46 / 75
46扉を叩いて②
しおりを挟む
こちら、急きょ加筆した部分です。編集を何度か加えることをご了承ください。
~~~~~
「ハヤセ」
即座にアルベールは、ドア越しの相手の名を呼んだ。
あちらの反応に安堵したのも束の間だが、こちらはどのように声を送るべきか迫られていた。
「俺の声が聞こえてるか?」
「はい……殿下」
「エイナ宮ではすまないことをした。お前を傷つけておいて、俺は寄り添うことさえしなかった」
「いいえ。殿下が謝る必要はないのです」
ドア越しの彼からの第一声は、ひどく沈みこんだ調子であった。
「私の願いを殿下は、叶えてくれるとおっしゃっていました」
「あぁ……そうだ。お前を妃にする。それも伝えるために来たんだ」
アルベールは今月だけで、数十通の詫び状をストロガノフ家に差し出していた。
許嫁の期待に応えることはできない。愛する人がすでにあって、どうしても相手と一緒に添い遂げたい。側妃という存在を認めるわけにはいかない。なぜなら、愛すべき人は2人もいらないのだから。
自分はたったの一人を愛したいのだと書類にまとめたいが、とうてい文字がおさまるわけもなかった。
「だからよかったのです。身体を張った甲斐がありましたから」
「そんなこと……。お前の本心じゃないことくらい、わかっている」
「いいえ本心です。ずっと夢見ていたことですもの」
嘘だ。はっきり嘘だとわかる。彼の声からは苦しみがにじみ出ているからだ。アルベールは彼の心を和らげる方法がまったくわからなかったが、ハヤセが何かを求めていることは察せられた。
「正直に言ってほしい。ハヤセはいったい何がほしいんだ?」
エイナ宮では「なにもいらない」と突き放された。その答えが真にハヤセの望みだとはアルベールには思えなかった。自暴自棄になっただけで、掘り起こせば隠していることがきっと見つかるはずだと。薄らかな希望があった。
「……」
「きっと俺には及びつかないことだろうとも、ハヤセが望むなら、俺はなんだってやるよ」
「どうして」
顔を見合わせていないだけで、ハヤセとのやり取りがいつにも増して難しい。噛み合わせの悪い空気を感じながら、それでもアルベールは引くに引けなかった。
「俺の夢を知っているだろう?帝国を世界最強の国家にすることだ、今も昔もその信念は変わってはいない。むしろ今の方が、その夢を強く思い描けるようになってきたんだ」
「存じています。殿下の夢……ずっと聞かされてきましたから」
「それがなにか」とハヤセは冷ややかに尋ねてくる。
帝国を守護する、より発展させる。誰よりも国を愛する。そんな大志が多くあったはずなのに。ハヤセがいなくなると思うと、その夢たちまですべて零れていってしまいそうで。大人げないことに訳も分からず戸惑っていた。
「俺の夢のなかには、お前がいないと意味がないんだよ」
「……」
それは幼馴染に送る、他方で愛しい人に送る率直な言葉だった。アルベールにとって、夢に描いた帝国にはハヤセとイザベルの姿は欠かすことができなかった。
「身勝手なのは承知している。でも、俺はお前とイザベルがいないこの国に価値なんて無いと思っているんだ。ずっとだ、ずっとこんな気持ちのままだったんだよ」
侍女たちがギョッとしているが、知ったことではない。幻滅されているとかそういうのもお構いなしだ。何を言っても許される皇太子の身勝手さをここで示そうじゃないか。
「笑えるよな。昔も今もたいして変わらん、俺は一人じゃ何もできないままだ。ハヤセが遠くにいってしまうとわかったら、辛くて仕事なんて手につかなかった」
扉の奥から反応はない。アルベールが心境を吐露したことで、あちらは何を思ったか。
口にしてくれなければ顔色さえわからない。もどかしい、ひとり語りで空気もおかしくなってしまった。
「いつか、お前の口から本心を語ってくれることを信じている。俺はずっと」
「欲深いものですよ。私の本性は」
「いいよ。教えてくれ」
