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29-3 私の大切な人

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「ごめん、アンディ。その約束はできないわ」
「どうしてだ?」
 アンディは私が断ると思っていなかったのか、驚いていた。
「また、さっきみたいな事があったら私はきっと力を使ってしまうから」
 自分の人生の安寧のためにアンディを見殺しにするなんて絶対にできない。
「獣に襲われて怪我をしているあなたを黙って見ているだけなんて嫌だもの」
 言っている途中でまた涙が溢れてきた。さっきの血塗れのアンディが頭に浮かんできたからだ。もう彼が大怪我を負った姿なんてみたくなかった。
「シア・・・・・・」
 アンディは困り顔になって私を抱きしめた。
「俺、強くなる」
 彼はぽつりと呟いた。
「今でも十分、強いよ」
 私が言うと、彼は抱きしめるのをやめて私と向き合った。
「いいや。どんな獣やモンスターにも負けない、伝説の英雄のような男になるんだ」
 彼にしては珍しく年相応の子どもじみた発言だった。
「物語の勇者みたいに?」
 私が言うと、アンディは頷いた。いつもなら、「馬鹿馬鹿しい。夢の見過ぎだ」とでもいう態度をとるのに。
「そうだな。だから、物語のお姫様のようにシアを守らせてくれ」
「アンディ・・・・・・」
「例えどんなものであっても、俺が守ってやるから。だから、その力は使うな」
 アンディの目はいつにも増して真剣だった。私が彼の事を大切に思っているように、彼もまた、私の幸せを願ってくれているんだ。
「絶対、絶対に無理しないでね」
「うん」
「私、ハッピーエンドしか認めないから。どんなに強くて悪い者と戦っても負けないって約束して。そうしてくれるなら、私はお姫様としてあなたに守られるわ」
「分かった。俺は何にも負けない。シアを心配させるような怪我もしない」
 そう言うとアンディはまた小指を差し出した。私は「絶対だからね」と念を押して、指切りをした。







 お母様が死んだ。

 "野盗が家の中を荒らした末にお母様を殺して去っていった。そして、それをお父様の使いの者達が偶然にも発見した"

 彼らはそう言っていたけれど、絶対、嘘に決まっている。
 こんな人里離れた山の寂れた小屋を襲う野盗なんていやしない。価値のある物がないのは外観を見れば明白で、山を下ればもっと裕福な家は沢山あるのだ。それなのに、わざわざ山小屋に盗みに入るなんて、非効率的で徒労にも程があるだろう。
 それに、お母様が死の間際に現れるお父様の使者なんて、タイミングがおかしすぎる。

 "私とジェシカを手に入れるため、お父様はお母様を殺した"

 そうとしか考えられない。
 私はその事実に耐えられなくなって、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「シア・・・・・・!」
 心配したフェイが私の肩を撫でた。「心配かけてごめんね」と言いたかったけれど、周りの目がある。彼女は魔法で姿を消しているけれど、私が話しかけたら台無しだ。

