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54どこへ行こうとも
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冬宮に侵入した大男クリス・レイフィールド、それと忍び込んでいた手先が五人。侍女として宮に潜んでいた女官の三名を、アルベール皇太子が自ら討ち果たしたこと。それに終わらずレイフィールドの残党を粛清するべく、皇太子が第2近衛隊を率いて大宮殿に乗り込んだというのだ。
「おかげでオックスの野郎を仕留められるかと思いましたが」
着いたころにはレイフィールドもストロガノフもすでに帝都を脱出していた。皇太子付きの執事、ゴードンは震える手を抑えながら、宰相に語れるすべてを話していく。彼の眼は血走っていた。
「もしや貴殿も武器を取ったのか?」
「まぁ。老いぼれとはいえ殿下を守るのが仕事です」
武者震いする文官なんてめったに見ない。宰相オズモンドは老人を労わり、これぞ帝国に尽くす臣下の鑑であると賛辞を送った。
「それで、貴族たちの被害はいかほどか?」
「いえいえ閣下。犠牲者はまったくおりませぬ。なにせ宮殿は我々が着いた時には、すっかりもぬけの殻でしたから」
「ネズミすらいませんでした」とゴードンは眼鏡を拭きながら付き足していく。
おそらく皇后陛下の采配だろうなと、オズモンドは予感めいたものがあった。帝国の培ってきた威光と力が集約する大宮殿、神聖な場を貴族たちの血で染めることがあってはマズい。皇太子の未来を考えればそのような事態は回避するに限るだろう。
「さすがの判断か。刃の矛先が貴族連中にも向かっていたらと思うと、ゾッとする」
ひとまず憎悪が伝播されることは無さそうである。皇太子の信頼が損なわれることもない、むしろ人聞きする程度ならば輝かしいことではないか。宮中での陰謀を未然に防いだと、祀り上げられても良いぐらいだ。
宰相はわずかに胸を撫で下ろした。
「ええ。それはもう」
大変な名誉と引き換えに、しかしレイフィールド侯爵家との関係は破綻した。
完全なる敵対関係を産み落としてしまった。互いに剣を交えるだけでなく、相手側の跡取りを殺している現状。
戦いになる。きっと話し合いの次元ではいられない、武器を使っての消耗戦になるだろう。
「すべてアルベール殿下のためなら」
「違う。ロイス帝国のためと言え。だからこうして我々が集まっているのだ」
「まぁ閣下は……そうでしょう。私は執事だからそれだけに固執してしまえるのです」
ゴードンはそう言い切った。皇后陛下も同じように言うに違いない。皇太子を熱望する民衆も、議会の中にだって熱烈な支持者がいる。ここに集う幹部の多くだって彼の信奉者である。
「どんな形であれ我々が勝つでしょう」
「それはそうだ」
不穏分子である貴族たちがどう動くか、未知数なことだらけだ。しかしそれらを乗り越えていける地力と指導者がこの国には在る。
皆が若き指導者に未来を託している。宰相は矜持をもって、相手の言葉に頷いてみせた。
「あとは皇太子の妃についてだが」
「ええ、ですからね。ハヤセ様を味方につけることが我々の理にかなうと先から提案していた通りです」
「変わらずか」
「はい」
幹部の間では、ハヤセ・レイフィールドが「皇太子の唯一の泣き所」であることは共有済みであった。
気性はいたって穏やかで、何日間だって部屋に拘禁されても従順でいる。皇太子のためと聞けば文句の一つも表に出さない。おまけにそれが大陸一の容姿を持つ麗妃となれば、宮中での評価はコロコロ変わっていくものであった。
「あれは魔性だ。触れたらそれだけ人をおかしくする」
「閣下もようやくあの御方に会われましたか」
「弟の骸を眺めているところを、一目見た。あれで男だとはにわかには信じられなかったが」
想像を絶する美姫であった。宰相の薄ら笑いに、再三男であることをゴードンは苦言した。そして彼こそが皇太子の想い人だということも強く示した。
「殿下が感情的になられる時というのは、決まってハヤセ様の話題をしている時です……。言ってしまえば、ハヤセ様の存在に殿下は依存しています」
「…………殿下の手綱を握るにも接触はやむなしと?」
「はい。あの御方が宮中での影響力を伸ばしていくのも時間の問題でしょう。早いところ我々も動かなければ」
ふと一度、宰相はハヤセ・レイフィールドの顔を思い浮かべてみた。
あれは麗しい女神のようでいて、その内実には人の欲を誘う恐ろしささえ秘めている。魂を掴んでくると言っていた部下の言葉が呼び起されていく。
