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46扉を叩いて②
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こちら、急きょ加筆した部分です。編集を何度か加えることをご了承ください。
~~~~~
「ハヤセ」
即座にアルベールは、ドア越しの相手の名を呼んだ。
あちらの反応に安堵したのも束の間だが、こちらはどのように声を送るべきか迫られていた。
「俺の声が聞こえてるか?」
「はい……殿下」
「エイナ宮ではすまないことをした。お前を傷つけておいて、俺は寄り添うことさえしなかった」
「いいえ。殿下が謝る必要はないのです」
ドア越しの彼からの第一声は、ひどく沈みこんだ調子であった。
「私の願いを殿下は、叶えてくれるとおっしゃっていました」
「あぁ……そうだ。お前を妃にする。それも伝えるために来たんだ」
アルベールは今月だけで、数十通の詫び状をストロガノフ家に差し出していた。
許嫁の期待に応えることはできない。愛する人がすでにあって、どうしても相手と一緒に添い遂げたい。側妃という存在を認めるわけにはいかない。なぜなら、愛すべき人は2人もいらないのだから。
自分はたったの一人を愛したいのだと書類にまとめたいが、とうてい文字がおさまるわけもなかった。
「だからよかったのです。身体を張った甲斐がありましたから」
「そんなこと……。お前の本心じゃないことくらい、わかっている」
「いいえ本心です。ずっと夢見ていたことですもの」
嘘だ。はっきり嘘だとわかる。彼の声からは苦しみがにじみ出ているからだ。アルベールは彼の心を和らげる方法がまったくわからなかったが、ハヤセが何かを求めていることは察せられた。
「正直に言ってほしい。ハヤセはいったい何がほしいんだ?」
エイナ宮では「なにもいらない」と突き放された。その答えが真にハヤセの望みだとはアルベールには思えなかった。自暴自棄になっただけで、掘り起こせば隠していることがきっと見つかるはずだと。薄らかな希望があった。
「……」
「きっと俺には及びつかないことだろうとも、ハヤセが望むなら、俺はなんだってやるよ」
「どうして」
顔を見合わせていないだけで、ハヤセとのやり取りがいつにも増して難しい。噛み合わせの悪い空気を感じながら、それでもアルベールは引くに引けなかった。
「俺の夢を知っているだろう?帝国を世界最強の国家にすることだ、今も昔もその信念は変わってはいない。むしろ今の方が、その夢を強く思い描けるようになってきたんだ」
「存じています。殿下の夢……ずっと聞かされてきましたから」
「それがなにか」とハヤセは冷ややかに尋ねてくる。
帝国を守護する、より発展させる。誰よりも国を愛する。そんな大志が多くあったはずなのに。ハヤセがいなくなると思うと、その夢たちまですべて零れていってしまいそうで。大人げないことに訳も分からず戸惑っていた。
「俺の夢のなかには、お前がいないと意味がないんだよ」
「……」
それは幼馴染に送る、他方で愛しい人に送る率直な言葉だった。アルベールにとって、夢に描いた帝国にはハヤセとイザベルの姿は欠かすことができなかった。
「身勝手なのは承知している。でも、俺はお前とイザベルがいないこの国に価値なんて無いと思っているんだ。ずっとだ、ずっとこんな気持ちのままだったんだよ」
侍女たちがギョッとしているが、知ったことではない。幻滅されているとかそういうのもお構いなしだ。何を言っても許される皇太子の身勝手さをここで示そうじゃないか。
「笑えるよな。昔も今もたいして変わらん、俺は一人じゃ何もできないままだ。ハヤセが遠くにいってしまうとわかったら、辛くて仕事なんて手につかなかった」
扉の奥から反応はない。アルベールが心境を吐露したことで、あちらは何を思ったか。
口にしてくれなければ顔色さえわからない。もどかしい、ひとり語りで空気もおかしくなってしまった。
「いつか、お前の口から本心を語ってくれることを信じている。俺はずっと」
「欲深いものですよ。私の本性は」
「いいよ。教えてくれ」
無性に気持ちが張ってしまい、唇が渇いていく。扉を開けてしまえばどれだけ楽だろう。ひたすら耳打ちするかのように声を送り、相手の声を求めている。
「愛してくださいますか?こんな醜悪な人間を」
震える声。それきり言葉は途切れてしまった。扉の奥からの気配は消え、ハヤセの安らかな調子はいっこうに戻らなかった。さめざめと泣いている。扉の前にハヤセがいる。それだけが確かなことであった。
アルベールは自分の呼吸音を煩わしく思った。扉越しから漏れ聞こえるハヤセの動きを、まったく捉えることができなかったからである。
