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女癖の悪い山藤と男女問わず手癖の悪い外村はお互いに想い人がいたが成就せず、2人で飲みに行く。ノリで「お前を落としてみせる」と外村に宣言され…
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*《こちらの作品は、主人公は違いますが『大好きなので、俺を彼氏にして下さい!』の続編となります。よろしければ、そちらもぜひ読んでみて下さい》
市の公務員として就職が決まった山藤紬は、市の施設である歴史資料館へと配属されてから、半年が過ぎようとしていた。
イベントが近付き、支配人である若杉藍翔と、期間限定で飾る写真の額などを倉庫から運び、展示するという業務に追われていた。
「山藤。新しい脚立、事務室に置いてあるから、そっち使えよ。倉庫のは壊れてるから」
若杉が、2階へと向かう山藤に向かって言った。
「分かりました」
そして、山藤は脚立を持って2階へと上がる。
そこに、
「準備は順調か?」
と、若杉の同期の建設課所属である外村駿がやって来た。
「あ、ちょうど今、山藤が2階の展示場の準備を始めるところで。手伝ってもらえると助かる」
「了解。いつも言ってるけど、手伝ってほしい時は遠慮せずに連絡して来い」
外村が、若杉の肩に手を置く。
「仕事、忙しいだろうな、と思って」
「お前のためなら、どんなに忙しくたって手伝いに来るよ。とりあえず2階だな」
「ああ。頼む」
そして、外村は2階へと移動した。
ガチャン!と激しい音が響き渡った。
階段を駆け上がると、山藤が脚立の下敷きになって倒れていた。
「おい!」
外村が山藤へと駆け寄って、体を支える。
「山藤!大丈夫か?」
そこに若杉が慌ててやって来た。
「山藤!」
若杉が名前を呼びながら山藤の頬を軽く叩くと、目を開いた。
「大丈夫か?指先、見えるか?」
若杉が右手の人指し指を立て、山藤の目の前に持って来る。それをゆっくりと左右にずらして行く。
「はい…」
「良かった。軽い脳しんとうだな。脚立、事務室のを持ってけって言っただろ。倉庫のは壊れてるって」
「すみません」
「外村、悪いけど山藤を下の休憩室まで運んでくれるか?ソファで少し寝かしておいてくれ」
「ああ。分かった」
外村が山藤をすぐに抱き抱える。
「自分で歩けますから」
「ふらついて階段踏み外されても困るから、黙ってろ。若杉は看護師資格持ってんだから言うこと聞いとけ」
外村は、山藤を抱き抱えながら、軽々と階段を下りて行ったのだった。
ソファで横になっていると、いつの間にか眠ってしまっていたらしく、ブラインドを降ろす音でフッと目が覚めた。それに気付いた上司の若杉が、
「大丈夫か?」
と、声を掛けた。
「あ...、はい。すみません。眠ってしまったみたいで」
「別に。今日は予約が入ってたワケじゃないし、イベントの準備は外村が手伝ってくれたから。今日は先に帰っていいぞ」
「いえ。戸締まり手伝います」
「いいから。ゴールデンウィークもシルバーウイークも、ツアーの団体客の受け入れでかなり忙しかったし、そのあとも学校の訪問が立て続けで疲れてるだろ?ゆっくり休め」
「でもそれは藍翔さんも同じでしょ?」
体を起こし、ソファへと腰掛ける。
「俺は慣れてるから。まだ勤務して半年なんだし、無理しなくていい」
そして、若杉が、館内全てのブラインドを降ろし始める。夕焼けに照らし出される、若杉のシルエットが、山藤へと届く。
山藤が立ち上がろうとして、少しふらついた。
ドサッ、と再びソファに座り込む。
「大丈夫か?」
若杉がゆっくり近寄り、膝を付いて山藤を見上げた。
「すみません。ちょっと立ちくらみがして…」
「落ち着くまで、少し座ってろ」
綺麗な顔立ちに、白い肌。夕日が当たり、より妖艶に見えた。山藤は、その若杉の顔を両手で包み込むと、思わず頬に口付けた。その瞬間、お互いの唇の端が、少しだけ重なった。
何て柔らかくて、あったかいんだ…
山藤は、その感触に一瞬で魅了された。
「すみません」
そして若杉へと抱き付き、肩へと顔を埋める。
「まだ意識がはっきりしないのか?」
「みたいです…。すみません」
そして山藤は、溢れる涙を若杉の肩へと染み込ませて行ったのだった。
そこに、突然休憩室の扉が開き、
「何やってんだ?」
と、外村が驚いたように声を出した。
「山藤が、まだふらついてて調子悪いみたいで。外村、車だよな?山藤のこと家まで送って行ってくれないか?」
「ああ。まあ、いいけど…。抱き合ってたように見えたから、ビックリした」
「そんなワケないでしょ。立ち上がろうとして、ふらついただけですよ」
言いながら、山藤が若杉から手を離す。
「お前は?あいつ、しばらく復興支援で県外に行ってるから迎えに来ないんだろ?一緒に乗って帰るか?」
外村が、若杉へと声を掛けた。
「いや、俺はいい。近いし歩いて帰る。山藤、辛そうだし、もう帰っていいから」
「そっか。分かった。じゃあ、行くか」
そして若杉は2人に背を向けると、また館内の戸締まりをし始めたのだった。
職員専用の駐車場に停めてある車へと向かう道中、
「本当に、ふらついただけか?」
と、外村が山藤へと尋ねた。
「どうしてですか?」
「いや、泣きながら若杉を抱き締めてるように見えたから」
外村が言うと、山藤は否定も肯定もせずに黙り込んでしまった。
「山藤?まさか、お前、本気で…」
「僕、夕日に映し出された藍翔さんがあまりにも綺麗で、つい頬にキスしてしまいました」
外村が思わず足を止める。
「お前、何してんだよ。そんなことして、ただで済むと思ってんのか?」
「思ってませんよ。でも、藍翔さんは、僕がまだ意識が朦朧としてたせいで誰かと勘違いしたと思ってるみたいです。かなり平然としてたので」
「それにしたってキスはヤバいだろ。いくら頬にだったとしても、朝日には絶対に言うなよ」
「分かってますよ。そんなこと」
そう。十分、分かってる…。大学時代、バイト先が一緒だった先輩の朝日さんと藍翔さんが、男同士だけど結婚前提で付き合ってることも、ものすごくお互いを想い合ってることも。
「若杉のこと、好きなのか?」
「分かりません。でも、藍翔さん、しっかりしてそうなのに、結構抜けてて。そういう所もすごくかわいいな、って思うし、ずっと憧れてた朝日さんが好きになった人がどんな人なのか、どんどん興味が湧いて。どんな仕草もめちゃくちゃ綺麗だし、言葉数は少ないけど、いろいろ気遣ってくれたり、すごく優しくて。藍翔さんのことが気になってる自分がいるのは確かです」
「マジか…」
「でも、今ならまだ引き返せるんです。本気になる前に、身を引かなきゃ…って」
「よし!分かった。今度の土曜の夜、空けとけ。飲みに行くぞ」
と、元気付けるかのように山藤の肩に手を置いて、外村が言ったのだった。
そして土曜日の夜のことだった。
「まさか、入社してすぐに若杉を落とそうとしてたなんて、知らなかったよ」
「2人が別れたら、朝日さんがまた僕の相談に乗ってくれたり遊んでくれるようになるんじゃないか、って。あの2人が付き合い出してから、朝日さん、僕の誘いを全部断り出したのが寂しくて。最初はそんな軽い気持ちで藍翔さんにアプローチかけたんですけど、見事に失敗に終わりました」
「よりによって若杉って。俺も高校の頃からずっと好きで、まだ少し未練あんのに。あいつ、本当に恋愛に対して冷静って言うか、感情を出さないだろ?だから尚更こっちは傷付くんだよな」
「藍翔さんの笑顔が見られるのは、朝日さんの話をしている時と、朝日さんが側にいる時だけなんです。あの人の笑顔を引き出せるのは朝日さんだけって分かってるのに、それでもどうしても気になって、目で追ってしまうんです...」
山藤が辛そうにため息を吐き、両手で顔を覆う。
「分かった。じゃあ、俺がその辛さから開放してやるよ」
「え?」
「俺がお前を落としてやる」
「は?」
「俺のことを好きになれ」
「冗談じゃない。この僕が、人たらしにたらされるなんてこと、絶対にあり得ないんで。そもそも、まだ藍翔さんに未練あるんですよね?」
「あるけど、そこはもう割り切ってるからな」
「割り切る?」
「絶対に好きにはなってもらえない、ってさ」
「悪いけど、僕も外村さんのこと、好きにはなりませんから」
「どうかな…。俺たち、意外と合うと思うけど?」
「何を根拠に」
「とりあえず、お前を落とすことに決めたから。たらし同士、頑張ろうぜ」
「分かりました。受けて立ちますよ。僕だって、人をたらすことはあっても、たらされることはないって自信はあるので」
「じゃあ、決まりな。今から容赦なく攻めるからな。とりあえず連絡先交換しようぜ」
外村が、スマホを取り出した。
その翌日から、お昼休みに外村が歴史資料館にやって来るようになった。
1人で休憩室にいた山藤に、
「山藤、今度この映画観に行かないか?」
と、声を掛ける。
「行きません」
「は!?どの映画か言ってもないのに、即答?」
「はい。他の人を誘って下さい」
「俺は山藤と行きたいんだよ」
「さっき藍翔さんから聞き出しましたけど、外村さん、今、付き合ってる人いるんですよね?」
「今はいない。昨日別れたから」
「昨日?」
「二股は主義じゃないからな」
そこにコンビニでお昼ご飯を買って戻って来た若杉が、休憩室に入って来た。
「外村?何してんだ?」
「いや。ちょっと山藤に用事があって」
「ふぅん」
そして若杉はソファに腰掛け、テーブルにコンビニの袋を置くと、
「二股は主義じゃないなんて、初めて知ったよ」
嫌味っぽく言った。
「聞こえてたのか?」
外村は分が悪そうに呟き、
「あれは二股じゃなかっただろ?お前があんまりにも俺の相手をしてくれないから、つい…」
「確かに。あれは二股じゃなくて、浮気だったな」
若杉が冷静な口調で言うと、コンビニのおにぎりを口に運んだ。
「浮気?」
山藤が驚いたように外村に尋ねた。
「隠しとくのもアレだから話すけど、俺と若杉、高校の頃、付き合ってたんだ。その、俺からの猛アタックで」
山藤は真実に驚きを隠せなかった。
「え!?嘘ですよね?朝日さんは、その事知ってるんですか?」
山藤が若杉に聞いた。
「知ってる」
平然と表情1つ変えずに、若杉が答える。
「え…と、あまりにもの強烈な展開に付いて行けないんですけど」
「付き合ってたって言っても、若杉、こんな感じだから、イチャイチャってワケでもなかったけど」
「で、外村が、言い寄って来た他の男子生徒に手を出したから、別れた」
若杉の言葉に、
「最低ですね」
と、山藤が反応し、冷めた目で外村を見た。
「寂しかったんだよ」
「そんなの言い訳になるか。目の前で浮気の現場を目撃した俺の身にもなれ」
「それって、少しは本気で俺のこと好きだったってこと?」
外村が嬉しそうに若杉へと尋ねた。
若杉は考え込むように黙ると、
「いや。ただ裏切られたのが不快だったのと、軽蔑してただけだろ」
若杉は感情を全く表に出すことなく言うと、表情を変えずに再びおにぎりを口に運ぶ。
「それはそれで、ひどくないか?」
外村が突っ込みを入れて、笑った。
「朝日さん、それを知ってどう思ったんでしょう?あんなにも藍翔さんのこと想ってるなら、ショックだったんじゃ…」
山藤が小さな声で呟いた。
「まあ、付き合ってたって事実を知ってるだけで、別に詳しくは話してないからな」
若杉が言うと、若杉のスマホから着信音が鳴り出した。
「噂をすれば…か?」
外村がニヤリと、口の端を上げた。
スマホの画面をスライドさせ、電話に出た。
「ん?コンビニのおにぎり食べてる。…分かってるって。夜はちゃんと自分で作って食べる」
若杉が電話をしながら休憩室を出て行く。
「体の心配ですかね?復興支援のメドも立たないし、朝日さん、いつこっちに帰って来られるか分からないんですもんね」
「そんな感じだな。若杉、料理なんて全然しなかったのに。あんなに冷静沈着な若杉を射止めて付き合えてる朝日って、何か、めちゃくちゃすげぇ奴に思える」
「確かに。でも、藍翔さん彼女いたんですよね?」
「まあ、仕事もできるし顔もいいし?女性からもモテてたからな。ただ、かなり美少女系の綺麗な容姿だろ?男から言い寄られる事も多かったから、彼女がいると何かと都合良かったんだろ」
「なるほど」
外村の言葉に、山藤は妙に納得してしまったのだった。
「ってことで、今度の日曜の夜、映画行こうな。これ、予約したチケット」
外村が、強引に山藤へと映画のチケットを渡したのだった。
日曜日の山藤の仕事終わり、外村が車で歴史資料館の駐車場まで迎えに来ていた。
「外村さん、土日祝日が休みなのに、わざわざ日曜の夜に映画って」
山藤が外村の車に乗り込み、呆れたように言うと、
「紬の勤務に合わせたんだよ。毎週月曜が休館日だろ?時間を気にせず、気兼ねなく過ごして欲しくて」
「そっちは明日から1週間、仕事でしょ?疲れるんじゃ…」
「紬に会えるなら、そんなこと気にならないよ」
「うわっ!出た!たらし文句」
「いや!口説き文句だろ」
「たらしに口説かれても真実味が薄っぺら過ぎて、逆に笑えます」
「それ、ひどすぎるだろ」
2人は笑い合いながら、映画館へと向かったのだった。
日曜の夜の映画館は空いていて、2人はくつろぎながら、ゆっくりと映画を堪能した。そして再び車に乗り込むと、
「腹減ってない?どっか寄るけど」
と、外村が気遣う。
「そうですね。まだ夕飯食べてないし。外村さんは?」
