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第五話「はじめてだらけのお屋敷」

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 今日は、人生で初めてのことばかりだ。
 冷たい水浴びで済ませるのではなく、熱を発する魔法石で沸かされた大きな湯船に浸かったことも、誰かに髪を乾かしてもらったことも、天蓋付きのベッドが中心に配置されている、豪奢なお部屋を与えられたことも。
 そして──夢にまで見た、豪奢なフリルがたくさんあしらわれ、宝石で飾られたドレスを着付けてもらっていることも。

「よくお似合いです、リリアーヌ様」

 わたしにドレスを着せてくれた、年若いメイド長のエスティさんが、柔らかな笑顔を浮かべながら耳元で囁きかけてくる。
 ドレッサーの鏡に映るわたしは、なんだかわたしじゃないみたいに華やかな見た目をしていて、これが本当に自分の姿なのか、にわかには信じられなかった。
 見窄らしいドレスを着て、部屋なんて与えられることはなく、屋根裏に藁を敷いて眠っていたわたしから、生まれ変わったみたいで。

「これが……わたし……?」
「はい。リリアーヌ様のお姿でございます」
「信じられない……まるで、夢を見ているみたい……」
「お戯れを。夢などではございませんよ」

 エスティさんはくすりと小さく笑って、呆然とするわたしに起立を促す。
 部屋の壁にかけてある時計は蛇の刻を、晩餐の時間が近いことを示していて、それはそろそろ、辺境伯様がこの部屋を訪れることの暗示でもあった。
 わたしは立ち上がり、ベッドに置いていた見窄らしい頭巾を被る。せっかく美しく身だしなみを整えてもらったのは、とても……とても、申し訳ないくらいなんだけれど、この身が美しく飾り立てられれば飾り立てられるほど、忌み子の証であるこの赤銅色の髪が疎ましく思えてしまうから。

「頭巾を被られるのですか?」
「……申し訳ありません。脱げと、そう仰られるのであれば、脱ぎますが……」
「まさか。リリアーヌ様がそうお決めになったのであれば、メイドにすぎないこの私が申し上げることはございません。それでは、失礼いたします」

 スカートの裾をつまみ上げて優雅に一礼すると、エスティさんは部屋の外へと去っていく。
 なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、どうしても受け入れられないものは受け入れられないのだから、仕方ない。
 そして、エスティさんと入れ違うような形で辺境伯様が姿を現す。

「美しい……やはり俺の目に狂いはなかったようだ」
「そんな、もったいないお言葉を……」
「もったいなくなどない。これは俺の妻に対する率直な気持ちなのだから、受け取られない方が傷ついてしまいそうだ」
「……あっ……は、はい……! ありがとう、ございます。辺境伯様」

 噂を聞いたときは少なからず、冗談を言うようなお人ではないと思っていたけれど、気さくにそんな言葉をかけて苦笑している辺境伯様を見ていると、噂なんてものは当てにならないものなのだと思い知らされる。
 ぺこりと頭を下げて、まだ受け止め切れないけれど、確かな温もりと共に私の心へ飛び込んできたその言葉を、わたしはそっと抱きしめた。
 美しい。今まで言われてきたこととは正反対で、戸惑ってしまうけど。やっぱり、わたしの赤銅の髪は醜いと、自己嫌悪を抱いてしまうけど。

 あたたかなその言葉は、心に刺さった氷の棘を少しだけ溶かしてくれたような、そんな気がした。

「さて、ここが食卓になる。今日は君のために腕利きを集めて食事を作らせた。口に合うといいのだが……」
「……ありがとうございます、わ、わたし……好き嫌いは、ありませんから」
「ふっ……面白いことを言うものだな、君は」
「そ、そうでしょうか……?」

 そんなやり取りを交わしているうちに案内された城内食堂は、質実ながらも確かな高貴さが感じられる装いをしていた。
 ヴィーンゴールドの家にいたときの食卓とはまた飾りつけの趣きが違っていたけど、なんだか、いい意味で派手すぎない装飾は、少しだけ緊張を和らげてくれた気がする。
 もっとも、わたしがヴィーンゴールドの家にいた頃は、食卓なんて使わせてもらえなかったけれど。

 辺境伯様は、わたしを席に座らせてから食卓につき、ぱちん、と指を鳴らしてみせる。
 無言の号令に従って、厨房から出来たての料理を運んでくる給仕たちは皆、わたしみたいにどこか緊張した面持ちだ。
 そんなに畏まられてしまうと、わたしもなんだか肩身が狭い。

 緊張に手を震わせながら、ただ料理が食卓に並んでいくのを無言で見送る。
 ふわりと立ち昇る湯気に乗って香ってくる匂いは、今までの人生で一度も嗅いだことがないくらいに美味しそうで。
 わたしが知っている食事とは、黒パンと野菜くずが浮かんだ、塩の味しかしないスープとは大違いだった。

「では、改めて……ピースレイヤー家によく嫁いでくれた。リリアーヌ嬢。この場を借りて、君と、君を伴侶とできる幸運に感謝する」
「い、いえ! そんな……もったいないお言葉を……!」
「君の身の上はある程度聞き及んでいる。ここでの生活に慣れるまでは少し時間がかかるかもしれないが……今はなにも気にせず、好きに食事を楽しんでほしい」

 テーブルマナーは貴族の嗜みとして一応教えられたけど、実践する機会がなかったわたしを慮って、辺境伯様はそう言ってくれた。
 黒パンと野菜くずのスープ以外食べたことなんてないし、食事がない日もあったから、正直なところ、目の前に並ぶ目も眩むようなご馳走にどうやって手をつけていいのかわからない。
 作法は問わない、とのことではあったけど、あまりはしたない真似をしては、辺境伯様の機嫌を損ねてしまいかねない。だから。

 震える指先で銀の匙を手に取って、透き通った黄金色に輝くスープをひと匙掬う。
 これが、本物のスープというものなのだろうか。
 わたしが飲んでいたものとは、比べること自体が失礼なくらいに綺麗で、いろんな食材の美味しさが凝縮された芳醇な香りを漂わせていて。

「……んっ……」

 こくり、と喉を鳴らしたときの衝撃は、舌先にじわりと優しくその味が滲んだときの感動は、筆舌に尽くしがたいものだった。
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