「毒薬変じて薬となるか」と宰相はぼそぼそ言った。帝国運営の先行きはまだ大丈夫だ。だが宮のことは、何もかもが見通せないでいる。深い闇に落ちていきそうな感を宰相は受けるのだった。
~~~~~
辛めな話しはこれにて終わりです。
「おかげでオックスの野郎を仕留められるかと思いましたが」
着いたころにはレイフィールドもストロガノフもすでに帝都を脱出していた。皇太子付きの執事、ゴードンは震える手を抑えながら、宰相に語れるすべてを話していく。彼の眼は血走っていた。
「もしや貴殿も武器を取ったのか?」
「まぁ。老いぼれとはいえ殿下を守るのが仕事です」
武者震いする文官なんてめったに見ない。宰相オズモンドは老人を労わり、これぞ帝国に尽くす臣下の鑑であると賛辞を送った。
「それで、貴族たちの被害はいかほどか?」
「いえいえ閣下。犠牲者はまったくおりませぬ。なにせ宮殿は我々が着いた時には、すっかりもぬけの殻でしたから」
「ネズミすらいませんでした」とゴードンは眼鏡を拭きながら付き足していく。
おそらく皇后陛下の采配だろうなと、オズモンドは予感めいたものがあった。帝国の培ってきた威光と力が集約する大宮殿、神聖な場を貴族たちの血で染めることがあってはマズい。皇太子の未来を考えればそのような事態は回避するに限るだろう。
「さすがの判断か。刃の矛先が貴族連中にも向かっていたらと思うと、ゾッとする」
ひとまず憎悪が伝播されることは無さそうである。皇太子の信頼が損なわれることもない、むしろ人聞きする程度ならば輝かしいことではないか。宮中での陰謀を未然に防いだと、祀り上げられても良いぐらいだ。
宰相はわずかに胸を撫で下ろした。
「ええ。それはもう」
大変な名誉と引き換えに、しかしレイフィールド侯爵家との関係は破綻した。
完全なる敵対関係を産み落としてしまった。互いに剣を交えるだけでなく、相手側の跡取りを殺している現状。
戦いになる。きっと話し合いの次元ではいられない、武器を使っての消耗戦になるだろう。
「すべてアルベール殿下のためなら」
「違う。ロイス帝国のためと言え。だからこうして我々が集まっているのだ」
「まぁ閣下は……そうでしょう。私は執事だからそれだけに固執してしまえるのです」
ゴードンはそう言い切った。皇后陛下も同じように言うに違いない。皇太子を熱望する民衆も、議会の中にだって熱烈な支持者がいる。ここに集う幹部の多くだって彼の信奉者である。
「どんな形であれ我々が勝つでしょう」
「それはそうだ」
不穏分子である貴族たちがどう動くか、未知数なことだらけだ。しかしそれらを乗り越えていける地力と指導者がこの国には在る。
皆が若き指導者に未来を託している。宰相は矜持をもって、相手の言葉に頷いてみせた。
「あとは皇太子の妃についてだが」
「ええ、ですからね。ハヤセ様を味方につけることが我々の理にかなうと先から提案していた通りです」
「変わらずか」
「はい」
幹部の間では、ハヤセ・レイフィールドが「皇太子の唯一の泣き所」であることは共有済みであった。
気性はいたって穏やかで、何日間だって部屋に拘禁されても従順でいる。皇太子のためと聞けば文句の一つも表に出さない。おまけにそれが大陸一の容姿を持つ麗妃となれば、宮中での評価はコロコロ変わっていくものであった。
「あれは魔性だ。触れたらそれだけ人をおかしくする」
「閣下もようやくあの御方に会われましたか」
「弟の骸を眺めているところを、一目見た。あれで男だとはにわかには信じられなかったが」
想像を絶する美姫であった。宰相の薄ら笑いに、再三男であることをゴードンは苦言した。そして彼こそが皇太子の想い人だということも強く示した。
「殿下が感情的になられる時というのは、決まってハヤセ様の話題をしている時です……。言ってしまえば、ハヤセ様の存在に殿下は依存しています」
「…………殿下の手綱を握るにも接触はやむなしと?」
「はい。あの御方が宮中での影響力を伸ばしていくのも時間の問題でしょう。早いところ我々も動かなければ」
ふと一度、宰相はハヤセ・レイフィールドの顔を思い浮かべてみた。
あれは麗しい女神のようでいて、その内実には人の欲を誘う恐ろしささえ秘めている。魂を掴んでくると言っていた部下の言葉が呼び起されていく。
「毒薬変じて薬となるか」と宰相はぼそぼそ言った。帝国運営の先行きはまだ大丈夫だ。だが宮のことは、何もかもが見通せないでいる。深い闇に落ちていきそうな感を宰相は受けるのだった。
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辛めな話しはこれにて終わりです。
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