MASK 〜黒衣の薬売り〜

天瀬純

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二日酔い

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あ゛あ゛………。

うっぷ。

ぁ゛あ゛~。

(飲み過ぎた…)

 その日、俺はバイト先の飲み会に参加していた。いつもなら適当な理由をつけて断ることが多いのだが、さすがに今回ばかりは断るわけにはいかなかった。なんせ、俺がバイトとして働き始めてからずっとお世話になってきた社員さんの婚約を祝う会だったから。確実に明日の朝には地獄のような頭痛に苛まれることが予想できた俺は、帰りがけにコンビニで水を買った。

(気休め程度だろうけど、ダメージはなるべく最小限にしておきたい…)

最初は出席者それぞれが下品な飲み会にならないようにと嗜む程度にお酒を飲み、主役の社員さんとそのパートナーの方を祝っていた。けれど、用事があって遅れてやってきた先輩スタッフによってペースが乱れてしまった。面倒見が良くて勤務中は頼りになる彼だが、実は酒の席で訳の分からないゲームをよく始めては、負けた人に一気飲みをさせて楽しむ極悪非道な酒豪で有名なのだ。それゆえに俺はバイト先での飲み会を避けてきた。今日の飲み会も例外ではなかった。主役の2人を前にして、場の雰囲気を壊すわけにもいかず、デスゲームに参加せざるえなかった。おかげで明日は二日酔い確定……。

(社員さんには悪いけど、もう…バイト先変えよう)

下腹部から何かが込み上げてきそうでこないような気持ち悪い感覚や若干の頭痛と戦いながら、俺は自宅であるアパートになんとか辿り着いた。

(さっさとシャワー浴びて、さらに水を大量に飲んで寝よう……)

玄関を開けようとポケットから鍵を取り出そうとしたところ、誤って鍵を地面に落としてしまった。

(酔いのせいで、手元が狂うな…)

かがんで拾おうとしたところ、誰かが俺より先に鍵を拾ってくれた。

「飲み過ぎのようですね」

顔を上げてみると、上下黒のスーツに黒いマスクをつけた男が目の前に立っていた。

「あ、どうも…」

(近所にこんな人…いたかな?)

「最近こちらに引っ越してきた者です」

「はぁ…」

(え~と…2つ隣の空き部屋かな?)

「懐かしいですね。私も学生の頃は苦手な飲み会に付き合わされて二日酔いによく悩まされたものですよ」

男は上着のポケットからよく漢方薬や粉薬が入っているアルミ製のような袋を1袋差し出してきた。

「普段から持ち歩いている二日酔い対策の粉薬です。【飲酒・濁流の舞】といって、どんなにつらい二日酔いでも、この薬を飲めば驚くほど早く治るんです。ただ、欠点が1つありまして…」

「…欠点?」

「ええ。飲んだ直後に強烈な尿意に襲われるんですよ。だから、この薬を使用するときはトイレにすぐ駆け込める環境にいて、脱水症状の対策として水分補給ができるようにあらかじめ用意しておくことが必要なんです」

(え、怖すぎ…)

「よろしければ、1つどうぞ。おそらく明日の朝は確実につらそうですから。では、おやすみなさい」

俺に薬を渡すと、彼は空室だった部屋に入っていった。

(不思議な人がご近所さんになったもんだな…)

薬を片手に玄関を開けた俺はシャワーを浴びて、その日はすぐに寝た。

 翌朝、えげつない頭痛で目を覚ました俺はベッドの上でしばらく悶え苦しむと、昨晩男からもらった薬があるのを思い出した。

(この苦しみから解放されるのであれば……)

部屋のテーブルの上に置いてあった薬をキッチンで水とともに服用した。効果はじわじわと始出てきた。まず、吐く寸前にまで登ってきた消化器官の違和感が消えた。そして脳圧が異常に上がっているのではないかと思うほど悩まされていた頭痛が徐々に治っていった。

「すげぇ………、こんな薬があったとは…。ん?……んんん、ん゛?」

二日酔いから解放されたと喜んでいたところに、尋常じゃないほどの尿意が襲ってきた。

「あ゛あ゛あ゛……」

人には見せられない恥ずかしいほどの内股で、俺はトイレに駆け込んだ。

(こ、これか⁉︎薬の欠点というのはっ⁉︎)

トイレから出てきた俺は、急激に膀胱が縮小した気味の悪い感覚と真夏に感じるような喉の渇きに悩まされていた。

(二日酔いよりは、ちょっとマシだけどつらいな、これ……。み、水…)

いきなり体内から大量の水分が抜けた俺は、生存本能に従うかのように洗面台で水を勢いよく飲んだ。

「はぁ、はぁ、…う゛っ⁉︎」

その後、急激な尿意と水分補給への渇望により、俺はトイレと洗面台の往復を何度か繰り返すこととなった。

(…やめる。……もう酒は…飲まない)

* * *

* * 

* 

 21歳の俺が酒を飲まなくなって3ヶ月が経過した。飲酒により翌朝起きるのがつらいと感じることがなくなり、毎日清々しい気分で過ごしている。辞めようと考えていたバイト先も環境が変わったことで、今も続けられている。理由は、あの酒豪の先輩スタッフが追い出されたからだ。あの日、自分たちの祝いの席を地獄絵図にさせられた社員さんの婚約者が、先輩スタッフに殺意に等しい怒りを抱いたからだ。彼女が、

『“あの男”をこの先も雇うようなら、入籍は白紙にする‼︎』

と社員さんに迫ったことで、酒豪は職を失うことになった。今では、バイト先の皆んなで彼女を救いの女神として崇めている。

 あの晩、薬を分けてくれたご近所さんにお礼を言おうと部屋に伺ってみると、彼が越してくる前によく見た“空室”というテープが玄関に貼ってあった。結局、彼は一体何者だったのだろうか?
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