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本編 平凡地味子ですが『魔性の女』と呼ばれています。
25.お疲れ様です
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就業時間が終わって七海はロッカーから荷物を取り出した。トイレに寄り個室から出て手を洗っていると、肩越しに声が掛かった。
「江島さん、お疲れさま」
職場の三つ年上の先輩、岬だった。とても身だしなみに気を配っているいつも凝った髪型をしている女性だった。童顔のため七海と並ぶと年下に見られるくらい、可愛らしい外見をしていた。
「お疲れ様です」
七海はハンカチで手を拭い、頭をペコリと下げた。そして場所を譲るように彼女の脇を通り過ぎようとして「待って。ちょっと話があるの」と固い声で呼び止められて足を止めた。
クルリと振り返り、改めて七海は岬に向き直る。
すると彼女の瞳がいやに冷えているのに気が付いて、背筋に力が入った。
何か仕事でミスをしただろうか?と今日の作業を振り返るが、思い当たる処が無い。そして彼女とは仕事で被った事が無いので、注意されるような関係でも無かった。
彼女と仲の良い先輩もお洒落で綺麗な人ばかりで、彼女達は職場をリードする華のような存在だ。日陰が似合う地味な七海とは別世界の人達だという認識だった。
「あなた今日、営業部の立川さんとランチに行ったでしょう?」
「え?……あ、はい」
「色目使ってんじゃないわよ」
「は?」
いつも女性らしい可愛い仕草と甘い声で話す彼女とは、別人のような低い声だった。
あまりのギャップに、幼顔の可愛らしい彼女から発せられた言葉だと言う事が理解できず、思わず七海はキョロキョロ周りを見渡した。しかし二人のほか、ここには誰もいない。
「なにキョロキョロしてんのよ」
またしてもドスの聞いた声が響き、七海は視線を岬に戻した。
やはり声を発したのは彼女だったのだ。
「えっと『色目』……ですか?」
「平凡地味子は大人しく、課の隅っこでつまらない仕事こなしてなさいよ!会社で男漁りすんな」
「お、『男漁り』……ですか?」
言われた言葉の厳しさより、大きな瞳の可愛らしい風貌の彼女の口からとんでもない台詞が飛び出してくる事に七海は目を丸くした。
「えっと……」
「モテてるって勘違いしてんじゃない?ホストと同伴するのも目障りだったけど、立川さんにまで色目使うなんてとんだ男好きね!男漁りばかりしていないで仕事をしなさいよ!仕事を!」
いつも職場でおしゃべりばかりしている先輩に言われるとは思わなかった。
七海は綺麗なお姉さま方がキャピキャピしゃべっているのを、別世界のように眺めながら黙々と仕事をしていた。だから『仕事をしろ』と意外な台詞が岬から飛び出して来て、つい首を傾げてしまった。
その意味に咄嗟に気付いた岬が、カッとなって手を振り上げた。
「急いでっ!間に合わないよ~」
「待って待って、今メイク直すからっ」
そこに飲み会に急ぐ女子社員達が飛び込んできた。
岬はそちらを横目で確認し、サッと振り上げた右手を下ろして左手で抑えるように手首を掴んだ。
そしてキッと七海を再度睨みつけると吐き捨てるような強い口調で、しかし周囲に気を配っているのか声を潜めて言い放った。
「とにかく!もう立川さんには近づかないで、目障りだわ!」
そして子供のようにフンッと鼻息荒く顔を背けると、扉を開けてトイレから出て行ってしまった。
七海の友達は楽しかったり、少し変わっていたり―――色んなタイプがいるけれど、とにかく人に安易に悪意を向けるような人間はいなかった。七海自身も地味で真面目な性質なので、華やかな存在の岬などから関心を向けられる事もほとんどなかったように思う。
そして、今まで一緒にいた唯や本田などの友達が注目される事が多かったから、七海は空気のように扱われる添え物状態だったし、それを居心地良く思っていた。小心者なのでうっかり悪意を向けられそうになっても、一歩引いてすぐに『敵じゃない感』を示して来た。
だからこんな風に名指しで、正面から人に敵意を向けられた事は初めてだった。
