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一章 教皇の外患誘致
1 いけ好かないおっさんを助命する
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誰かが言った。
民の、誰かが言った。
貴族の、誰かが言った。
王族の、誰かが言った。
誰かは分からない。
けれど、一人じゃない。
何億といるこの世界にいる人間達の夢物語。
決して不可能な物語。
けれど、確かに本当のこと。
その人達は、子供時代にこう言っていた。
『世界が一つの国になれば、国同士争わずに済むのになあ』
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ハイドレインジア王国軍90万と、アリベンス王国軍150万の軍勢が向かい合う。
ハイドレインジア王国軍の中には、北方軍70万に20万の兵を率いて合流しているホールン領次期当主、シュヴェルト・ホールンの姿があった。
ホールン領主軍の最大の特徴は、騎馬隊に特化していること。
中でも弓騎兵と呼ばれる異民族の影響で、ホールン領主軍を抑えるには馬の機動力を奪える泥濘でしか勝機はないと言われるほどだった。
狩りに特化した彼らは、弓の腕前や視力が段違いなのだ。
弓の質も最上で、射程外から一方的に攻撃ができる上、馬に乗っていて後ろ向きにも矢を放つことができるため、反撃もできない。
彼らの対処法は伏兵か、回り道で挟み撃ちをするか、馬の機動力を奪うかの3つしかない。
しかし機動力に優れる騎馬隊なので、戦場を選ぶことができるのも弓騎兵――と、まさしく“最強”なのであった。
ただ唯一の弱点は、これは異民族だからできるのであって、訓練次第でどうにでもできるわけではない。
出来るのは、指揮官級の人間――それも武術に長けたごく僅かな者だけ。
よって、その数が少ないことだった。
とはいえ領主の私兵は通常1万程度。それに比べれば5万という数字はかなり多い。
それを恐れたのか、ホールン領主軍を抑えねばいつ騎馬隊で撹乱があるか分からないと、アリベンス王国軍は同じく騎馬隊でホールン領主軍に差し向けた。
その数、20万。
シュヴェルトはそれを10万の歩兵で迎撃した。
いかに騎馬隊主力のホールン領主軍といえど、同数の歩兵はいるのだ。
しかし騎馬隊と重装歩兵では、騎馬隊が有利。
さらに数も倍だ。
騎馬隊を討つため差し向けられたアリベンスの騎馬隊を率いる将軍が、ついでにと、本来の職務から外れた行動を取ってしまうのも無理はないことだった。
騎馬隊の襲撃を受け、たちまち重装歩兵は陣形を乱される。
そして、後退を始めた。
「追え! 討ち果たせ!」
アリベンス王国軍の将は、負けるはずがないと、ここぞとばかりに追撃を仕掛ける。
やがて両軍は、丘のあるところまで後退、追撃してきていた。
丘。
上を取った方が当然有利で、頂上は見えない。
つまりは、兵を伏せるのに適する場所。
そしてここはホールン領。
地の利は完全に敵にある。
さらに、アリベンス軍は全員騎馬隊。馬に乗って駆け上がることは難しい。
「しまった!」
誘い込まれたとアリベンス王国軍の将が気付いた時にはもう遅い。
「突撃ー!」
ホールン領主軍の騎馬隊が横列で逆落としをかける。
そこに弓騎兵の姿はなく、具足を白で統一した騎馬隊のみ。
これが少数同士の戦いであれば道を開けて逆落としを回避することができただろう。
そしてホールン領主軍も弓騎兵を使い、丘の上から弓を射掛けたに違いない。
だが、お互い万を超える大軍である。
陣形変更の命令も通り辛ければ、通ったところで間に合わない。
アリベンス王国軍は、側面から騎馬隊の突撃をもろに受けた。
馬から落馬して蹄にかけられるもの多数。
さらに後退していた重装歩兵もさっと陣形を整え反転し、攻勢に転ずる。
陣形を乱され後退していた重装歩兵は、実はそう“見せかけていた”だけだった。
見せかけていただけなので、歩兵の損害も少ない。
