26 / 52
22-2 妃教育の合間に
しおりを挟む
今日の授業は、芸術で終わりだ。
芸術の授業の講師はアンリ伯爵夫人が勤めてくれている。夫人は芸術愛好家であり、サロンで勉強会を頻繁に開くだけあって、知識がとても豊富だ。今日は、学園ではほとんど習うことのなかった近年の隣国で流行っているルネサンスについて学んだ。
夫人は熱心に説明をしてくれたけれど、やはり私には裸の男女をありがたがる文化のようにしか思えなかった。
「ということで、今日のルネサンスの講義はここまでとしましょう」
「はい。ご教授いただきありがとうございました」
夫人にお礼を言ってから、これから時間に余裕があるかと尋ねた。夫人とは講義の後にお茶をすることが習慣になっていたからだ。
夫人は今日この後の予定がないと言い、このまま部屋でお茶をすることを受け入れてくれた。
私達は用意されたお茶を飲んでゆっくりと語り合った。
「イザベラ様は正直、ルネサンスが好きではないでしょう?」
「はい。よく分かりましたね」
「イザベラ様はルネサンス画の前で足を止める時間が短いですから」
夫人はにこりと笑って言った。自分では意識をしていなかった分、少し驚いた。
「気をつけます」
「ええ。貴婦人たるもの安易に好悪を示してはなりません。まして、王太子妃となられる方なら・・・・・・。すみません、差し出がましいことを申し上げました」
「いいえ。お気になさらず。これからは気を付けますわ」
夫人の言っていることは正しい。王太子妃になるのなら、簡単に好悪を見抜かれてはいけない。そんなことをしていれば、いずれ国内外でいらぬ問題を起こしてしまうかもしれない。
「あの子にも、イザベラ様を見習って欲しいものです」
夫人はぽつりと呟いた。
「あの子とは?」
私の問いかけに夫人は言い淀んだ。
「ただの独り言です。気にしないで下さいませ」
「アンリ伯爵夫人、私とあなたの仲ではありませんか」
夫人の夫であるアンリ伯爵はお父様と同じ派閥に属している。それにアンリ伯爵家とは長年、家族ぐるみの交流があった。私にとって夫人は、家族とエドの次に親しい人なのだ。
夫人は口ごもっていたけれど、意を決したのか、教えてくれた。
「エリナのことです」
「エリナ?」
予想外の名前に、私は思わず首を傾げた。
「どうしてあの子が? 私から学ぶことなどないでしょうに」
「そんなことはありません。エリナはイザベラ様のように思慮深く落ち着きのある言動をするべきなのです。あの子は大胆で思いつきで動く癖がありまして。この間だって、うちの侍女を辞めたいと言い出して」
「辞めてどうするんです?」
━━フィリップ様と暮らすためかしら?
マシュー公爵がエリナのことを認めていない上、身分差も大きいから、エリナは公にはフィリップ様の妻として暮らすことはできない。でも、愛人として密かに生きていくなら話は別だ。
エリナはフィリップ様への愛を貫いてその道を選んだのだと思った。でも、夫人の答えは私の想像に反するものだった。
「それが、首都を離れて地方に行くのだと言うんです。そこに行って何をするのか、働き口のツテはあるのかと聞いても答えず、ただ、『王都にはいられない』と言うばかりで」
それはアンリ伯爵夫人が心配するのは当然だ。ツテや推薦状もなしに地方へ行ってしまっては、仕事口を見つけるのも難しいだろう。それに、ランベール子爵家は、裕福とは程遠い家柄だ。地方で住む屋敷を買うのにもそれなりの苦労を要するに違いない。
「どうしてしまったんでしょうね」
エリナは天真爛漫で少しドジな所もあったけれど、ここまで考えなしに行動しようとする子ではなかった。
私の言葉に夫人は心配そうな顔で頷いた。
「どうして地方なんかに行くのかと聞いたら、『罰を受ける』のだと言って聞かないんです。何の罰をと聞いても、答えてくれなくて」
「罰?」