「俺も食べてない。何がいい?」
「定食屋さんに行きたいです。最近、疲れて料理する気にならなくて、出来合いの物ばかり食べてるんで」
「へぇ。料理するのか?」
「朝日さんと一緒に定食屋でバイトしてたので。だから、僕も朝日さんも料理得意なんです」
車が走り出す。
「1回、紬の手料理、食べてみたい。来週の日曜、作りに来てよ」
「は!?嫌ですよ」
「何でだよ!」
「面倒くさいじゃないですか。人のために作るとか」
「俺のために作るんだよ」
「だったら余計に面倒くさいです」
「おい!」
山藤が笑う。そして外村も笑顔を見せたのだった。
「じゃ、また来週の日曜、迎えに行くから」
言いながら、外村が山藤の自宅の前に車を停車させる。
「まさか毎週会うつもりじゃないですよね?」
「え?そのつもりだけど?」
「何のために?」
「俺が紬に会いたいから」
外村の手が、山藤の手の上に重なったかと思うと、山藤が大きなため息を吐いた。
「無理しなくていいですよ?」
「無理?」
「僕のこと落とすとか落とさないとか、もうどうでもいいんで。もう大丈夫ですから。あの時は疲れ過ぎてて、本当にどうかしてたんです」
「若杉のこと?」
「はい。もうあんな事は2度としません」
「あんな事って、キス?」
「そうです。じゃあ、おやすみなさい」
言って、車を降りようと扉を開く。
「おやすみ。また来週の日曜日な」
外村が笑顔を見せると、山藤は再び大きなため息を吐いたのだった。
そして、次の日曜日の仕事終わり、外村がまた駐車場で山藤を待っていた。
「お疲れ」
山藤の姿を見て、車を降りる。
「そのうち藍翔さんにバレますよ?」
「別に俺はいいけど?そっちが嫌なだけだろ?」
外村の言葉に、山藤が口をつぐんだ。
「とりあえず乗れよ。買い出し行くだろ?」
「本気で言ってるんですか?」
「当たり前だろ。夕飯、何作ってくれる?」
外村が嬉しそうに笑ったのだった。
それから山藤は、毎週日曜に必ず外村のアパートに行くようになり、手料理を振る舞うのが習慣になった。外村はいつも美味しそうに山藤の料理を食べ、片付けや洗い物などは必ず外村がしてくれていた。そんな日々が続き3ヶ月が過ぎた頃のことだった。
「紬、第3日曜だけは休館日で休みだろ?今度、その前日の土曜日の夜に、2人でどこか出掛けないか?」
外村が洗い物をしながら、キッチンテーブルに座ってコーヒーを飲んでいる山藤に声を掛けた。
「え?」
「たまにはさ、泊まりで遠出したいな、と思って」
「どこに?」
「どこでもいい。紬の行きたいところで」
「…考えておきます」
山藤が言うと、外村が嬉しそうに笑顔を見せ、
「ヤバい。めっちゃ楽しみなんだけど」
と、独り言のように呟いたのだった。
「結局かよ」
外村がガッカリしたように肩を落とした。
山藤は、
「行きたいところもないし、土曜の夜に会うのはやめておきます」
と言い張り、その日はいつも通り、仕事帰りの日曜に外村のアパートへとやって来て、料理を作り始めた。
「何で行かないんだよ」
「別に一緒に遠出する理由もないので」
「うわっ。冷たっ!」
外村の言葉に反応する事もせず、黙々とキッチンで下準備をする。
「僕じゃなくても、一緒に遊びに行く人なんてたくさんいるでしょ?」
外村は、そんな山藤の背後に立つと、体を密着させ、抱き付いた。
「いないよ。他の奴と遊びに行くよりも、紬といる時間を大事にしたい」
「ちょっと!危ないだろ」
山藤が包丁を持ったまま、顔だけを横に向けて外村を注意した。
「土曜に一緒に遠出できないんなら、せめて今日は泊まってけよ」
「は!?何言って…」
「もう気付いてんだろ?俺がお前に本気になってること」
「気付いてません」
「好きじゃなきゃ、こんなに一生懸命にならないだろ」
「まさか、僕のこと、落とせたと思ってるんですか?」
「そんなこともう思ってない。紬と一緒にいると楽しいし、何よりも癒されるんだ」
「って言ってるの、僕で何人目ですか?」
いつものように軽く交わす。
「実は言うと、脚立から落ちた紬を抱き抱えた時から、めちゃくちゃ気になってた。見た目よりも華奢で柔らかくて。近くで見ると、すげぇかわいいくせに、妙に色っぽいし。『落としてやる』とか、そんな言い方しか出来なかったけど、本当は、あの日から俺のモノにしたくて仕方なかった」
「誰が信じるんですか?たらしの話なんて」
「紬。頼むから、俺の恋人になってくれ。もう誰にも触れないで欲しいし、触れさせたくない」
「いいから早く離れて下さい。夕飯の準備、出来ないじゃないですか」
「返事もらえるまで離さない」
「返事はNoです」
「それを返事とは、認めないから」
「いい加減にして下さい。からかうなら、今日はもう帰ります」
山藤は包丁をキッチンの流しに置くと、エプロンを外そうとした。その手を外村が止める。
「好きだ」
言葉と同時に、唇を奪われる。
「やめ…」
「好きだ、紬。俺、本気でお前のこと…」
山藤の頭と腰に外村の手が回り、唇がより深く重なる。唇を激しく塞がれたまま、寝室へと連れ込まれ、押し倒される。
「やめろよ!遊びでこんなことしていいと思ってんのかよ!」
「遊びじゃないし、俺、男は初めてだよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない。キスやハグぐらいはあっても、よっぽど好きじゃなきゃ、なかなか男なんて抱けないだろ」
「そんな話、信じる訳ないだろ」
「俺は、自分の弱さのせいで若杉を傷付けた。言い寄って来てた男子とキスしてたところを見られて…。その時の若杉の悲しそうな顔が、今でも忘れられないんだ。あの時、浮気なんか一生しない、って誓った。だから、お前には絶対、そんな顔はさせない。俺を信じて欲しい」
「そんな事、急に言われても…」
「いいから、黙って俺に抱かれろ」
首筋に唇が這う。Yシャツをを脱がされ、ベルトに手が掛かると、ズボンを下ろして行く。
カチャン、と何かが床に落ちる音がして、
「あ...。資料館の鍵…」
と、山藤が体を横に向けて拾おうとしたが、
「そんなの、あとでいい」
と、顔を戻され、外村が唇に激しく吸い付く。そして、ついに下半身が露になった。
「やば…。めっちゃ綺麗…」
両膝を持ち上げられ、誰にも見られたことのない部位が、丸見えになる。
「や…め…」
あまりにもの恥ずかしさに、顔を覆い、身を捩る。
「ここも綺麗な色だな」
しばらく目で堪能し、そして次に山藤の熱く硬くなりつつあるモノに、濡れた感触が訪れたかと思うと、外村が一気にそれを咥え込んだ。
「ちょっ…!いきなり何す…!?」
思わず、上半身を浮かす。
「悪い。我慢できない」
興奮しながら執拗に吸い付き、舐め上げる。外村の下半身も熱を帯びて、硬く勃ち上がっていたのだった。
「紬…。大丈夫か?痛くなかった?」
外村が息を切らし、ゆっくりと山藤の中から抜け出す。
「っ…」
山藤は、外村のモノが中から出た瞬間のヌルリとした感触に、ゾクリとした快感が全身に広がったのが分かった。その刺激でまた下半身に血流が走る感覚に襲われ、自分が、いかに外村との行為に対して快楽に陥っていたのか、気付いてしまった。
「気持ち良かったか…?」
心配そうに外村が聞くと、
「...そんなこと、聞くな…」
山藤は、恥ずかしそうに小さな声で呟いた。
「ちゃんと勉強したんだよ。BLのアダルトビデオ見て。ゴムも付けたし、ローションも準備してさ。紬に痛い思いさせたくなくて」
「変態」
「最初は、こんなの入るのかな…って思ってたけど…何だ、その…」
肩で息をしながら、山藤が外村を見る。
「思ってた以上に良過ぎて、もう紬以外となんて興奮しないだろうし、考えられない」
言いながら、山藤に抱き付くと、
「あ、そうだ。これ、合鍵な。マジでいつ来てもいいから」
「え?」
外村はベッドの脇に置いてあった小さなテーブルから、山藤へとアパートの鍵を渡した。
「これで俺のこと信じてもらえる?」
裸でベッドに横になりながら、山藤がその鍵を受け取る。
「うさんくさい」
「おい!」
外村が山藤へと抱き付き、笑い合う。
「そんなに信じてほしいんですか?」
「当たり前だろ。これで体だけの関係で、って言われたら、マジでヘコむ」
「そんなこと言いませんよ」
「じゃあ、俺と付き合ってくれる?」
山藤が黙り込む。
「そこは『はい』だろ?」
外村が、山藤へと、そっとキスをした。
「分かりました。とりあえず、お試し期間で」
「お試し期間の恋人?」
「はい」
「でも恋人なんだよな?」
「まあ、一応」
山藤が言うと、外村は、
「よっしゃ!」
と笑顔を見せ、ベッドの上で山藤を力強く抱き締めたのだった。
「じゃあな」
夜の12時を回るところで、外村は山藤を自宅まで車で送った。
「はい。おやすみなさい」
降りようとする腕を引かれ、唇が重なる。
「紬。マジで大好き」
唇が離れ、強く強く抱き締められる。
「明日、月曜で休みだろ?また火曜日の昼休みに紬に会いに行くから」
「うん…」
「俺に会いたくなったら、いつでもアパートに来いよ?」
山藤の胸が、今まで感じたことのないような暖かさに包まれた。
「外村さん、明日から仕事なのに、こんなに遅くなって大丈夫なんですか?」
「紬と会うことが俺の活力だから、全然平気」
そう言って、外村が嬉しそうに笑ったのだった。
翌朝、資料館の鍵を外村の部屋に落としたまま帰って来たことに気づいた山藤は、早起きをして、外村が仕事に行く前に鍵を返してもらおうと、アパートへと向かった。インターホンを押すと、しばらくしてバタバタと廊下を走る音がして、鍵が開く。
「朝早くにすみません。資料館の鍵を…」
そこまで言って、山藤が黙り込んだ。目の前に立っていたのは、外村ではなく、若い男だった。シャツがはだけて、キスマークらしきものが白い肌の首筋に付いているのが見えた。
「あ、駿君に用事?今、シャワー浴びてて。代わりに聞くけど」
山藤の全身が熱くなり、鼓動が早まる。
「いえ…。結構です」
掠れた声で言うと、山藤は、ゆっくりと背を向けて階段を降りて行ったのだった。
朝早くに若杉のスマホの着信音が鳴るが、月曜日で休館日と言うこともあって、まだ眠っていた。すると、次に朝日のスマホの着信音が鳴った。見ると、山藤からだった。
「もしもし?」
先に起きて朝食の準備をしていた朝日が電話に出る。
『あ...ごめん。休みの日の朝早くに。藍翔さんに掛けたんだけど、出なくて』
「まだ寝てる。何かあったのか?」
『鍵が…』
そこまで言って、山藤が黙り込む。
「鍵?」
『資料館の…鍵が…』
声が途切れる。
「紬?どうした?」
『ごめ…僕…』
山藤の震える声が、また途切れる。
「泣いてんのか?何があった?」
『朝日さ…、僕…』
「てか、今どこ?資料館の鍵をどうしたらいい?」
『今、資料…か…。今日、休館日なん…けど…明日、藍翔さ…、休みだし…』
「分かった。藍翔先輩が持ってる鍵、今から届けに行くから、そこで待ってろ」
『ごめ…なさ…』
朝日は朝食作りを途中にして、簡単に着替えを済ますと、ちょうど目を覚ました若杉が体を起こした。
「どうした?」
「今、紬から電話があって。資料館の鍵、必要みたいで。今から資料館に行って、鍵、渡してきます」
「え?でも今日は休館日だろ?」
「泣いてたし、ちょっと心配なんで、様子見て来ます」
「泣いてた?」
若杉の質問に答えることなく、朝日は慌てた様子でアパートを出て行ったのだった。
「紬!」
走ってやって来た朝日が、山藤の名前を呼ぶと、資料館の出入口に置いてあるベンチに座っていた山藤が顔を上げた。
「朝日さん…」
目が赤くなって潤んで、頬も少し赤みを帯びていた。いつもとは違う山藤の様子に、朝日は少し戸惑い、ゆっくりと近寄る。
「何があった?大丈夫か?」
山藤が立ち上がり、泣きながら朝日に抱き付いた。そんな山藤の背中を朝日は片手で優しく上下にさする。しばらくして、気持ちが落ち着いたところで、
「朝日さん…僕…」
山藤が、ことの事情を静かに話し始めたのだった。山藤が話し終わったところで、2人して横に並んでベンチに座る。
「って言うか、何でよりによって外村さんなんだよ…」
「ごめん。それと、藍翔さんには言わないで。僕、藍翔さんにまで知られて呆れられたら、もう…」
「別に呆れはしないけど」
2人の前に、若杉が現れた。
「先輩、どうして…?」
朝日が驚いて、立ち上がる。
「お前が持って行った鍵、倉庫の鍵だったから。本館の鍵を持って来たら、話が聞こえて。とりあえず中に入ろう」
山藤が、黙って俯いたのだった。
「すみません。僕が浅はかだったんです。外村さんが、どんな人か分かってたのに」
3人でソファに腰掛け、山藤は拳を両膝に置き、唇を噛み締めていた。若杉の淹れたコーヒーから、湯気がユラユラと出ては、消えて行く。
「浅はかとは違うだろ」
若杉が言う。
「え?」
「好きになってたんだろ?外村のこと」
若杉の言葉に、山藤の表情が歪んだ。
「…はい。たぶん。いつの間にか、この人を信じよう、って」
山藤の瞳から、涙が零れ出す。
「紬がそう思うくらい、外村さんが必死だったってこと?」
朝日の問いに、山藤が頷いた。
「外村本人に確認はしたのか?」
若杉の言葉に、山藤が首を横に大きく振った。
「LINEや着信は何件も入ってますけど、怖くて見てないし、出てません」
「分かった。外村に会いたくないだろうから、明日は俺が出勤する。最近、毎日昼休みに来てるし、日曜には必ず駐車場にいたから、おかしいとは思ってたんだ」
若杉がコーヒーを口に運んだ。