全ては騎馬隊をこの場所に誘導する為の策。
シュヴェルト・ホールンの描いた勝利の方程式だったのだ。
散々に打ち破られたアリベンス王国軍の騎馬隊は、半数以上を失い壊滅した。
「これでアリベンス軍もしばらくは動けまい」
「そうですね」
シュヴェルトの独り言に、従者のフォリアスが律儀に答えた。
騎馬隊には騎馬隊を当て、敵の撹乱を防ぐ。それが常道。
だがその騎馬隊に痛撃が与えられた以上、これまで破竹の勢いで進撃してきていたアリベンス王国軍も、迂闊な行動はできない。
迂闊な行動は、全軍を危険に晒す。
大軍同士の戦いというものは、一つの失策が大敗北に繋がるのだ。
「それにしても、何故王国は三英雄ではなく、カミネル将軍を派遣したのでしょうか」
フォリアスはえらく中性的な顔立ちをしている。
しかし、副官としても従者としても一流だった。
さらに凛々しい態度も相まって、今では彼を女と間違う者はほとんどいない。
王国北方軍を率いることになったのは、教皇直属の護衛騎士であり、平時には教皇軍――言うなれば教会の私兵をまとめる事実上の最高司令官のカミネルだ。
教会の私兵については複雑で、建前上は教皇が最高司令官になるのだが、「突っ込めー! 殺せー! 斬って斬って斬りまくれー!」と言う者が長を務める宗教など、いかに国教といえど誰も信仰はすまい。
そういう理由から、軍はカミネルに一任されていた。
そんな彼が何故王国北方軍を率いることになったのかというと、北のアリベンス王国がこれまでにない規模で王国に侵攻。
北方軍が迎撃するも2度大敗し、30万の兵を失った。
そして、敵に与えた損害はわずか1万という、まさに大敗北。
散々に敗れた北方軍は、なんとかその形を保ったまま国境から50里(200km)離れたホールン領まで押し込まれた。
これを受けて、王国は現将軍を器量不足として解任。
北方軍が後退したのがホールン領ということから、ホールン領主シュヴェルト・ホールンを臨時の最高司令官に任命。
その後でカミネル将軍の派遣を決定し、到着次第指揮を引き継ぐようにとの勅命が下された。
しかし、この国には長きに渡り、北東のジギル王国、北西のアリベンス王国、南の南国諸国の度々の侵攻を抑え、その都度痛撃を与えてきたアスター、ボリアール、サリシナという3人の英雄がいた。
シュヴェルトが臨時の北方軍の最高司令官に任じられたのは、ボリアールの息子だということが大きいのだろう。
順当にいけばこの状況で北方軍の指揮を執るのはボリアールということになる。
フォリアスの疑問ももっともだ。
「三英雄は魔物討伐にかかりきりだ。戦争に三英雄を派遣する余裕はなかったのだろう」
だが、アリベンスの侵攻を見計らったように魔物が大量発生し、王都カラリヤに侵攻した。
いや、侵攻というのは違う。
王都カラリヤを含めた王都周辺を荒らし始めたのだ。
これにより王国中央軍150万と教皇軍50万はそれにかかりきりになってしまい、三英雄はその指揮で手一杯。
ここに来る余裕がなくなってしまったのだろう。
「こんなことを言うのはあまりよろしくないのだが、おそらく教皇軍は三英雄の誰かが率いることになり、カミネル殿はあぶれたのだろう」
「……なるほど」
フォリアスが納得したと言うように頷く。
カミネルという女性は若い。
シュヴェルトは、同い年だと聞いたことがあった。
すると17歳ということになる。
「聞くとカミネル将軍は13歳で初陣、その後指揮を執り始めたのだとか」
「そうだな。俺よりも遅いとはいえ一領主軍と教皇軍では場数が違う。歳は同じとはいえ、俺とは経験も指揮能力も大違いだろう」
そんな話をしながら、シュヴェルトとフォリアス、そしてその麾下は、疲れきって士気が低下し、ぎりぎりで軍の体を保っているだけの、とても戦力になり得ぬ部隊のもとへと帰陣した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
3日後。
