上 下
26 / 36

18-4

しおりを挟む
「昔、昔、フィアロンという公爵がいました。彼はかつて、王都に住居を構える、由緒ある家の大貴族でした。王都で『王族の次に金と権力を持つ人物の名前は?』と問えば、誰もが『フィアロン公爵』と答えるほどの有力者です。誰の目から見ても彼は何不自由なく、恵まれた人生を送っていました。しかし、彼は途方もない愚か者だったのです。フィアロン公爵は王位を狙い国家転覆を狙ったのです」
 シトレディスは穏やかに私の髪を撫でた。
「シトレディスはフィアロン公爵の思惑に直ぐに気が付きました。彼女はフィアロン公爵に制裁を与えることにしました。エルドノアを召喚させるきっかけを作って死んでもらうことにしたのです」
 そんなところからシトレディスが仕組んでいたの? 恐ろしくて思わず身震いした。シトレディスは宥めるように私の頭を撫でた。

「国王はフィアロン公爵とその親族を王都から追放しました。けれど"女神の慈悲"と称してその財産は奪いませんでした。彼に再起を図れると思い込ませるためです」
 シトレディスの瞳が細まった。笑っている。とても楽しそうに。
「フィアロン公爵には地方に多大な領地がありました。彼は領地の別荘に移ってすぐに、莫大な財産を使って"邪神エルドノア"の情報を手に入れました。『エルドノアはどんな願いでも叶えてくれる封印された古の神だ。か弱き乙女を弱らせた上で、彼女に復活の呪文を唱えさせればエルドノアは現れる』と。勿論、そんな話は嘘です。シトレディスが意図的に流した嘘の情報ですから」
 シトレディスは口元を抑えてあははと笑った。何がそんなにおかしいのか私には分からない。
「フィアロン公爵はまんまと罠に嵌りました。エルドノアを召喚して圧倒的な力を手にしようとしたのです。そして、彼は貧民街にいた若い女を一人捕まえて屋敷に監禁しました。・・・・・・そこから先は、ティアちゃんが一番よく分かってるわよね?」
 シトレディスはまた、私の髪を撫でた。

「ある日、神々には一際大きな祈りが聞こえました。王都から遠く離れた場所だったにも関わらず、シトレディスにもはっきりと聞こえる声でした。彼女は強く願っていました。『生きたい』と。『誰にも邪魔されることなく眠って、すっきりした気分で目覚めたい』と。『仲の良い友達と一緒にお腹いっぱい食べて、遊んで、仕事をして、また眠りに就きたい』と。彼女はそんな生を謳歌したいと強く強く願いました」
 あの時、私はそんな具体的なことまで考えていたのかしら。生きたいと必死に思っていた記憶しかない。
「あなたの"生きたい"という願いにはそういう意味が含まれてたわ」
 シトレディスは愛おしげに私を見つめて頭を撫でる。
「あなたの願いは原始的でささやかなものよ。私が世界を狂わせる前の人間社会では、そんなことを神に対して祈る人なんていなかった。・・・・・・そんな幸せは、誰もが持っていて当然だったから」
 
 "お前の願いは、あの日からずっと変わらないよ。原始的で、小さくて、ささやかで、本来であれば神に祈るのも馬鹿らしいものだ"

 かつてエルドノア様が言っていた言葉が頭の中で反芻する。
 シトレディスが言っていることは本当のことなのかもしれない。

「そんな小さくてささやかな願いがエルドノアの下に届いたの。彼はあなたの祈りを頼りにこの世界にやって来た。それで死の縁にいるあなたを無理やり生かしたのよ」
 シトレディスはまた頭を撫でた。
「その場の状況からして、フィアロン公爵たちがティアちゃんに暴行を加えていたことは明らかだったわ。エルドノアはすごく怒って、屋敷にいた全ての人間の命を奪ってあなたに還元したのよ」
 その記憶は薄っすらと残っている。

「ティアちゃんは知らないみたいだけど、あなたはエルドノアから助けられてから、すぐに自我を取り戻さなかった。息をして、エルドノアの命令を聞いて、彼とセックスするだけのお人形さんだったのよ? エルドノアはそんなあなたを普通の人間に戻そうと試みたの。でも、できなかったわ」
「どうして、ですか?」
「昔の世界だったら、エルドノアが弱った人に力を吹き込むだけで元気になった。どんなに弱った人でもね。でも、今の世界じゃそれは難しいわ」

 シトレディスの手が私の口元に伸びてきた。また舐めろということだろう。私は彼女の指を舐めた。
「人はね、毎日ほんの少しずつ、何らかの形で世界のエネルギーを吸収しているのよ。でも、今の世界では王都を除いたら、神々の力が大きく不足しているの。だから吸収できるはずのエネルギーがとっても少なくてね。瀕死になって全ての属性の力を失ったティアちゃんが元の人間に戻るにはあまりにもエネルギーが足りなかった。だから、エルドノアの眷属として生きるしかなかったわ」

