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転生悪役令嬢の母でございます

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 わたくしがあら、と初めて感じたのは、レミーリアが2歳になったころでございます。

 我が家は侯爵家でございますし、あの子の兄であるヒルデルトはわたくしをお母様と、使用人は奥様と呼んでおりました。
 夫はまぁどうでもようございます。


 あの子はわたくしを見て、「ママ」と呼んだのです。
 ママ、と言うのが母のことだとわたくしはすぐにはわかりませんでした。
 平民の家族の使う、わたくしとあまりに縁遠い単語でしたから。
 すぐに「おかあたま」と舌足らずに言い直しましたが、使用人すら下級貴族の我が家で、どこでママという言葉を知ったのかしらと不思議に思いました。


 言葉が進むうち、聞いたことのない単語を口にするようになりました。オコメが食べたいだとかオショーユをつけたいだとか……なんのことかと聞くとなんだっけと首を傾げるのです。
 たまにわたくしをママと、ヒルデルトをヒークンと呼んだり、聞き取れない言葉を使うこともありました。
 少しばかり違和感はありましたが、レミーリアはにこにこと笑いころころと走り回る、愛らしい我が家の天使でございました。


 そんなあの子がある日人が変わったようにおとなしくなりました。
 あの子が8つになった頃。
 夫がわたくしに相談のひとつもなく決めてきた、我が国の第一王子殿下との婚約の顔合わせの場で、殿下の顔を一目見たあの子は卒倒し後頭部を強打し口から泡を吹き気を失いました。
 そして3日も目を覚ましませんでした。
 その間夫は体が弱いと思われ王家に嫁げなくなる、なんとかしろと喚きたいへんやかましく邪魔でございました。


 倒れてから3日目の朝、濡らした布で額を拭ってやっている時に意識を取り戻しました。ひどく魘され続け、汗ばんでいたのです。
 娘は、じっとわたくしを見つめ、瞳を見開き、
「レミーリア・ヴェリーン」
 と掠れた声で呟きました。
「ええ、あなたはわたくしのかわいい娘、レミーリア・ヴェリーンよ。目が覚めてほんとうによかった」


 と、わたくしによく似たすみれ色の髪を撫でました。
 今ならわかります。

 あの子は、自分の名を確かめたのではなく、わたくしの顔を見て、うりふたつに成長した「15歳のレミーリア・ヴェリーン」を思ったのでしょう。







 目覚めたレミーリアは無邪気に笑うことも駆け回ることもしなくなりました。
 もともと少しずつ始めていたレディ教育を脅威の早さで身につけ、小さくとも完璧なレディになりました。
 夫は王族の婚約者として自覚が生まれたのだと喜んでおりましたが、わたくしもヒルデルトも、側につく侍女たちも天真爛漫だったレミーリアの突然の変わりように戸惑いました。



 王子殿下との婚約は、王家に嫁ぐ前はわたくしを姉と慕ってくれ可愛がっていた王妃が望んだものでした。
 是非自分の子とわたくしの娘との婚約をと望み、国王陛下もヴェリーン侯爵家の娘ならばと頷き、夫が二つ返事で乗ったようです。
 わたくしはこの婚約が不満でした。
 母であるわたくしになんの相談もなかったお話ですし、第一王子殿下はレミーリアよりもふたつ年上ですが落ち着きのないきかんぼうで第一王子ともあろうものがどうにも教育が行き届いておらず不作法で、わたくしのかわいいレミーリアを託すには足りぬと思っていたからです。
 なによりも、レミーリアは倒れるほど第一王子が嫌なのではと、本人に聞いたところ断れるなら断りたいと申し訳なさそうに言っていたのです。
 体調不良を理由に婚約を辞退したいと夫と、私信にて王妃に相談しましたが、わたくしの声は届かないようで婚約は継続することとなりました。
 改めて行われた顔合わせで、
「俺と婚約できてありがたいと思え」
 などとレミーリアの顔を指を指して言う失礼な王子に、ただ微笑んで美しいカーテシーをして見せたレミーリア。
 長じては勉強が進まない王子殿下をうまく乗せて机に向かわせるレミーリア。
 さらにのちには王子殿下の執務を手伝い、侍女に手を出す尻の軽い王子を諫めるなど、なぜわたくしの娘が王子の尻拭いばかりと憎々しく思っておりました。


 レミーリアが15になった頃、黒髪の、まるでこどものような聖女が聖なる泉に降臨し、第一王子殿下と親しくしていると噂になりました。
 夫はレミーリアに「殿下のお心を離さぬよう体を使って媚びろ」などと指示しましたが、わたくしはそのようなはしたないことを娘にさせるのかと夫を叱りつけました。
 むしろわたくしは円満にこの婚約を辞退できるのではと、聖女が王子を籠絡することを期待しておりました。








 聖女が降臨したと正式に発表する夜会で、片手に聖女を抱く第一王子に声高らかに婚約を破棄されたあの子は殿下のお言葉に従いますと静かにカーテシーをして退場致しました。
 わがままを通して殿下の婚約者に収まったとか、聖女をいじめたとか茶会に呼ばなかったとか、執務の邪魔をしたとか……嘘ばかりの、真実だったとしてだからなんだと言うようなくだらない理由でわたくしのかわいいレミーリアは公衆の面前で貶められ、娘を庇うべき夫は「聖女様をいじめるなどこんな愚か者娘ではない、勘当だ」と、背を向ける娘に怒鳴りつけました。
 わたくしは夫人の集まる席にて、王妃の隣に掛けておりました。
 あまりにひどい一連の騒ぎを呆然と見ておりましたが、夫の怒鳴り声を聞き立ち上がりました。
「あんなことをするなど、わたくしは知りませんでした」とすがりつく王妃の腕を払い除け、貴族夫人として失格の速さでレミーリアの後を追いました。
 歳の近い子息たちと共にいたヒルデルトもすぐにわたくしに追いつき、2人で馬車に乗り込み屋敷へと急がせました。
 後にした夜会では、第一王子殿下が聖女との婚約を宣言し、会場はおおいに沸いていました。





 駆け戻った屋敷にレミーリアは帰っていませんでした。
 ことの次第を説明すると使用人たちは驚き怒りに震え、執事は男手を集めて周囲を捜索に出かけました。
 我が家の馬車が残されている時点でもしやとは思いましたが、わたくしには屋敷以外のどこにレミーリアが行くのかなど思いつきもしなかったのです。


 なにか手がかりはないかと訪れたレミーリアの部屋は今日まで使われていたはずなのに、どこかがらんとしているように感じました。

 よく整理された部屋を見回し、本棚を眺め、机を眺め……幼少の頃に贈った分厚い日記帳が残されているのを見つけ、日記を読むなどいけないと思いながらも、縋るような気持ちで頁をめくりました。





『おたんじょうびにきれいなにっきをもらいました。おかあさまありがとう。おにいさまはおてがみをくれた。字がじょうず。れみーもじょうずにかきたいな』

『はねぺんむずかしい。ぼーるぺんがあればかきやすいのにな。ぼーるぺんてなんだっけ』


『わたし悪役令嬢だ。どうしよう、死にたくない』


 不穏な文面に頁をめくる手が止まりました。
 日付を見ると、レミーリアが倒れたすぐあとでした。


 日記の合間に書かれた取り止めのない文章を拾い集めたところ、レミーリアは第一王子の顔を見て前世の記憶が甦ったそうです。
 レミーリアは自身の未来を前世で見てきたようです。前世でレミーリアは預言者だったのでしょうか。


 『わたしは悪役令嬢。
 婚約者とうまくやらなくては、聖女が来た時に処刑されるかもしれない。ワガママダメぜったい。
 ゲームではレミーリア・ヴェリーンが15歳のときに聖女が来たはず。聖女をいじめて処刑されていた。いじめで処刑ってなによ』

『レミーリアを処刑して、聖女をヴェリーン家の養子にして王子と婚約する』




 年を経ると前世の話は書かれなくなり、日記は王子の世話の記録になっていきます。
 もう書かれた頁は少ないというのに、親しい人や興味のあることなど、レミーリアの行き先の手がかりは出てきません。



 『王子が聖女との仲を見せびらかしてくる。うざい。はやく婚約破棄してほしい』


『わたしの派閥のお茶会に呼ばなかったらいじめって、聖女様わたしの派閥なの?
 王子の言いがかりを側近も止めなくなってきた。強制力ってやつなのかな、これは冤罪ふっかけてくるかもしれない』