シュヴェルトは北方軍を休ませ、カミネルが到着するまでの間は全てホールン領主軍で対応するつもりだった。
だがあれから、アリベンス王国軍の襲撃は一度もなかった。
ホールン領主軍が損害を全く出さずに敵の騎馬隊を壊走させたこともあり、北方軍の士気は完全に回復。
陣中には兵達の笑顔が戻ってきていた。
そして、ついにカミネルが到着した。
「シュヴェルト殿、よくぞ今までこの大軍を足止めしてくれた。しかも度重なる敗北で兵の士気が極めて低いと聞いていたが、皆力が漲っている。それも貴公のおかげだろう。感謝する」
カミネルが握手を求めてくる。
「いえ、王国のため、私にできる最良のことをしたまでです」
シュヴェルトもそれに応じ、彼女と握手を交わした。
それから軍議用の天幕――前任のジェロムのいる、正確には縛ってある、それまで全く使っていなかったところへ案内する。
「しかしだなシュヴェルト殿……」
カミネルは簡易的な椅子に座り、それから言い辛そうに口ごもる。
「どうされました?」
「お恥ずかしい話なのだが、私には大敗し、連戦続きで疲れきっているはずの北方軍がこうも戦意が漲っていることが不思議でならない。一体貴公は何をされたのだろうか。貴公が指揮を執られてからのことを含めお教え願いたい」
「はい。……ホールン領まで撤退してきた北方軍は満身創痍で士気も低く、とても戦える状態ではありませんでした。にもかかわらず、ジェロム将軍はそれでも戦わせようとしていました」
「うぐぐ……」
ジェロムは悔しそうに歯軋りしていた。
カミネルは彼を一瞥した後、興味なさそうにシュヴェルトへと視線を戻す。
「そんな折、私に指揮権が譲渡されました。ですので、私は彼らを4里(16km)下げ、全軍を休ませることにしました」
「全軍休ませた……だと!? それではホールン領主軍20万しかいないではないか! 敵が総攻撃してきたらどうするのだ!」
カミネルは驚きからか、危険な博打だと思ったからか、声を荒げる。
「もちろん敵が総攻撃を仕掛けてきたら20万では防ぎようがありません。ですが、あのまま戦っても北方軍に損害が増える一方だったでしょう」
「確かにその通りだが……」
「ですので、弓騎兵を使いました。夜襲で火矢を用いて敵の陣を焼いたのです。もちろん枯れ草もなにもありませんから、火はそこまで強くなく、敵兵を焼くには至りませんが、天幕を焼かれた彼らは次の日から風雨に晒されて寝ることになります。今は冬の真っ盛り。とても耐えられないでしょう。士気は大いに低下します。さらに、案の定敵は我々を恐れ、騎馬隊を潰すため、その次の日に騎馬隊を差し向けてきました。我々はその部隊を撃滅。騎兵を失った彼らは、これから常に我々ホールン領主軍の撹乱に気をつけねばならなくなりました」
「それでなお敵の騎馬隊とホールン領主軍は同数だ……。騎馬隊同士では半数。貴公は随分と思い切ったことをしたものだ」
「そ、その通りだ! それで敵を打ち破ったからよかったものの、敗れていたらどうする!」
今まで黙っていたジェロムはここぞとばかりに口を挟む。
「貴公は黙っておれジェロム。そもそもシュヴェルト殿がこのようなことをしなければならぬようになった原因はなんだ? 貴公の失態あらばこそではないか! 感謝すればこそ、そのような口を叩くとは何事か! 敗戦の責任を問うてここでその素っ首、叩き落してもよいのだぞ!?」
「は、は……申し訳ありません」
ジェロムはそう一喝され項垂れる。
カミネルやシュヴェルトよりも20も年上であるのに情けないことだ。
「してシュヴェルト殿。そうは言ったがこの者の言うとおり敗れていれば状況はさらに悪くなっていた。勝算あってのことなのだろう?」
「もちろんです。祖父である元王国軍総団長レイノトリアと、三英雄が一柱ボリアールの作り上げた我が騎馬隊は極めて精強。加えてここは我が領内。我が庭でございます。敵の進路上に半数の歩兵を置いておけば、かならずついでにと破りに来るでしょう。そこで騎馬隊を伏せている丘まで連れてくれば、敵を破るは容易い。敵もホールン領へ侵攻するのは初めてで、地理には通じておらぬようでした」
カミネルはなるほど、と上機嫌で頷く。
「それでも多少の損害は出ただろう。こやつのせいでホールン領主軍に損害が出たとあっては王都周辺で奮闘しておられるボリアール殿に申し訳が立たない」
「いえ、誤差の範囲ですので」
戦に出るのは男。それも一家の大黒柱であることも多い。
それを失った家族になんの保証もせず、そのまま生きていけと言うのはあまりに酷だ。
だから、国のために散った者達には保証金を出さねばならない。
王国軍は国が保証金を出すが、貴族の私兵は貴族が支払わなければならない。
そしてそれは、王国にとって簡単に支払えるものでも、一領主にとっては馬鹿にならない金額であることも多いのだ。
一般貴族には俸禄がある。
だが、領主の地位にあるものは領地自体が俸禄となるから、領地経営に失敗した貴族の生活は悲惨なものになる。
さらに保証金もとなっては、それに追い討ちをかけるものでしかないのだ。
「それでも良い。言ってみよ」
「はい。馬の蹄にかけられ殺された者5名。手や足を失い戦闘継続不可能な者が7騎と3名。馬を失った者5騎。これには戦闘継続不可能な者の馬を与えております。さらに負傷兵が30名です」
「これは驚いた! なるほどな。よく分かった」
そう言って彼女は立ち上がり、剣を取る。
「貴公が末恐ろしい男だということがな」
カミネルはにやりと笑う。
その手に剣を持ったまま。
「おそらく私では貴公には叶うまい。倍する兵力があっても怪しいところだ」
「いえ、歴戦の将軍である貴女様には叶いませぬ。戦場で最も重要なのは直感と対応力。今回のは机上であれこれ考えたに過ぎませぬ」
「貴公は私のことをさも年寄りのように言うのだな?」
「お戯れを。そんなつもりは毛頭ありませぬ」
「はっはっはっ! 分かっておる。若くて美しいであろう?」
「そ、その通りです……」
カミネルは笑みを崩さない。
だがシュヴェルトには、毎回違う笑みのように感じられた。
「さて、そんな冗談はさておき。こんなところまできた敵軍を破る前に、こやつの処分を決めておこうか」
そう言ってジェロムに対して銀色の刀身を見せる。
それを見て、シュヴェルトは慌てた。
ジェロムは今回敗北し、性格には難があるものの、そこまで愚かではなかった。殺すには惜しい。
「か、寛大なご処置を! お許しくださいカミネル将軍!」
いざ処分と言われると、ジェロムが情けない声をあげる。
それを見て、カミネルから今までの笑顔がサッと消えた。
明らかに、この場で斬り殺そうとしている。
シュヴェルトにもそれがひしひしと感じられた。
「お言葉ですがカミネル将軍。ジェロム殿は二度大敗したものの、士気が崩壊寸前の北方軍を軍の体を保ったまま我が領内まで後退させてきたことには一考の余地があるのではないでしょうか」
「だが、こやつは30万もの兵を失った。ただでさえ3分の2ほどしかなかった貴重な兵をだ!」
「しかしながら、北方軍が完全に崩壊していれば、今から反攻というこの状況は作れておりません。どうか寛大なご処置を」
「…………」
彼女はしばらく考えた後。
つまらなそうに剣を鞘に戻した。
「ではこの者の処分は貴公に任せる」
そう言ってゴミを見る目でジェロムを一目見た後、天幕を出た。
「感謝致します」
シュヴェルトはそう言って彼女に礼をする。
そして、後に続いて天幕を出ようとした。
「なんのつもりだ」
ジェロムはドスの効いた声でそう問う。
「なんのつもり、とは?」
「決まっているだろう。何故私を助命した?」
「先ほどカミネル将軍に申し上げたとおりです。あなたを葬ることは王国の為にはならないと判断しました。加えて武門には敗戦の責任を功績で帳消しにすることが許される。ここであなたを処刑するのは妥当ではない」
「……」
「ですが、今一度このような敗北があれば私も助命しきれません。肝にお銘じなさいますよう」
シュヴェルトはそう言ってジェロムにも一礼した。
ホールン領主となるまでは、ジェロムの方が役職が上なのである。
「若造共が偉そうに……」
ジェロムがそう呟いたのを、シュヴェルトは聞き流した。
民の、誰かが言った。
貴族の、誰かが言った。
王族の、誰かが言った。
誰かは分からない。
けれど、一人じゃない。
何億といるこの世界にいる人間達の夢物語。
決して不可能な物語。
けれど、確かに本当のこと。
その人達は、子供時代にこう言っていた。
『世界が一つの国になれば、国同士争わずに済むのになあ』
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ハイドレインジア王国軍90万と、アリベンス王国軍150万の軍勢が向かい合う。
ハイドレインジア王国軍の中には、北方軍70万に20万の兵を率いて合流しているホールン領次期当主、シュヴェルト・ホールンの姿があった。
ホールン領主軍の最大の特徴は、騎馬隊に特化していること。
中でも弓騎兵と呼ばれる異民族の影響で、ホールン領主軍を抑えるには馬の機動力を奪える泥濘でしか勝機はないと言われるほどだった。
狩りに特化した彼らは、弓の腕前や視力が段違いなのだ。
弓の質も最上で、射程外から一方的に攻撃ができる上、馬に乗っていて後ろ向きにも矢を放つことができるため、反撃もできない。
彼らの対処法は伏兵か、回り道で挟み撃ちをするか、馬の機動力を奪うかの3つしかない。
しかし機動力に優れる騎馬隊なので、戦場を選ぶことができるのも弓騎兵――と、まさしく“最強”なのであった。
ただ唯一の弱点は、これは異民族だからできるのであって、訓練次第でどうにでもできるわけではない。
出来るのは、指揮官級の人間――それも武術に長けたごく僅かな者だけ。
よって、その数が少ないことだった。
とはいえ領主の私兵は通常1万程度。それに比べれば5万という数字はかなり多い。
それを恐れたのか、ホールン領主軍を抑えねばいつ騎馬隊で撹乱があるか分からないと、アリベンス王国軍は同じく騎馬隊でホールン領主軍に差し向けた。
その数、20万。
シュヴェルトはそれを10万の歩兵で迎撃した。
いかに騎馬隊主力のホールン領主軍といえど、同数の歩兵はいるのだ。
しかし騎馬隊と重装歩兵では、騎馬隊が有利。
さらに数も倍だ。
騎馬隊を討つため差し向けられたアリベンスの騎馬隊を率いる将軍が、ついでにと、本来の職務から外れた行動を取ってしまうのも無理はないことだった。
騎馬隊の襲撃を受け、たちまち重装歩兵は陣形を乱される。
そして、後退を始めた。
「追え! 討ち果たせ!」
アリベンス王国軍の将は、負けるはずがないと、ここぞとばかりに追撃を仕掛ける。
やがて両軍は、丘のあるところまで後退、追撃してきていた。
丘。
上を取った方が当然有利で、頂上は見えない。
つまりは、兵を伏せるのに適する場所。
そしてここはホールン領。
地の利は完全に敵にある。
さらに、アリベンス軍は全員騎馬隊。馬に乗って駆け上がることは難しい。
「しまった!」
誘い込まれたとアリベンス王国軍の将が気付いた時にはもう遅い。
「突撃ー!」
ホールン領主軍の騎馬隊が横列で逆落としをかける。
そこに弓騎兵の姿はなく、具足を白で統一した騎馬隊のみ。
これが少数同士の戦いであれば道を開けて逆落としを回避することができただろう。
そしてホールン領主軍も弓騎兵を使い、丘の上から弓を射掛けたに違いない。
だが、お互い万を超える大軍である。
陣形変更の命令も通り辛ければ、通ったところで間に合わない。
アリベンス王国軍は、側面から騎馬隊の突撃をもろに受けた。
馬から落馬して蹄にかけられるもの多数。
さらに後退していた重装歩兵もさっと陣形を整え反転し、攻勢に転ずる。
陣形を乱され後退していた重装歩兵は、実はそう“見せかけていた”だけだった。
見せかけていただけなので、歩兵の損害も少ない。
全ては騎馬隊をこの場所に誘導する為の策。
シュヴェルト・ホールンの描いた勝利の方程式だったのだ。
散々に打ち破られたアリベンス王国軍の騎馬隊は、半数以上を失い壊滅した。