茫然と、嵐のような岬が去った後の扉を見つめていた七海は―――我に返って気が付いた。
自分の手と脚が、微かに震えている事に。
「江島さん、お疲れさま」
職場の三つ年上の先輩、岬だった。とても身だしなみに気を配っているいつも凝った髪型をしている女性だった。童顔のため七海と並ぶと年下に見られるくらい、可愛らしい外見をしていた。
「お疲れ様です」
七海はハンカチで手を拭い、頭をペコリと下げた。そして場所を譲るように彼女の脇を通り過ぎようとして「待って。ちょっと話があるの」と固い声で呼び止められて足を止めた。
クルリと振り返り、改めて七海は岬に向き直る。
すると彼女の瞳がいやに冷えているのに気が付いて、背筋に力が入った。
何か仕事でミスをしただろうか?と今日の作業を振り返るが、思い当たる処が無い。そして彼女とは仕事で被った事が無いので、注意されるような関係でも無かった。
彼女と仲の良い先輩もお洒落で綺麗な人ばかりで、彼女達は職場をリードする華のような存在だ。日陰が似合う地味な七海とは別世界の人達だという認識だった。
「あなた今日、営業部の立川さんとランチに行ったでしょう?」
「え?……あ、はい」
「色目使ってんじゃないわよ」
「は?」
いつも女性らしい可愛い仕草と甘い声で話す彼女とは、別人のような低い声だった。
あまりのギャップに、幼顔の可愛らしい彼女から発せられた言葉だと言う事が理解できず、思わず七海はキョロキョロ周りを見渡した。しかし二人のほか、ここには誰もいない。
「なにキョロキョロしてんのよ」
またしてもドスの聞いた声が響き、七海は視線を岬に戻した。
やはり声を発したのは彼女だったのだ。
「えっと『色目』……ですか?」
「平凡地味子は大人しく、課の隅っこでつまらない仕事こなしてなさいよ!会社で男漁りすんな」
「お、『男漁り』……ですか?」
言われた言葉の厳しさより、大きな瞳の可愛らしい風貌の彼女の口からとんでもない台詞が飛び出してくる事に七海は目を丸くした。
「えっと……」
「モテてるって勘違いしてんじゃない?ホストと同伴するのも目障りだったけど、立川さんにまで色目使うなんてとんだ男好きね!男漁りばかりしていないで仕事をしなさいよ!仕事を!」
いつも職場でおしゃべりばかりしている先輩に言われるとは思わなかった。
七海は綺麗なお姉さま方がキャピキャピしゃべっているのを、別世界のように眺めながら黙々と仕事をしていた。だから『仕事をしろ』と意外な台詞が岬から飛び出して来て、つい首を傾げてしまった。
その意味に咄嗟に気付いた岬が、カッとなって手を振り上げた。
「急いでっ!間に合わないよ~」
「待って待って、今メイク直すからっ」
そこに飲み会に急ぐ女子社員達が飛び込んできた。
岬はそちらを横目で確認し、サッと振り上げた右手を下ろして左手で抑えるように手首を掴んだ。
そしてキッと七海を再度睨みつけると吐き捨てるような強い口調で、しかし周囲に気を配っているのか声を潜めて言い放った。
「とにかく!もう立川さんには近づかないで、目障りだわ!」
そして子供のようにフンッと鼻息荒く顔を背けると、扉を開けてトイレから出て行ってしまった。
七海の友達は楽しかったり、少し変わっていたり―――色んなタイプがいるけれど、とにかく人に安易に悪意を向けるような人間はいなかった。七海自身も地味で真面目な性質なので、華やかな存在の岬などから関心を向けられる事もほとんどなかったように思う。
そして、今まで一緒にいた唯や本田などの友達が注目される事が多かったから、七海は空気のように扱われる添え物状態だったし、それを居心地良く思っていた。小心者なのでうっかり悪意を向けられそうになっても、一歩引いてすぐに『敵じゃない感』を示して来た。
だからこんな風に名指しで、正面から人に敵意を向けられた事は初めてだった。
茫然と、嵐のような岬が去った後の扉を見つめていた七海は―――我に返って気が付いた。
自分の手と脚が、微かに震えている事に。
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