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10、泡に消える

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「ねぇ、これからたまに連絡してもいい?」私は会話の繋がりも関係なしに思わず言った。今のはるおに何を求めるのか。もう私の死へのベクトルが心地良く思う存在ではないのに、それでも放したくないのか。
「人妻だからまずいんじゃないの」軽蔑でもなく、一般的な意見のようにはるおが言う。

「オレが側にいたら死にたくなるの?死にたくなくなるの?」はるおは少し身を乗り出してぐいっと顔を近づけた。
私が求めたはるおが消えてしまっても、同じ顔で同じ声のこの目の前にいる男が側にいたら寂しくないんじゃないだろうか。
一瞬そう思ったけれど、やっぱりきっと、それは違う。
悲しいけれど、違うんだ。

私の思考は少しだけくにゃくにゃからクリアになってきて、泡の無くなったシャンディガフは酔えないどころか不味くなった。
はるおと抱き合いたい訳じゃない。
何も答えない私から顔を離して、はるおは手元のメモ用紙に番号を書いた。
「奈々子が会いたいなら連絡くれればいいし、店に来てくれてもいいよ」
呆れているのか、心配しているのか、優しく言うはるおの真意はわからない。
「うん」目を合わさないで聞こえないくらいの小さな声で返事をした。
今日を最後に、もうはるおと会うことはないのかな。

23時半になる。電車の時間にも、醒めかけてきた酔いにも、帰るにはちょうど良い頃だった。
15年前、私が勝手に都合の良いように理解したはるおという存在は、確かに私に必要だった。屋上ではるおが引き戻しさえしなければ私はちゃんと飛び降りることができた、その事実も心の支えだった。
そして自分の中であたためてあたためて作り上げた想像のはるおに、私は寄りかかっていたのだ。
自覚してしまえば何てつまらない話だろう。
このまま家に帰ってもいいし電車に飛び込むのもいい。どこかの酔っぱらいのケンカに巻き込まれて刺し殺してくれないだろうか。
こんな気持ちは今まで何度も経験している、どうせ死ねないし何も起こらないって知っている、そんな時ぼんやり思い出すはるおもたった今失った。

今日、はるおに会えてよかった。結果的にはそう思う。
お店に行く前に一体私は何がしたいのか、この行動は合っているのか、と考えていた事が全部はっきりした。
二時間前の私に教えてあげる。私はね、はるおという偶像を求めていたんだよ、勇気を出して確かめに来たんだよ、そして喪失感と泣きたい気持ちで夜の街を歩くんだよ。
一般的に言えば、例えば別れた後も忘れられなかった恋人にいよいよ決定的にフラれて、でもその時に、あ、私はこの人との思い出を引きずっていただけなんだわ、と理解した、みたいな心情なのだろうか。それでも年月がある分、その気持ちが急になくなる事が悲しい、みたいな。そう例えると、何だかすごく健全じゃない?周りの友達はきっと、吹っ切れてよかったじゃん!と言うだろう。

私の中にずっといた、はるお。
自分でもうんざりする生き方しか出来なくて勝手に苦しんでいる私を慰めるために肯定するために安心させるために存在してくれていた、はるお。
忘れられない彼氏とは少し違うけれど、その存在を失ったことで何かが変わる。それは良い事なのか?悪いことなのか?よくわからないや、と考えて笑えてきた。
夜の街を歩きながら、どうせ酔っぱらいのケンカにも巻き込まれない、電車に飛び込むこともできない私が、何か変わるって、日常的には何も変わらないじゃない。
1人劇場に少し歯止めが効かなくなるだけで、それは私の思考の中であって生活世界は何も変わらない。
家に向かう電車のホームに立ちながら、生けるだけ生きていければいっか、とどうでもいい事のように心でつぶやいた。
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