「これでアリベンス軍もしばらくは動けまい」
「そうですね」
シュヴェルトの独り言に、従者のフォリアスが律儀に答えた。
騎馬隊には騎馬隊を当て、敵の撹乱を防ぐ。それが常道。
だがその騎馬隊に痛撃が与えられた以上、これまで破竹の勢いで進撃してきていたアリベンス王国軍も、迂闊な行動はできない。
迂闊な行動は、全軍を危険に晒す。
大軍同士の戦いというものは、一つの失策が大敗北に繋がるのだ。
「それにしても、何故王国は三英雄ではなく、カミネル将軍を派遣したのでしょうか」
フォリアスはえらく中性的な顔立ちをしている。
しかし、副官としても従者としても一流だった。
さらに凛々しい態度も相まって、今では彼を女と間違う者はほとんどいない。
王国北方軍を率いることになったのは、教皇直属の護衛騎士であり、平時には教皇軍――言うなれば教会の私兵をまとめる事実上の最高司令官のカミネルだ。
教会の私兵については複雑で、建前上は教皇が最高司令官になるのだが、「突っ込めー! 殺せー! 斬って斬って斬りまくれー!」と言う者が長を務める宗教など、いかに国教といえど誰も信仰はすまい。
そういう理由から、軍はカミネルに一任されていた。
そんな彼が何故王国北方軍を率いることになったのかというと、北のアリベンス王国がこれまでにない規模で王国に侵攻。
北方軍が迎撃するも2度大敗し、30万の兵を失った。
そして、敵に与えた損害はわずか1万という、まさに大敗北。
散々に敗れた北方軍は、なんとかその形を保ったまま国境から50里(200km)離れたホールン領まで押し込まれた。
これを受けて、王国は現将軍を器量不足として解任。
北方軍が後退したのがホールン領ということから、ホールン領主シュヴェルト・ホールンを臨時の最高司令官に任命。
その後でカミネル将軍の派遣を決定し、到着次第指揮を引き継ぐようにとの勅命が下された。
しかし、この国には長きに渡り、北東のジギル王国、北西のアリベンス王国、南の南国諸国の度々の侵攻を抑え、その都度痛撃を与えてきたアスター、ボリアール、サリシナという3人の英雄がいた。
シュヴェルトが臨時の北方軍の最高司令官に任じられたのは、ボリアールの息子だということが大きいのだろう。
順当にいけばこの状況で北方軍の指揮を執るのはボリアールということになる。
フォリアスの疑問ももっともだ。
「三英雄は魔物討伐にかかりきりだ。戦争に三英雄を派遣する余裕はなかったのだろう」
だが、アリベンスの侵攻を見計らったように魔物が大量発生し、王都カラリヤに侵攻した。
いや、侵攻というのは違う。
王都カラリヤを含めた王都周辺を荒らし始めたのだ。
これにより王国中央軍150万と教皇軍50万はそれにかかりきりになってしまい、三英雄はその指揮で手一杯。
ここに来る余裕がなくなってしまったのだろう。
「こんなことを言うのはあまりよろしくないのだが、おそらく教皇軍は三英雄の誰かが率いることになり、カミネル殿はあぶれたのだろう」
「……なるほど」
フォリアスが納得したと言うように頷く。
カミネルという女性は若い。
シュヴェルトは、同い年だと聞いたことがあった。
すると17歳ということになる。
「聞くとカミネル将軍は13歳で初陣、その後指揮を執り始めたのだとか」
「そうだな。俺よりも遅いとはいえ一領主軍と教皇軍では場数が違う。歳は同じとはいえ、俺とは経験も指揮能力も大違いだろう」
そんな話をしながら、シュヴェルトとフォリアス、そしてその麾下は、疲れきって士気が低下し、ぎりぎりで軍の体を保っているだけの、とても戦力になり得ぬ部隊のもとへと帰陣した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
3日後。
シュヴェルトは北方軍を休ませ、カミネルが到着するまでの間は全てホールン領主軍で対応するつもりだった。
だがあれから、アリベンス王国軍の襲撃は一度もなかった。
ホールン領主軍が損害を全く出さずに敵の騎馬隊を壊走させたこともあり、北方軍の士気は完全に回復。
