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淡色センチメンタル
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30歳の時、美月は2回目の結婚をする。服のブランドを立ち上げて実業家としてやっていこうとしている同じ歳の人と、祐介を妊娠しての、結婚だった。
私は出産と子育てに美月の体と精神は耐えられるのか正直不安になったが、いい大人が出した決断に口を挟むのもよくない。美月自身は彼との結婚を喜んでいたし、子供を産んで家庭を築いていく未来も楽しそうに私に語ってくれたし、幸せそうだった。
それでも「私にちゃんと育てられるかな」と、出産予定日が近づくにつれて美月は不安がるようになった。子供を産んでいない私には子育ての大変さは想像しかできないが、美月の精神的にはあまり気軽に、適当な答えを言えなかった。「旦那さんと2人で、なんとかやってみるしかないんじゃないかな」と言っても、美月はそうだね、と下を向いたままだった。「私も助けに行ける時は行くよ。なんなら住み込んで、3人で育てる?!」と少し茶化して言うと「心強いわ、ありがとう」と嘘くさく笑った。
その結婚生活は、祐介が1歳の誕生日を迎える頃終わってしまった。彼は誠実そうな人だったけれど、育児のストレスを抱えた美月とどうしてもうまく生活できなかったようだった。
私はその頃ーーおそらく2回目の旦那さんと離婚する直前くらいの時期、祐介の誕生日プレゼントを持って美月の家に遊びに行ったことがある。
カラフルなプレイマットがひかれた床にはたくさんの絵本やおもちゃが散乱していて、「もう最近はあの人あんまり家に帰ってこないんだよね」という旦那さんの生活の痕跡は確かになかったが、ここで必死ながらも愛しそうに祐介を育てる美月の少し疲れた笑顔に、思いもよらず『母性』というものを感じたのだ。子供を産むと、何かが変わるものなのか。
私のおもちゃに興奮した祐介は遊び疲れてやがてグズリ始める。「ちょっと布団で落ち着いて寝かせてくるわ。適当に待ってて」と美月が部屋を出ていき、私は広いリビングで1人になった。
リビングの隅の一角が美月の作業スペースになっている。シンセサイザーと数台のパソコンとギター、たくさんの本や資料のような冊子、譜面、メモなどがこちらも散乱していた。祐介が入れないように膝丈ほどのベビーガードで囲ってあるが何枚かの紙が手を伸ばせば触れてしまうところまで落ちてきていた。祐介がくちゃくちゃにしたら困るんじゃないかなとそれを拾った時、美月の手書きの文字が並ぶその紙を、私は目で追ってしまった。
『あなたと別れて、別の人と恋愛している私をあなたはどう見ていたのかな。
興味なかったかな。オレはもうごめんだ、て思ってたかな。
それとも見守ってあげようと、何かあった時は助けてあげたいと、思ってくれていたのかな。
あんな生き方しかできない私が、親を愛しているのか憎んでいるのかわからない私が、
子供を産んだよ。母親になったよ。
私が、この子の人生の責任を1人で担えるような人間とは思えないけど
もしかしたら今の私は少し変わったのかな。
今の私に会ったら、あなたは何て思うのかな。
一緒に人生を歩くことはできなかったけど、出会って、同じ時間を過ごして
こんな私を理解しようとしてくれた。愛しいと思ってくれた。
人は人と出会って別れるけれど、あなたが彩ってくれた私は若くてエネルギーに溢れた、まるでそれで独立した作品みたいだった。』
これは、影山さんに宛てた手紙…?それとも仕事の、作品の、歌詞をかいている一部?創作なのか、美月の心情なのか、でも間違いなく影山さんのことを言っている。
もしも美月が今、影山さんに助けを求めているのならば、私は何としても連絡をとって取り次いで会わせたいと思う。例え影山さんにとって迷惑であっても。頼み込んで。
でも美月自身も書いているように、もしかしたら今の美月は少し変わったのかもしれない。今美月には祐介がいる。「この子には私がいなきゃダメ、とかあんまり思わないかな。実際お世話なんて誰でもできるし、祐介は誰にでもすぐなつくしね。母親がいないと寂しい思いをする、っていうのはまぁそうなのかもしれないけど…。そんなのは本人に頑張って乗り越えてもらうよ」「我が子の存在って、もっと人生観を変えるようなものかと思ってたけど、今のところそうでもないね」と言う美月と「ドライな子育論だ」「珍しい母親像だ」なんて笑って話していたけど、美月に少しだけ感じた母性を私は信じてみたい。子供を産んですっかり変われる訳じゃなくても、自分の人生の100%を子供に捧げなくても、美月の人生に祐介が存在するようになったことが今までと違う感情や考えをもたらしているのだろう。
だからきっと影山さんへの思いも、未練とか後悔とかじゃない。今、助けて欲しいと思っている訳でもない。私は不思議と確信に近く、そう思った。
私は出産と子育てに美月の体と精神は耐えられるのか正直不安になったが、いい大人が出した決断に口を挟むのもよくない。美月自身は彼との結婚を喜んでいたし、子供を産んで家庭を築いていく未来も楽しそうに私に語ってくれたし、幸せそうだった。
それでも「私にちゃんと育てられるかな」と、出産予定日が近づくにつれて美月は不安がるようになった。子供を産んでいない私には子育ての大変さは想像しかできないが、美月の精神的にはあまり気軽に、適当な答えを言えなかった。「旦那さんと2人で、なんとかやってみるしかないんじゃないかな」と言っても、美月はそうだね、と下を向いたままだった。「私も助けに行ける時は行くよ。なんなら住み込んで、3人で育てる?!」と少し茶化して言うと「心強いわ、ありがとう」と嘘くさく笑った。
その結婚生活は、祐介が1歳の誕生日を迎える頃終わってしまった。彼は誠実そうな人だったけれど、育児のストレスを抱えた美月とどうしてもうまく生活できなかったようだった。
私はその頃ーーおそらく2回目の旦那さんと離婚する直前くらいの時期、祐介の誕生日プレゼントを持って美月の家に遊びに行ったことがある。
カラフルなプレイマットがひかれた床にはたくさんの絵本やおもちゃが散乱していて、「もう最近はあの人あんまり家に帰ってこないんだよね」という旦那さんの生活の痕跡は確かになかったが、ここで必死ながらも愛しそうに祐介を育てる美月の少し疲れた笑顔に、思いもよらず『母性』というものを感じたのだ。子供を産むと、何かが変わるものなのか。
私のおもちゃに興奮した祐介は遊び疲れてやがてグズリ始める。「ちょっと布団で落ち着いて寝かせてくるわ。適当に待ってて」と美月が部屋を出ていき、私は広いリビングで1人になった。
リビングの隅の一角が美月の作業スペースになっている。シンセサイザーと数台のパソコンとギター、たくさんの本や資料のような冊子、譜面、メモなどがこちらも散乱していた。祐介が入れないように膝丈ほどのベビーガードで囲ってあるが何枚かの紙が手を伸ばせば触れてしまうところまで落ちてきていた。祐介がくちゃくちゃにしたら困るんじゃないかなとそれを拾った時、美月の手書きの文字が並ぶその紙を、私は目で追ってしまった。
『あなたと別れて、別の人と恋愛している私をあなたはどう見ていたのかな。
興味なかったかな。オレはもうごめんだ、て思ってたかな。
それとも見守ってあげようと、何かあった時は助けてあげたいと、思ってくれていたのかな。
あんな生き方しかできない私が、親を愛しているのか憎んでいるのかわからない私が、
子供を産んだよ。母親になったよ。
私が、この子の人生の責任を1人で担えるような人間とは思えないけど
もしかしたら今の私は少し変わったのかな。
今の私に会ったら、あなたは何て思うのかな。
一緒に人生を歩くことはできなかったけど、出会って、同じ時間を過ごして
こんな私を理解しようとしてくれた。愛しいと思ってくれた。
人は人と出会って別れるけれど、あなたが彩ってくれた私は若くてエネルギーに溢れた、まるでそれで独立した作品みたいだった。』
これは、影山さんに宛てた手紙…?それとも仕事の、作品の、歌詞をかいている一部?創作なのか、美月の心情なのか、でも間違いなく影山さんのことを言っている。
もしも美月が今、影山さんに助けを求めているのならば、私は何としても連絡をとって取り次いで会わせたいと思う。例え影山さんにとって迷惑であっても。頼み込んで。
でも美月自身も書いているように、もしかしたら今の美月は少し変わったのかもしれない。今美月には祐介がいる。「この子には私がいなきゃダメ、とかあんまり思わないかな。実際お世話なんて誰でもできるし、祐介は誰にでもすぐなつくしね。母親がいないと寂しい思いをする、っていうのはまぁそうなのかもしれないけど…。そんなのは本人に頑張って乗り越えてもらうよ」「我が子の存在って、もっと人生観を変えるようなものかと思ってたけど、今のところそうでもないね」と言う美月と「ドライな子育論だ」「珍しい母親像だ」なんて笑って話していたけど、美月に少しだけ感じた母性を私は信じてみたい。子供を産んですっかり変われる訳じゃなくても、自分の人生の100%を子供に捧げなくても、美月の人生に祐介が存在するようになったことが今までと違う感情や考えをもたらしているのだろう。
だからきっと影山さんへの思いも、未練とか後悔とかじゃない。今、助けて欲しいと思っている訳でもない。私は不思議と確信に近く、そう思った。
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