25 / 52
22-1 妃教育の合間に
しおりを挟む
婚約の発表のパーティから2ヶ月経った。季節はすっかり春になっている。私は、王子宮で妃教育を受けながら、穏やかな日々を過ごしている。
私の悪評を広めようとしていたアイラ嬢とその父親の処分が決まったのは、婚約が発表されてから2週間程経った時だった。二人は高位貴族に対する殺人未遂の罪をはじめとする多くの罪状が言い渡されて、僻地への流刑となった。そして、マダール伯爵の爵位と領地も没収された。
アイラ嬢とは、一度だけ面会の機会をもらえた。彼女の収容されている地下牢は、とてもかび臭く、じめじめとしていた。劣悪な環境に閉じ込められていたからだろう。アイラ嬢はひどく憔悴していた。
でも、そんな彼女は私を見るなり目を吊り上げて怒鳴りつけてきた。
「一体、何の用? 私を笑いに来たの?」
最早敵意を隠そうともせずに言う彼女に対して、私は首を振った。
「いいえ。一つだけ、どうしても気になることがあったからそれを聞きに来たんです」
アイラ嬢は私の言葉に返事をしなかったけれど、私は話を続けた。
「どうして、私を憎んでいたんですか? あなたが好きだったのはエドではなくフィリップ様でしたよね? それなら、私ではなく、フィリップ様に愛されているエリナに嫉妬すると思うんです」
アイラ嬢は学生時代から、エリナよりも私を嫌っていた。あの時はてっきり、友達が少なく庇ってくれる人のいない私になら物が言いやすいのだと思っていたのだけれど。今回の殺人未遂事件でそうではないとやっと気がついた。
「フィリップ様が愛しているのがエリナですって? ・・・・・・ぷっ、ははははは、はははは」
突如として、アイラ嬢は狂ったように笑い出した。私は黙って彼女が落ち着くまで見守った。
そして、アイラ嬢は一頻り笑い終えると、再び私を睨みつけた。
「本当に何も分かってないのね! フィリップ様はエリナを愛してなんかいないわ」
━━何を言っているのかしら?
アイラ嬢の言葉を素直に受け入れられなかった。だって、エリナはいつでもどこでもフィリップ様の隣にいて、彼らはいつも楽しそうにしていたから。同級生のほとんどの人達は彼らのことを恋人だと認識していたくらいだ。
「あなたって本当に酷い人」
「どういう意味です?」
「あら? そうじゃない? 自分の婚約者の好意に気づかずに彼を狂わせておいて、自分は新しい男にのうのうと乗り換えるんだから」
私は驚きのあまり言葉を失った。
━━フィリップ様が私を好き?
そんなはずはない。彼は婚約者としての最低限の交流とエスコートはしてくれたけれど、私に対して好意を示してくれたことなどなかった。エリナにしていたように笑いかけてくれることも、デートをしてくれることもなかった。
看守は怪訝そうな顔で私達を見ていた。このままアイラ嬢と話していたら、いらぬ誤解を与えてしまうかもしれないと思った。
「囚人の盲言です。まともに話をする気がないようですから、面会はおしまいにします」
そう言って、私は地下牢から出て行った。
※
そんなことがあったから、私の頭の中はフィリップ様のことでいっぱいになった。アイラ嬢の言っていたことは信じられないけれど、それでも彼女が嘘を吐いているようには思えなかった。
仮にアイラ嬢の言っていたことが事実だったとしても。フィリップ様との婚約を解消され、エドと婚約した今となっては、もうどうすることもできない。
「ベラ、どうしたの?」
マーガレットの手綱を引いて歩いているエドが言った。
「何でもないですよ」
アイラ嬢から聞いたことを素直に言ってしまうのは気が引けた。
「それなら、ちゃんと集中して。落馬したらどうするんだい」
「ごめんなさい」
私は手綱をしっかりと持って前を見た。
今日は久しぶりの乗馬だった。乗馬と言っても、エドに補助してもらいながらマーガレットにゆっくりと歩いてもらうだけだ。恋愛小説のように、いきなり二人で乗馬して走るなんてことはできない。
「今日はこれくらいにしようか」
「ええ。そうしましょう」
本当はもう少し乗馬の練習をしたかったのだけれど、妃教育の授業の時間が迫っている。
エドに助けてもらって、マーガレットから降りた。
「乗馬も随分慣れてきてはいるけど、油断は禁物だよ。落馬したら死んでしまうことだってあるんだから」
エドは再び真剣な顔で注意してきた。私は再度、謝罪の言葉を口にした。
私が真剣に反省しているのが伝わったのだろう。エドは気を使って、私の乗馬技術が向上していると褒めてくれた。そして、この調子で行けば、もうすぐ短い距離を走らすこともできるだろうとも言っていた。
私はマーガレットの頭を撫でた。彼女は私の手を優しく受け入れてくれる。
「ただ、俺はこれから忙しくなりそうだから、しばらくは乗馬の練習に付き合えなくなる」
エドは寂しそうに言った。少し前から行っていた写真機の技術を他国に売り込む交渉を本格的に進めるらしい。話によると、エイメル公国が写真機に関心を持っているらしい。魔導技術が発達した公国なら、単純な商売の話ではなく、写真機の改良にも繋がるかもしれないとエドは考えているそうだ。
「寂しい」
こんなことを言ったらエドを困らせるかもしれない。そう思っていたのについ口に出してしまった。
でも、エドは気にするどころか喜んでいるようだった。
「なるべく早く商談を済ませられるようにするよ」
「はい。私もその間に妃教育を頑張ります」
「今日もこれから芸術の授業だっけ? ベラには難しくないと思うけど頑張ってね」
「はい」
本当はもう少し話をしていたかったけれど、次の授業まで時間がない。私はエドに別れを告げて、授業の準備に向かった。