「でも、明日は何か予定があるんじゃ…」
「いや、特に予定は入ってない」
「先輩!明日は俺とゆっくりするために休み取ってくれたんじゃないの?俺、来週からまた復興支援の現場に行かなきゃいけないのに」
若杉が鋭い視線で朝日を見た。
「え…?何?その怖い目…」
朝日が怯んで、黙り込む。
「で、資料館の鍵は外村のアパートにあるのは間違いないんだな?」
「はい。昨日の夜に、外村さんの部屋に落としたまま、拾う前に…その…」
山藤が、言葉を濁して俯く。
「で、その時に合鍵をくれたにも関わらず、朝に取りに行って、インターホンを鳴らしたら男が出て来た…と」
「はい」
「なるほどね。まあ、山藤とその男が鉢合わせたのを外村が知ってるかどうかだな」
「LINE、確認したら?」
朝日が山藤に言うと、
「ダメだ。既読は付けるな」
若杉が止めた。
「電話にも出るな。LINEも無視しとけ」
若杉はそう言って立ち上がると、
「山藤は何も心配せず、明日はゆっくり休め」
「はい。ありがとうございます」
そして、3人は資料館を出た。
「先輩?何か怒ってます?」
朝日が、早足で歩く若杉に、必死に追い付こうとする。
「別に」
「絶対、怒ってますよね?だって、いつもは必ず手を繋いでアパートまで帰ってくれるのに、今日は繋いでくれないし」
「たまにはそういう日もあっていいだろ」
「ダメです!手を繋いで帰るのは、俺たちの愛の証ですから!」
朝日の言葉を無視して、若杉は黙ったままアパートへと向かって歩き続ける。
「先輩、もしかして、外村さんと紬のこと、ショックだったんですか?」
言って、朝日が立ち止まる。
若杉の足も自然と止まった。
「は!?」
「だって、紬の話を聞いてから様子が変だから。まさか、先輩、まだ外村さんのこと吹っ切れてないんじゃ…」
朝日はそこまで言うと、口を閉ざして俯いた。
「何でそうなるんだよ」
「だって、手、繋いでくれないし、さっきもすごい睨まれたし…。どう考えてもイラついてるとしか思えません。明日の休みだって、2人でゆっくりしようって約束してたのに」
朝日が肩を落として、足を引きずるようにして、ゆっくりと若杉の横を通り過ぎる。
「だから、違うって!お前が、その…、抱き締めてたから…」
若杉が、朝日の背中に向かって、めずらしく声を張り上げた。
朝日が、若杉の方へと振り返る。
「山藤のこと…」
今度は、若杉が俯く。
そして、しばらくの沈黙が続く。
「え!え!?先輩、今、何て?」
「いい!」
「良くない!待って!それって…」
「早く帰るぞ」
「俺、抱き締めてないです!あまりにも泣いてたから、落ち着かせるために背中さすってただけで」
若杉の腕を引き寄せ、思いっきり抱き締める。
「朝日…苦し…」
「抱き締めるって、こう言うことですよ。苦しくて、痛いでしょ?」
朝日の腕に、より力がこもる。
「分かったから」
「先輩のやきもち、めっちゃ嬉しいです!」
「だから言いたくなかったんだよ」
「この胸も腕の中も、俺の全部、先輩だけのモノですから!」
「もう分かったから!離れろ!」
「アパートに戻ったら、今日はイチャイチャのベタベタでずっと先輩にくっついてます!」
「だから離れろって!」
若杉は、朝日の胸の中で、必死にもがいたのだった。
その日の夜、ベッドに入ったものの、なかなか寝付けずにいた山藤は、ずっと天井を見つめていた。そして、自然と涙が次から次へと溢れ出す。
「バチが当たったんだ。今まで、自分が女性に対してしてきたことが、こんな形で返って来るなんて…」
呟いて、袖口で涙を拭う。
「遊びでしか恋愛を楽しめなかったなんて、本当に勝手すぎるよな」
山藤は、初めて胸が締め付けられる感覚に襲われた。息も出来ないくらいに、喉の奥が痛くて苦くて、苦しかった。
「遊ばれる、って、こんなにも辛かったんだ…」
そしてうつ伏せになると、枕へと顔を埋め、涙を染み込ませて行ったのだった。
外村もまた、山藤と連絡が取れず、誤解されたままでいることに酷く傷付き、落ち込んでいた。全く身動きが取れずに深く考え込んでしまい、
「もし、このまま会ってもらえなくなったらどうしたらいいんだ…?俺が今までいろんな奴にして来たことのツケが、きっと回って来たんだろうな...」
そしてため息を吐き、ベッドに仰向けになりながら、両手で顔を覆った。
「好きな奴と連絡が取れないだけで、こんなにも苦しいなんて、マジで知らなかった…」
目に涙が溜まり、頬へとこぼれて行く。
2人は、互いに、離れた場所で、眠れない夜を過ごしたのだった。
翌日の火曜日のお昼休みのことだった。外村が資料館の休憩室へとやって来た。
「あれ?今日、山藤は?」
唐突に、若杉へと尋ねる。
「休みだけど、何か用か?」
若杉がソファに座る。
「いや…」
外村が、テーブルを挟んで、若杉と向かい合ってソファに腰掛けた。
「寝てないのか?目の下にクマが出来てるぞ」
若杉の問いに、
「ああ。ちょっとな」
外村が答え、片手で顔を覆う。
「山藤、資料館の鍵を失くしたらしくて。月曜の朝に急に電話が掛かってきた。出られなくて、朝日に掛かってきて」
「え?」
外村が顔を上げた。
そこに、
「先輩!弁当持って来ました!一緒に…」
朝日が、若杉のために作った愛妻弁当を持ってやって来た。
「朝日…。戻って来てたのか」
外村が言うと、
「交替で、また行きますけど」
と、強い口調で答える。
「そうか。遠距離恋愛は辛いだろ」
「遠距離結婚です」
朝日がムキになって訂正した。
「相変わらずラブラブだな」
外村が力なく笑う。その瞬間、朝日の我慢が限界を向かえた。
「外村さん、紬は俺の大事な後輩です。傷付けたこと、絶対に許しませんから!」
「朝日!」
若杉が止めに入る。
「山藤から聞いたのか?だいたい、そんな意味深なセリフ、若杉に誤解されるぞ」
「大丈夫です。俺、めっちゃ先輩のこと大事にしてますし、先輩のことを泣かせるようなことはこれからも絶対にしないし、今までもしてませんから。だから誤解なんかされません。されたとしても、ちゃんと2人で解決します」
「朝日…」
「紬、泣きながら俺に電話してきたの、初めてなんです。だから、紬のこと好きじゃないなら、これ以上あいつに構わないで下さい」
「それは無理だ」
そう言って、外村が黙り込んだ。
「山藤のこと、本気で好きなのか?外村にしては、めずらしく躍起になりすぎてる気がして。毎日、お昼休みにここに来たり、日曜の夜は必ず迎えに来てただろ?」
若杉が聞く。
「そうだよ!初めて本気で手に入れたいって思った奴なんだ。でも、どうやったら信じてもらえるのかが分からなくて。LINEも既読にならないし、電話にも出ないし。インスタだって、フォローバックしてくれなくて。あいつ、家族と住んでるから家に押し掛けるワケにもいかないだろ?今日こそは会えると思って来たのに」
「今まで遊んで来たツケが回って来たんだろ」
若杉が容赦なく核心を突いた。
「きっつ…!分かってんだよ、そんなことは!だけど、あれは誤解なんだ。若杉も知ってるだろ?同級生の上野が駅前で夜に店やってること」
「ああ。お前に何回か連れてってもらったからな」
「え!?先輩、まさか2人きりでってことじゃないですよね?」
即座に絡んで来た朝日を、
「同級生がやってる店なんだから、2人きりってことにはならないだろ」
と、ため息を吐きながら、若杉がすぐに落ち着かせた。
「月曜の朝に玄関に出たの、上野の店でバイトしてる奴で、上野の彼氏なんだ。あいつら、雨とか雪がひどいと家に帰らずに2人して俺ん家に泊まるんだよ。俺のアパート、あいつの店から目と鼻の先だし。帰るのが大変だとか何とか言って。あの日も、雨風がひどいから泊めてくれって、夜中の1時くらいに来て」
「でも、キスマーク付いてたって…」
朝日が、つい口を滑らした。
「上野とヤッてたんだろ。俺は本当に1人で寝室で寝てたし、仕事行く前にシャワー浴びてたところに、たまたま紬が来て…」
「で、誤解されたと?」
「俺、あの日、あいつらに言ったんだよ。恋人が出来て、合鍵も渡したから、もう来ないでくれ、って。それなのに…」
外村が、両手で顔を覆って俯く。
「まあ、誠意を見せてくしかないな」
若杉が冷静に言った。
「どうやって?」
「ん?それは…」
若杉が、朝日の方をチラッと見た。
「とにかく、信じてもらえるまで頑張るしかないですね。俺だって、誠実さだけで勝負してたのに、藍翔先輩と付き合えるまでに4年以上かかってますから」
「まあ、そういうことだ。本気で手に入れたいなら、努力しろ。まだまだ甘すぎるんだよ。だいたい理由がどうあれ、男と鉢合わせた山藤の方が何倍も辛かっただろうし。お前も少しは痛い目に合えばいいんだよ」
「そうですよ!今日、本当は藍翔先輩、休み取ってくれてたのに。外村さんのせいで、わざわざ紬に休みを譲って、休み返上したんですからね!俺、マジで腹立ってますから!俺たちまで巻き込まないで下さいよ」
若杉と朝日が、落ち込む外村をより撃沈させたのだった。
そして、3ヶ月後の火曜日のことだった。
「若杉、どうしたらいい?避けられ続けて、もう3ヶ月だぞ?昼休みだって、いつも自宅に帰ってていないし、土曜も日曜も、毎週迎えに来てるのに、姿すら見られないんだ。一体、どうやって帰ってんだよ…。忍者か?」
お昼休みに、また資料館にやって来た外村が、パイプ椅子に腰掛け、窓際に沿って置いてある長テーブルに、ぶっ潰した。
「まあ、山藤の中では、お前との関係は、もう終わってるのかもな」
若杉が、しれっと言った。
「冗談でも傷付くからやめてくれ。…なあ、若杉…。朝日なら、こんな時、どうすると思う?」
「え?」
「こんな時、朝日ならどうする?」
若杉はしばらく黙って、そして静かに口を開いた。
「手紙書いてただろ。2年勤めたここを辞めて、消防士になるのに東京に行くことにした時。お前に『渡したくなかったら渡さなくていい』って、託して」
「そう言えば、救急救命士の資格取りに行ってたな…」
「お前に朝日からの手紙を渡されたの、2年以上経ってからだったけどな。実はあの時、朝日と喧嘩した状態のまま離れたから、結構辛かった。でも、手紙を読んで、あいつを信じて待とうって思ったよ。結局、お前から手紙をもらうのが遅すぎて、朝日がその日に東京から帰って来てて、すぐに会えたけど」
若杉がその時のことを思い出し、少し笑顔になった。
「今さらだけど、朝日って本当にすごいよな。何回もお前に振られて、しかも2年以上離れてたのに、東京から戻ってすぐにまた若杉に会いに来て、告白したんだもんな」
「まあ、縁があれば離れててもまた一緒にいられるようになるし、縁がなければ、どんなに一緒にいたとしても、いつかは離れるんだろうな」
「それ、めっちゃ名言だな」
「山藤、最近、全館LEDにする工事に入ってる業者の男の子と楽しく話してて、少しずつ元気になって来てるけどな」
「誰だよ、そいつ」
外村が、ガタン、と椅子から立ち上がる。
「今も一緒に昼飯食いに行ってる」
「マジで?どんな奴?」
「さあ。いちいち聞かないからな」
若杉がソファに腰掛け、コンビニで買って来たサンドイッチを頬張る。
「とりあえず、電話もLINEもダメなら、手紙しかないよな…。よし!今日、レターセット買って帰ることにする!」
外村が、勢い良く休憩室を出て行った。そして、自分の勤務する市役所に向かって歩いていると、1台の黒いSUVが、資料館の駐車場の1番端に止まった。そこから、山藤が降りて来る。
「休みだったのに、わざわざありがとう」
「いや。こっちこそ。また明日な」
「うん。また明日」
そして山藤が、動き出した車に向かって、笑顔で手を振る。
外村は、思わず立ち竦んで、しばらくその場から動けなくなったのだった。
「若杉、これ。山藤に渡しといて」
翌日の昼休み、外村が力なく、手紙を若杉へと手渡した。
「何だ?暗いな」
「別れの手紙だから…」
「結局、別れることにしたのか?」
「昨日、男と2人でいるところ見たから。しかも、めっちゃ若いイケメン。耳が金のピアスだらけの」
「ああ。例の業者の子か。今日の午前中も作業に来てたな。ピアスなんかしてたか?」
「昨日、休みだったのに、わざわざ紬と昼飯食うのに、時間作った感じだった」
「へぇ。で、諦めるんだな。分かったよ。渡しとく」
「もう昼休みにここにも来ないから。紬に、昼休み、わざわざ自宅に帰らなくていいって言っといて」
「分かった」
「俺たち、きっと縁がなかったんだよな」
「さあ」
外村が肩を落として、若杉に背を向け、休憩室を出ようとした時、
「あれは同級生ですよ」
と、声がした。
外村が振り返ると、お湯を入れたカップラーメンを持って、山藤が立っていた。
「紬…」
外村の瞳から、自然と、1つ、また1つと、涙が溢れる。
「ごめん、俺…。いくら誤解とは言え、お前に辛い思いさせて…」
「資料館の鍵、いい加減返して下さい。藍翔さんから、僕に直接じゃないと返さないって外村さんが言い張ってるって聞いて。鍵がないと困るんです。そろそろ始末書を書かなきゃいけなくなるんで」
窓際のテーブルにカップラーメンを置くと、パイプ椅子に腰掛けた。
「紬。本当に誤解なんだ。玄関に出たの、同級生の彼氏で、あの日は2人して泊まりに来てて。俺は別の部屋で1人で寝てたし、仕事行くのにシャワー浴びてただけで。電話もLINEも繋がらないし、合鍵がポストに返してあった時、もう、俺、どうしていいか分かんなくて…」
外村の顔が、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「それ、別れの手紙なんですよね?」