何のことなのかまるで分からない。それは夫人も同じようだった。
「あの子は精神的に参っているのかしら」
「そうかもしれませんね」
もしかしたら、エリナは今更になって、自分のしでかした事を理解したのかもしれない。
フィリップ様は私との婚約を一方的に破棄したことでマシュー公爵を相当怒らせたのだという。
婚約の一方的な破棄は、同じ派閥に属するモラン侯爵を、つまりお父様を蔑ろにする行為だった。この不義理で背信的な行為に、他の貴族達からは批判の声があがっている。いくら、派閥の中心にいて発言力のあるマシュー公爵であっても、このままでは求心力を失いかねない。
だから、公爵は様々な所に挨拶に出向き、本来では使う必要のないお金を使って、何とか事態の沈静化を図っているそうだ。
こうした公爵の努力の甲斐あって、マシュー公爵家は社交界から孤立する事態は何とか避けられたようだけれど。
「エリナはフィリップ様の人生を壊したかねないようなことをしたことに気付いてしまったのかもしれません」
フィリップ様はマシュー公爵家を継ぐ予定だったけれど、その雲行きが怪しくなっている。あくまでも噂だけれど、マシュー公爵はフィリップ様の弟に対して家督を継ぐための教育を始めたのだという。そして、フィリップ様を勘当するための準備をしているのだとも。
芸術の授業の講師はアンリ伯爵夫人が勤めてくれている。夫人は芸術愛好家であり、サロンで勉強会を頻繁に開くだけあって、知識がとても豊富だ。今日は、学園ではほとんど習うことのなかった近年の隣国で流行っているルネサンスについて学んだ。
夫人は熱心に説明をしてくれたけれど、やはり私には裸の男女をありがたがる文化のようにしか思えなかった。
「ということで、今日のルネサンスの講義はここまでとしましょう」
「はい。ご教授いただきありがとうございました」
夫人にお礼を言ってから、これから時間に余裕があるかと尋ねた。夫人とは講義の後にお茶をすることが習慣になっていたからだ。
夫人は今日この後の予定がないと言い、このまま部屋でお茶をすることを受け入れてくれた。
私達は用意されたお茶を飲んでゆっくりと語り合った。
「イザベラ様は正直、ルネサンスが好きではないでしょう?」
「はい。よく分かりましたね」
「イザベラ様はルネサンス画の前で足を止める時間が短いですから」
夫人はにこりと笑って言った。自分では意識をしていなかった分、少し驚いた。
「気をつけます」
「ええ。貴婦人たるもの安易に好悪を示してはなりません。まして、王太子妃となられる方なら・・・・・・。すみません、差し出がましいことを申し上げました」
「いいえ。お気になさらず。これからは気を付けますわ」
夫人の言っていることは正しい。王太子妃になるのなら、簡単に好悪を見抜かれてはいけない。そんなことをしていれば、いずれ国内外でいらぬ問題を起こしてしまうかもしれない。
「あの子にも、イザベラ様を見習って欲しいものです」
夫人はぽつりと呟いた。
「あの子とは?」
私の問いかけに夫人は言い淀んだ。
「ただの独り言です。気にしないで下さいませ」
「アンリ伯爵夫人、私とあなたの仲ではありませんか」
夫人の夫であるアンリ伯爵はお父様と同じ派閥に属している。それにアンリ伯爵家とは長年、家族ぐるみの交流があった。私にとって夫人は、家族とエドの次に親しい人なのだ。
夫人は口ごもっていたけれど、意を決したのか、教えてくれた。
「エリナのことです」
「エリナ?」
予想外の名前に、私は思わず首を傾げた。
「どうしてあの子が? 私から学ぶことなどないでしょうに」
「そんなことはありません。エリナはイザベラ様のように思慮深く落ち着きのある言動をするべきなのです。あの子は大胆で思いつきで動く癖がありまして。この間だって、うちの侍女を辞めたいと言い出して」
「辞めてどうするんです?」
━━フィリップ様と暮らすためかしら?
