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アリーチェ・オランジュ夫人の幸せな政略結婚

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「私のジーナにした仕打ち、許し難い! 婚約破棄だ!」





 なーんて抜かしやがった婚約者様と、本日結婚しました。
 わたくし、今日からグレイプ子爵令嬢アリーチェ改めアリーチェ・オランジュですわ。



 夫婦の誓いをして教会を出ると、親族の子供たちが花びらをまいてくれる。
 ありがとう、みんなとてもかわいいわ。

 でも夫になったオランジュ伯爵嫡男バルトロはせっかくの整った容貌を顰めてあからさまに不満を表現していますわ。
 バルトロはわたくしより色味の濃い金髪で、甘い顔立ちの優男です。
 あらあら、顔だけが取り柄なのにひどい顔。


 淡い金の巻き髪を結いあげて、しっかりとお化粧をしたわたくし、なかなか美しく仕上がったのですけど、お気に召さないようですわね。
 コルセットも紐が千切れるってくらい締めて白いレースのドレスのシルエットは腰はぎゅっ胸はボボンのたまらない悩ましさだって、侍女たちはとても褒めてくれたんですのよ。


 まぁわたくしが美しいですって? 嬉しいですわ、ありがとうおじさま、おばさま、友人達! なぁに? あちらの男性に声をかけたい? ふふ、あれはわたくしの従兄弟の一人でしてよ、ご紹介しますわ!


 花婿は役に立ちませんから、わたくしがご挨拶をしなくては。お義父様にあんなに睨みつけられてるのに座ってお酒を飲めるバルトロ、どうかしてますわ。

 お兄様、お怒りにならないで。大丈夫でしてよ、わかっておりましたもの。
 これは政略結婚ですから。

 日が傾く頃には結婚式はつつがなく終わりました。わたくしがんばりましたわ!








 わたくしたちは完全なる政略結婚。
 バルトロがなにを喚こうと、親が否と言えば終わり。
 バルトロの言う私のジーナというのは、我が国の貴族子女が集う学園に特待生として入学した平民ですの。
 バルトロと同じクラスでとっても仲良しなのを妬んだわたくしがひどく虐めたそうな……もちろん身に覚えはまったくございませんわ。



 学園の卒業式のあと、オランジュ伯爵邸にて、結婚に向けての話し合いをするべく我が父グレイプ子爵とバルトロの父オランジュ伯爵と席についたところでバルトロが乗り込んできて、わたくしがいかにジーナを虐めたかをつらつら語ったけれど、

「平民の女は愛人にすればよかろう。話が進まない、バルトロも座りなさい」


 オランジュ伯爵はちらりとバルトロを見てそう言って終わり。
 父もそれがいいですなと軽く頷き、式の打ち合わせに戻ったんですの。お父様には結婚前から愛人だと!? くらい言って欲しかったような気もしますわ。

 バルトロは喚きながら足を踏み鳴らし部屋を出て行ったので、わたくしは結婚後の要望をため息をつくオランジュ伯爵にお話しました。







 ずいぶんごねたようですが、結局バルトロはわたくしと結婚し、ジーナさんは愛人として外に囲われましたの。
 バルトロは伯爵邸に部屋を与えたかったようですが、愛人なんか屋敷に入れられるわけないだろうとまたまた父、オランジュ伯爵に却下されていましたわ。





 そんなわけでもちろん

「おまえなどお飾りの妻だ! 愛されるなどと思いあがるなよ」


 なーんて言われながらの初夜ですの。


 早々に愛人囲ってる男に愛されるなんて夢見れるわけないじゃないのよどんだけ自信あるんですのバルトロ。

 イラつくのはわかるけどせめて優しく抱けないのかしら。初めては痛いんですのよ!