「え?」
山藤が、若杉の手から手紙を取って、封を広げ中身を出した。そして静かに目を通す。
「うわー。語源力が全くなくて、意味が分からないんですけど…」
「仕方ないだろ。国語苦手なんだから」
グスッ…と鼻を鳴らす。
若杉が、横から手紙を覗き込む。そして、読み終えると、
「これ、別れの手紙なのか?」
と、不思議そうに外村を見た。
「最後に自分の想いを届けたかったんだよ」
「で、『俺は、紬が大好きだ。合鍵を返さないで欲しかった。あれは誤解だ。愛してる。会いたい。話したい。抱き締めたい。こんなに人を好きになったのは初めてだ。ありがとう』ですか?」
山藤も、呆れる。
「意味不明だな。朝日でも、もっとまともな文章書いてたぞ?」
「手紙なんて初めて書いたんだよ」
「まあ、別れの手紙なら、そう受け止めます。お試し期間は終了ですね。とりあえず鍵だけは返して下さい」
山藤がカップラーメンを食べ始めた。
外村が袖口で涙を拭うと、
「今日、仕事終わったら迎えに来るから、俺のアパートに自分で取りに来てくれ」
そう言って、休憩室をあとにしたのだった。
「ずいぶんと横柄ですね。普通は、そっちが鍵を持って来るのが正当かと。藍翔さんに、さすがに早く返してもらうように言われたので、仕方ないですけど」
迎えに来た外村の車に乗り込み、山藤が悪態を付く。
「何とでも言えよ。俺は今、ただただ嬉しいだけだからな」
「は?」
「紬に会えて、こうやって話せてることが、めちゃくちゃ嬉しくて仕方ない」
「めでたい頭ですね」
「3ヶ月以上も会えなかったんだぞ?どんなに苦しかったと思ってんだよ。昨日だって、あんなイケメンと2人して昼飯食いに行ってたとか、マジで辛かった」
「口を開けて、まぬけな顔でこっち見てましたもんね」
山藤が、吹き出す。
「見てたのか?」
恥ずかしさのあまり、視線が泳ぐ。
「見えたんです」
「あいつ、本当に同級生?」
「はい。先週くらいから、資料館に工事に来てるんです。久しぶりに会ったから盛り上がっちゃって。今、歳上の学芸員の人と付き合ってるみたいで。その人、仕事でずっと中国に行ってて『やっと帰って来るから、空港まで迎えに行くのに休みを取った』って、めちゃくちゃデレてました」
「そっか。良かった。でも、どうして今日は休憩室にいてくれたんだ?」
山藤はしばらく黙り、そして、
「謝りに来たんです。あの2人が、わざわざ資料館まで」
「あの2人?」
「上野さんて人と、その彼氏の雅弥君が」
「え?いつ?」
「今朝。もう3ヶ月も無視され続けてる、って店であまりにも泣くから、いたたまれなくなって、誤解を解きに来ました…って」
山藤が、優しい眼差しで、外村を見た。
「本当にごめん。先に、泊まりに来る奴らがいること、ちゃんと話しておけば、こんなに紬を傷付けることもなかったのに…」
外村が、申し訳なさそうに呟く。
「僕もごめん。ちゃんと話も聞かずに、ずっと避けてて」
「俺、マジでヘコんでて。食事もろくに出来ないし、眠れなくもなって…。3ヶ月で6kg痩せた」
「僕も…。まさか、あんなにショック受けると思ってなくて、自分でも驚いてた」
「紬、俺とやり直してくれる?今度は、もっとちゃんと大事にする」
「どうしようかな…」
「頼む!紬がいないと、何をしてても心に穴が開いてるみたいで、ずっと上の空なんだよ」
「たらし文句はちゃんと出るのに、何で文章は上手く書けないんでしょうね」
「誤魔化さないでくれよ」
「外国人の片言みたいな手紙だったね」
クスクスと、山藤が笑う。
「いい?このまま、アパートに連れ込んでも」
外村の質問に、山藤は少し考え込むようにしてから、
「…うん…」
と、か細い声で返事をしたのだった。
アパートに入り、鍵を掛けると同時に、山藤へと抱き付く。
「紬…好きだ」
「ちょっ…!先に資料館の鍵を…」
「無理」
ベルトに手が掛かり、ズボンの中に手が入り込む。
「や…!外村さ…」
容赦なく、上下に扱く。
背後から、唇で耳を挟まれ、
「俺の手でイッて…。紬…」
囁きが、体の芯に響く。
「ダメ…っ…」
体に力が入らない。こんな所で、ダメだって思うのに…。スーツだって、汚れ…
山藤の思考は、外村から与えられる快感によって打ち消される。
「あ...!」
外村の手の中で迸り、その手を外村がペロリと舐めたかと思うと、次に山藤を抱き抱えて歩き出した。
「やっ…何!?」
「もっと上から順番に、ちゃんと味わいたい。紬がここにいるって、思いっきり感じたい」
そしてそのまま寝室へと連れ込まれたのだった。
「で?鍵は?」
翌日、出勤して来た山藤に、若杉が尋ねた。
「それが、その…。持ち帰って来るのを忘れてしまって…。すみません」
若杉が、事務所のデスクに腰掛け、パソコンを開く。
「顔が赤いぞ」
表情を変えることなく若杉が言うと、山藤の顔がより赤くなって行く。
「今さら恥ずかしがることなのか?」
パソコンから目を反らさずに、若杉が突っ込みを入れた。
「僕、今まで本気で恋愛をしたことないんです。いつも、その場限りって言うか」
「上野が言ってたよ。『山藤って、狙った女子は必ず落とせるって、有名な奴だよな?たらしの外村に落とされたのか?』って」
「そうなんですね…。情けないですよね。たらしが、たらしに落とされるなんて」
それでも、山藤はどこか嬉しそうに見えた。
「2人が幸せなら、それでいいだろ」
「え?」
「幸せそうだよ。今の山藤」
若杉が、笑顔になる。
「藍翔さん…」
そこに、
「先輩!」
と、突然朝日がやって来た。
「何だ、急に。仕事中だぞ?」
「あの!第3日曜日、市の急患センターで看護師として働きませんか?今、人手が足りないみたいで」
「は?」
「先輩、看護師の資格持ってるし。さっき、消防署で『誰か知り合い、いないか』って言われて。市の管轄なので、副業にはならないみたいです」
「でも、現場なんて、実習以外では経験したことない…」
「そんなの、慣れですよ、慣れ!じゃあ、返事しておきますね!」
「おい!」
若杉の言葉も聞かず、事務室を出て行った。
「第3日曜日まで仕事をするとなると、今まで以上に会う時間が減るんじゃ…?」
山藤が、呆れたように、若杉に尋ねた。
「あいつのことだから、何か企んでるとしか思えない」
「何をですか?」
「さあ。そのうち分かるだろ」
そして、パソコンを打ち込み始める。
「何て言うか…藍翔さんて、やっぱり大人ですね。それに、1つ1つ掛けてくれる言葉に重みがあるし。だから、好きになったんだった、って思い出しました」
山藤からの、サラリとした告白。そして続ける。
「それを知った外村さんが、僕が藍翔さんに本気になる前に、僕を落としてやる、って。最初は、お互いに駆け引きみたいな感じで始まったんです」
「まあ、上野にも言ったけど、最初に落ちたのは、外村の方なんだろ」
「え?」
「落としてやる、なんて、単なる強がりにしか思えない」
「さすが藍翔さん。本当に、人を見る目には長けてますね。しかも、僕からの告白も完全スルーだし。あの時のキスのことも、本当は分かってたくせに、うまくかわしたんですよね?まあ、そういうところがいいんですけど」
山藤が、吹っ切れたような笑顔を見せたのだった。
外村が、いつも通り、お昼休みに歴史資料館へとやって来た。
「あれ?若杉は?」
外村がたずねると、
「朝日さんと外で愛妻弁当食べてます」
と、山藤が答えた。
「相変わらず、ラブラブだな」
「はい」
「俺も作って来た」
「何をですか?」
「愛妻おにぎり」
「え?」
「弁当は作れないけど、おにぎりぐらいなら、と思って」
外村が、目の前におにぎりを出す。
「形が、いびつですね…」
「でも、愛情たっぷりだぞ」
「ありがとうございます」
それを両手で受け取ろうとして、その手を強く握られる。
「今度の月曜日、休み取ったんだ。泊まりで、どこか出掛けないか?」
「どこに?」
「本気で紬を好きになって、思ったことがある」
「何ですか?」
「自分が紬とのことで、こんなにも悩んで、辛くて苦しくて仕方ない思いを経験して、今まで遊びで傷付けてきた人たちに謝罪したいって思ったんだ。だから、どこか有名な神社かどこかに行って、懺悔と、そして、紬とのこれからのことをお願いしに行きたいと思ってるんだけど、どう?」
山藤が、黙って外村の話に耳を傾けていたかと思うと、
「とてもいい案だと思います。僕も同じ想いを抱えてました」
と、柔らかい表情を浮かべた。
「じゃあ、決まりな。そのあと、温泉旅館にでも泊まって、ゆっくりしよう」
おにぎりごと山藤の手を引き、唇を寄せて行く。
「そういうことは、帰ってからにしろ」
若杉の声が届き、2人して硬直する。
「若杉…何で?」
「雨が降って来たんだよ」
そう言って、ソファへと腰掛けた。
「先輩!続きしましょう」
朝日も一緒にやって来て、ソファへと腰掛けると、テーブルの上に弁当を広げ直す。
「続き…?」
外村と山藤が、思わず口をそろえる。
「はい!あーん」
朝日が、唐揚げを箸で掴み、若杉の口元へと持って来る。
「ここではやめろ!」
若杉が朝日に注意する。
「うわーっ。やっぱ、俺たち、まだまだだな」
言いながら、外村が山藤の肩を抱き、自分の方へと寄せる。
「そんなにラブラブなのに、藍翔さんのこと第3日曜に急患センターで勤務させて大丈夫なんですか?会う時間、減りますよ」
山藤が不思議そうに朝日に問いかけた。
「分かってないな。急患センターから救急車の要請がかかることって、多いんだよ。そこにナースの藍翔先輩がいてくれたら、最高だろ?そこから、救急車を見送ってくれるっていう特典付きだし。しかも、日曜日に仕事になる分、平日の、ここの勤務の休みが増えるんだよ。不規則な勤務の俺と休みが合いやすくなると言う作戦だ!」
朝日が勝ち誇ったように山藤へと説明する。
「うわーっ。動機が不純すぎて呆れますね」
「そこまでして、一緒にいたいのか?」
外村が聞くと、
「いたいです!」
と、朝日は即答した。
「まあ、本当は、看護師の仕事の方に、最近少しずつ興味を持ち始めた俺のために声を掛けてくれたんだろうけど…」
若杉が、フォローを入れる。
「先輩に、ここを辞めて欲しくなくて。2人の思い出の場所だし、お昼休みに会えなくなるから」
「辞めなくたって、いつか異動にはなるだろ」
外村の指摘に、朝日が口をつぐんだ。
「まあ、そうなった時に考えればいいことだろ?」
若杉が、しょげてしまった朝日を元気付けるかのように言うと、
「そうだ。お前たちも一緒に温泉旅行を兼ねた神社参拝ツアーに行くか?」
外村が声を弾ませながら、2人を誘う。
「温泉旅行!?」
朝日が食い付く。
「今度、紬と2人で行こうって話してて」
「旅館、別にしてくれるなら、行きます!」
「は!?何でわざわざ別にするんだよ」
「先輩の裸は、誰にも見せたくないので」
「俺はもう何回も見てるし、今さらだろ」
「何回も!?先輩、どういうことですか!?2人に体の関係は、なかったって…」
朝日がムキになって、若杉の両肩を勢い良く掴んだ。
「外村とは小中高が一緒なんだから、宿泊学習とか集団で風呂に入ったりするだろ!」
「あ、それと、紬の奴、この前脚立から落ちて脳しんとう起こした時に、若杉にキスしてたな」
外村が意地悪な笑みを浮かべた。
「は!?何で?」
「意識がもうろうとしてて、人違いで。少し唇が当たってしまって。めちゃくちゃ柔くてビックリしました」
言いながら、山藤が片方の拳を手に当て、笑いを堪える。
「嘘だろ!!先輩、何で隠してたんですか!?」
「お前ら…!朝日をからかうな!!」
「いや、2人のやり取りが面白すぎて」
外村が笑う。
「先輩!今日、帰ったら覚悟して下さい!!絶対に寝かせませんからね!!」
「ほら見ろ!こんな時ばっかり2人して息を合わせるんじゃない!」
若杉が、幸せそうに寄り添い合って立っている外村と山藤に向かって、注意する。
「いや、若杉の焦る顔を見られるの、こういう時しかないからさ。悪かったよ」
外村が笑いながら言うと、山藤も嬉しそうに笑ったのだった。
「朝日の奴、嫉妬を若杉に向けるって、めちゃくちゃ純粋だな。普通だったら、俺や紬が怒りの対象になると思わないか?」
外村が、左手で山藤の手を強く握り、右手でハンドルを持って運転をする。
「本当に無垢って言うか一途って言うか…。健気すぎて、見てるこっちまで気持ちがホッコリするし、幸せになりますね」
「俺も今、かなり幸せだけど?」
外村が、口の端を上げて、チラリと山藤の方を見ると、山藤は口元を綻ばせて、恥ずかしそうに俯いた。
「俺のアパートに着いたら、温泉旅行の計画、立てようか」
「はい」
「まず、やることやってから…だけど」
「やること?」
「決まってるだろ?今日も泊まって行けよ。また別の動画見て、ちゃんと勉強しといたから」
「…何か、やっぱり少し変態交ざってますよね…」
「それ、俺にとっちゃ、めちゃくちゃ褒め言葉だからな」
山藤の手の甲を口元へと持って来ると、外村が優しく唇を押し当てた。
「紬、マジで大好き。お前さ、いつもいい匂いするけど、手もめっちゃいい匂いするんだな。何か俺、匂いだけで、もうヤバいかも」
外村が言うと、山藤は、運転する外村の頬へと、そっと口付けた。
「え?嘘だろ…。紬の方からそんなことしてくれるなんて、すげぇ嬉しすぎるんだけど」
外村のテンションが一気に上がったのが、山藤にも伝わってくる。
「僕も、外村さんの匂い、すごく好きです」
「匂いだけ?」
「…いえ。外村さんのことも、ちゃんと…」
そして2人は照れたように俯きながら、アパートへと向かう車の中で笑顔を見せ合うと、繋いでいた手をより強く、そして固く握り締め合ったのだった。〈完〉
市の公務員として就職が決まった山藤紬は、市の施設である歴史資料館へと配属されてから、半年が過ぎようとしていた。
イベントが近付き、支配人である若杉藍翔と、期間限定で飾る写真の額などを倉庫から運び、展示するという業務に追われていた。
「山藤。新しい脚立、事務室に置いてあるから、そっち使えよ。倉庫のは壊れてるから」
若杉が、2階へと向かう山藤に向かって言った。
「分かりました」
そして、山藤は脚立を持って2階へと上がる。
そこに、
「準備は順調か?」
と、若杉の同期の建設課所属である外村駿がやって来た。
「あ、ちょうど今、山藤が2階の展示場の準備を始めるところで。手伝ってもらえると助かる」
「了解。いつも言ってるけど、手伝ってほしい時は遠慮せずに連絡して来い」
外村が、若杉の肩に手を置く。
「仕事、忙しいだろうな、と思って」
「お前のためなら、どんなに忙しくたって手伝いに来るよ。とりあえず2階だな」
「ああ。頼む」
そして、外村は2階へと移動した。
ガチャン!と激しい音が響き渡った。
階段を駆け上がると、山藤が脚立の下敷きになって倒れていた。
「おい!」
外村が山藤へと駆け寄って、体を支える。
「山藤!大丈夫か?」
そこに若杉が慌ててやって来た。
「山藤!」
若杉が名前を呼びながら山藤の頬を軽く叩くと、目を開いた。
「大丈夫か?指先、見えるか?」
若杉が右手の人指し指を立て、山藤の目の前に持って来る。それをゆっくりと左右にずらして行く。
「はい…」
「良かった。軽い脳しんとうだな。脚立、事務室のを持ってけって言っただろ。倉庫のは壊れてるって」
「すみません」
「外村、悪いけど山藤を下の休憩室まで運んでくれるか?ソファで少し寝かしておいてくれ」
「ああ。分かった」
外村が山藤をすぐに抱き抱える。
「自分で歩けますから」
「ふらついて階段踏み外されても困るから、黙ってろ。若杉は看護師資格持ってんだから言うこと聞いとけ」
外村は、山藤を抱き抱えながら、軽々と階段を下りて行ったのだった。
ソファで横になっていると、いつの間にか眠ってしまっていたらしく、ブラインドを降ろす音でフッと目が覚めた。それに気付いた上司の若杉が、
「大丈夫か?」
と、声を掛けた。
「あ...、はい。すみません。眠ってしまったみたいで」
「別に。今日は予約が入ってたワケじゃないし、イベントの準備は外村が手伝ってくれたから。今日は先に帰っていいぞ」
「いえ。戸締まり手伝います」
「いいから。ゴールデンウィークもシルバーウイークも、ツアーの団体客の受け入れでかなり忙しかったし、そのあとも学校の訪問が立て続けで疲れてるだろ?ゆっくり休め」
「でもそれは藍翔さんも同じでしょ?」
体を起こし、ソファへと腰掛ける。
「俺は慣れてるから。まだ勤務して半年なんだし、無理しなくていい」
そして、若杉が、館内全てのブラインドを降ろし始める。夕焼けに照らし出される、若杉のシルエットが、山藤へと届く。
山藤が立ち上がろうとして、少しふらついた。
ドサッ、と再びソファに座り込む。
「大丈夫か?」
若杉がゆっくり近寄り、膝を付いて山藤を見上げた。
「すみません。ちょっと立ちくらみがして…」
「落ち着くまで、少し座ってろ」
綺麗な顔立ちに、白い肌。夕日が当たり、より妖艶に見えた。山藤は、その若杉の顔を両手で包み込むと、思わず頬に口付けた。その瞬間、お互いの唇の端が、少しだけ重なった。
何て柔らかくて、あったかいんだ…
山藤は、その感触に一瞬で魅了された。
「すみません」
そして若杉へと抱き付き、肩へと顔を埋める。
「まだ意識がはっきりしないのか?」
「みたいです…。すみません」
そして山藤は、溢れる涙を若杉の肩へと染み込ませて行ったのだった。
そこに、突然休憩室の扉が開き、
「何やってんだ?」
と、外村が驚いたように声を出した。
「山藤が、まだふらついてて調子悪いみたいで。外村、車だよな?山藤のこと家まで送って行ってくれないか?」
「ああ。まあ、いいけど…。抱き合ってたように見えたから、ビックリした」
「そんなワケないでしょ。立ち上がろうとして、ふらついただけですよ」
言いながら、山藤が若杉から手を離す。
「お前は?あいつ、しばらく復興支援で県外に行ってるから迎えに来ないんだろ?一緒に乗って帰るか?」
外村が、若杉へと声を掛けた。
「いや、俺はいい。近いし歩いて帰る。山藤、辛そうだし、もう帰っていいから」
「そっか。分かった。じゃあ、行くか」
そして若杉は2人に背を向けると、また館内の戸締まりをし始めたのだった。
職員専用の駐車場に停めてある車へと向かう道中、
「本当に、ふらついただけか?」
と、外村が山藤へと尋ねた。
「どうしてですか?」
「いや、泣きながら若杉を抱き締めてるように見えたから」
外村が言うと、山藤は否定も肯定もせずに黙り込んでしまった。
「山藤?まさか、お前、本気で…」
「僕、夕日に映し出された藍翔さんがあまりにも綺麗で、つい頬にキスしてしまいました」
外村が思わず足を止める。
「お前、何してんだよ。そんなことして、ただで済むと思ってんのか?」
「思ってませんよ。でも、藍翔さんは、僕がまだ意識が朦朧としてたせいで誰かと勘違いしたと思ってるみたいです。かなり平然としてたので」
「それにしたってキスはヤバいだろ。いくら頬にだったとしても、朝日には絶対に言うなよ」
「分かってますよ。そんなこと」
そう。十分、分かってる…。大学時代、バイト先が一緒だった先輩の朝日さんと藍翔さんが、男同士だけど結婚前提で付き合ってることも、ものすごくお互いを想い合ってることも。
「若杉のこと、好きなのか?」
「分かりません。でも、藍翔さん、しっかりしてそうなのに、結構抜けてて。そういう所もすごくかわいいな、って思うし、ずっと憧れてた朝日さんが好きになった人がどんな人なのか、どんどん興味が湧いて。どんな仕草もめちゃくちゃ綺麗だし、言葉数は少ないけど、いろいろ気遣ってくれたり、すごく優しくて。藍翔さんのことが気になってる自分がいるのは確かです」
「マジか…」
「でも、今ならまだ引き返せるんです。本気になる前に、身を引かなきゃ…って」
「よし!分かった。今度の土曜の夜、空けとけ。飲みに行くぞ」
と、元気付けるかのように山藤の肩に手を置いて、外村が言ったのだった。
そして土曜日の夜のことだった。
「まさか、入社してすぐに若杉を落とそうとしてたなんて、知らなかったよ」
「2人が別れたら、朝日さんがまた僕の相談に乗ってくれたり遊んでくれるようになるんじゃないか、って。あの2人が付き合い出してから、朝日さん、僕の誘いを全部断り出したのが寂しくて。最初はそんな軽い気持ちで藍翔さんにアプローチかけたんですけど、見事に失敗に終わりました」
「よりによって若杉って。俺も高校の頃からずっと好きで、まだ少し未練あんのに。あいつ、本当に恋愛に対して冷静って言うか、感情を出さないだろ?だから尚更こっちは傷付くんだよな」
「藍翔さんの笑顔が見られるのは、朝日さんの話をしている時と、朝日さんが側にいる時だけなんです。あの人の笑顔を引き出せるのは朝日さんだけって分かってるのに、それでもどうしても気になって、目で追ってしまうんです...」
山藤が辛そうにため息を吐き、両手で顔を覆う。
「分かった。じゃあ、俺がその辛さから開放してやるよ」
「え?」
「俺がお前を落としてやる」
「は?」
「俺のことを好きになれ」
「冗談じゃない。この僕が、人たらしにたらされるなんてこと、絶対にあり得ないんで。そもそも、まだ藍翔さんに未練あるんですよね?」
「あるけど、そこはもう割り切ってるからな」
「割り切る?」
「絶対に好きにはなってもらえない、ってさ」
「悪いけど、僕も外村さんのこと、好きにはなりませんから」
「どうかな…。俺たち、意外と合うと思うけど?」
「何を根拠に」
「とりあえず、お前を落とすことに決めたから。たらし同士、頑張ろうぜ」
「分かりました。受けて立ちますよ。僕だって、人をたらすことはあっても、たらされることはないって自信はあるので」
「じゃあ、決まりな。今から容赦なく攻めるからな。とりあえず連絡先交換しようぜ」
外村が、スマホを取り出した。
その翌日から、お昼休みに外村が歴史資料館にやって来るようになった。
1人で休憩室にいた山藤に、
「山藤、今度この映画観に行かないか?」
と、声を掛ける。
「行きません」
「は!?どの映画か言ってもないのに、即答?」
「はい。他の人を誘って下さい」
「俺は山藤と行きたいんだよ」
「さっき藍翔さんから聞き出しましたけど、外村さん、今、付き合ってる人いるんですよね?」
「今はいない。昨日別れたから」
「昨日?」
「二股は主義じゃないからな」
そこにコンビニでお昼ご飯を買って戻って来た若杉が、休憩室に入って来た。
「外村?何してんだ?」
「いや。ちょっと山藤に用事があって」
「ふぅん」
そして若杉はソファに腰掛け、テーブルにコンビニの袋を置くと、
「二股は主義じゃないなんて、初めて知ったよ」
嫌味っぽく言った。
「聞こえてたのか?」
外村は分が悪そうに呟き、
「あれは二股じゃなかっただろ?お前があんまりにも俺の相手をしてくれないから、つい…」
「確かに。あれは二股じゃなくて、浮気だったな」
若杉が冷静な口調で言うと、コンビニのおにぎりを口に運んだ。
「浮気?」
山藤が驚いたように外村に尋ねた。
「隠しとくのもアレだから話すけど、俺と若杉、高校の頃、付き合ってたんだ。その、俺からの猛アタックで」
山藤は真実に驚きを隠せなかった。
「え!?嘘ですよね?朝日さんは、その事知ってるんですか?」
山藤が若杉に聞いた。
「知ってる」
平然と表情1つ変えずに、若杉が答える。
「え…と、あまりにもの強烈な展開に付いて行けないんですけど」
「付き合ってたって言っても、若杉、こんな感じだから、イチャイチャってワケでもなかったけど」
「で、外村が、言い寄って来た他の男子生徒に手を出したから、別れた」
若杉の言葉に、
「最低ですね」
と、山藤が反応し、冷めた目で外村を見た。
「寂しかったんだよ」
「そんなの言い訳になるか。目の前で浮気の現場を目撃した俺の身にもなれ」
「それって、少しは本気で俺のこと好きだったってこと?」
外村が嬉しそうに若杉へと尋ねた。
若杉は考え込むように黙ると、
「いや。ただ裏切られたのが不快だったのと、軽蔑してただけだろ」
若杉は感情を全く表に出すことなく言うと、表情を変えずに再びおにぎりを口に運ぶ。
「それはそれで、ひどくないか?」
外村が突っ込みを入れて、笑った。
「朝日さん、それを知ってどう思ったんでしょう?あんなにも藍翔さんのこと想ってるなら、ショックだったんじゃ…」
山藤が小さな声で呟いた。
「まあ、付き合ってたって事実を知ってるだけで、別に詳しくは話してないからな」
若杉が言うと、若杉のスマホから着信音が鳴り出した。
「噂をすれば…か?」
外村がニヤリと、口の端を上げた。
スマホの画面をスライドさせ、電話に出た。
「ん?コンビニのおにぎり食べてる。…分かってるって。夜はちゃんと自分で作って食べる」
若杉が電話をしながら休憩室を出て行く。
「体の心配ですかね?復興支援のメドも立たないし、朝日さん、いつこっちに帰って来られるか分からないんですもんね」
「そんな感じだな。若杉、料理なんて全然しなかったのに。あんなに冷静沈着な若杉を射止めて付き合えてる朝日って、何か、めちゃくちゃすげぇ奴に思える」
「確かに。でも、藍翔さん彼女いたんですよね?」
「まあ、仕事もできるし顔もいいし?女性からもモテてたからな。ただ、かなり美少女系の綺麗な容姿だろ?男から言い寄られる事も多かったから、彼女がいると何かと都合良かったんだろ」
「なるほど」
外村の言葉に、山藤は妙に納得してしまったのだった。
「ってことで、今度の日曜の夜、映画行こうな。これ、予約したチケット」
外村が、強引に山藤へと映画のチケットを渡したのだった。
日曜日の山藤の仕事終わり、外村が車で歴史資料館の駐車場まで迎えに来ていた。
「外村さん、土日祝日が休みなのに、わざわざ日曜の夜に映画って」
山藤が外村の車に乗り込み、呆れたように言うと、
「紬の勤務に合わせたんだよ。毎週月曜が休館日だろ?時間を気にせず、気兼ねなく過ごして欲しくて」
「そっちは明日から1週間、仕事でしょ?疲れるんじゃ…」
「紬に会えるなら、そんなこと気にならないよ」
「うわっ!出た!たらし文句」
「いや!口説き文句だろ」
「たらしに口説かれても真実味が薄っぺら過ぎて、逆に笑えます」
「それ、ひどすぎるだろ」
2人は笑い合いながら、映画館へと向かったのだった。
日曜の夜の映画館は空いていて、2人はくつろぎながら、ゆっくりと映画を堪能した。そして再び車に乗り込むと、
「腹減ってない?どっか寄るけど」
と、外村が気遣う。
「そうですね。まだ夕飯食べてないし。外村さんは?」
「俺も食べてない。何がいい?」
「定食屋さんに行きたいです。最近、疲れて料理する気にならなくて、出来合いの物ばかり食べてるんで」
「へぇ。料理するのか?」
「朝日さんと一緒に定食屋でバイトしてたので。だから、僕も朝日さんも料理得意なんです」
車が走り出す。
「1回、紬の手料理、食べてみたい。来週の日曜、作りに来てよ」
