日月物語~亡国公妃の美しき末路について~

芽吹鹿

文字の大きさ
上 下
11 / 23

11離縁の筆跡

しおりを挟む
 枷のついた私の手を、周りの役人たちが持ち上げた。虜囚が自ら筆を握らないとわかって嫌気がさしたように彼らは詰め寄ってくる。その勢いに押される形で、私はいいかげんに「ラルカ・ハインツ・マグリット」と手癖のように旧姓もいれた名を記してしまうのだった。

「上出来だ。なるほどマグリット家の出自だったのか」

「はい……。あの、私の実家をご存じなのですか?」

「無論だ、ハインツ領では有力な武家だったからな」

 私の生まれはハインツ家に仕えていた大家である。兄と弟が何人もいたせいで、『まざりもの』の私はあまり一族に価値あるものとして見なされてこなかった。そんななかでも、父と祖母だけは決して私を見放さずにいてくれた。

 剣の握り方と乗馬の技術は父から。宮廷での身のこなしと礼節については祖母からそれぞれ学んでいる。彼らがいなければ私はいまだに『まざりもの』の半端野郎だっただろう。

「では失礼する。ごくろうだった」

「え……あ、その紙はいったい。私はどんな内容に署名したのでしょう」

「離縁状だ」

 大したこともなさそうに公爵は言った。私は訊いておきながら息を吸うことを忘れるほどに心がかき乱される。何を言っているのか初めはわからず、ようやく「離縁」の文字が頭に浮かんできた時には嗚咽を漏らしそうになった。

「え……は?」

「お前と夫であるマルスの婚姻を断つための書類だ。それ以上のことは何も求めていない」

 この上ないほどの無感情な台詞を聞いて、心臓の動悸が早まっていく。そのなかで従者は主を追うように私の寝台の群がりを解いていった。部屋を照らす蝋燭の火が、壁に人々の克明とした影を刻む。皆が私に背を向けていることが目を伏せていてもわかってしまう。

 夫と婚姻を誓った場所はハインツ城だ。帝国はおろか、ジークラントに夫婦の結婚を解消される謂れはない。夫の生死は不明だろうが断じて私は今の手続きを認めることができなかった。

「おかしいです。そんな……そんなこと!!」

「理不尽だと思うのも仕方ないことだ。だがこれは俺たちジークラントの意向だ、お前にとっても良い選択になるだろう」

 離婚を強いられることで私の人生が好転する?あり得ないし、この状況で何を言われても説得力がなさすぎる。ハインツ公妃である自分の立場だけが心の拠り所だったのにそれさえ奪われてしまったら、私は今度こそ出来損ないになってしまう。

 男はまた私の筆跡を見つめるような素振りをくり返す。まるで書き漏らしが無いかと確かめるように、公爵が本性を現したのだと思った。だが、この状況になっても私は彼を極悪非道の人と判断することができなかった。

 公爵に私は二度命を救われている。一度目は戦場で、疲れて倒れ伏した私を五体満足で生かした。二度目は帝都での惨事のなか未然に私だけが生き残る算段を企てていた。公爵の根回しがなければ私は早めにあの世へ旅立っていただろう。

「公爵さまがわかりません……!!公爵さまは私に何を求めているのです?どうしてこんな意味のない生活を私にさせるのですか。もう気力さえ残っていなくて誰の声も話も響かないのにこれ以上、どうしろと。私はこの先どうしろと言うのです」

 我が儘ばかりの私が口を開くたび、皆が答えを避けようとする。公爵もそうなのか。帝国の北側をもれなく治める権力者さえ、私の処遇をどうすべきか迷っているのだろうか。

「全面的に期待している。ラルカ、だから大人しく待っていろ」

 答えが知りたい。私は当主の顔を仰ぎ見て、懇願の意を臆さずに伝えた。何を言ったのか自分でもわからないほど緊張と胸が張り裂ける思いだった。少なくとももう隠し事はやめてほしい、どうか自分がおめおめと生きながらえている理由を教えてほしい。何もわからないのは辛いと私が顔を歪めるのと同時ぐらいに、公爵が私のそばに近寄ってきた。

「お前は俺の妻になるのだ」

 お互いの耳でしか捉えられない程度の小声で、そっと呟いてくる。
 いくつもの感情が渦巻いた。喜怒哀楽のうちでどれが私の本音かわからなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…

月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた… 転生したと気づいてそう思った。 今世は周りの人も優しく友達もできた。 それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。 前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。 前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。 しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。 俺はこの幸せをなくならせたくない。 そう思っていた…

処理中です...