MASK 〜黒衣の薬売り〜

天瀬純

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付喪神とトンネル 《出逢い》

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 慌ただしい足音の反響が消え、トンネル内を再び静寂が包み込んでいた。一体、どれだけの時間が経っのただろうか。

「もう信じらんないわ~、あのクズッ‼︎」

アホに突き飛ばされたことで足を挫いた私がトンネルから出ることができずにうずくまっていた。

(嫌われてでもいいから、来るんじゃなかった…)

 痛みが少し和らいだので、私はその場に腰を下ろした。不思議なことに臨界点を超えたせいなのか、私のなかでの恐怖心は薄らいでいき、かわりに“憤り”と“呆れ”がその濃度を増していた。深夜の心霊スポットで座り込み、帰りの心配をするとは随分とおかしなことだ。

(アイツらに連絡するのは、なんかやだ)

握り締めるスマートフォンのロック画面には、自分を突き飛ばしたアホと怪談が苦手な私を先頭に歩かせて下品に笑う連中の顔が浮かび上がっているようであった。

(さて、どうしたものか。……救急車を呼ぶにしても、申し訳ないような……。う~ん……)

カツーン…、カツーン…。カツーン。

革靴の踵部分が地面に当たる音だろうか。誰かが近づいてくる。

(アイツら…、ではなさそう……)

普段の自分なら泣き叫ぶところだけど、連中への“呆れ”が冷静にさせてくれる。

コツコツコツコツコツコツ……。

ブロロロロロロロッ……。

足音のほかに、何かのエンジン音が一緒に聞こえてくる。

(……なんだろう?)

私はトンネルの奥を見つめた。すると暗闇の中に2つの灯りが現れた。それらはまるで、闇の中で光る獣の目のようであった。

コツコツコツコツコツコツ……。

ブロロロロロロロッ……。

正体が分からぬまま、それらは私のところに近づいてくる。

 やがて…、

「とんだ災難でしたね」

私の前で立ち止まったのは、ピザ屋やファストフード店の配達で目にする屋根付きの3輪バイクとそのライトに照らされたスーツ姿の男性だった。声をかけてきたのはスーツ姿の彼で、私の目線に合わせるかのようにしゃがみ込んできた。

「ちょっと失礼しますね」

「い゛っ」

彼は、挫いた私の足首を診始めた。医療関係者なのだろうか。

「これなら手持ちの薬で対処できますね」

そう言って、彼はバイクの荷台から革製の黒いカバンと緑色のランタンのような物を取り出して来た。

『大丈夫ですよ。彼の腕は“たしか”ですから』

「っ⁉︎」

バイクのほうから声がしたので見ると、フロントに“顔”があった。

(よくあるバイクのカスタムではないの?)

私が驚いていると、

「ああ、彼は付喪神なんですよ」

「つくも…がみ?」

再び私の前にしゃがみ込んだ彼が軽く説明する。そして持って来たランタンを点けると、暖かい光とウッドテイストの心落ち着く香りが拡がっていく。



「手元が暗いと、処置に支障が出るので」

「いや、あの…、付喪神って…」

冷静な彼らとは対照的に私が理解できないでいると、

『人にしてみれば非現実的で申し訳ない。私はかつて、とある個人商店で配達用に使われていた者でね。訳あって今は、意識ある存在“付喪神”なんだ』

「は、はあ……」

敵意のない、紳士的な対応に努める様子に、不思議と落ち着くことができた。

「彼とは出先で会いましてね。……さて」

私が付喪神のバイクに気を取られている間に、黒スーツの彼は挫いた私の足首を消毒し終えて、塗り薬のような物を塗り始めている。

「これは【七転即八起しちてんそくはっき】という塗り薬でしてね。捻挫には、よく効く自慢のお薬なんですよ」

「自慢の?」

「薬売りなんですよ、私」

ガーゼを巻きながら、彼は言う。やがて手当てを終えると、道具を片付け、

「こちらへ」

そう言って私を付喪神であるバイクの運転席に案内し、

「帰りは彼が送ってくれますので」

「え?」

『どこへでもお連れしますよ』

突然の厚意に戸惑ったが、歩き以外に移動手段がなかったので、有り難く彼に送り届けてもらうことにした。

「あ、あの、手当てありがとうございました!」

走り出したバイクから顔を出しながら、私は薬売りの彼にお礼を言った。

「しっかりと掴まっていないと危ないですよ」

穏やかに微笑みながら、彼は手を振って見送る。運転席に座り直してサイドミラーを覗くと、ランタンを持って手を振る彼の両サイドに見知らぬ数名の老若男女が立っていた。

「っ⁉︎」

『あの方たちが、怪我をされて困っていた貴方を近くにいた私たちにまで知らせに来てくれたのですよ』

付喪神の彼が、どことなく嬉しそうに教えてくれる。それを聞いた私は、心の中で再度お礼を伝えた。

 とくに私が運転することもなく、宿泊していたホテルに戻ってくることができた。乗って来たレンタカーが駐車場になかったので、アイツらはまだ帰っていないのだろう。付喪神に駐車場の傍で待ってもらい、私はホテルに入った。トンネルで先に逃げた女性陣が部屋の鍵を持っていたので、フロントで事情を説明して、マスターキーで部屋の扉を開けてもらった。 荷物を回収した私は、フロントで自分の分の宿泊費を精算した。ホテルの人はかなり心配していたが、帰る手段ができたと適当に言葉を並べ、その場を後にした。

『どちらまで?』

「ちょっと距離があるけど、◯◯市の△△近くまで」

付喪神の荷台に荷物を詰め込みながら、行き先を伝える。

『ご自宅で?』

「そっ。アイツらとは縁を切って、家でのんびりしたいの」

『あぁ~、なるほど』

ブオンッ。

エンジンの音と振動が、運転席にいる私に伝わってくる。

『ではっ、しっかりとハンドルを握って掴まっててください』

彼が爽快に走り出す。実に心地良い。外はまだ暗いが、私の心の中は晴れ渡っていた。

 今回の旅行はある意味、参加して良かったかもしれない。
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