「は!?嫌ですよ」
「何でだよ!」
「面倒くさいじゃないですか。人のために作るとか」
「俺のために作るんだよ」
「だったら余計に面倒くさいです」
「おい!」
山藤が笑う。そして外村も笑顔を見せたのだった。
「じゃ、また来週の日曜、迎えに行くから」
言いながら、外村が山藤の自宅の前に車を停車させる。
「まさか毎週会うつもりじゃないですよね?」
「え?そのつもりだけど?」
「何のために?」
「俺が紬に会いたいから」
外村の手が、山藤の手の上に重なったかと思うと、山藤が大きなため息を吐いた。
「無理しなくていいですよ?」
「無理?」
「僕のこと落とすとか落とさないとか、もうどうでもいいんで。もう大丈夫ですから。あの時は疲れ過ぎてて、本当にどうかしてたんです」
「若杉のこと?」
「はい。もうあんな事は2度としません」
「あんな事って、キス?」
「そうです。じゃあ、おやすみなさい」
言って、車を降りようと扉を開く。
「おやすみ。また来週の日曜日な」
外村が笑顔を見せると、山藤は再び大きなため息を吐いたのだった。
そして、次の日曜日の仕事終わり、外村がまた駐車場で山藤を待っていた。
「お疲れ」
山藤の姿を見て、車を降りる。
「そのうち藍翔さんにバレますよ?」
「別に俺はいいけど?そっちが嫌なだけだろ?」
外村の言葉に、山藤が口をつぐんだ。
「とりあえず乗れよ。買い出し行くだろ?」
「本気で言ってるんですか?」
「当たり前だろ。夕飯、何作ってくれる?」
外村が嬉しそうに笑ったのだった。
それから山藤は、毎週日曜に必ず外村のアパートに行くようになり、手料理を振る舞うのが習慣になった。外村はいつも美味しそうに山藤の料理を食べ、片付けや洗い物などは必ず外村がしてくれていた。そんな日々が続き3ヶ月が過ぎた頃のことだった。
「紬、第3日曜だけは休館日で休みだろ?今度、その前日の土曜日の夜に、2人でどこか出掛けないか?」
外村が洗い物をしながら、キッチンテーブルに座ってコーヒーを飲んでいる山藤に声を掛けた。
「え?」
「たまにはさ、泊まりで遠出したいな、と思って」
「どこに?」
「どこでもいい。紬の行きたいところで」
「…考えておきます」
山藤が言うと、外村が嬉しそうに笑顔を見せ、
「ヤバい。めっちゃ楽しみなんだけど」
と、独り言のように呟いたのだった。
「結局かよ」
外村がガッカリしたように肩を落とした。
山藤は、
「行きたいところもないし、土曜の夜に会うのはやめておきます」
と言い張り、その日はいつも通り、仕事帰りの日曜に外村のアパートへとやって来て、料理を作り始めた。
「何で行かないんだよ」
「別に一緒に遠出する理由もないので」
「うわっ。冷たっ!」
外村の言葉に反応する事もせず、黙々とキッチンで下準備をする。
「僕じゃなくても、一緒に遊びに行く人なんてたくさんいるでしょ?」
外村は、そんな山藤の背後に立つと、体を密着させ、抱き付いた。
「いないよ。他の奴と遊びに行くよりも、紬といる時間を大事にしたい」
「ちょっと!危ないだろ」
山藤が包丁を持ったまま、顔だけを横に向けて外村を注意した。
「土曜に一緒に遠出できないんなら、せめて今日は泊まってけよ」
「は!?何言って…」
「もう気付いてんだろ?俺がお前に本気になってること」
「気付いてません」
「好きじゃなきゃ、こんなに一生懸命にならないだろ」
「まさか、僕のこと、落とせたと思ってるんですか?」
「そんなこともう思ってない。紬と一緒にいると楽しいし、何よりも癒されるんだ」
「って言ってるの、僕で何人目ですか?」
いつものように軽く交わす。
「実は言うと、脚立から落ちた紬を抱き抱えた時から、めちゃくちゃ気になってた。見た目よりも華奢で柔らかくて。近くで見ると、すげぇかわいいくせに、妙に色っぽいし。『落としてやる』とか、そんな言い方しか出来なかったけど、本当は、あの日から俺のモノにしたくて仕方なかった」
「誰が信じるんですか?たらしの話なんて」
「紬。頼むから、俺の恋人になってくれ。もう誰にも触れないで欲しいし、触れさせたくない」
「いいから早く離れて下さい。夕飯の準備、出来ないじゃないですか」
「返事もらえるまで離さない」
「返事はNoです」
「それを返事とは、認めないから」
「いい加減にして下さい。からかうなら、今日はもう帰ります」
山藤は包丁をキッチンの流しに置くと、エプロンを外そうとした。その手を外村が止める。
「好きだ」
言葉と同時に、唇を奪われる。
「やめ…」
「好きだ、紬。俺、本気でお前のこと…」
山藤の頭と腰に外村の手が回り、唇がより深く重なる。唇を激しく塞がれたまま、寝室へと連れ込まれ、押し倒される。
「やめろよ!遊びでこんなことしていいと思ってんのかよ!」
「遊びじゃないし、俺、男は初めてだよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない。キスやハグぐらいはあっても、よっぽど好きじゃなきゃ、なかなか男なんて抱けないだろ」
「そんな話、信じる訳ないだろ」
「俺は、自分の弱さのせいで若杉を傷付けた。言い寄って来てた男子とキスしてたところを見られて…。その時の若杉の悲しそうな顔が、今でも忘れられないんだ。あの時、浮気なんか一生しない、って誓った。だから、お前には絶対、そんな顔はさせない。俺を信じて欲しい」
「そんな事、急に言われても…」
「いいから、黙って俺に抱かれろ」
首筋に唇が這う。Yシャツをを脱がされ、ベルトに手が掛かると、ズボンを下ろして行く。
カチャン、と何かが床に落ちる音がして、
「あ...。資料館の鍵…」
と、山藤が体を横に向けて拾おうとしたが、
「そんなの、あとでいい」
と、顔を戻され、外村が唇に激しく吸い付く。そして、ついに下半身が露になった。
「やば…。めっちゃ綺麗…」
両膝を持ち上げられ、誰にも見られたことのない部位が、丸見えになる。
「や…め…」
あまりにもの恥ずかしさに、顔を覆い、身を捩る。
「ここも綺麗な色だな」
しばらく目で堪能し、そして次に山藤の熱く硬くなりつつあるモノに、濡れた感触が訪れたかと思うと、外村が一気にそれを咥え込んだ。
「ちょっ…!いきなり何す…!?」
思わず、上半身を浮かす。
「悪い。我慢できない」
興奮しながら執拗に吸い付き、舐め上げる。外村の下半身も熱を帯びて、硬く勃ち上がっていたのだった。
「紬…。大丈夫か?痛くなかった?」
外村が息を切らし、ゆっくりと山藤の中から抜け出す。
「っ…」
山藤は、外村のモノが中から出た瞬間のヌルリとした感触に、ゾクリとした快感が全身に広がったのが分かった。その刺激でまた下半身に血流が走る感覚に襲われ、自分が、いかに外村との行為に対して快楽に陥っていたのか、気付いてしまった。
「気持ち良かったか…?」
心配そうに外村が聞くと、
「...そんなこと、聞くな…」
山藤は、恥ずかしそうに小さな声で呟いた。
「ちゃんと勉強したんだよ。BLのアダルトビデオ見て。ゴムも付けたし、ローションも準備してさ。紬に痛い思いさせたくなくて」
「変態」
「最初は、こんなの入るのかな…って思ってたけど…何だ、その…」
肩で息をしながら、山藤が外村を見る。
「思ってた以上に良過ぎて、もう紬以外となんて興奮しないだろうし、考えられない」
言いながら、山藤に抱き付くと、
「あ、そうだ。これ、合鍵な。マジでいつ来てもいいから」
「え?」
外村はベッドの脇に置いてあった小さなテーブルから、山藤へとアパートの鍵を渡した。
「これで俺のこと信じてもらえる?」
裸でベッドに横になりながら、山藤がその鍵を受け取る。
「うさんくさい」
「おい!」
外村が山藤へと抱き付き、笑い合う。
「そんなに信じてほしいんですか?」
「当たり前だろ。これで体だけの関係で、って言われたら、マジでヘコむ」
「そんなこと言いませんよ」
「じゃあ、俺と付き合ってくれる?」
山藤が黙り込む。
「そこは『はい』だろ?」
外村が、山藤へと、そっとキスをした。
「分かりました。とりあえず、お試し期間で」
「お試し期間の恋人?」
「はい」
「でも恋人なんだよな?」
「まあ、一応」
山藤が言うと、外村は、
「よっしゃ!」
と笑顔を見せ、ベッドの上で山藤を力強く抱き締めたのだった。
「じゃあな」
夜の12時を回るところで、外村は山藤を自宅まで車で送った。
「はい。おやすみなさい」
降りようとする腕を引かれ、唇が重なる。
「紬。マジで大好き」
唇が離れ、強く強く抱き締められる。
「明日、月曜で休みだろ?また火曜日の昼休みに紬に会いに行くから」
「うん…」
「俺に会いたくなったら、いつでもアパートに来いよ?」
山藤の胸が、今まで感じたことのないような暖かさに包まれた。
「外村さん、明日から仕事なのに、こんなに遅くなって大丈夫なんですか?」
「紬と会うことが俺の活力だから、全然平気」
そう言って、外村が嬉しそうに笑ったのだった。
翌朝、資料館の鍵を外村の部屋に落としたまま帰って来たことに気づいた山藤は、早起きをして、外村が仕事に行く前に鍵を返してもらおうと、アパートへと向かった。インターホンを押すと、しばらくしてバタバタと廊下を走る音がして、鍵が開く。
「朝早くにすみません。資料館の鍵を…」
そこまで言って、山藤が黙り込んだ。目の前に立っていたのは、外村ではなく、若い男だった。シャツがはだけて、キスマークらしきものが白い肌の首筋に付いているのが見えた。
「あ、駿君に用事?今、シャワー浴びてて。代わりに聞くけど」
山藤の全身が熱くなり、鼓動が早まる。
「いえ…。結構です」
掠れた声で言うと、山藤は、ゆっくりと背を向けて階段を降りて行ったのだった。
朝早くに若杉のスマホの着信音が鳴るが、月曜日で休館日と言うこともあって、まだ眠っていた。すると、次に朝日のスマホの着信音が鳴った。見ると、山藤からだった。
「もしもし?」
先に起きて朝食の準備をしていた朝日が電話に出る。
『あ...ごめん。休みの日の朝早くに。藍翔さんに掛けたんだけど、出なくて』
「まだ寝てる。何かあったのか?」
『鍵が…』
そこまで言って、山藤が黙り込む。
「鍵?」
『資料館の…鍵が…』
声が途切れる。
「紬?どうした?」
『ごめ…僕…』
山藤の震える声が、また途切れる。
「泣いてんのか?何があった?」
『朝日さ…、僕…』
「てか、今どこ?資料館の鍵をどうしたらいい?」
『今、資料…か…。今日、休館日なん…けど…明日、藍翔さ…、休みだし…』
「分かった。藍翔先輩が持ってる鍵、今から届けに行くから、そこで待ってろ」
『ごめ…なさ…』
朝日は朝食作りを途中にして、簡単に着替えを済ますと、ちょうど目を覚ました若杉が体を起こした。
「どうした?」
「今、紬から電話があって。資料館の鍵、必要みたいで。今から資料館に行って、鍵、渡してきます」
「え?でも今日は休館日だろ?」
「泣いてたし、ちょっと心配なんで、様子見て来ます」
「泣いてた?」
若杉の質問に答えることなく、朝日は慌てた様子でアパートを出て行ったのだった。
「紬!」
走ってやって来た朝日が、山藤の名前を呼ぶと、資料館の出入口に置いてあるベンチに座っていた山藤が顔を上げた。
「朝日さん…」
目が赤くなって潤んで、頬も少し赤みを帯びていた。いつもとは違う山藤の様子に、朝日は少し戸惑い、ゆっくりと近寄る。
「何があった?大丈夫か?」
山藤が立ち上がり、泣きながら朝日に抱き付いた。そんな山藤の背中を朝日は片手で優しく上下にさする。しばらくして、気持ちが落ち着いたところで、
「朝日さん…僕…」
山藤が、ことの事情を静かに話し始めたのだった。山藤が話し終わったところで、2人して横に並んでベンチに座る。
「って言うか、何でよりによって外村さんなんだよ…」
「ごめん。それと、藍翔さんには言わないで。僕、藍翔さんにまで知られて呆れられたら、もう…」
「別に呆れはしないけど」
2人の前に、若杉が現れた。
「先輩、どうして…?」
朝日が驚いて、立ち上がる。
「お前が持って行った鍵、倉庫の鍵だったから。本館の鍵を持って来たら、話が聞こえて。とりあえず中に入ろう」
山藤が、黙って俯いたのだった。
「すみません。僕が浅はかだったんです。外村さんが、どんな人か分かってたのに」
3人でソファに腰掛け、山藤は拳を両膝に置き、唇を噛み締めていた。若杉の淹れたコーヒーから、湯気がユラユラと出ては、消えて行く。
「浅はかとは違うだろ」
若杉が言う。
「え?」
「好きになってたんだろ?外村のこと」
若杉の言葉に、山藤の表情が歪んだ。
「…はい。たぶん。いつの間にか、この人を信じよう、って」
山藤の瞳から、涙が零れ出す。
「紬がそう思うくらい、外村さんが必死だったってこと?」
朝日の問いに、山藤が頷いた。
「外村本人に確認はしたのか?」
若杉の言葉に、山藤が首を横に大きく振った。
「LINEや着信は何件も入ってますけど、怖くて見てないし、出てません」
「分かった。外村に会いたくないだろうから、明日は俺が出勤する。最近、毎日昼休みに来てるし、日曜には必ず駐車場にいたから、おかしいとは思ってたんだ」
若杉がコーヒーを口に運んだ。
「でも、明日は何か予定があるんじゃ…」
「いや、特に予定は入ってない」
「先輩!明日は俺とゆっくりするために休み取ってくれたんじゃないの?俺、来週からまた復興支援の現場に行かなきゃいけないのに」
若杉が鋭い視線で朝日を見た。
「え…?何?その怖い目…」
朝日が怯んで、黙り込む。
「で、資料館の鍵は外村のアパートにあるのは間違いないんだな?」
「はい。昨日の夜に、外村さんの部屋に落としたまま、拾う前に…その…」
山藤が、言葉を濁して俯く。
「で、その時に合鍵をくれたにも関わらず、朝に取りに行って、インターホンを鳴らしたら男が出て来た…と」
「はい」
「なるほどね。まあ、山藤とその男が鉢合わせたのを外村が知ってるかどうかだな」
「LINE、確認したら?」
朝日が山藤に言うと、
「ダメだ。既読は付けるな」
若杉が止めた。
「電話にも出るな。LINEも無視しとけ」
若杉はそう言って立ち上がると、
「山藤は何も心配せず、明日はゆっくり休め」
「はい。ありがとうございます」
そして、3人は資料館を出た。
「先輩?何か怒ってます?」
朝日が、早足で歩く若杉に、必死に追い付こうとする。
「別に」
「絶対、怒ってますよね?だって、いつもは必ず手を繋いでアパートまで帰ってくれるのに、今日は繋いでくれないし」
「たまにはそういう日もあっていいだろ」
「ダメです!手を繋いで帰るのは、俺たちの愛の証ですから!」
朝日の言葉を無視して、若杉は黙ったままアパートへと向かって歩き続ける。
「先輩、もしかして、外村さんと紬のこと、ショックだったんですか?」
言って、朝日が立ち止まる。
若杉の足も自然と止まった。
「は!?」
「だって、紬の話を聞いてから様子が変だから。まさか、先輩、まだ外村さんのこと吹っ切れてないんじゃ…」
朝日はそこまで言うと、口を閉ざして俯いた。
「何でそうなるんだよ」
「だって、手、繋いでくれないし、さっきもすごい睨まれたし…。どう考えてもイラついてるとしか思えません。明日の休みだって、2人でゆっくりしようって約束してたのに」
朝日が肩を落として、足を引きずるようにして、ゆっくりと若杉の横を通り過ぎる。
「だから、違うって!お前が、その…、抱き締めてたから…」
若杉が、朝日の背中に向かって、めずらしく声を張り上げた。
朝日が、若杉の方へと振り返る。
「山藤のこと…」
今度は、若杉が俯く。
そして、しばらくの沈黙が続く。
「え!え!?先輩、今、何て?」
「いい!」
「良くない!待って!それって…」
「早く帰るぞ」
「俺、抱き締めてないです!あまりにも泣いてたから、落ち着かせるために背中さすってただけで」
若杉の腕を引き寄せ、思いっきり抱き締める。
「朝日…苦し…」
「抱き締めるって、こう言うことですよ。苦しくて、痛いでしょ?」
朝日の腕に、より力がこもる。
「分かったから」
「先輩のやきもち、めっちゃ嬉しいです!」
「だから言いたくなかったんだよ」
「この胸も腕の中も、俺の全部、先輩だけのモノですから!」
「もう分かったから!離れろ!」
「アパートに戻ったら、今日はイチャイチャのベタベタでずっと先輩にくっついてます!」
「だから離れろって!」
若杉は、朝日の胸の中で、必死にもがいたのだった。
その日の夜、ベッドに入ったものの、なかなか寝付けずにいた山藤は、ずっと天井を見つめていた。そして、自然と涙が次から次へと溢れ出す。
「バチが当たったんだ。今まで、自分が女性に対してしてきたことが、こんな形で返って来るなんて…」
呟いて、袖口で涙を拭う。
「遊びでしか恋愛を楽しめなかったなんて、本当に勝手すぎるよな」
山藤は、初めて胸が締め付けられる感覚に襲われた。息も出来ないくらいに、喉の奥が痛くて苦くて、苦しかった。
「遊ばれる、って、こんなにも辛かったんだ…」
そしてうつ伏せになると、枕へと顔を埋め、涙を染み込ませて行ったのだった。
外村もまた、山藤と連絡が取れず、誤解されたままでいることに酷く傷付き、落ち込んでいた。全く身動きが取れずに深く考え込んでしまい、
「もし、このまま会ってもらえなくなったらどうしたらいいんだ…?俺が今までいろんな奴にして来たことのツケが、きっと回って来たんだろうな...」
そしてため息を吐き、ベッドに仰向けになりながら、両手で顔を覆った。
「好きな奴と連絡が取れないだけで、こんなにも苦しいなんて、マジで知らなかった…」
目に涙が溜まり、頬へとこぼれて行く。
2人は、互いに、離れた場所で、眠れない夜を過ごしたのだった。
翌日の火曜日のお昼休みのことだった。外村が資料館の休憩室へとやって来た。
「あれ?今日、山藤は?」
唐突に、若杉へと尋ねる。
「休みだけど、何か用か?」
若杉がソファに座る。
「いや…」
外村が、テーブルを挟んで、若杉と向かい合ってソファに腰掛けた。
「寝てないのか?目の下にクマが出来てるぞ」
若杉の問いに、
「ああ。ちょっとな」
外村が答え、片手で顔を覆う。
「山藤、資料館の鍵を失くしたらしくて。月曜の朝に急に電話が掛かってきた。出られなくて、朝日に掛かってきて」
「え?」
外村が顔を上げた。
そこに、
「先輩!弁当持って来ました!一緒に…」
朝日が、若杉のために作った愛妻弁当を持ってやって来た。
「朝日…。戻って来てたのか」
外村が言うと、
「交替で、また行きますけど」
と、強い口調で答える。
「そうか。遠距離恋愛は辛いだろ」
「遠距離結婚です」
朝日がムキになって訂正した。
「相変わらずラブラブだな」
外村が力なく笑う。その瞬間、朝日の我慢が限界を向かえた。
「外村さん、紬は俺の大事な後輩です。傷付けたこと、絶対に許しませんから!」
「朝日!」
若杉が止めに入る。
「山藤から聞いたのか?だいたい、そんな意味深なセリフ、若杉に誤解されるぞ」
「大丈夫です。俺、めっちゃ先輩のこと大事にしてますし、先輩のことを泣かせるようなことはこれからも絶対にしないし、今までもしてませんから。だから誤解なんかされません。されたとしても、ちゃんと2人で解決します」
「朝日…」
「紬、泣きながら俺に電話してきたの、初めてなんです。だから、紬のこと好きじゃないなら、これ以上あいつに構わないで下さい」
「それは無理だ」
そう言って、外村が黙り込んだ。
「山藤のこと、本気で好きなのか?外村にしては、めずらしく躍起になりすぎてる気がして。毎日、お昼休みにここに来たり、日曜の夜は必ず迎えに来てただろ?」
若杉が聞く。
「そうだよ!初めて本気で手に入れたいって思った奴なんだ。でも、どうやったら信じてもらえるのかが分からなくて。LINEも既読にならないし、電話にも出ないし。インスタだって、フォローバックしてくれなくて。あいつ、家族と住んでるから家に押し掛けるワケにもいかないだろ?今日こそは会えると思って来たのに」
「今まで遊んで来たツケが回って来たんだろ」
若杉が容赦なく核心を突いた。
「きっつ…!分かってんだよ、そんなことは!だけど、あれは誤解なんだ。若杉も知ってるだろ?同級生の上野が駅前で夜に店やってること」
「ああ。お前に何回か連れてってもらったからな」
「え!?先輩、まさか2人きりでってことじゃないですよね?」
即座に絡んで来た朝日を、
「同級生がやってる店なんだから、2人きりってことにはならないだろ」
と、ため息を吐きながら、若杉がすぐに落ち着かせた。
「月曜の朝に玄関に出たの、上野の店でバイトしてる奴で、上野の彼氏なんだ。あいつら、雨とか雪がひどいと家に帰らずに2人して俺ん家に泊まるんだよ。俺のアパート、あいつの店から目と鼻の先だし。帰るのが大変だとか何とか言って。あの日も、雨風がひどいから泊めてくれって、夜中の1時くらいに来て」
「でも、キスマーク付いてたって…」
朝日が、つい口を滑らした。
「上野とヤッてたんだろ。俺は本当に1人で寝室で寝てたし、仕事行く前にシャワー浴びてたところに、たまたま紬が来て…」
「で、誤解されたと?」
「俺、あの日、あいつらに言ったんだよ。恋人が出来て、合鍵も渡したから、もう来ないでくれ、って。それなのに…」
外村が、両手で顔を覆って俯く。
「まあ、誠意を見せてくしかないな」
若杉が冷静に言った。
「どうやって?」
「ん?それは…」
若杉が、朝日の方をチラッと見た。
「とにかく、信じてもらえるまで頑張るしかないですね。俺だって、誠実さだけで勝負してたのに、藍翔先輩と付き合えるまでに4年以上かかってますから」
「まあ、そういうことだ。本気で手に入れたいなら、努力しろ。まだまだ甘すぎるんだよ。だいたい理由がどうあれ、男と鉢合わせた山藤の方が何倍も辛かっただろうし。お前も少しは痛い目に合えばいいんだよ」
「そうですよ!今日、本当は藍翔先輩、休み取ってくれてたのに。外村さんのせいで、わざわざ紬に休みを譲って、休み返上したんですからね!俺、マジで腹立ってますから!俺たちまで巻き込まないで下さいよ」
若杉と朝日が、落ち込む外村をより撃沈させたのだった。
そして、3ヶ月後の火曜日のことだった。
「若杉、どうしたらいい?避けられ続けて、もう3ヶ月だぞ?昼休みだって、いつも自宅に帰ってていないし、土曜も日曜も、毎週迎えに来てるのに、姿すら見られないんだ。一体、どうやって帰ってんだよ…。忍者か?」
お昼休みに、また資料館にやって来た外村が、パイプ椅子に腰掛け、窓際に沿って置いてある長テーブルに、ぶっ潰した。
「まあ、山藤の中では、お前との関係は、もう終わってるのかもな」
若杉が、しれっと言った。
「冗談でも傷付くからやめてくれ。…なあ、若杉…。朝日なら、こんな時、どうすると思う?」
「え?」
「こんな時、朝日ならどうする?」
若杉はしばらく黙って、そして静かに口を開いた。
「手紙書いてただろ。2年勤めたここを辞めて、消防士になるのに東京に行くことにした時。お前に『渡したくなかったら渡さなくていい』って、託して」
「そう言えば、救急救命士の資格取りに行ってたな…」
「お前に朝日からの手紙を渡されたの、2年以上経ってからだったけどな。実はあの時、朝日と喧嘩した状態のまま離れたから、結構辛かった。でも、手紙を読んで、あいつを信じて待とうって思ったよ。結局、お前から手紙をもらうのが遅すぎて、朝日がその日に東京から帰って来てて、すぐに会えたけど」
若杉がその時のことを思い出し、少し笑顔になった。
「今さらだけど、朝日って本当にすごいよな。何回もお前に振られて、しかも2年以上離れてたのに、東京から戻ってすぐにまた若杉に会いに来て、告白したんだもんな」
「まあ、縁があれば離れててもまた一緒にいられるようになるし、縁がなければ、どんなに一緒にいたとしても、いつかは離れるんだろうな」
「それ、めっちゃ名言だな」
「山藤、最近、全館LEDにする工事に入ってる業者の男の子と楽しく話してて、少しずつ元気になって来てるけどな」
「誰だよ、そいつ」
外村が、ガタン、と椅子から立ち上がる。
「今も一緒に昼飯食いに行ってる」
「マジで?どんな奴?」
「さあ。いちいち聞かないからな」
若杉がソファに腰掛け、コンビニで買って来たサンドイッチを頬張る。
「とりあえず、電話もLINEもダメなら、手紙しかないよな…。よし!今日、レターセット買って帰ることにする!」
外村が、勢い良く休憩室を出て行った。そして、自分の勤務する市役所に向かって歩いていると、1台の黒いSUVが、資料館の駐車場の1番端に止まった。そこから、山藤が降りて来る。
「休みだったのに、わざわざありがとう」
「いや。こっちこそ。また明日な」
「うん。また明日」
そして山藤が、動き出した車に向かって、笑顔で手を振る。
外村は、思わず立ち竦んで、しばらくその場から動けなくなったのだった。
「若杉、これ。山藤に渡しといて」
翌日の昼休み、外村が力なく、手紙を若杉へと手渡した。
「何だ?暗いな」
「別れの手紙だから…」
「結局、別れることにしたのか?」
「昨日、男と2人でいるところ見たから。しかも、めっちゃ若いイケメン。耳が金のピアスだらけの」
「ああ。例の業者の子か。今日の午前中も作業に来てたな。ピアスなんかしてたか?」
「昨日、休みだったのに、わざわざ紬と昼飯食うのに、時間作った感じだった」
「へぇ。で、諦めるんだな。分かったよ。渡しとく」
「もう昼休みにここにも来ないから。紬に、昼休み、わざわざ自宅に帰らなくていいって言っといて」
「分かった」
「俺たち、きっと縁がなかったんだよな」
「さあ」
外村が肩を落として、若杉に背を向け、休憩室を出ようとした時、
「あれは同級生ですよ」
と、声がした。
外村が振り返ると、お湯を入れたカップラーメンを持って、山藤が立っていた。
「紬…」
外村の瞳から、自然と、1つ、また1つと、涙が溢れる。
「ごめん、俺…。いくら誤解とは言え、お前に辛い思いさせて…」
「資料館の鍵、いい加減返して下さい。藍翔さんから、僕に直接じゃないと返さないって外村さんが言い張ってるって聞いて。鍵がないと困るんです。そろそろ始末書を書かなきゃいけなくなるんで」
窓際のテーブルにカップラーメンを置くと、パイプ椅子に腰掛けた。
「紬。本当に誤解なんだ。玄関に出たの、同級生の彼氏で、あの日は2人して泊まりに来てて。俺は別の部屋で1人で寝てたし、仕事行くのにシャワー浴びてただけで。電話もLINEも繋がらないし、合鍵がポストに返してあった時、もう、俺、どうしていいか分かんなくて…」
外村の顔が、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「それ、別れの手紙なんですよね?」
「え?」
山藤が、若杉の手から手紙を取って、封を広げ中身を出した。そして静かに目を通す。
「うわー。語源力が全くなくて、意味が分からないんですけど…」
「仕方ないだろ。国語苦手なんだから」
グスッ…と鼻を鳴らす。