 シトレディスの指が急に激しく動いた。それを追いかけるようにして指を舌で愛撫する。
「ティアちゃんの願いの本質は"人らしく生きる"ということ。人らしく寝て、人らしく起きて、人らしく食べる」
 指を口から引き抜くと左の乳首に唾液を塗りつけてきた。
「んあっ」
「エルドノアの眷属という形では、人間らしい生活をしているとは言えないじゃない? だからこうして自我を取り戻したとはいえ、ティアちゃんの願いは今でも叶っていないの」
 そして、シトレディスは右の乳首も同じように唾液を塗りつけ始めた。

「エルドノアはね、世界がこんな有様だから、ティアちゃんの願いが叶わないってことを随分前から知っていたのよ?」
「んあっ、やぁっ」
「信徒の願いが叶わないことが分かった時点で神は天界に帰るべきなの。そうじゃないと神と人とが契約をする意味がないでしょう?」

 そう言うとシトレディスは両方の乳首をつねってきた。胸の先に激痛が走る。
「いだい"、やめ"で!あ、あ"あ""~」
「でも、エルドノアは帰らなかった。むしろ好都合だと考えたんじゃないかしら? ティアちゃんの願いが叶うまで彼はあなたのそばにいるという契約だったんでしょ? その契約は、裏を返せば"叶わなければずっとこの世界に留まり続ける"ということだから。それに、自我のないティアちゃんを使えば魂の回収もはかどるでしょうし」

 そこまで言って、ようやくシトレディスはつねるのをやめた。胸の先がズキズキと痛んだ。
「ティアちゃん、ちゃんと聞いてる?」
 息も絶え絶えになった私をシトレディスは怖い顔で見ている。
「き、聞いてます」
「そう。ならいいの」
 シトレディスはさっきのことが嘘であるかのように優しく微笑んだ。

「エルドノアはティアちゃんを利用しながら私の勢力を削るつもりだったみたいだけど・・・・・・。ある時から私の信徒をティアちゃんに触れさせないようになったのよね。ティアちゃん、何でか分かる?」
「分かりません」
「あはは。もう少し考えてみたらどう?」
 そう言われて考えてみたけど、答えは思い付かなかった。

「鈍感なのね。身体はこんなに敏感なのに」
「ひゃんっ」
 胸を揉まれて声が出た。
「答えを教えてあけるわ。エルドノアはね、ティアちゃんを愛してしまったの」
 エルドノア様が、私を?
「そんなに驚かなくてもいいじゃない」
 シトレディスはくすくすと笑う。
「きっと自我を持ったあなたに触れて、情が移ったのね。まあ、エルドノアはそのことを認めないでしょうけど」

「嘘はやめてください」
「あらあら。どうして嘘だと思うの? 彼は利用価値のない役立たずのティアちゃんと一緒に居続けたのはなぜ? 私のように信徒を増やしたり、ティアちゃんを捨ててもっと使えそうな子に乗り換えたりしなかったわけは?」
「それは・・・・・・」
 確かにそうした方が良さそうだ。エルドノア様がそうしなかった理由を私は説明できなかった。

「大きなリスクを背負ってまで私の息のかかった領域に入ってきた理由は? 勿論、ティアちゃんの願いを叶えるためよね」
 シトレディスは私のお腹に触れた。
「ここにフレディアの、足先にファーダの遺物を埋め込まれたでしょう? エルドノアはあなたのために彼らの遺物を探して王都に来たの」

 シトレディスは今度は私の左手を取った。
「それに、こんなものをもらっておいて。ねえ?」
 シトレディスの視線の先にはエルドノア様につけられた指輪がある。
「ティアちゃんは、きっとこれの意味を知らないだろうから教えてあげる。500年以上前の人間の社会には、愛する人と契り合った証として左手の薬指に指輪を嵌める文化があったの。普通は男女ともに指輪をするものだけど、エルドノアったら、案外照れ屋なのね」
 シトレディスは楽しそうに笑った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【R18】水面に映る月影は――出戻り姫と銀の騎士

恋愛 / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:1,052

むっつりスケベって言うらしい【R-18】

恋愛 / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:423

今更愛していると言われても困ります。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:90,980pt お気に入り:3,046

転生悪役令嬢は、どうやら世界を救うために立ち上がるようです

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:151

無様で無自覚な腰振りは陥落を拒みつつ行われる

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

後宮溺愛物語〜たとえ地獄に堕ちようとも〜

恋愛 / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:573

辺境伯令嬢はもう一度恋をする

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:76

処理中です...