陣中には兵達の笑顔が戻ってきていた。
そして、ついにカミネルが到着した。
「シュヴェルト殿、よくぞ今までこの大軍を足止めしてくれた。しかも度重なる敗北で兵の士気が極めて低いと聞いていたが、皆力が漲っている。それも貴公のおかげだろう。感謝する」
カミネルが握手を求めてくる。
「いえ、王国のため、私にできる最良のことをしたまでです」
シュヴェルトもそれに応じ、彼女と握手を交わした。
それから軍議用の天幕――前任のジェロムのいる、正確には縛ってある、それまで全く使っていなかったところへ案内する。
「しかしだなシュヴェルト殿……」
カミネルは簡易的な椅子に座り、それから言い辛そうに口ごもる。
「どうされました?」
「お恥ずかしい話なのだが、私には大敗し、連戦続きで疲れきっているはずの北方軍がこうも戦意が漲っていることが不思議でならない。一体貴公は何をされたのだろうか。貴公が指揮を執られてからのことを含めお教え願いたい」
「はい。……ホールン領まで撤退してきた北方軍は満身創痍で士気も低く、とても戦える状態ではありませんでした。にもかかわらず、ジェロム将軍はそれでも戦わせようとしていました」
「うぐぐ……」
ジェロムは悔しそうに歯軋りしていた。
カミネルは彼を一瞥した後、興味なさそうにシュヴェルトへと視線を戻す。
「そんな折、私に指揮権が譲渡されました。ですので、私は彼らを4里(16km)下げ、全軍を休ませることにしました」
「全軍休ませた……だと!? それではホールン領主軍20万しかいないではないか! 敵が総攻撃してきたらどうするのだ!」
カミネルは驚きからか、危険な博打だと思ったからか、声を荒げる。
「もちろん敵が総攻撃を仕掛けてきたら20万では防ぎようがありません。ですが、あのまま戦っても北方軍に損害が増える一方だったでしょう」
「確かにその通りだが……」
「ですので、弓騎兵を使いました。夜襲で火矢を用いて敵の陣を焼いたのです。もちろん枯れ草もなにもありませんから、火はそこまで強くなく、敵兵を焼くには至りませんが、天幕を焼かれた彼らは次の日から風雨に晒されて寝ることになります。今は冬の真っ盛り。とても耐えられないでしょう。士気は大いに低下します。さらに、案の定敵は我々を恐れ、騎馬隊を潰すため、その次の日に騎馬隊を差し向けてきました。我々はその部隊を撃滅。騎兵を失った彼らは、これから常に我々ホールン領主軍の撹乱に気をつけねばならなくなりました」
「それでなお敵の騎馬隊とホールン領主軍は同数だ……。騎馬隊同士では半数。貴公は随分と思い切ったことをしたものだ」
「そ、その通りだ! それで敵を打ち破ったからよかったものの、敗れていたらどうする!」
今まで黙っていたジェロムはここぞとばかりに口を挟む。
「貴公は黙っておれジェロム。そもそもシュヴェルト殿がこのようなことをしなければならぬようになった原因はなんだ? 貴公の失態あらばこそではないか! 感謝すればこそ、そのような口を叩くとは何事か! 敗戦の責任を問うてここでその素っ首、叩き落してもよいのだぞ!?」
「は、は……申し訳ありません」
ジェロムはそう一喝され項垂れる。
カミネルやシュヴェルトよりも20も年上であるのに情けないことだ。
「してシュヴェルト殿。そうは言ったがこの者の言うとおり敗れていれば状況はさらに悪くなっていた。勝算あってのことなのだろう?」
「もちろんです。祖父である元王国軍総団長レイノトリアと、三英雄が一柱ボリアールの作り上げた我が騎馬隊は極めて精強。加えてここは我が領内。我が庭でございます。敵の進路上に半数の歩兵を置いておけば、かならずついでにと破りに来るでしょう。そこで騎馬隊を伏せている丘まで連れてくれば、敵を破るは容易い。敵もホールン領へ侵攻するのは初めてで、地理には通じておらぬようでした」
カミネルはなるほど、と上機嫌で頷く。
「それでも多少の損害は出ただろう。こやつのせいでホールン領主軍に損害が出たとあっては王都周辺で奮闘しておられるボリアール殿に申し訳が立たない」
