上 下
8 / 10

8、アルコールは思考を開放する

しおりを挟む
「35?」「え?」「オレの3コ下だったよね。奈々子今35歳?」「そうだよ」
20歳と23歳でビルの屋上にいた若かった2人が、35歳と38歳の大人になってバーで再会している。
「あんま変わってないね」「そう?はるおも、そんなに変わってないよ」
写真で見るよりは昔のままのはるおだった。店内のオシャレな照明のせいか肌は白く見えたし、長い前髪と長いまつ毛も変わらない。

一瞬会話が途切れたところを見計らって、従業員がはるおに「店長すいません。テーブル5番さんが店長呼んでます」と声を掛ける。
このお店は常連はもちろん、新規の客にも1人の客にも従業員は気軽に声を掛けている。話し込む姿も見られるし、「ちょっとごめんね」と5番テーブルに行ったはるおも、常連らしきグループと談笑が始まっていた。

昔の知り合いが1人で来たから声を掛けた。
久しぶりと言葉を交わした。
ただそれだけの事で、このままはるおが接客に追われている間に帰るのもいいのかもしれない。私ははるおが笑顔で声を掛けてくれただけで、どこか満足した気になっていた。
シャンディガフはあとひとくちだけ残っている。

この15年をどうやって過ごしてきたか長々と話し込む訳にもいかないだろうし。ましてやまだ死にたいとか思ってる?なんて、そんな事を話すのがすごく恥ずかしくなってきた。話したところでなんなのか。自分が何がしたいのかよくわからない。

「お客様、何か飲まれますか?」カウンターにいる従業員がにこやかに聞く。
「店長のお知り合いですか?」「昔の知り合いです。でも忙しそうだし、あんま話せなさそうかな」「…そうですね。結構色んなお客様に呼ばれてますね。また後で呼んできますよ」
シャンディガフ1杯ではとても酔えない。そんなつもりじゃなかったのに、なんだか酔いたくなってきた。はるおに会えた事で少し心を揺さぶられた私はもう少し酔って、思考の解放を試みよう。

2杯目は、私よくお酒を知らないのでと前置きしてから、少しだけ強めのサッパリしたなにか定番ぽいやつください、と注文する。ツウぶってる訳じゃないことを伝えたつもりだった。
それからしばらく、美味しいお酒とピザをゆっくり楽しんでいた。
月1で飲みに来るという右隣の50歳くらいの男性との当たり障りのない会話でも、酔っていると悪い気分ではない。
へー映画が好きなんですね、いえいえ私は子供がいるし映画館なんて何年も行ってませんよ、どんな映画を観るんですか?、アクションといえば?ブルース・リーとかですか?え、古い?笑わないでくださいよー。
旦那に内緒で来た夜のバーで1人で酔っている背徳感。初対面の人との無意味な会話を続ける微笑ましさと馬鹿馬鹿しさ。
別に毎日の生活に不満がある訳じゃないけど、私がいつまで生きていくのかはずっとずっと疑問で、自分を憂いているのか可愛がってあげたいのか壊れてしまえと思っているのか、混ざって思考が定まらなくて、あぁお酒っていいな。
たった1杯のカクテルでの1人劇場、安い感情だ。

はるおは常にどこかで接客をしていたり、カウンターに戻ってお酒を作ってはまたどこかのテーブルに運んだり、従業員に度々指示をあおがれたり、笑いながら忙しそうに動いている。
私はぼんやり目で追いながら、普通に働いてる38歳のはるおと、屋上で飛び降りる決心を持てなかった23歳のはるおを酔った頭で何度も重ねていた。

後ろから肩を叩かれて、振り向くとはるおだった。
「店が終わるまで待っててよ」と言う。昔みたいで笑えた。
終わるまでって朝の5時まで?あなたと私の生活時間は違うんだってば。当たり前のように言われてもそれは無理だ。
「無理だよ、終電で帰るよ。旦那も子供もいるから」「そっか」
はるおはまた店全体を見渡して、「後でまた来るから帰らないでよ」と言った。

はるおは私と話をしたいと思ってくれているんだな、嬉しいな。一体何を話すのだろう。
もう全然頭が働かない。思考回路がふにゃふにゃしている。
普段考え過ぎな私はアルコールによるこの感じが好きだった。
欲求とか、思いとかに、「でも」「もしかしたら」の思考が続かないから、自分が確かに強く感じることだけを、純粋に、言葉にできる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

処理中です...