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「ハヤセ」
即座にアルベールは、ドア越しの相手の名を呼んだ。
あちらの反応に安堵したのも束の間だが、こちらはどのように声を送るべきか迫られていた。
「俺の声が聞こえてるか?」
「はい……殿下」
「エイナ宮ではすまないことをした。お前を傷つけておいて、俺は寄り添うことさえしなかった」
「いいえ。殿下が謝る必要はないのです」
ドア越しの彼からの第一声は、ひどく沈みこんだ調子であった。
「私の願いを殿下は、叶えてくれるとおっしゃっていました」
「あぁ……そうだ。お前を妃にする。それも伝えるために来たんだ」
アルベールは今月だけで、数十通の詫び状をストロガノフ家に差し出していた。
許嫁の期待に応えることはできない。愛する人がすでにあって、どうしても相手と一緒に添い遂げたい。側妃という存在を認めるわけにはいかない。なぜなら、愛すべき人は2人もいらないのだから。
自分はたったの一人を愛したいのだと書類にまとめたいが、とうてい文字がおさまるわけもなかった。
「だからよかったのです。身体を張った甲斐がありましたから」
「そんなこと……。お前の本心じゃないことくらい、わかっている」
「いいえ本心です。ずっと夢見ていたことですもの」
嘘だ。はっきり嘘だとわかる。彼の声からは苦しみがにじみ出ているからだ。アルベールは彼の心を和らげる方法がまったくわからなかったが、ハヤセが何かを求めていることは察せられた。
「正直に言ってほしい。ハヤセはいったい何がほしいんだ?」
エイナ宮では「なにもいらない」と突き放された。その答えが真にハヤセの望みだとはアルベールには思えなかった。自暴自棄になっただけで、掘り起こせば隠していることがきっと見つかるはずだと。薄らかな希望があった。
「……」
「きっと俺には及びつかないことだろうとも、ハヤセが望むなら、俺はなんだってやるよ」
「どうして」
顔を見合わせていないだけで、ハヤセとのやり取りがいつにも増して難しい。噛み合わせの悪い空気を感じながら、それでもアルベールは引くに引けなかった。
「俺の夢を知っているだろう?帝国を世界最強の国家にすることだ、今も昔もその信念は変わってはいない。むしろ今の方が、その夢を強く思い描けるようになってきたんだ」
「存じています。殿下の夢……ずっと聞かされてきましたから」
「それがなにか」とハヤセは冷ややかに尋ねてくる。
帝国を守護する、より発展させる。誰よりも国を愛する。そんな大志が多くあったはずなのに。ハヤセがいなくなると思うと、その夢たちまですべて零れていってしまいそうで。大人げないことに訳も分からず戸惑っていた。
「俺の夢のなかには、お前がいないと意味がないんだよ」
「……」
それは幼馴染に送る、他方で愛しい人に送る率直な言葉だった。アルベールにとって、夢に描いた帝国にはハヤセとイザベルの姿は欠かすことができなかった。
「身勝手なのは承知している。でも、俺はお前とイザベルがいないこの国に価値なんて無いと思っているんだ。ずっとだ、ずっとこんな気持ちのままだったんだよ」
侍女たちがギョッとしているが、知ったことではない。幻滅されているとかそういうのもお構いなしだ。何を言っても許される皇太子の身勝手さをここで示そうじゃないか。
「笑えるよな。昔も今もたいして変わらん、俺は一人じゃ何もできないままだ。ハヤセが遠くにいってしまうとわかったら、辛くて仕事なんて手につかなかった」
扉の奥から反応はない。アルベールが心境を吐露したことで、あちらは何を思ったか。
口にしてくれなければ顔色さえわからない。もどかしい、ひとり語りで空気もおかしくなってしまった。
「いつか、お前の口から本心を語ってくれることを信じている。俺はずっと」
「欲深いものですよ。私の本性は」
「いいよ。教えてくれ」
無性に気持ちが張ってしまい、唇が渇いていく。扉を開けてしまえばどれだけ楽だろう。ひたすら耳打ちするかのように声を送り、相手の声を求めている。
「愛してくださいますか?こんな醜悪な人間を」
震える声。それきり言葉は途切れてしまった。扉の奥からの気配は消え、ハヤセの安らかな調子はいっこうに戻らなかった。さめざめと泣いている。扉の前にハヤセがいる。それだけが確かなことであった。
アルベールは自分の呼吸音を煩わしく思った。扉越しから漏れ聞こえるハヤセの動きを、まったく捉えることができなかったからである。
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