若杉が、横から手紙を覗き込む。そして、読み終えると、
「これ、別れの手紙なのか?」
と、不思議そうに外村を見た。
「最後に自分の想いを届けたかったんだよ」
「で、『俺は、紬が大好きだ。合鍵を返さないで欲しかった。あれは誤解だ。愛してる。会いたい。話したい。抱き締めたい。こんなに人を好きになったのは初めてだ。ありがとう』ですか?」
山藤も、呆れる。
「意味不明だな。朝日でも、もっとまともな文章書いてたぞ?」
「手紙なんて初めて書いたんだよ」
「まあ、別れの手紙なら、そう受け止めます。お試し期間は終了ですね。とりあえず鍵だけは返して下さい」
山藤がカップラーメンを食べ始めた。
外村が袖口で涙を拭うと、
「今日、仕事終わったら迎えに来るから、俺のアパートに自分で取りに来てくれ」
そう言って、休憩室をあとにしたのだった。
「ずいぶんと横柄ですね。普通は、そっちが鍵を持って来るのが正当かと。藍翔さんに、さすがに早く返してもらうように言われたので、仕方ないですけど」
迎えに来た外村の車に乗り込み、山藤が悪態を付く。
「何とでも言えよ。俺は今、ただただ嬉しいだけだからな」
「は?」
「紬に会えて、こうやって話せてることが、めちゃくちゃ嬉しくて仕方ない」
「めでたい頭ですね」
「3ヶ月以上も会えなかったんだぞ?どんなに苦しかったと思ってんだよ。昨日だって、あんなイケメンと2人して昼飯食いに行ってたとか、マジで辛かった」
「口を開けて、まぬけな顔でこっち見てましたもんね」
山藤が、吹き出す。
「見てたのか?」
恥ずかしさのあまり、視線が泳ぐ。
「見えたんです」
「あいつ、本当に同級生?」
「はい。先週くらいから、資料館に工事に来てるんです。久しぶりに会ったから盛り上がっちゃって。今、歳上の学芸員の人と付き合ってるみたいで。その人、仕事でずっと中国に行ってて『やっと帰って来るから、空港まで迎えに行くのに休みを取った』って、めちゃくちゃデレてました」
「そっか。良かった。でも、どうして今日は休憩室にいてくれたんだ?」
山藤はしばらく黙り、そして、
「謝りに来たんです。あの2人が、わざわざ資料館まで」
「あの2人?」
「上野さんて人と、その彼氏の雅弥君が」
「え?いつ?」
「今朝。もう3ヶ月も無視され続けてる、って店であまりにも泣くから、いたたまれなくなって、誤解を解きに来ました…って」
山藤が、優しい眼差しで、外村を見た。
「本当にごめん。先に、泊まりに来る奴らがいること、ちゃんと話しておけば、こんなに紬を傷付けることもなかったのに…」
外村が、申し訳なさそうに呟く。
「僕もごめん。ちゃんと話も聞かずに、ずっと避けてて」
「俺、マジでヘコんでて。食事もろくに出来ないし、眠れなくもなって…。3ヶ月で6kg痩せた」
「僕も…。まさか、あんなにショック受けると思ってなくて、自分でも驚いてた」
「紬、俺とやり直してくれる?今度は、もっとちゃんと大事にする」
「どうしようかな…」
「頼む!紬がいないと、何をしてても心に穴が開いてるみたいで、ずっと上の空なんだよ」
「たらし文句はちゃんと出るのに、何で文章は上手く書けないんでしょうね」
「誤魔化さないでくれよ」
「外国人の片言みたいな手紙だったね」
クスクスと、山藤が笑う。
「いい?このまま、アパートに連れ込んでも」
外村の質問に、山藤は少し考え込むようにしてから、
「…うん…」
と、か細い声で返事をしたのだった。
アパートに入り、鍵を掛けると同時に、山藤へと抱き付く。
「紬…好きだ」
「ちょっ…!先に資料館の鍵を…」
「無理」
ベルトに手が掛かり、ズボンの中に手が入り込む。
「や…!外村さ…」
容赦なく、上下に扱く。
背後から、唇で耳を挟まれ、
「俺の手でイッて…。紬…」
囁きが、体の芯に響く。
「ダメ…っ…」
体に力が入らない。こんな所で、ダメだって思うのに…。スーツだって、汚れ…
山藤の思考は、外村から与えられる快感によって打ち消される。
「あ...!」
外村の手の中で迸り、その手を外村がペロリと舐めたかと思うと、次に山藤を抱き抱えて歩き出した。
「やっ…何!?」
「もっと上から順番に、ちゃんと味わいたい。紬がここにいるって、思いっきり感じたい」
そしてそのまま寝室へと連れ込まれたのだった。
「で?鍵は?」
翌日、出勤して来た山藤に、若杉が尋ねた。
「それが、その…。持ち帰って来るのを忘れてしまって…。すみません」
若杉が、事務所のデスクに腰掛け、パソコンを開く。
「顔が赤いぞ」
表情を変えることなく若杉が言うと、山藤の顔がより赤くなって行く。
「今さら恥ずかしがることなのか?」
パソコンから目を反らさずに、若杉が突っ込みを入れた。
「僕、今まで本気で恋愛をしたことないんです。いつも、その場限りって言うか」
「上野が言ってたよ。『山藤って、狙った女子は必ず落とせるって、有名な奴だよな?たらしの外村に落とされたのか?』って」
「そうなんですね…。情けないですよね。たらしが、たらしに落とされるなんて」
それでも、山藤はどこか嬉しそうに見えた。
「2人が幸せなら、それでいいだろ」
「え?」
「幸せそうだよ。今の山藤」
若杉が、笑顔になる。
「藍翔さん…」
そこに、
「先輩!」
と、突然朝日がやって来た。
「何だ、急に。仕事中だぞ?」
「あの!第3日曜日、市の急患センターで看護師として働きませんか?今、人手が足りないみたいで」
「は?」
「先輩、看護師の資格持ってるし。さっき、消防署で『誰か知り合い、いないか』って言われて。市の管轄なので、副業にはならないみたいです」
「でも、現場なんて、実習以外では経験したことない…」
「そんなの、慣れですよ、慣れ!じゃあ、返事しておきますね!」
「おい!」
若杉の言葉も聞かず、事務室を出て行った。
「第3日曜日まで仕事をするとなると、今まで以上に会う時間が減るんじゃ…?」
山藤が、呆れたように、若杉に尋ねた。
「あいつのことだから、何か企んでるとしか思えない」
「何をですか?」
「さあ。そのうち分かるだろ」
そして、パソコンを打ち込み始める。
「何て言うか…藍翔さんて、やっぱり大人ですね。それに、1つ1つ掛けてくれる言葉に重みがあるし。だから、好きになったんだった、って思い出しました」
山藤からの、サラリとした告白。そして続ける。
「それを知った外村さんが、僕が藍翔さんに本気になる前に、僕を落としてやる、って。最初は、お互いに駆け引きみたいな感じで始まったんです」
「まあ、上野にも言ったけど、最初に落ちたのは、外村の方なんだろ」
「え?」
「落としてやる、なんて、単なる強がりにしか思えない」
「さすが藍翔さん。本当に、人を見る目には長けてますね。しかも、僕からの告白も完全スルーだし。あの時のキスのことも、本当は分かってたくせに、うまくかわしたんですよね?まあ、そういうところがいいんですけど」
山藤が、吹っ切れたような笑顔を見せたのだった。
外村が、いつも通り、お昼休みに歴史資料館へとやって来た。
「あれ?若杉は?」
外村がたずねると、
「朝日さんと外で愛妻弁当食べてます」
と、山藤が答えた。
「相変わらず、ラブラブだな」
「はい」
「俺も作って来た」
「何をですか?」
「愛妻おにぎり」
「え?」
「弁当は作れないけど、おにぎりぐらいなら、と思って」
外村が、目の前におにぎりを出す。
「形が、いびつですね…」
「でも、愛情たっぷりだぞ」
「ありがとうございます」
それを両手で受け取ろうとして、その手を強く握られる。
「今度の月曜日、休み取ったんだ。泊まりで、どこか出掛けないか?」
「どこに?」
「本気で紬を好きになって、思ったことがある」
「何ですか?」
「自分が紬とのことで、こんなにも悩んで、辛くて苦しくて仕方ない思いを経験して、今まで遊びで傷付けてきた人たちに謝罪したいって思ったんだ。だから、どこか有名な神社かどこかに行って、懺悔と、そして、紬とのこれからのことをお願いしに行きたいと思ってるんだけど、どう?」
山藤が、黙って外村の話に耳を傾けていたかと思うと、
「とてもいい案だと思います。僕も同じ想いを抱えてました」
と、柔らかい表情を浮かべた。
「じゃあ、決まりな。そのあと、温泉旅館にでも泊まって、ゆっくりしよう」
おにぎりごと山藤の手を引き、唇を寄せて行く。
「そういうことは、帰ってからにしろ」
若杉の声が届き、2人して硬直する。
「若杉…何で?」
「雨が降って来たんだよ」
そう言って、ソファへと腰掛けた。
「先輩!続きしましょう」
朝日も一緒にやって来て、ソファへと腰掛けると、テーブルの上に弁当を広げ直す。
「続き…?」
外村と山藤が、思わず口をそろえる。
「はい!あーん」
朝日が、唐揚げを箸で掴み、若杉の口元へと持って来る。
「ここではやめろ!」
若杉が朝日に注意する。
「うわーっ。やっぱ、俺たち、まだまだだな」
言いながら、外村が山藤の肩を抱き、自分の方へと寄せる。
「そんなにラブラブなのに、藍翔さんのこと第3日曜に急患センターで勤務させて大丈夫なんですか?会う時間、減りますよ」
山藤が不思議そうに朝日に問いかけた。
「分かってないな。急患センターから救急車の要請がかかることって、多いんだよ。そこにナースの藍翔先輩がいてくれたら、最高だろ?そこから、救急車を見送ってくれるっていう特典付きだし。しかも、日曜日に仕事になる分、平日の、ここの勤務の休みが増えるんだよ。不規則な勤務の俺と休みが合いやすくなると言う作戦だ!」
朝日が勝ち誇ったように山藤へと説明する。
「うわーっ。動機が不純すぎて呆れますね」
「そこまでして、一緒にいたいのか?」
外村が聞くと、
「いたいです!」
と、朝日は即答した。
「まあ、本当は、看護師の仕事の方に、最近少しずつ興味を持ち始めた俺のために声を掛けてくれたんだろうけど…」
若杉が、フォローを入れる。
「先輩に、ここを辞めて欲しくなくて。2人の思い出の場所だし、お昼休みに会えなくなるから」
「辞めなくたって、いつか異動にはなるだろ」
外村の指摘に、朝日が口をつぐんだ。
「まあ、そうなった時に考えればいいことだろ?」
若杉が、しょげてしまった朝日を元気付けるかのように言うと、
「そうだ。お前たちも一緒に温泉旅行を兼ねた神社参拝ツアーに行くか?」
外村が声を弾ませながら、2人を誘う。
「温泉旅行!?」
朝日が食い付く。
「今度、紬と2人で行こうって話してて」
「旅館、別にしてくれるなら、行きます!」
「は!?何でわざわざ別にするんだよ」
「先輩の裸は、誰にも見せたくないので」
「俺はもう何回も見てるし、今さらだろ」
「何回も!?先輩、どういうことですか!?2人に体の関係は、なかったって…」
朝日がムキになって、若杉の両肩を勢い良く掴んだ。
「外村とは小中高が一緒なんだから、宿泊学習とか集団で風呂に入ったりするだろ!」
「あ、それと、紬の奴、この前脚立から落ちて脳しんとう起こした時に、若杉にキスしてたな」
外村が意地悪な笑みを浮かべた。
「は!?何で?」
「意識がもうろうとしてて、人違いで。少し唇が当たってしまって。めちゃくちゃ柔くてビックリしました」
言いながら、山藤が片方の拳を手に当て、笑いを堪える。
「嘘だろ!!先輩、何で隠してたんですか!?」
「お前ら…!朝日をからかうな!!」
「いや、2人のやり取りが面白すぎて」
外村が笑う。
「先輩!今日、帰ったら覚悟して下さい!!絶対に寝かせませんからね!!」
「ほら見ろ!こんな時ばっかり2人して息を合わせるんじゃない!」
若杉が、幸せそうに寄り添い合って立っている外村と山藤に向かって、注意する。
「いや、若杉の焦る顔を見られるの、こういう時しかないからさ。悪かったよ」
外村が笑いながら言うと、山藤も嬉しそうに笑ったのだった。
「朝日の奴、嫉妬を若杉に向けるって、めちゃくちゃ純粋だな。普通だったら、俺や紬が怒りの対象になると思わないか?」
外村が、左手で山藤の手を強く握り、右手でハンドルを持って運転をする。
「本当に無垢って言うか一途って言うか…。健気すぎて、見てるこっちまで気持ちがホッコリするし、幸せになりますね」
「俺も今、かなり幸せだけど?」
外村が、口の端を上げて、チラリと山藤の方を見ると、山藤は口元を綻ばせて、恥ずかしそうに俯いた。
「俺のアパートに着いたら、温泉旅行の計画、立てようか」
「はい」
「まず、やることやってから…だけど」
「やること?」
「決まってるだろ?今日も泊まって行けよ。また別の動画見て、ちゃんと勉強しといたから」
「…何か、やっぱり少し変態交ざってますよね…」
「それ、俺にとっちゃ、めちゃくちゃ褒め言葉だからな」
山藤の手の甲を口元へと持って来ると、外村が優しく唇を押し当てた。
「紬、マジで大好き。お前さ、いつもいい匂いするけど、手もめっちゃいい匂いするんだな。何か俺、匂いだけで、もうヤバいかも」
外村が言うと、山藤は、運転する外村の頬へと、そっと口付けた。
「え?嘘だろ…。紬の方からそんなことしてくれるなんて、すげぇ嬉しすぎるんだけど」
外村のテンションが一気に上がったのが、山藤にも伝わってくる。
「僕も、外村さんの匂い、すごく好きです」
「匂いだけ?」
「…いえ。外村さんのことも、ちゃんと…」
そして2人は照れたように俯きながら、アパートへと向かう車の中で笑顔を見せ合うと、繋いでいた手をより強く、そして固く握り締め合ったのだった。〈完〉
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