英雄の息子

全幻庵

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暴発の脈動

集会所の日常・1

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 ベスルベルクの住宅地区、ベイストリクトに位置する薄暗い集会場。何人かの男たちが一つの長机を囲んでいる。いずれの男も、カーキ色を基調とした制服に身を包み、その胸には美しく勇壮な紋章が光り輝いている。ベスルベルク自治団、だ。

 彼らが囲む長机は、凛とした印象を与える服装とは対照的に、たくさんの皿と酒のジョッキで荒れ放題になっている。机の上だけを見れば、荒くれ者の集会だと思われれても不思議ではない。

 また、酔った勢いもあるのだろうが、大声で叫ぶように話す彼らの会話は、離れたカウンターで作業する店員にも完全に筒抜けだった。

「しかし、アルバンも耄碌したもんだな、ああ?」
「まあな。剣の男なんて、年を取れば惨めなもんだ」
「昔は頭も切れたと聞くがな」
「ああ。だが、昔は、だ」
「しかし、過去の栄光にすがるってのは惨めだな」
「全くだ。晩節を汚すってのは、まさにこのことだ」

 低く響いた最後の言葉に、大きく頷いて見せたのは銀髪の男。男は、銀の長髪を気障ったらしくかき上げてから、続けた。

「奴は、。奴だけがそれに気づいていない」

 そう言い放った銀髪の男は、もったいぶった仕草で長机を見回す。机についた面々は大きく頷きながら、口々に賛同の意を示した。周囲の反応を見るに、この銀髪男が一目置かれていることは明らかである。

 銀髪の男は満足そうに頷き、目の前の肉料理にフォークを突き刺して口へと運ぶ。食いちぎるような仕草で肉を噛み、フォークの先端で自分の頭を指しながら、銀髪の男が続けて言った。

「もう、ボケちまったんだよ。だから、正しい判断が出来ない」
「全くだ。団長がわざわざ筋を通してくれたのに、それが分からないんだからな」

 銀髪の男は頷きながら、左手でビールのジョッキを掴んで一気に飲み干す。さらに、空になったジョッキを机に叩きつけるように置き、左手の甲で口元をぬぐってから苦々しい表情で言った。

「それでも団長は、説得を続けるおつもりのようだ。あのジジイが賛成しているという体裁は整えておきたいのだろう。耄碌ジジイだが、多少の影響力はある」
「ああ。どうやらペルサーも反対派に回ったようじゃないか」

 長机の下座に陣取る、やや小柄な男が声を上げた。その目は、ねっとりと銀髪の男の表情を伺っている。銀髪の男は、顔の前で左手を軽く振って言った。

「ペルサーは、別にジジイに感化された訳じゃない。奴が化石なのは今に始まったことじゃないからな。いっそのこと、奴らは慈善奉仕隊と改名するべきだ。奴らも、それが本望だろうぜ」

 一同から、大きな笑い声が起こる。中でも、銀髪の男の正面に陣取った大男の笑い声が、一段と豪快だった。大男の頬には、大きな刀傷の痕が見える。

 頬傷の大男は、しばらく豪快に笑い続けた後、ビールのジョッキに手を伸ばしながら言った。その声は、打って変わって冷静で、低く、良く響いた。

「団長がわざわざ、爺さんの顔を立ててくださったのにな」

 その言葉に強く頷いて、銀髪の男が続ける。

「全くだ。その気になればあんなジジイ無視できる。だが、団長はジジイへの温情で下手に出ているんだ。普通の頭で考えれば、どう振舞うべきかなんて分かるだろう?全く、ジジイは、道理ってものが分かっていない。もう、次の時代が来ているんだ」

 一気にまくし立てた銀髪の男は、上座に座る金髪の男にチラリと目をやった。金髪の男は、目を閉じて腕を組んだまま微動だにしない。大声を上げ続けるその他の男達とは、何もかもが対照的だった。

 先ほどは、賛同の声に満足げな様子を見せた銀髪の男だが、今回は軽く首を振りながら短く息を吐き、上座の男から目線を外して俯いた。不自然なほどに急に訪れた沈黙が、一同を包みこむ。

「・・・・・・」

 カウンターの奥で作業をしていた店員までも、「一体何事か」と言った様子で長机を覗い始めた。金髪の男を覗いた全ての視線が、銀髪の男へと集まっていく。

 間をためるように沈黙を保った銀髪の男は、しばらくしてから顔を上げ、皆の視線を受け止める。そして、机を囲む面々を見回しながら心底不満そうな声で言った。

「いつまでもジジイの顔色を窺わなくちゃいけないなんて、変な話だと思わないか?」

 机に集まった面々の視線が、今度は一斉に頬傷の大男に注がれる。彼らは、この大男の態度を覗っている。どうやら、この大男もこの集団の中でそれなりの力を持っているのだろう。視線を受けた頬傷の大男は、大きく頷いて同意した。

「そうだな。今となっては、コルツ団長がいてこその自治団だ。時代は変わった」
「その通りだ。そして、俺達もいる。これからのベスルベルクを支えるのは俺達だ。ジジイじゃない」

 銀髪の男が満足そうに頷くと、頬傷の男もそれに応えるように頷いた。長机に集った他の面々は、「上官たちの意見表明」を確認してから、熱心な追従を始めた。

 彼らが身を包む制服の気品とは全く釣り合わない、下品な言葉を叫び出した者もいる。いつしか、その言葉は唱和され、大きなうねりへと変わっていく。上座に座る金髪の男の表情が、初めて微かに動いた。

「アルバンに引導を!」
「耄碌ジジイに、引導を!」
「俺たちが、引導を!」

 英雄・アルバン。グリフォン帝国の圧政に憤慨し、いわゆるゲリラ、現在の自治団を組織して帝国反旗を翻し、最終的に独立をもたらした「建国の英雄」。その後、ゲリラが自治団となり、約40年の長きにわたってこの国を治めてきた。
 
 現在のベスルベルクは完全な主権国家であるが、自治団は今日に至るまで名を変えることもなく、自治団であり続けている。この名には「過去を忘れない」という戒めが込められているからだ。これからも、自治団は、自治団で変わらない。

 変わらないことはもう一つある。それは、自治団への入団が、魅力的な物であり続けているということだ。ただし、かつては「高い理念への共感」であったその理由は、今や「得られる経済的な安定と名誉」へと変化した。

 現在の自治団の中心にいるのは、コルツ・バーンズという男。彼は、第三代目の自治団長で、20年ほど前、前任者の病身による退任を受け、30歳の若さでその地位に就いた。武芸の腕は左程でもないが、貴族出身の秀才として広く知られている。

 昔と違い、今は表立って外国と事を構えているわけでもない。軍務より、政務の才が問われる時代なのだ。その点、コルツの才は際立っている。事実、弱小新興国に過ぎなかった国を「小さな大国」としたのは、彼の功績だ。その背景には、独自技術「トラビス」の発展を推し進めた彼の政策が大きく関わっている。

 コルツの各方面への尽力により、ベスルベルクは今や世界経済の中心地の一つへと発展を遂げた。一方、弱肉強食の気風が強まり、富なるものと貧なる者の行き過ぎた格差が生まれつつあるこの国において、是正を進める優れた内政家としての評価も高い。要するに、コルツは国民から絶大な人気を誇るというわけだ。

 建国の英雄・アルバンの物語は、コルツがもたらした国の興隆によって、上書きされようとしていた。とうの昔に自治団長からも退き、今は自由気ままの身となった英雄だった老人。永遠に思われた彼の名声には、今や明らかな影が落ち始めていた。

「おい、今すぐ酒もってこい!」

 続いていた下品な唱和はいつの間にか下火となっていたが、突然、銀髪の男が叫び声を上げた。小さなカウンターの裏で何やら作業をしていた店員が、少し驚いたように目を上げる。銀髪の男が、店員を指差しながら怒号を上げる。

「お前だよ、息子さん!全く、気が利かない奴だ!」
「失礼しました」

 「息子さん」と呼ばれた店員が、慌ててジョッキにビールを注ぎ始める。その様子を見た銀髪の男は、吐き捨てるように何事かを呟き、椅子へと座り込んだ。

 店員は、急いでジョッキに酒を注ぎ、乱雑に散らばったイスを避けながら長机へと急ぐ。その背丈は成人男性の平均程度、体格は華奢で、顔つきは幼く、男性というより、少年のあどけない雰囲気を残している。そんな彼を、いつも通りの手荒い歓迎が待ち受けていた。

「頼むぜ、英雄の息子さんよ!」
「おい、コイツはただの拾い子だぜ」
「違いない。本当の「英雄の息子」が雑用係のわけがないからな!」
「いや、今となっては実子の可能性も出てきたと言える」

 下座の小柄な男が、眼鏡を上下させるような素振りと共に叫ぶと、集団の中から今日一番の笑い声が上がった。少年は、しかし、特に動揺した様子を見せることもなくビールを配り続けた。

 英雄アルバンの息子。それが、この少年、コーの代名詞である。昔は尊敬と愛情を込めたものだったのかもしれない。今は、軽蔑と嘲笑が込められることも増えた。アルバンがその名声を失いつつあることを如実に表していると言えるだろう。

 コーは、急いで全てのジョッキを配り、軽く一礼してカウンターへと下がっていく。団員たちは、それ以上コーに絡もうとはせず、会話を再開した。

「それにしても、だんだんと寒くなってきたな」
「無理もあるまい。もう秋も終わりだ」
「早く、春になってほしいもんだ」
「おいおい、冬を飛ばす訳にも行くまい。俺たちの独立記念日ももうすぐだ」
「ああ、記念日は楽しみだ。記念日が終わったら、冬が終わりならいいのにな」

 男達の間に笑い声が起こる。

 もうすぐ、ベスルベルク国民が待ち望む、独立記念日がやってくる。
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