で続けた。

「この間見たよ、看護師さんに告白されて断っている所。やっぱり看護師さんとは職場が一緒でも同じ苦労を分かち合えないトコあるよね。私も時々思うんだ、同じ立場じゃないと気持ちを共有できないなぁって」
「……」

 黛はそんな気持ちで告白を断った訳では無かった。
 確かに仕事場に私事を持ち込んできた新人看護師に眉を顰めはしたが―――一年目の研修医なぞ、看護師一人分の働きも出来ていないと認識している。『先生』と一応呼んではくれるが、彼等がベテランの医師を呼ぶときの『先生』のニュアンスとかなり隔たりがあるのも分かっている。怒られ嫌味も言われるが、それ以上に沢山フォローして貰っている。その恩は今は返せないが―――黛が実力を付けて後々仕事で返して行くしかない事だと認識もしていたし、おそらく相手もそう思っているだろう。

 加藤は学生の頃からこういう発言が鼻に着くので、以前は思った事を言い返していたが、あまり響かないようなので最近黛は聞き流す事にしていた。

 体はまだ重かったが―――黙って黛は立ち上がった。

「何処行くの?」

 と聞かれ、振り向かずに答えた。

「トイレ」

 そう言うと何故かケラケラ笑われて、廊下に出て扉を閉めてから黛は首をかしげる。
 今の台詞の何処に笑う要素があったのか?と。

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