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一章 教皇の外患誘致

3 少女に策を看破される

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 シュヴェルトが領地に戻っている頃。
 北方軍はカミネルによって厳しく統制されていた。
 だが、襲撃は一度もない。
 アリベンス軍は、不気味なほど静かだった。
 北方軍の士気が戻ったからか。
 騎馬隊が撃滅されたからか。
 いずれにせよ、あれから戦いのない北方軍には、鋭気がそこら中から漂っていた。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――



「ホールン領次期当主、領主代理シュヴェルト・ホールン。只今戻りました」
 シュヴェルトはホールン領から無事帰還し、カミネルへの報告を行っていた。
「ご苦労だったシュヴェルト殿。補給線を断つのはどうなっておる?」
「はっ。既に副官のフォリアスに向かわせております。今より麾下の200騎と共に彼のもとに向かいます」
「貴公が直接行くのか? 危険であろう。最悪分断される可能性があるのだぞ。ここに居たほうがよいのではないか?」
「いえ。フォリアスとは昔からの付き合いですし、その時は見殺しにできません。それに、ホールン領主軍に居た方がここよりも安全ですので」
「……言ってくれる」
 シュヴェルトは、今70万の北方軍の中にいるよりも20万のホールン領主軍のうち、10万の騎馬隊の中にいる方が安全だと言ったのだ。
 だが、これに対してカミネルは気分を損ねる様子はなく、続ける。
「では、残しているホールン領主軍の歩兵はどうするのだ? 我らの指揮下に入るのか?」
「いえ、我らの歩兵も北方軍とは調練の厳しさが違います。北方軍の中に入れては足並みが揃わないでしょう。フェルナ、モリアス、ヴェロムという優秀な歩兵指揮官がうちには3人もいます。必ずや北方軍に有益になるよう動いてくれるはずです」
「……分かった。そのように致そう」
「よろしくお願い致します」
「ところで、先ほどのこちらよりも我が隊に居た方が安全ということですが」
「なんだ?」
「決して、カミネル将軍率いる北方軍が脆弱だからというわけではありません。ただ、裏切り者にいつ寝首を掻かれるか分かったものではありませんので」
「……分かった。もう行け」
 裏切り者とはジェロムのことだったのだが、カミネルは今度こそ気分を害したようだった。




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――



「シュヴェルト様、お帰りなさいませ」
 明朝。
 敵に察知されないよう夜中に出立したシュヴェルトは、無事フォリアス率いる騎馬隊に合流する。
「フォリアス。何か変わったことは?」
「敵情に変化はありません。北方軍はおろか、我々への攻撃もありません。ただ、変わったことというなら、補給線を断たれているにもかかわらずなんの動きも見せないのが変わったことでしょうか」
「確かにな」
 補給線を断たれれば、軍を切り離して元凶となる軍――我々を叩きにくるか、略奪をするか、後退するか――なんらかの対策をするものである。
 それをしないということは、ほぼあり得ないことだが補給線が何本もあるか、何か策があるかだ。
 敵の静かさには、どうにもきな臭いものを感じざるを得ない。
 この敵に、嵐の前の静けさを感じるのだ。
「まあ、このまま敵の略奪を待つのみだな」
「そうですね」
「気長に待とう。時間だけはたっぷりあるのだから」
 自分の胸騒ぎを否定するように、そんなことを言った。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――


 3日後。
 ついに敵が動いたとの報告があった。
 アリベンス王国軍がホールン領を攻撃。
 略奪に入ったのだ。
 間諜によると、穀物を取るのみで、強姦は禁じられているらしい。
 ひとまずは安心である。
 作戦のために民に危害が加えられたとあっては、民に申し訳が立たないからだ。
 敵国に攻め入ったときは、勝てば略奪と強姦の大騒ぎとなる。
 戦勝国は、なにをやっても許されるのである。
 無論反抗すれば待っているのは死だ。
 止めるはずの軍も衛兵も、戦で死ぬか逃げるかでもういない。
 いや、戦勝国でなくとも、局地的に勝てば同じような状況が起こりえる。
 特に、敗北必至の状況では兵のストレスを解消させるため荷物の増える略奪を禁じても強姦を禁じることは少ない。
 むしろ推奨するのだ。
 ただ今回のように略奪メインのときは、敵の軍が到着する前に引き揚げてしまわなければならない。
 禁止するのも当然だろう。
 だがシュヴェルトがかかったなと微笑むことはなかった。
 その顔には、民への申し訳なさと心配の色が色濃く浮かんでいた。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――