「いえ、誤差の範囲ですので」
戦に出るのは男。それも一家の大黒柱であることも多い。
それを失った家族になんの保証もせず、そのまま生きていけと言うのはあまりに酷だ。
だから、国のために散った者達には保証金を出さねばならない。
王国軍は国が保証金を出すが、貴族の私兵は貴族が支払わなければならない。
そしてそれは、王国にとって簡単に支払えるものでも、一領主にとっては馬鹿にならない金額であることも多いのだ。
一般貴族には俸禄がある。
だが、領主の地位にあるものは領地自体が俸禄となるから、領地経営に失敗した貴族の生活は悲惨なものになる。
さらに保証金もとなっては、それに追い討ちをかけるものでしかないのだ。
「それでも良い。言ってみよ」
「はい。馬の蹄にかけられ殺された者5名。手や足を失い戦闘継続不可能な者が7騎と3名。馬を失った者5騎。これには戦闘継続不可能な者の馬を与えております。さらに負傷兵が30名です」
「これは驚いた! なるほどな。よく分かった」
そう言って彼女は立ち上がり、剣を取る。
「貴公が末恐ろしい男だということがな」
カミネルはにやりと笑う。
その手に剣を持ったまま。
「おそらく私では貴公には叶うまい。倍する兵力があっても怪しいところだ」
「いえ、歴戦の将軍である貴女様には叶いませぬ。戦場で最も重要なのは直感と対応力。今回のは机上であれこれ考えたに過ぎませぬ」
「貴公は私のことをさも年寄りのように言うのだな?」
「お戯れを。そんなつもりは毛頭ありませぬ」
「はっはっはっ! 分かっておる。若くて美しいであろう?」
「そ、その通りです……」
カミネルは笑みを崩さない。
だがシュヴェルトには、毎回違う笑みのように感じられた。
「さて、そんな冗談はさておき。こんなところまできた敵軍を破る前に、こやつの処分を決めておこうか」
そう言ってジェロムに対して銀色の刀身を見せる。
それを見て、シュヴェルトは慌てた。
ジェロムは今回敗北し、性格には難があるものの、そこまで愚かではなかった。殺すには惜しい。
「か、寛大なご処置を! お許しくださいカミネル将軍!」
いざ処分と言われると、ジェロムが情けない声をあげる。
それを見て、カミネルから今までの笑顔がサッと消えた。
明らかに、この場で斬り殺そうとしている。
シュヴェルトにもそれがひしひしと感じられた。
「お言葉ですがカミネル将軍。ジェロム殿は二度大敗したものの、士気が崩壊寸前の北方軍を軍の体を保ったまま我が領内まで後退させてきたことには一考の余地があるのではないでしょうか」
「だが、こやつは30万もの兵を失った。ただでさえ3分の2ほどしかなかった貴重な兵をだ!」
「しかしながら、北方軍が完全に崩壊していれば、今から反攻というこの状況は作れておりません。どうか寛大なご処置を」
「…………」
彼女はしばらく考えた後。
つまらなそうに剣を鞘に戻した。
「ではこの者の処分は貴公に任せる」
そう言ってゴミを見る目でジェロムを一目見た後、天幕を出た。
「感謝致します」
シュヴェルトはそう言って彼女に礼をする。
そして、後に続いて天幕を出ようとした。
「なんのつもりだ」
ジェロムはドスの効いた声でそう問う。
「なんのつもり、とは?」
「決まっているだろう。何故私を助命した?」
「先ほどカミネル将軍に申し上げたとおりです。あなたを葬ることは王国の為にはならないと判断しました。加えて武門には敗戦の責任を功績で帳消しにすることが許される。ここであなたを処刑するのは妥当ではない」
「……」
「ですが、今一度このような敗北があれば私も助命しきれません。肝にお銘じなさいますよう」
シュヴェルトはそう言ってジェロムにも一礼した。
ホールン領主となるまでは、ジェロムの方が役職が上なのである。
「若造共が偉そうに……」
ジェロムがそう呟いたのを、シュヴェルトは聞き流した。
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