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 気がついたら、私は真っ白な空間にいた。だだっ広くてどこをみても何もない場所。誰もいないのにどこからともなく声が聞こえた。

 ーー欲しい。欲しい。

 くぐもっていてはっきりと聞き取れないけれど、そう言っているように思う。

 "欲しいって、何が?"

 そう聞き返したかったけれど、声にならなかった。
 
 ーー欲しい。欲しい。あれが欲しい。だから、

 "だから?"

 ーーお前の身体を寄越せ

 "痛い。いたい、痛い"

 見えない何かが私の体の穴という穴から入り込んでくる。口から、鼻から、耳から、毛穴から。
 激痛に堪えかね意識が朦朧となった時、強い風が吹いた。髪が大きく乱れるくらいの、まるで台風でも来たかのような荒々しい風。
 その風に押しやられるかのように、身体を侵食する何かは消えていった。



 気がついたら私はベッドの上にいた。寮の一室の私の部屋だった。
 ベッドの横の椅子に腰を掛けている人を見て私は飛び起きた。

「ヴェルナー、っ様!?」
「やっとお目覚めか」
「どうしてここに」

 ライツェンブルクの寮は男女で明確に別れていて、寮の中に異性の学生が入ってくることを禁じている。いくらブラント公爵子息といえども、不純異性行為のスキャンダルはマズいだろう。この規則を破れば彼もただでは済まないはずだ。

「ふふっ。そんなに驚かなくてもいいじゃないか」
「驚きますよ。私の寝室にヴェルナー様がいることが知られたら、どんなことになるか」
「ああ。そんなこと?」
「そんなことって!」
 結果的にいって、私は寝巻き姿でヴェルナーと寝室にいる。寮母に知られたらヴェルナーと不純なことをしていたと誤解されかねない。

「もう、一部の人には俺が君の部屋に滞在してるって知られてるから」
「え?」
「ほんの少しの賄賂と君を慕う優しい男を演じたら、みんな俺がここにいることを見逃してくれたよ」
 私は思わず頭を抱えた。ヴェルナーは手を口に当ててクスクスと笑う。
 ーー何がおかしいんだ。この男!

「今日の君は何を考えてるのかよく分かりやすいね。そんなに俺と一緒にいるのは嫌?」
「ええ。未婚の男女が寝室に一緒にいるべきではありませんもの。申し訳ありませんが、出て行ってもらえると助かります」
「それはできないね」

 ーーいいから早く出て行って!
 そう言えたらどんなに楽か。相手は公爵子息にして野心家のずる賢い男。下手なことをすれば後で不利益を被るのは私だ。
 そもそもこの男はどうしてここにいるの? 何が目的? 私を見舞うために来たとは思えない。
 ヴェルナーはゲームの中でも小説の中でも他人を思いやる気持ちのない自己中心的な所が強調して描かれていた。実際にこの世界で一緒に過ごしてみてもその印象はあまり変わらない。

 彼は何かを探りに来ているに違いない。でも、何を?
 そもそも、あの後どうなったんだろう? アンナとアイゼンは無事なんだろうか。あの目玉の魔物は討伐されたんだろうか。私はなぜ気を失ったんだろう。

「どうしたんだい? そんなに難しい顔をして」
 いけない。エマは眉間にしわを寄せて考え事なんてしないはずだ。天使のように愛らしい天真爛漫な少女を。ゲームの中のヴェルナー風にいえば「バカで役立たず」を演じなければ。そうしないとヴェルナーの関心を買ってしまうかもしれない。

「ごめんなさい。私、何で倒れてしまったのかなって思って」
 ふわりと微笑めばヴェルナーは鼻で笑った。
「君ってやっぱり嫌な子だね」
 小首をかしげる。なるべく愛らしく、悪意など何も理解していないかのように。
「君は僕と同じ種類の人間だろう?」
「まあ、私が? ヴェルナー様と? そんなはずありませんわ」
「そのバカ丸出しの言動やめてくれないかな。イライラするんだよね」
「ーーっ!」

 私は思わず息を呑んだ。決してヴェルナーの暴言に傷ついた訳では無い。
 ヴェルナーのさっきの言葉は、友好度が高い時に聞けるセリフだ。
 私、ヴェルナーに気に入られているの? 何で?

 ヴェルナーは友好度を上げるのが最も難しいキャラクターだった。恋愛度はある一定まではそこそこ上がってくれるけど、友好度は少しでも選択ミスをすれば下がる。おまけに他のキャラクターとの友好度や恋愛度が下がれば、なぜかヴェルナーの友好度まで連動して下がってしまう。だから一部ではバグなのではないかと噂されていたくらいだった。

 私は攻略対象の誰とも恋愛感情は疎か友情も育んでいないのに。ヴェルナーのイベントはバッドな選択肢通りの行動をしたはずなのに。なんで?

「そう、それでいい」
 ヴェルナーの言葉に我に帰る。
「君の本性に俺が気づけないと思った?」
「私の本性?」
「君は薄っぺらい笑顔を貼り付けて無害な少女を気取ってるけど、本当は打算的で他人を操ろうとしている」
「操る? 何の話でしょう」

 私はヴェルナーの言う通り打算的で無害を気取っている。けれど、ヴェルナーと違って私は他人を操ろうと思ったことなど一度もない。
「とぼけるな。そうでなければ君が図書室でアンナと一緒にいた意味が分からない」

 アンナ? 彼女に一体何の関係があるの?

「何を仰っているのですか」 
「白々しい。君はアンナを闇の女王にしたいんだろう」
 私は思わず頭を抱えた。何をどうしたら、そう思えるのかしら。
「本当に何を仰っているのか、さっぱり分かりません! 私が闇の女王の再来を期待してると? そんな畏れ多いことをなぜ考えなければならないのです?」
 私は、ただ、この世界で平穏無事に暮らしていきたいだけだ。イケメンと付き合いたいわけでも、高い地位が欲しいわけでもない。
 ただ、穏やかに静かに暮らしたいだけなのに。

「あの日、アンナ様と一緒にいたのは偶然です。私が席を取った後にアンナ様とアイゼン様が座られたのですから」
「偶然、ね」
「信じられないのであれば、信じなくても結構です!」
「いいよ。今回はそういうことにしておいてあげる」
 ヴェルナーはいつもの薄っぺらい笑顔を浮かべる。
「ああ。でも、もし、アンナを消したいのなら真っ先に俺に相談してくれよ? 手伝ってあげるから」
 彼はそういうや否や立ち上がり、窓際に向かった。窓を開けると、彼は振り返った。
「それじゃあ俺はそろそろ帰らせてもらうよ。窓、閉めといてね?」
 彼は返事も待たず窓から身を乗り出し、そのまま飛び降りた。
 私の部屋は4階だ。普通の人ならただでは済まない。でも、ヴェルナーなら大丈夫だろう。彼は風魔法の使い手だから。風を起こし空を飛ぶなんて余裕なんだろう。
 私は言われた通り窓を閉めた。

 結局、ヴェルナーがどういった目的で来たのか分からなかった。なぜ友情度が上がっているのかもまるで分からない。それに、"アンナを消したいなら真っ先に俺に相談してくれよ"なんて。理解不能だ。
 化け物との遭遇後、何があったのか。ヴェルナーとこれからどう接するべきか。ヴェルナーはアンナを消したいと思っているのか。考えることは山程あったけど、疲れ切った体では頭が回らなかった。
 私はベッドに寝転がるとそのまま泥のように眠ってしまった。
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