私の悪評を広めようとしていたアイラ嬢とその父親の処分が決まったのは、婚約が発表されてから2週間程経った時だった。二人は高位貴族に対する殺人未遂の罪をはじめとする多くの罪状が言い渡されて、僻地への流刑となった。そして、マダール伯爵の爵位と領地も没収された。
アイラ嬢とは、一度だけ面会の機会をもらえた。彼女の収容されている地下牢は、とてもかび臭く、じめじめとしていた。劣悪な環境に閉じ込められていたからだろう。アイラ嬢はひどく憔悴していた。
でも、そんな彼女は私を見るなり目を吊り上げて怒鳴りつけてきた。
「一体、何の用? 私を笑いに来たの?」
最早敵意を隠そうともせずに言う彼女に対して、私は首を振った。
「いいえ。一つだけ、どうしても気になることがあったからそれを聞きに来たんです」
アイラ嬢は私の言葉に返事をしなかったけれど、私は話を続けた。
「どうして、私を憎んでいたんですか? あなたが好きだったのはエドではなくフィリップ様でしたよね? それなら、私ではなく、フィリップ様に愛されているエリナに嫉妬すると思うんです」
アイラ嬢は学生時代から、エリナよりも私を嫌っていた。あの時はてっきり、友達が少なく庇ってくれる人のいない私になら物が言いやすいのだと思っていたのだけれど。今回の殺人未遂事件でそうではないとやっと気がついた。
「フィリップ様が愛しているのがエリナですって? ・・・・・・ぷっ、ははははは、はははは」
突如として、アイラ嬢は狂ったように笑い出した。私は黙って彼女が落ち着くまで見守った。
そして、アイラ嬢は一頻り笑い終えると、再び私を睨みつけた。
「本当に何も分かってないのね! フィリップ様はエリナを愛してなんかいないわ」
━━何を言っているのかしら?
アイラ嬢の言葉を素直に受け入れられなかった。だって、エリナはいつでもどこでもフィリップ様の隣にいて、彼らはいつも楽しそうにしていたから。同級生のほとんどの人達は彼らのことを恋人だと認識していたくらいだ。
「あなたって本当に酷い人」
「どういう意味です?」
「あら? そうじゃない? 自分の婚約者の好意に気づかずに彼を狂わせておいて、自分は新しい男にのうのうと乗り換えるんだから」
私は驚きのあまり言葉を失った。
━━フィリップ様が私を好き?
そんなはずはない。彼は婚約者としての最低限の交流とエスコートはしてくれたけれど、私に対して好意を示してくれたことなどなかった。エリナにしていたように笑いかけてくれることも、デートをしてくれることもなかった。
看守は怪訝そうな顔で私達を見ていた。このままアイラ嬢と話していたら、いらぬ誤解を与えてしまうかもしれないと思った。
「囚人の盲言です。まともに話をする気がないようですから、面会はおしまいにします」
そう言って、私は地下牢から出て行った。
※
そんなことがあったから、私の頭の中はフィリップ様のことでいっぱいになった。アイラ嬢の言っていたことは信じられないけれど、それでも彼女が嘘を吐いているようには思えなかった。
仮にアイラ嬢の言っていたことが事実だったとしても。フィリップ様との婚約を解消され、エドと婚約した今となっては、もうどうすることもできない。
「ベラ、どうしたの?」
マーガレットの手綱を引いて歩いているエドが言った。
「何でもないですよ」
アイラ嬢から聞いたことを素直に言ってしまうのは気が引けた。
「それなら、ちゃんと集中して。落馬したらどうするんだい」
「ごめんなさい」
私は手綱をしっかりと持って前を見た。
今日は久しぶりの乗馬だった。乗馬と言っても、エドに補助してもらいながらマーガレットにゆっくりと歩いてもらうだけだ。恋愛小説のように、いきなり二人で乗馬して走るなんてことはできない。
「今日はこれくらいにしようか」
「ええ。そうしましょう」
本当はもう少し乗馬の練習をしたかったのだけれど、妃教育の授業の時間が迫っている。
エドに助けてもらって、マーガレットから降りた。
「乗馬も随分慣れてきてはいるけど、油断は禁物だよ。落馬したら死んでしまうことだってあるんだから」
エドは再び真剣な顔で注意してきた。私は再度、謝罪の言葉を口にした。
私が真剣に反省しているのが伝わったのだろう。エドは気を使って、私の乗馬技術が向上していると褒めてくれた。そして、この調子で行けば、もうすぐ短い距離を走らすこともできるだろうとも言っていた。
私はマーガレットの頭を撫でた。彼女は私の手を優しく受け入れてくれる。
「ただ、俺はこれから忙しくなりそうだから、しばらくは乗馬の練習に付き合えなくなる」
エドは寂しそうに言った。少し前から行っていた写真機の技術を他国に売り込む交渉を本格的に進めるらしい。話によると、エイメル公国が写真機に関心を持っているらしい。魔導技術が発達した公国なら、単純な商売の話ではなく、写真機の改良にも繋がるかもしれないとエドは考えているそうだ。
「寂しい」
こんなことを言ったらエドを困らせるかもしれない。そう思っていたのについ口に出してしまった。
でも、エドは気にするどころか喜んでいるようだった。
「なるべく早く商談を済ませられるようにするよ」
「はい。私もその間に妃教育を頑張ります」
「今日もこれから芸術の授業だっけ? ベラには難しくないと思うけど頑張ってね」
「はい」
本当はもう少し話をしていたかったけれど、次の授業まで時間がない。私はエドに別れを告げて、授業の準備に向かった。
27
お気に入りに追加
609
あなたにおすすめの小説
婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜
平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。
だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。
流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!?
魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。
そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…?
完結済全6話
私達、政略結婚ですから。
宵
恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。
それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。
幼馴染の公爵令嬢が、私の婚約者を狙っていたので、流れに身を任せてみる事にした。
完菜
恋愛
公爵令嬢のアンジェラは、自分の婚約者が大嫌いだった。アンジェラの婚約者は、エール王国の第二王子、アレックス・モーリア・エール。彼は、誰からも愛される美貌の持ち主。何度、アンジェラは、婚約を羨ましがられたかわからない。でもアンジェラ自身は、5歳の時に婚約してから一度も嬉しいなんて思った事はない。アンジェラの唯一の幼馴染、公爵令嬢エリーもアンジェラの婚約者を羨ましがったうちの一人。アンジェラが、何度この婚約が良いものではないと説明しても信じて貰えなかった。アンジェラ、エリー、アレックス、この三人が貴族学園に通い始めると同時に、物語は動き出す。
【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!
りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。
食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。
だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。
食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。
パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。
そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。
王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。
そんなの自分でしろ!!!!!
大切なあのひとを失ったこと絶対許しません
にいるず
恋愛
公爵令嬢キャスリン・ダイモックは、王太子の思い人の命を脅かした罪状で、毒杯を飲んで死んだ。
はずだった。
目を開けると、いつものベッド。ここは天国?違う?
あれっ、私生きかえったの?しかも若返ってる?
でもどうしてこの世界にあの人はいないの?どうしてみんなあの人の事を覚えていないの?
私だけは、自分を犠牲にして助けてくれたあの人の事を忘れない。絶対に許すものか。こんな原因を作った人たちを。
【完結】美しい人。
❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」
「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」
「ねえ、返事は。」
「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」
彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。
婚約者と兄、そして親友だと思っていた令嬢に嫌われていたようですが、運命の人に溺愛されて幸せです
珠宮さくら
恋愛
侯爵家の次女として生まれたエリシュカ・ベンディーク。彼女は見目麗しい家族に囲まれて育ったが、その中で彼女らしさを損なうことなく、実に真っ直ぐに育っていた。
だが、それが気に入らない者も中にはいたようだ。一番身近なところに彼女のことを嫌う者がいたことに彼女だけが、長らく気づいていなかった。
嫌うというのには色々と酷すぎる部分が多々あったが、エリシュカはそれでも彼女らしさを損なうことなく、運命の人と出会うことになり、幸せになっていく。
彼だけでなくて、色んな人たちに溺愛されているのだが、その全てに気づくことは彼女には難しそうだ。
【完結】聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。
みやこ嬢
恋愛
「ルーナ嬢、神聖なる聖女選定の場で不正を働くとは何事だ!」
魔法国アルケイミアでは魔力の多い貴族令嬢の中から聖女を選出し、王子の妃とするという古くからの習わしがある。
ところが、最終試験まで残ったクレモント侯爵家令嬢ルーナは不正を疑われて聖女候補から外されてしまう。聖女になり損なった失意のルーナは義兄から襲われたり高齢宰相の後妻に差し出されそうになるが、身を守るために侍女ティカと共に逃げ出した。
あてのない旅に出たルーナは、身を寄せた隣国シュベルトの街で運命的な出会いをする。
【2024年3月16日完結、全58話】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる