偽りの聖女の身代わり結婚

花草青依

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10 彼の優しさ

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 扉を開けたのはアンドリュー卿だった。
「きゃっ!」
 私は叫び声をあげて彼に背を向ける。
「あっ・・・・・・。すまない。声をかけたが返事がなかったから」
 最後の方は声が消え入りそうになっている。私が大きな声を上げたからアンドリュー卿も気まずいのだろう。
「ごめんなさい、聞こえなかったわ」
「いつまでも湯に浸かっていたらのぼせるだろう。早くあがった方がいい」
「はい」
 扉が閉まる音がしてから立ち上がった。その瞬間、視界がぐるぐると回った。お腹がムカムカして急激に吐き気が襲ってくる。
 私はバスタブから出ようとして倒れ込んだ。







 気がついたらベッドの中にいた。傍らにはアンドリュー卿がいて心配そうに私を見ていた。
 起き上がろうとしたらクラクラして、また倒れ込みそうになった。アンドリュー卿は私の背中に腕を回して、起き上がるのを手伝ってくれた。
「ほら、飲め」
 水の入ったコップを差し出された。私はそれを受け取ると、すぐに飲み干した。
 一息吐いて横になると、身体はずいぶん楽になった。
「長風呂のし過ぎだ」
「ごめんなさい」
「侍女の一人でも連れて来るべきだった」

 ━━世話が焼けて面倒な女だと言いたいの? 悪いのは私だけど、そんなことを言わなくてもいいじゃない。

 腹立たしくなって、私は彼に背を向けた。寝たふりをしていれば部屋から出ていってもらえると思っていたのに、彼はいつまで経っても出ていく気配がない。それどころか、私の私の髪をタオルで拭き始めた。
「アンドリュー卿?」
 起き上がらろうとしたら「寝ていろ」と言われた。
「まだ気分がよくないんだろう?」
「ええ。でも、髪は拭かなくても」
「だめだ。風邪を引いたらどうするんだ」
「それくらいは自分でできるから」
 そう言った途端、彼の手がぴたりと止まった。
「髪に触れられることさえ嫌か?」
 彼の声が心なしか沈んでいるように思えた。振り返って見たら、とても悲しそうな目で私を見ていた。

「ち、違います。面倒なことをさせたくないと思っただけ」
 私の言葉にアンドリュー卿の顔が綻んだ。
「面倒じゃないから大丈夫だ。だから拭かせてくれ」
 また横になるように促されて彼にされるがままとなった。

 ━━よく分からない人。

 嫌味なことを言うこともあればこんな風に優しくするなんて。彼が何を思っているのかよく分からない。

 "もう少し、お話をしましょうよ"

 フェイの言葉が頭に浮かんだ。
 そういえば、アンドリュー卿は浴室でフェイを見たんだろうか。そんな疑問とともに、嫌な考えが頭を過る。

 ━━そもそも私は誰に助けられたんだろう? 私に服を着せてくれたのは誰?

「あの」
「何だ?」
「私、浴室で倒れていたのよね?」
「そうだが」
「見つけてくれたのはアンドリュー卿?」
「ああ。着替えさせたのも俺だ」

 ━━恥ずかしい。

 返事を聞いて、途端に顔が熱くなった。
 裸を見たのは他人ではなくあくまでも夫だ。それに、私を助けてくれて服まで書かせてくれた訳で。だから、アンドリュー卿に感謝をしないといけないのは分かっている。
 でも、羞恥心の方が大きくて、とてもそんな言葉は出てこない。
「耳が真っ赤だ。そんなに恥ずかしがらなくてもいいだろう」
「そんなこと言われても恥ずかしいわ」
「初夜の時に見たから今更だろう?」
「そうだけど・・・・・・。もう1年半も前の事だし、それにあの時は部屋の中はもっと薄暗かったもの」
「ちゃんと覚えているんだな」
 アンドリュー卿はそんなことを言って私の頭を撫でた。
「アンドリュー卿こそ、よく覚えていますね」
「当たり前だ」

 ━━どうして? あなたにとってもあれは嫌な思い出だったの?

 そんな考えが頭を過った時、扉がノックされた。アンドリュー卿は立ち上がると扉を開けた。宿の人が、寝込んでいる私のために料理を持って来てくれたのだ。
「食欲はあるか」
 料理を受け取ったアンドリューが私を見て言った。
「はい。もう大丈夫です」
「そうか」
 テーブルで食べられるのに、アンドリュー卿はわざわざベッドまで持って来てくれた。
 スープにパン、サラダと肉と、しっかりとした献立だ。アンドリュー卿が今朝言っていたことは本当だったらしい。それに、味も決して悪くはない。ただ、やっぱり私には量が多かった。

「口に合わなかったか」
 食べ残しを見てアンドリュー卿は眉を顰めた。

 ━━毎回これじゃあ、食事が嫌になるわ。

 ちゃんと話をした方がいいと言ったフェイの顔が頭に浮かんだ。

 ━━これくらいは、話しても怒られないよね?

 頭の中でフェイに聞いてみたって、勿論、答えは返ってこない。でも、勇気を奮い立たせることはできた。

「口に合わないんじゃない。ただ、私には量が多いの」
「少ししか量がないのに。随分と少食だな」
 アンドリュー卿はそう言うと、私の食べ残した料理を私が使ったフォークで食べ始めた。
「ちょっと」
「ん? もういらないんじゃないのか」
「いえ。ただ、同じ食器を使うのいかがなことかと」
「残り少しなんだ。わざわざ新しいフォークを持って来させる方がどうかと思うがな」
 そう言って、彼は私の残した料理を全て食べ終えた。
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