【ホールン領・領主の館】

「民を領主の館に非難させなさい! 最低限の金品を持ってここへ退避するようにと!」
 エルノは冷静だった。
 伊達に数年間宰相をやっていたわけではない。
 政争に疲れて退職したものの、未だ政(まつりごと)を行う頭と、王国への忠誠心は健在だった。
「エルノ様! 民の中で食べるなと言った穀物を無断で食べた者が! それにより民の中で『領主様は毒の穀物を我らに配っている』という不安が広がっております」
「解毒薬を使って助命しなさい。その後で敵に見つからぬよう牢に繋いでおくのです。そのことが敵に知れたら作戦は失敗。なにがなんでも拷問されないよう全員退避させなさい」
「はっ。了解しました!」
 その内政官は早足で去っていく。
「領主殿も民を使うなどと随分面倒なことを我らにやらせたものですな。民がどれだけ愚かで使い勝手の悪いものか、領主様もご存知でしょうに」
 横にいるルーシアがボソリと呟く。
 この男はエルノの補佐官で、シュヴェルトの応対をした者でもある。
 彼は元々は軍師志望で、軍が精強なホールン領への研修を王立学校で志望したのである。
 それをエルノが見込んで自分の補佐とした。
「そんなことを言ってはいけません。領主様は我らなら成し遂げられると思ったからこそ、作戦の要となるこの役目を任せられたのですから」
 エルノはルーシアを窘めながらも同意する。
 すると、目の前――いや、斜め下から声がした。
「あたしたちは馬鹿じゃないもん! りょーしゅさまがなんでこわい薬の入ったごはんを配ったのかちゃんと知ってるもん!」
 おそらく退避してきた住民だ。
 だが、バッグをいくつも持っていて、まるで元々退避の準備をしていたかのようだった。
「これプリモ! 申し訳ありません、代官様。うちの娘が……」
 謝る母親。
 それを意にも介さず、怒った口調で少女は続ける。
「あのね、りょーしゅさまはね、こわい薬の入ったごはんを配って、それを敵に持っていかせてあたしたちの住んでるところを荒らすこわい人達をあっちいけー! ってしようとしてるんでしょ?」
 その彼女の言に、エルノとルーシアは揃って言葉を失った。
 言うまでもない。彼女の言ったことは、この領内では二人しか知り得ぬ策の全容だったからだ。
「その話、どこで聞いた?」
 それを聞いたルーシアの語気が強くなってしまうのも、決して無理はないことだった。
「ふぇぇ」
 その剣幕に、プリモと呼ばれた少女が鳴きそうな顔をする。
「どこで聞いたかと言っている!」
「うぇーん! ママぁー!」
 ルーシアが怒鳴り、プリモはなきだしてしまう。
「これルーシア。10にも満たぬ少女に対してそのように怒鳴るものではありません!」
「し、しかし……」
 エルノが注意するももう遅い。
 彼女は母親に泣きついてしまった。
「ねぇプリモちゃん。これはみんなの命に関わることなの。これが分からないと、領主様やみんなが死んじゃうんだよ。教えてくれないかな?」
「……ごめんなさい」
「プリモ! 答えなさい!」
 今度は母親が声を張り上げる。
 頼みの綱であった母親にまで叱られ、またもや泣きそうな顔をするプリモを庇うように、エルノは母親を窘める。
「どうして教えてくれないのかな? 誰かに言うなっていわれたの?」
 出来る限り優しくそう聞くと、プリモは首を振る。
「そうじゃないの。これはわたしが考えたものだから……誰からも教えてもらってないの」
「お前が領主殿に献策したのか?」
 ルーシアは嘘をつくなと言わんばかりにそう言った。
「ううん。違うよ。わたしは兵士の人が『これは決して食べるな。ただし目立つところに置いておけ』って言ってたから領主様が戦っている人に持っていかせようとしたんだろうなーって思っただけ」
 それは真実だった。
 だが、それだけで策の全容を把握できるのは天才というしかない。
「詳しく聞かせてもらえないかな? どうして兵の言葉だけでそう思ったのか」
「うん」
 これだけだが、この子が嘘をつくとはエルノには思えなかった。
 そして、本当にそれをこの子が導き出したとすれば、この子は大物ではないかと思ったのだ。
 それ以上に、この子がいままでどのような教育を受けていたのかが気になった。
「前にね、わるい人たちと戦っているはずのりょーしゅさまがここに来て、代官さまを探してたんだ。それで、その後に配られたのは、食べ物だった。りょーしゅさまの指示なんだろーなーってのは思ったよ。わたし達におなかいっぱい食べさせてくれるのはここだけだって他のところから来たひとたちが言ってたから、それでもまたわたしたちにゆーふくな思いをさせてくれるんだーって」
