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第30話 ②
しおりを挟むディーステル伯爵家から自宅に戻った私は動きやすい服に着替えると、花の様子を見に温室へと向かった。
婚約式に使うために準備したマイグレックヒェンは、新たに植えたものと切り戻して植え替えたものを合わせるとかなりの量になった。
いずれの鉢からも緑色の葉が伸びていて、ちょうど婚約式の頃満開になっているだろう。
それからローゼやフィングストローゼの様子を見て、綺麗に咲くように摘蕾する。
ちなみに摘蕾とは余計な蕾を間引く作業のことだ。摘蕾することで花に栄養が行き渡り、花の質を上げたり株や根の負担を減らすことができるのだ。
蕾や花の数が増えすぎると全体的に小ぶりになったり質が落ちるので、摘蕾して花の量や大きさを調整するのである。
そうして、婚約式用の花の世話を終えた私が部屋に向かっていると、お店の外に誰かがいるような、人の気配を感じた。
(……んん? こんな時間に誰だろう……?)
すでに日が落ちて、周りのお店もとっくに閉まっている時間だ。もちろん私の店は休業日ということもあって、ずっと『閉店』のプレートを掛けている。
なのに外にいる人は複数のようで、立ち止まって何かを相談しているような話し声がかすかに聞こえて来るではないか。
(……あっ! もしかして泥棒……?! 最近怪しい人間がうろついているって言ってたっけ)
私のお店がある区画周辺で、最近何かを探るような怪しい行動をする人物が目撃されているので注意するように、とギルドから通達があったのだ。
もしかすると外にいる人達が……?と私が怪しんでいると、”コンコン”とお店のドアをノックする音が響いた。
(ひぇっ?! え、なになに?!)
お姉様方から聞いた話も相俟って、私の中で警戒心がどんどん高まっていく。それに比例して私の心臓がバクバクと鼓動する。それに何だか嫌な汗も出てきたような気がする。
私がどうしよう、と思っていると、「アンさーん、いるー?」という、聞き慣れた声が外から聞こえてきた。
「えっ?! ヘルムフリートさんっ?!」
意外な人の声に、私が慌ててドアを開くと、ヘルムフリートさんとジルさんが立っていた。
「夜分すまない。急ぎの用件だったので、失礼を承知で訪問させて貰った」
「久しぶりだねアンさん。こんな時間にごめんね」
「いえ! 大丈夫です! あ、良かったら中へどうぞ!」
季節は春になろうとしているとはいえ、夜はまだ寒い時期だ。外に立ちっぱなしなんてそんな失礼なことが出来るわけもなく、私はお二人を温室の中へと招き入れた。
「この温室も久しぶりだなぁ。ここってすっごく落ち着くよね」
「……む。それは同意だが、入り浸ろうと考えるなよ」
「えー、なにそれ。独り占めは良くないと思うな」
私が温かいお茶を用意して持っていくと、ジルさんがヘルムフリートさんに何か注意をしていた。相変わらずお二人は仲が良い。
「あの、こちらをどうぞ。いつも同じものばかりで申し訳ないのですが」
私は断りを入れながら、今朝大量に作ったプレッツヒェンの残りをお二人の前に置いた。
「うわぁ! 美味しそうだね! これ手作りだよね? アンさんが作ったの?」
「はい、簡単ですし、いつも作ってはいるのですが……」
ヘルムフリートさんは初めてかもしれないけれど、ジルさんにはすでに何回も……というか、来てくれる度にプレッツヒェンをお出ししているので、さすがに飽きているのではないか、と思う。
「む。アンが作ったものはいつも美味いし、絶対に飽きたりしない」
私の心を読み取ったかのようにジルさんが言ってくれるので、何だかとても恥ずかしい。
「……っ! あ、有難うございます……っ!」
思わず照れてしまった私だけれど、今は恥ずかしがっている場合じゃないと気を取り直す。
「えっと、それで今日はどの様なご用件で?」
婚約式の花のことで、何か要望があるのかな?
「そうそう、本題を忘れるところだったよ。遅くなったけど、この店に設置するための防犯用の魔道具を持ってきたんだ」
ヘルムフリートさんはそう言うと、机の上に木の箱を置いた。
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