マシュー公爵がエリナのことを認めていない上、身分差も大きいから、エリナは公にはフィリップ様の妻として暮らすことはできない。でも、愛人として密かに生きていくなら話は別だ。
エリナはフィリップ様への愛を貫いてその道を選んだのだと思った。でも、夫人の答えは私の想像に反するものだった。
「それが、首都を離れて地方に行くのだと言うんです。そこに行って何をするのか、働き口のツテはあるのかと聞いても答えず、ただ、『王都にはいられない』と言うばかりで」
それはアンリ伯爵夫人が心配するのは当然だ。ツテや推薦状もなしに地方へ行ってしまっては、仕事口を見つけるのも難しいだろう。それに、ランベール子爵家は、裕福とは程遠い家柄だ。地方で住む屋敷を買うのにもそれなりの苦労を要するに違いない。
「どうしてしまったんでしょうね」
エリナは天真爛漫で少しドジな所もあったけれど、ここまで考えなしに行動しようとする子ではなかった。
私の言葉に夫人は心配そうな顔で頷いた。
「どうして地方なんかに行くのかと聞いたら、『罰を受ける』のだと言って聞かないんです。何の罰をと聞いても、答えてくれなくて」
「罰?」
何のことなのかまるで分からない。それは夫人も同じようだった。
「あの子は精神的に参っているのかしら」
「そうかもしれませんね」
もしかしたら、エリナは今更になって、自分のしでかした事を理解したのかもしれない。
フィリップ様は私との婚約を一方的に破棄したことでマシュー公爵を相当怒らせたのだという。
婚約の一方的な破棄は、同じ派閥に属するモラン侯爵を、つまりお父様を蔑ろにする行為だった。この不義理で背信的な行為に、他の貴族達からは批判の声があがっている。いくら、派閥の中心にいて発言力のあるマシュー公爵であっても、このままでは求心力を失いかねない。
だから、公爵は様々な所に挨拶に出向き、本来では使う必要のないお金を使って、何とか事態の沈静化を図っているそうだ。
こうした公爵の努力の甲斐あって、マシュー公爵家は社交界から孤立する事態は何とか避けられたようだけれど。
「エリナはフィリップ様の人生を壊したかねないようなことをしたことに気付いてしまったのかもしれません」
フィリップ様はマシュー公爵家を継ぐ予定だったけれど、その雲行きが怪しくなっている。あくまでも噂だけれど、マシュー公爵はフィリップ様の弟に対して家督を継ぐための教育を始めたのだという。そして、フィリップ様を勘当するための準備をしているのだとも。
22
お気に入りに追加
605
あなたにおすすめの小説
婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜
平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。
だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。
流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!?
魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。
そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…?
完結済全6話
両親の愛を諦めたら、婚約者が溺愛してくるようになりました
ボタニカルseven
恋愛
HOT1位ありがとうございます!!!!!!
「どうしたら愛してくれましたか」
リュシエンヌ・フロラインが最後に聞いた問いかけ。それの答えは「一生愛すつもりなどなかった。お前がお前である限り」だった。両親に愛されようと必死に頑張ってきたリュシエンヌは愛された妹を嫉妬し、憎み、恨んだ。その果てには妹を殺しかけ、自分が死刑にされた。
そんな令嬢が時を戻り、両親からの愛をもう求めないと誓う物語。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい
矢口愛留
恋愛
【全11話】
学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。
しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。
クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。
スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。
※一話あたり短めです。
※ベリーズカフェにも投稿しております。
王子は婚約破棄を泣いて詫びる
tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。
目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。
「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」
存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。
王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。
【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。
文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。
父王に一番愛される姫。
ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。
優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。
しかし、彼は居なくなった。
聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。
そして、二年後。
レティシアナは、大国の王の妻となっていた。
※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。
小説家になろうにも投稿しています。
エールありがとうございます!
【完結】どうかその想いが実りますように
おもち。
恋愛
婚約者が私ではない別の女性を愛しているのは知っている。お互い恋愛感情はないけど信頼関係は築けていると思っていたのは私の独りよがりだったみたい。
学園では『愛し合う恋人の仲を引き裂くお飾りの婚約者』と陰で言われているのは分かってる。
いつまでも貴方を私に縛り付けていては可哀想だわ、だから私から貴方を解放します。
貴方のその想いが実りますように……
もう私には願う事しかできないから。
※ざまぁは薄味となっております。(当社比)もしかしたらざまぁですらないかもしれません。汗
お読みいただく際ご注意くださいませ。
※完結保証。全10話+番外編1話です。
※番外編2話追加しました。
※こちらの作品は「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています。
七年間の婚約は今日で終わりを迎えます
hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる