神秘の理

南蛮 義卿

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旧き魔術

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世界は完全など求めてはいないと私は確信する。橋、服、月、生物すらもどれ一つとして全く毛穴の先まで同じ状態であるのは時間で測ることすらできぬ一瞬で、次の瞬間には全く異なる形に変わるのである。
全てのものが揺らぎ常に形を変え続けるこの世界で魔術という存在は全くその性質を変えぬ異端である。
物質として存在しないににも関わらず観測が可能な未知なのである。
私が魔術という存在に対し疑念を抱いたのはある狂気めいた体験からである。
私自身も正気であるか疑わしいが、
ただ正気を疑う恐ろしき私にとっての事実を残すのみである。
私はこの薄暗く不潔な精神病棟に入れられる以前に魔術の研究を行っていた。
召喚、古代行われた別世界との接続の研究である。しかしながらどのような理論で接続が起こるのか全く分かっていないのである。
魔法陣には何らかの文字と思われる図形がCの形をした図形ランドルト環にそって並んでおり、その図形の隙間には扉に似た図形が配置され、その扉にも同じく文字に似た図形が彫り込まれている。
無論文字に似たというのはあくまで想像であり、実際には全く違う意味合いがあるかも知れないと当時は思っていたが、今言わせればあれは間違いなく文字なのである。
我々の研究は破損したおよそ三万年前の魔法陣を修復し、改良することであった。
一万年以上前の魔術はオーパーツと呼ばれ、研究対象として大いに価値があった。
現代では失われた理論であり、そしてそのどれもが世界を改変するほどの力を持っていたのである。有名な例では無限に肉(何の肉かは分かっていない)の出る壺や鉄や物体の大きさを変える望遠鏡など様々である。
異なる世界を接続すること自体が言うなれば世界の破壊行為であり、危険な行為であることは間違いないが、我々は知的好奇心によってそれらの問題の一切合切に蓋をしたのである。
神のお導きであると都合よく解釈したのである。全く神とは使い勝手の良い言い訳だ。
地下六千メートルに広がる百以上の実験施設にて我々は数多のヒトを使用し試行錯誤を繰り返した。
というのも魔法陣を一度起動するのに十ダースほどのヒトが必要なのである。
研究費で最も高くついたのは確実にヒトの費用であろう。
魔法陣が起動した時の喜びはこれを読む諸君らには全く想像もつくまい。
実に五百年の歳月を経て先代からの努力が身を結んだ瞬間であった。
同時に世界の歯車を狂わせた瞬間でもあったのだ。
光り輝いた後魔法陣の上にあったのは巨大な脳味噌に似た何かであった。
それは色が無く透明であったがその形は何故かハッキリと知覚できた。
脳味噌がヤドカリのように貝殻に似た何かを背負っていて、
その貝殻には文字や未知の生命体が数多く彫られていたが、それらの形を詳しく思い出すことは出来ない。私が意図的に記憶から消したのであろう。
ただ漠然と生物的嫌悪感を思い出すのみである。
表面はヌルヌルとした粘液に覆われており、その粘液は自由自在に形を変えて腕や目のような部位を作り出している。
暫くして我々の脳味噌でいう小脳あたりがパクリと割れた。中にはギッシリと犬歯によく似た歯で埋め尽くされている。
舌は無く発声方法も不明でるが、それは何やら声を発したのだ。
その声は全く未知なる言語であったが、私の既存の脳味噌を溶かしていくような感覚と共に気付けば私は自分の体に何事かの魔法陣をナイフで彫りつけていたのである。私が正気に戻った、少なくとも自我を取り戻したのは全くの偶然であろう。元々聴力が弱かったのと、
自分の左腕が魔道具の類によって潰され、あらぬ方向にへし折れ、骨が露出するほどの激痛を持って催眠魔術から解けたのである。
私は持っていたナイフで既に感覚のなくなった左腕の肘関節から先を切り離すと一心不乱に私の背中に魔法陣を彫っている同僚を突き飛ばし、
無我夢中で浮遊籠エレベーターに向かって走り、地上へのボタンを爪が割れるまで連打した。
催眠から目覚めてからの意識は今となっては夢のように朧げだが逃げるときにあの脳味噌は見た記憶がない。
ただ私が逃げる時に見た人々は誰も彼もが背中に扉のような図形を描き、中に何事か彫り込んでいたのである。
既にあの未知なる言語を解読することはできないが私のポケットには
「全能を求めん。故に扉開きたり。」
と血で書かれた紙屑が丸めてあった。
あの完全なる何かはこの不完全な世界に来ようとしているのではないか。
我々は悲劇を起こそうとしているのではないか。三万年前の文明の喪失はこれが原因なのではないか。そう確信するには充分の出来事であった。
私は命からがら逃げおおせた後、国王らにあの怪物について説明した。
直ぐに救助隊が派遣されたが、私以外の研究所の人間は特に変わったところも無く地上へ帰還したのである。
自分で彫っていたはずの魔法陣はその形が崩れ、やたらめったらに切り刻んだような跡になっていた。
私は狂って左腕を切り落としたとされ、直ぐにこの精神病棟に放り込まれた。
だが帰還した彼らは皆一様に深淵を見つめるかのような視点の合わない目で私を見つめるのである。
かつての叡智は欠片も無く、機械オートマタのように無機質な目で私を睨み付けるのである。
いつの日か地下六千メートルからあの脳味噌共が這い上がってくるだろう。
私はそう確信している。
夢見る人々の真下にて我々の想像もつかぬ夥しい数の狂気がその根をこの地に張ろうとしているのである。
この狂気に我々は何ら対抗することはなく速やかに地上の絶対的支配者が現れるであろう。
やはり世界は完全を求めていないのだ。
魔術はこの世界ではなくあの完結した狂気渦巻く別世界にてもたらされたものだったのだ。
魔術による光を見るたびにあのヌルヌルとした異形を思い出す。
自決用の魔毒は用意した。
心残りは無く、ただ人々が自らの過ちに気付くことを祈るばかりである。
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