「シアリーズ様、お可哀想に」
 そう言ったお父様の使いの男は、ちっとも私を哀れんでいなかった。それどころか、薄ら笑いを浮かべている。
「まだ小さいお嬢様方は、このままここで暮らしていくわけにもいかないでしょう?」
「・・・・・・」
「さあ、ジョルネス公爵様の元に戻りましょう。そとそも、お二人にとってそこがいるべき場所なのですから」
「・・・・・・」
「シアリーズ様?」
 使いの男は私をじっと見つめる。
「少しだけ、時間をちょうだい」
 私は泣きたい気持ちを抑えて言った。それを聞いた男は面倒くさいとでも言いたげに顔を歪めた。
「心の整理をしたいの。お母様が死んで私も悲しいのよ。分かってもらえないかしら?」
「しかし、公爵様もお二人との再会を待ち望んでおりますので・・・・・・。奥様が亡くなったとあっては、心配でたまらないでしょうから」
 いかにもそれらしい事を言ってはいるけれど、あのお父様がただで娘の心配をするはずなんてない。
「そんなに時間を取らせないから。ジェシカにここでの暮らしを終える事を説明して、お母様に黙祷する時間さえもらえればいいわ」
 そうじゃなければ私はあなた達についていかない。そういう気持ちを込めて男を見据えれば、彼は溜め息を吐いた。
「いいでしょう。では、日が落ちる前までには終わらせて下さい」
「ええ。それと、ジェシカにこれ以上不安な思いをさせたくないの。だから、あなた達は小屋から離れた場所にいて」
 男は難しい顔をした。
「大丈夫よ。逃げたりしないわ。子ども二人が大人の手も借りずこれから生きていけるはずないもの」
 苦笑して言えば、使用人の男は小屋から出て行った。窓辺から様子を伺うと、彼は小屋から少し離れた所に立つのが見えた。これなら、フェイと話をしても聞かれることはないだろう。

「フェイ、大丈夫よ」
 囁くと、フェイは警戒をしながらも姿を現した。
「シア、意地悪な父親の所に行くなんてだめよ!」
「そうね。私も行きたくないわ。・・・・・・でも、私は行かなきゃいけない」
 お父様に見つかってしまったのだからここでは暮らせない。
「ねえ、シア。あいつら全員黙らせましょう」
 フェイの言う"黙らせる"とは、きっと、人以外のものに形を変えさせる事だ。以前に熊に襲われた時に私が使ったあの魔法のように。
「だめよ。そんな事をしても、お父様は別の人間を寄越すだけで解決しないわ」
「それならまた黙らせればいいの。私の力の心配をしてるの? それなら無用だわ。私はティターニアなんですもの。シアも私の力を知っているでしょう?」
「勿論よ」
 フェイはここ最近、ティターニアになったばかりだ。しかし、それでもティターニアとなった彼女の強さは契約を結んでいる私には目に見えて分かった。
「でも、お父様はいくらでも人を寄越すわ。フェイがどれだけの人間を人間でなくしても、お父様にとっては痛くも痒くもないでしょうから」
 お父様は人の心がないから。誰が死のうとどんなに辛い想いをしようと、自分の欲望を優先させる。城にいた頃の私は今よりももっと幼かったけれど、それでも、そんなお父様の行動が脳裏に焼き付いていた。
「それに、お父様はきっと嘘を吐いて周りを味方につけようとするはず」
 賢いフェイは私の言いたい事をすぐに理解してくれた。
「まさか、人間対妖精という構図を作って、戦争するとでもいうの?」
「私はそう思ってる。モンスター討滅部隊がやってきてこの山々を荒らすに違いないって」
 返事をすると、フェイは難しい顔で俯いた。
 きっと彼女は、自分の行動一つで仲間の平穏な日々が崩れる事を恐れているのだ。

「私はそんな事はあって欲しくないの」
「でも・・・・・・」
「私のせいでこの地域に住むフェイや他の妖精達、それからアンディ達にも危険が降り掛かって欲しくない!」

 だから、危険の目は全て摘んでおこう。
 私が神聖力を既に発現させていて、その上、妖精の力まで持っているとお父様に知られたら・・・・・・。何をさせられるか分かったものじゃない。
 でも、お父様の意思に反して使わないと拒否をすれば、お父様はきっと強引な手を使うだろう。フェイやアンディの存在を知れば、彼らを人質に取るような真似をしてくるに決まっている。その過程で、二人の身に危険がないとは言い切れない。

 ━━そうならないように、全部忘れよう。

 ここでの暮らしを全て忘れてしまおう。神聖力を発現させた事も、妖精の力を手に入れた事も、全部なかった事にするんだ。そうすれば、フェイやアンディを危険に晒さないで済む。

 だから、私は言った。

「フェイ、私に忘却の魔法を掛けて」

 私がそう言うと、フェイは目を丸くした。
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