 乱暴にネグリジェをむしりとられ、体を乱暴に扱われ。


「ふん、つまらん女だ! ジーナのような愛らしさもない!」



 最低なセリフを吐いてバルトロは夫婦の寝室を出て行きました。
 わたくしは豊かな胸と厚めのくちびるがチャームポイントで、学園ではそこそこ男性に人気もあったのだけれど、バルトロは痩せて儚くていつもぶるぶる震えてるジーナさんがお好みらしいからしかたがないのでしょう。

 ジーナさん、何度かお見かけしましたがほんとうにいつもぶるぶる震えているんですの。
 かなり痩せていらっしゃるから寒いのかもしれませんわね。

 我が夫は新婚初夜のお口直しに、愛しいジーナの元へ行ったのかしら。




「レイ」



 覚悟の上でしたが、大切な人の名前が口から溢れる程度には弱っておりました。
 ずきずきと痛む体を抱きしめ、眠りにつきました。








 バルトロの母、現オランジュ伯爵夫人は数年前に亡くなっております。
 嫁として伯爵家の女主人の仕事を任されるのも、この結婚の条件でした。
 伯爵は後妻を迎えるより息子の嫁取りを早めましたの。
 バルトロ贔屓で、バルトロに見向きもされないわたくしに協力的でない一部の使用人に苦労しながらもなんとか家政を取り仕切ります。
 家政は学園で学んだことですが、こんなにも早く実践しているのはわたくしくらいではないでしょうか。


 仕事に追われること約2ヶ月。
 なんだか目眩がして、疲れが出てきたのかしらとお医者様に診ていただいたら、なんと、わたくし妊娠しておりましたわ!

 あれからバルトロとは寝室を共にしていないので、初夜の一発で大成功ですわ。
 あの最低な営みを何度もするのはごめんだったから大助かりですの。

 しかも! 三つ子でしたの!


 わたくしの母方の血筋は多胎が多く、兄二人も双子、母も双子。
 お腹がずいぶんと大きいとお医者様が言うので双子かしらと思っていましたが、産んでみるとまさかの三つ子。
 2人の男の子を産んで疲れ果てたところでまだお腹に赤ちゃんがいます! とお医者様が叫びましたの。
 そこから更に半日かかってやっと3人目が出てきましたの。
 難産でしたわ。
 疲れすぎて痛すぎて、ほんとうに死ぬかと思いましたわ。
 死にかけたけど健康な男児2人に女児1人を産み、一回で夫人の務めを済ませられたのは嬉しいですわ。多胎ありがとう。



「ふん、これで義務は果たした。もうおまえなど抱かん! 私はジーナと生きる、おまえも好きにしろ」



 バルトロはわたくしが三日三晩苦しみ命をかけて産み落としたこどもたちをちらりと見ただけでジーナの家に行ってしまいました。
 ぼろぼろのわたくしには目もくれませんでした。
 これにはバルトロ贔屓の使用人たちも呆然でしたわ。


「お、奥様、」

「いいのよ、せいせいしたわ」



 義務は果たしました。わたくし、好きにさせていただきますわ。









 それから一年後。
 わたくし、アリーチェはレイと肌を合わせました。



 レイはグレイプ子爵家の執事見習いでございました。
 領地の孤児院を訪れた時、ずば抜けて賢いレイを父が見込み、引き取り共に育ってきましたの。
 黒髪で、我が家に来た頃は長い前髪で顔を隠しておりました。
 右目のすぐ上にあるひきつれた傷跡を隠していましたの。
 偶然その整った顔を見たわたくしは、もったいないからいつもお顔を見せて、とお願いしたのです。
 レイは、お嬢様が不快でなければ、と前髪を上げるようになりました。


 使用人というよりもうひとりの兄で、いつのまにか、ただひとりの愛する人になって……
 そしてレイもわたくしを愛してくれましたの。

 思いを伝え合い、手を握りあってつたないくちづけをしたのは学園に入学する少し前のこと。

 しかし思い合おうともわたくしは婚約者がいる身。たとえ婚約者がいなくても結ばれる身分ではありません。
 甘酸っぱい思い出、そうなるはずでした。







「嫡子を産み務めを果たしたらわたくしも愛人がほしいですわ」


 あの日、わたくしは伯爵にそう言ったのです。

「バルトロの浮気を許しアリーチェには許さないなどありえん。しかし嫡男だけでなく娘も産んで欲しい。そのあとは好きにしなさい」


 伯爵は顔色も変えずにそう言い、その旨を婚前契約書に書き足してくれました。



「ありがとうございます。レイ、必ずあなたを迎えるから、わたくしを待っていてくれない?」



 オランジュ伯爵邸の使用人と共に壁際に控えていたレイに目を向け、そう言いました。
 レイはいつものわたくしだけに向ける甘やかな目で見つめたあと、黒髪を撫でつけた頭を下げ、

「はい、もちろんですお嬢様」

 と答えました。
 珍しくうわずっていたのは、感極まって涙が込み上げたからだと、三つ子を産んだすぐあとに両親とともにやって来た時に教えてくれました。


 それからレイはわたくしの執事としてずっとわたくしのそばにいてくれました。
 乳母がいても使用人の手があっても、三つ子の世話はとても大変でしたが、夜更けにレイが淹れてくれた乳をよく出すお茶を、レイが両手に一人ずつ抱いてあやしている間に飲む時など、幸福とはこれかと胸がぽかぽかとしたものです。

 まぁわたくしが腕に抱いたもう一人が胸に吸い付いていたせいもありますけども!





 三つ子が乳離れをした頃、念入りに肌を磨いてほんの少しだけお化粧をして、寝室にレイを招きました。

 愛する人と肌を合わせる幸せを知りましたわ。


 わたくしに興味を持たないでくれて愛人を許してくれて、わたくしにとってバルトロって最高の旦那様ですわ!










 ある日、珍しくバルトロがわたくしに会いたいとやってきました。
 ジーナの元に入り浸り、どうしても出席が必要な、夫婦同伴の夜会など以外では顔も合わせないというのに。



「アリーチェ」


 サロンのソファに腰掛けたバルトロは上着を肩にかけ、右腕を三角巾で吊っていました。
 左手でカップを持つ所作はぎこちない。
 自慢の金髪もなんだかほつれていますわ。



「お久しぶりですわね。なんですのそのお姿は」


 向かいのソファに腰掛け、片眉を上げてそう言うと、ぽつぽつと話しはじめた。


「ジーナに、刺されたんだ」


 バルトロは小さな家を与えたジーナに、爵位を継いだら邸に迎え入れる、アリーチェは子を生ませたら離婚する、と言っていたそうですわ。
 しかし義父はまだまだ現役だから跡を継ぐのは先の話だし、子を3人も生んだアリーチェも妻のまま。
 キレたジーナはアリーチェを追い出さないなら殺すと刃物を持ち出したらしいですわ。



 バルトロははっきりと返事をせず愛しているのは君だけだ、なんて言って抱きしめようとしてジーナに刺され、そして、バルトロがのたうちまわっている間にジーナは宝石類だけを持って出て行ったそうです。


 いつ見てもぶるぶる震えてたのによくそんな荒っぽいことできましたわね。
 見直しましてよジーナさん。




「ジーナには騙されていた、あんなひどいことができる女だったなんて。私には君だけだ。アリーチェ、君、こんなに美しかったんだな。私は目が曇っていた。これからは夫婦としてやっていこう」




 いやらしい視線を顔や胸に走らせ、テーブルの上に乗せたわたくしの手に手を重ねてきたバルトロの手を、強く振り払いました。



「ふふふ、いやですわぁ。わたくし愛人とよろしくやってますの。美しいと感じるなら彼に磨かれたからですわ。ねぇ?」



 壁際に控えていたレイを手招きし、跪いた彼の首に腕を回しました。



「な、愛人だと?! 貴様、使用人の分際で妻にさわるな! アリーチェは私の妻だ」

「後継ぎも娘も産み義務は果たしましたわ。あなたも好きにしていいとおっしゃったでしょう。ねぇお義父様」


 バルトロの後ろに立ち話を聞いていたオランジュ伯爵にそう言います。
 気づいてなかったんですのバルトロ。驚きすぎですわ、急に動くから空の袖でカップを倒してしまいましたわ。


「父上!? いつのまにそこに! あ、こ、この女、愛人などひきこんで! 伯爵家の恥です!」

「こどもたちを産んでくれたのだから好きにしていいではないか。おまえもずっと平民を囲っていただろう。それに婚前契約書にも書いたぞ、読んでいないのか」


 お義父様が空いている一人がけソファに腰掛け片手を上げると、執事がお茶をさっと置きました。
 そしてバルトロの倒したカップを片付けて下がります。


「婚前契約書……?」


 バルトロは心当たりがないようでした。読んでいないのでしょうか、受け取った書類にはバルトロのサインも入っていましたが。
 お義父様はため息をつきお茶を口に運びます。
 婚前契約書には、レイとの間に子ができたらグレイプ子爵家の子として育てるとも書いてあります。
 これはお父様の意見です。レイと抱き合ったあとは避妊薬を服用しておりますが、絶対はないですものね。



「そ、それに、使用人が愛人だなんて! 父上は愛人など伯爵邸内には入れないと言ったのに、アリーチェはいいのですか!」

「その男はアリーチェの愛人である前に執事だ。きちんとまじめに勤めている。おまえは平民の愛人を妻同様の待遇にするつもりだっただろう。許すわけがない」


「ぐ……、し、しかし、私はアリーチェの夫で」

「バルトロが言ったのだろう、義務は果たした、好きにしろと。おまえの乳母だったネラがあんまりだと泣きながら報告に来たぞ。ジーナと生きるとも言ったそうだな。逃げた女を探しに行ってもいいぞ」


「そ、それは、私は次期伯爵で、いなくては困るでしょう父上」


「アリーチェが後継を生んでくれたし私はまだまだ退く気はない。女にかまけて仕事もろくにせず、跡を継ぐ気があったのか? ぼんくらが。お前に渡すくらいなら孫に継ぐまで爵位にしがみついてやる。ああ、愛人を追って出て行くならお前は死んだことにするぞ」


「そんな、父上……アリーチェ、」


 バルトロがわたくしに縋るような視線を向けてきます。
 レイの首に腕を回したまま、にっこりと微笑んで見せました。


「バルトロ、わたくしはお飾りの妻の今のままが幸せですわ。ジーナさんは戻らないでしょうし、あなたも外の家に新しい愛人を住まわせてはいかが? わたくしは少しもお好みではないでしょう? わたくしたちは名ばかりの夫婦、それでよろしいのではありません?」



 仕事もせずにお小遣いをもらって愛人と遊んでいればいいなんて、死んだことにされ絶縁されるよりずっとよろしいのではなくて?
 わたくしも若くして夫に死なれたと再婚の話など持ち込まれても困りますし!






 その後バルトロはジーナと住んだあの家に、孤児院で見初めた少女を囲いました。
 やはり痩せた、よく震える女の子でした。
 お好みは変わりませんわね。
 バルトロ、贈り物は宝石より防寒具がおすすめでしてよ。



 バルトロとは夫婦同伴の必要な、大きな夜会に行く時のみ顔を合わせます。その度にへらへらと笑って美しいとか褒めてきますが何が狙いなのかしら、不気味ですわ。


 バルトロを見限ってから、孫の代まで資産を残してやるとお義父様の手腕が冴え渡り、領地の収益は鰻登り。
 成長した子供たちは3人とも金の巻き髪でわたくしにそっくりで、しかもとても元気で賢い。
 順風満帆なオランジュ伯爵家をなんとか貶めたいのか、次男がお義父様そっくりな物言いをするのをあげつらい、もしかしてバルトロの子ではなくお義父様の子なのではなんて噂もあります。
 わたくしとバルトロの不仲は知れ渡っておりますものね。重要な夜会以外ではお義父様とご一緒することが多いですし。

 でもどっちでもいいと思いません?どちらにしろオランジュの子ですもの。







 まぁすてきな花冠、お母様にくれるの? まぁまぁ3人とも? お母様の頭はひとつでしてよ。でもぜんぶ載せますわ。似合うかしら?

 美しい? は、花の女神のよう!? ありがとうレイ! とっても嬉しいわ!
 レイ、こどもたちとお茶にしたいわ、用意してくれる? あなたも一緒に、お願いよ。

 まぁ、3人とも、ケーキの大きさはどれも同じでしてよ! けんかするならケーキはぜんぶお母様がいただきますわよ!

 
 子育てって大変ですわ。これからもわたくしを助けてね、わたくしのレイ。




 わたくし、政略結婚して幸せですわ!



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