 転生。前世。
 幼いころに口走っていた不思議な言葉は前世の言葉だったのです。
 突然人が変わったのは、悪役令嬢という存在にならないため。それに前世は大人……かどうかはわかりませんが、幼児ではなかったからでしょう。

 この文章があの子の本来の話し言葉なのだとしたら、前世は平民だったのかもしれません。


 いろいろなことが腑に落ちました。



 最後の頁は日付もない走り書きでした。




『お母様、お兄様、ほんとうのレミーリアじゃなくてごめんなさい』







 頁をめくる指が震えました。
 わたくしにとって、あの子がほんとうのレミーリアでした。
 だって、前世の記憶を思い出したレミーリアは、レミーリアでしょう?
 でも前世の記憶が色濃く残るあの子は、自分をレミーリアだと思えなかったのか。





「母上? なにかわかりましたか」


 ノックとともにレミーリアの部屋の扉が開かれました。
 かわいい息子ヒルデルトです。
 あちこち駆け回ったのでしょう、夜会のままの豪奢な衣装は着崩れ、肩で揃えたプラチナブロンドはくしゃくしゃです。
 階下ではレミーリアを探してか、使用人たちがざわめく声が聞こえます。

 わたくしはレミーリアの日記帳を胸に抱きしめました。


「ヒルデルト、わたくし、出て行きます。そしてレミーリアを探します。ヴェリーン家のことも王家も、もう知ったことではありません。夫が戻ってくる前に出たいのでいますぐ」


「私も行きます。なにひとつ瑕疵のないレミーリアを見捨てる、あんな父上の跡など継げません」

 間髪入れずにヒルデルトが言いました。
 嫡子のあなたまで、と言いかけましたが、『レミーリアを処刑し聖女をヴェリーン家の養子にして婚約する』という文を思い口をつぐみました。
 そんなこと、わたくしとヒルデルトが認めるはずございません。養子縁組をするのなら、家長たる夫だけでなく、すでに成人した後継であるヒルデルトの承認も必要なのです。
 しかしレミーリアが預言したとおりになるのなら、わたくしとヒルデルトは『病を得た』ことにされたのかもしれません。
 共に行くほうがヒルデルトのためかもしれません。

 預言にあったようにレミーリアは処刑など言い渡されておりませんが……もしや勘当したことで平民とされ、不敬罪などとこじつけを言い出すのでは……。
 あり得る。
 怒りで体中が煮えたぎったように熱くなり、ヒルデルトの腕をぎりぎりと握り締めました。


「は、母上? それでどこに? 日記に手がかりがございましたか?」


 ちらりとわたくしの持つ日記帳に目をやります。

「ええ。とりあえずこの騒ぎに乗じて外へ出ましょう。荷物などいりません。今日のわたくしは過剰に着飾っておりますし、宝石を売れば路銀になるでしょう」

「えっ? このまま? 母上がそうおっしゃるのなら、ハイ」


 外套だけを被り、2人でヒルデルトの愛馬に跨り、ひとまず王都を抜け出しました。
 レミーリアは前世では平民だったようす。平民に混ざり働こうとするのではないでしょうか。
 しかし第一王子の婚約者としてレミーリアは王都では顔が知られています。なので近くの町や村へ立ち寄るのではないでしょうか。

 馬上でわたくしの考えを述べると、ヒルデルトは前世? と首を傾げながらも母上がおっしゃるのならと最寄りの村へ馬を回しました。


 夏の宵は日が長く、まだ完全な暗闇ではありません。しかしすぐに暗くなるでしょう、早く見つけてあげなくては。



 たどり着いた村の門の前で心細げに立ち尽くすすみれ色の髪を見つけました。
 どこで手に入れたのか簡素な服に、結いあげていた髪は下ろしています。
 先ほど王都に戻る乗り合い馬車とすれ違いました。乗り合い馬車に乗ってここまで来たものの、知り合いもなくどうしていいのかわからないのでしょう。




 わたくしのかわいい娘。レミーリアでないのなら、あなたのお名前はなんていうの?
 わたくしにお名前を呼ばせてちょうだい。わたくしはあなたのママだから。
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