上 下
304 / 363
後日談 黛家の妊婦さん3

(165)キッチンで卵焼き

しおりを挟む
前話の続きの、短い小話です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 翌朝、夫をベッドに残して起き出した七海は卵焼きを焼いていた。産休に入って仕事も無いので、進んでキッチンに立つように心掛けるようになったのだ。

 お腹が大きくなって身動きが難しくなり始めた頃もっと楽をするようにと勧められ、最近は料理の手間をかなり簡略化していた。例えばチーズトーストと出来合いのスープ、またはご飯と納豆にフリーズドライの味噌汁……など。だから近頃の七海は大層、家事について楽をしている。その上時間のある時には義父である龍一が簡単な手料理を振る舞ってくれることさえある。

 しかし元来黛家では家事も料理もほとんど外注だったのだ。そのため身重になった頃、龍一と黛は七海に対して家事代行で料理をして貰うことや宅配のサービスの利用を提案している。
 家族じゃない人間が頻繁に自宅に出入りする環境は、一般人の七海にとっては何とも落ち着かない気がする。だからこれまではその提案を断って来たのだが……産後の動けない時期をどう過ごすのかと考えた時、そう言うサービスの利用も考慮した方が良いかもしれない、と七海は考え始めている。提案を受けた当初は毎日家政婦さんが通って来るようなイメージでとらえていたのだが、色々調べてみたところ、食事を作ると言っても例えば週に一度作り置きをたくさん作ってくれるサービスもあるらしい。それくらいの頻度なら、身構えずに利用できそうだ。

 とは言え今のところは仕事も無いので、やはり料理くらいはしたい。実はと言うと黛家の他の家事は、現在ほぼ全てアウトソーシングされてしまっているのだ。ハウスクリーニングは週一、洗濯は下着など以外は全てコンシェルジュ経由でクリーニングすることになっている。黛家はもともと家事はほぼ外注だったので、本来の形に戻ったと言うべきか。しかし彼等と違って貧乏性が習い性となっている七海は、何か身の回りの仕事をやっていないと気持ちが落ち着かないと言うのも正直なところだ。



「ん~んん~・ら~らら~・ん~♪」



 鼻歌を歌いながら七海はご機嫌だった。今日は出し巻きじゃ無く、甘い卵焼きにする予定だ。卵をボウルに割入れ砂糖を小匙一、塩を一つまみだけ。カシャカシャかき混ぜ、温めたフライパンに油を引いてジュワ~ッと卵液を三分の一、流し込む。程好く火が通った処で菜箸で奥の方を剥がしちょっと寄せてクルクル巻いて行く。

 ん!今日は上手くできそう!と、七海は口元を綻ばせる。

 慣れた作業だが、ちょっとしたことで綺麗な出来上がりを逃してしまうことがあるのだ。その出来で今日一日の運勢が決まるような気がしてしまう。それは、出来具合が稀に安定しないことがあるからだ。もう完璧になった!と思うたび何かしら失敗したりするのが、卵焼きと言う料理なのだ。なかなかに気を抜けない。

 誰もいないキッチンでゆっくりと料理が出来る喜びを堪能しながら、七海は鼻歌を歌ってご機嫌だった。しかし焼き立ての卵焼きをまな板に取り、包丁を入れている時―――足音を忍ばせて来た不埒な人物に、ガっと腰を掴まれて思わず変な声が出てしまった。



「ひゃあ!」



 握っていた包丁を安全な場所に置き、一拍置いて七海はグリン!と振り返った。

「あっぶな!もー黛君!」

 怒りを露わにまだパジャマ姿にボサボサ頭の男を見上げ、睨みつける。

「包丁持ってる時はやめてって言ってるでしょ!」

 すると叱られた当の本人は、腰に手を当ててプリプリしている嫁を見下ろしながらニヤニヤといかにも楽し気に笑っている。まるで反省の色が見えないことにムッとした七海が再び口を開こうとした時、ご機嫌な様子で黛は判定を下した。

「苗字で呼んだな?」
「えっ……」
「では、遠慮なくいただきます」

 パンッと両手を合わせて黛は七海を拝んだ。そしてすぐにグッと彼女の両頬をその両手でガッチリと挟み込んだ。



「んぐぐ……!」



 そう言えば夕べ、そんな事言ってたな……!と七海が気が付いた時には、もうカプリと噛みつかれた後だった。それから存分に味見されてしまう。

「ふーっ」

 両頬を解放した黛は息を吐いて七海の口元を指で拭い、満足気な溜息を吐いた。それから一転して居住まいを正すと、再び七海の前で手を合わせてこう言ったのだった。



「―――ごちそうさまでした」



 その神妙な表情に、怒っていた七海も何だか肩の力が抜けてプハッと噴き出してしまったから、仕方が無い。しかし直ぐに(これ、本当に外でもやる気かな……いや、黛君ならやるかも)とヒヤリとしたのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


余談ですが、二人とも朝イチで歯を磨く派です。

お読みいただき、誠にありがとうございました!
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

何を間違った?【完結済】

maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。 彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。 今真実を聞いて⋯⋯。 愚かな私の後悔の話 ※作者の妄想の産物です 他サイトでも投稿しております

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

浮気くらいで騒ぐなとおっしゃるなら、そのとおり従ってあげましょう。

Hibah
恋愛
私の夫エルキュールは、王位継承権がある王子ではないものの、その勇敢さと知性で知られた高貴な男性でした。貴族社会では珍しいことに、私たちは婚約の段階で互いに恋に落ち、幸せな結婚生活へと進みました。しかし、ある日を境に、夫は私以外の女性を部屋に連れ込むようになります。そして「男なら誰でもやっている」と、浮気を肯定し、開き直ってしまいます。私は夫のその態度に心から苦しみました。夫を愛していないわけではなく、愛し続けているからこそ、辛いのです。しかし、夫は変わってしまいました。もうどうしようもないので、私も変わることにします。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

処理中です...