「……」
「でも、兵士さんたちが食べるなっていうからこれは何かあるんだろうなって思った。りょーしゅ様が戦っているから、それに関係しているんだろうなってね。別の場所で戦っているはずなのにここに細工がされるということは、わるい人たちがここに来るということ。わるい人たちがここに来る。配られた食べ物。この二つを組み合わせると、わるい人たちに食べ物を持っていかせるしかないよね」
「……」
 母親はあたふたしているが、エルノとルーシアは彼女の話を黙って、真剣に聞いていた。
「でも、わるい人たちに食べ物を持っていかせていいことなんてあるのかな。ないよね。じゃあ、なんで持っていかせるんだろう。答えて。ルーシア様」
 それなのに、突然問われてルーシアが慌てる。
「それは、その食べ物に細工がしてあるからでしょう? ふふっ、さっきの仕返しだよ、補佐官様」
「おい……」
 言おうとしたらプリモに被せられ、おいと突っ込むルーシア。
「じゃあ、わるい人たちはなんでここに来るのかな。それは、自分たちの食べ物がなくなったからだよね。自分たちの国から送られるはずの食べ物がなんでなくなったのかな。それはりょーしゅ様がやったからだよね。それで、ここに来るとしたら代官さまはわたしたちをここで守ってくれるよね。だから、ちゃんとこうして準備してたんだ」
「なんと……」
「でも、それは単なるわたしの考えだった。確信したのは代官さまと内政官さまのさっきの言葉だよ。『毒の穀物』。細工って言うのはこれだったんだーって。でも、わるい人たちにも気付かれているかもしれないよ。だって、わるい人たちはわたしたちの中にわるい人たちの味方を紛れ込ませているはずでしょ。そうなると、いくらわたしたちをここに閉じ込めて噂を外に出さなかったとしても、わたしと同じ情報は揃ってる。わるい人たちも馬鹿じゃない。わたしと同じように、気付くかもね。食べた後か前かは分からないけれど」
「ううむ」
 エルノとルーシア、二人はプリモの明察と、思わぬ指摘を受けて考え込む。
「どうすればいいと思う?」
 エルノは、思わずプリモに聞いていた。
「エルノ様!」
 こんな子供に聞くとは何事かと、ルーシアは声を上げる。
 だがエルモは、プリモがなにか考えているのではないかと思ったのだ。
「うーん。でも策が失敗したからって負けるわけじゃないよね。わるい人たちがその食べ物を食べなかったからって、こっちにはなんの損害もないよ」
「そうだねぇ。だからと言って……」
「うーん。あまり効果はないと思うけど、焦っているりょーしゅさまの為にも頑張って見ようかなぁ。それじゃあ教えるよ。私の向かい側の家の一つ右に住むおじちゃんが、わるい人たちの味方だよ」
「衛兵! この者の向かいの一つ右の家に住む者を直ちに捕らえよ!」
 ルーシアがすぐに指示を出す。
 それを聞いて、プリモが小さく声をあげた。
「あーあ。わたしに色々教えてくれたおじちゃんだったのになあ。まあ住民に溶け込むためだとは分かってたけどなんかなぁ」
 だが、エルモには少し引っかかった部分があった。
 何故敵の間諜が誰か分かっていたのかというのもそうだが、先ほどの彼女の発言だ。
「領主様が……焦っている?」
「うん。そうだよ。敵が略奪に来るということは、わたしたちにも危険が及ぶ可能性があるし、わたしたちの持ち物が取られる可能性もあるよね。以前のりょーしゅさまなら、そんなことは絶対にしてないよ」
「……」
 まさか、領主様も気付いていたのか?
「代官さまには、その理由が分かるんじゃないの? 今頃になって城壁を作りだしたんだから」
「なに?」
「だってそうでしょ。今から城壁を作って引きこもるのかな? 間に合うわけないよね。となると、別の理由があるんじゃないの?」
「うん。そうだよ。でもそこまで分かっているなんてびっくりしたよ」
「ふふっ。わたしはあたまの良いおんななのでぇ~。賢妻としてりょーしゅさまに紹介しといてねっ」
「うん。分かった。教えてくれてありがとね」
「うん!」
 元気に返事をして、母親と共にプリモは去っていく。
 彼女の姿が完全に見えなくなってから、エルモはくるりと半回転して呟いた。
「ちゃんと紹介しておくよ。極めて優秀な参謀として……ね」
 彼の呟きは、すぐ隣にいたルーシアにすら聞こえなかっただろう。
「行こうか、ルーシア」
「はい。エルノ様」
 エルノはルーシアを連れて、領主に期待に応えるため、再び住民退避および城壁の建築の指揮を執りに向かった。
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