無性に気持ちが張ってしまい、唇が渇いていく。扉を開けてしまえばどれだけ楽だろう。ひたすら耳打ちするかのように声を送り、相手の声を求めている。
「愛してくださいますか?こんな醜悪な人間を」
震える声。それきり言葉は途切れてしまった。扉の奥からの気配は消え、ハヤセの安らかな調子はいっこうに戻らなかった。さめざめと泣いている。扉の前にハヤセがいる。それだけが確かなことであった。
アルベールは自分の呼吸音を煩わしく思った。扉越しから漏れ聞こえるハヤセの動きを、まったく捉えることができなかったからである。
~~~~~
「ハヤセ」
即座にアルベールは、ドア越しの相手の名を呼んだ。
あちらの反応に安堵したのも束の間だが、こちらはどのように声を送るべきか迫られていた。
「俺の声が聞こえてるか?」
「はい……殿下」
「エイナ宮ではすまないことをした。お前を傷つけておいて、俺は寄り添うことさえしなかった」
「いいえ。殿下が謝る必要はないのです」
ドア越しの彼からの第一声は、ひどく沈みこんだ調子であった。
「私の願いを殿下は、叶えてくれるとおっしゃっていました」
「あぁ……そうだ。お前を妃にする。それも伝えるために来たんだ」
アルベールは今月だけで、数十通の詫び状をストロガノフ家に差し出していた。
許嫁の期待に応えることはできない。愛する人がすでにあって、どうしても相手と一緒に添い遂げたい。側妃という存在を認めるわけにはいかない。なぜなら、愛すべき人は2人もいらないのだから。
自分はたったの一人を愛したいのだと書類にまとめたいが、とうてい文字がおさまるわけもなかった。
「だからよかったのです。身体を張った甲斐がありましたから」
「そんなこと……。お前の本心じゃないことくらい、わかっている」
「いいえ本心です。ずっと夢見ていたことですもの」
嘘だ。はっきり嘘だとわかる。彼の声からは苦しみがにじみ出ているからだ。アルベールは彼の心を和らげる方法がまったくわからなかったが、ハヤセが何かを求めていることは察せられた。
「正直に言ってほしい。ハヤセはいったい何がほしいんだ?」
エイナ宮では「なにもいらない」と突き放された。その答えが真にハヤセの望みだとはアルベールには思えなかった。自暴自棄になっただけで、掘り起こせば隠していることがきっと見つかるはずだと。薄らかな希望があった。
「……」
「きっと俺には及びつかないことだろうとも、ハヤセが望むなら、俺はなんだってやるよ」
「どうして」
顔を見合わせていないだけで、ハヤセとのやり取りがいつにも増して難しい。噛み合わせの悪い空気を感じながら、それでもアルベールは引くに引けなかった。
「俺の夢を知っているだろう?帝国を世界最強の国家にすることだ、今も昔もその信念は変わってはいない。むしろ今の方が、その夢を強く思い描けるようになってきたんだ」
「存じています。殿下の夢……ずっと聞かされてきましたから」
「それがなにか」とハヤセは冷ややかに尋ねてくる。
帝国を守護する、より発展させる。誰よりも国を愛する。そんな大志が多くあったはずなのに。ハヤセがいなくなると思うと、その夢たちまですべて零れていってしまいそうで。大人げないことに訳も分からず戸惑っていた。
「俺の夢のなかには、お前がいないと意味がないんだよ」
「……」
それは幼馴染に送る、他方で愛しい人に送る率直な言葉だった。アルベールにとって、夢に描いた帝国にはハヤセとイザベルの姿は欠かすことができなかった。
「身勝手なのは承知している。でも、俺はお前とイザベルがいないこの国に価値なんて無いと思っているんだ。ずっとだ、ずっとこんな気持ちのままだったんだよ」
侍女たちがギョッとしているが、知ったことではない。幻滅されているとかそういうのもお構いなしだ。何を言っても許される皇太子の身勝手さをここで示そうじゃないか。
「笑えるよな。昔も今もたいして変わらん、俺は一人じゃ何もできないままだ。ハヤセが遠くにいってしまうとわかったら、辛くて仕事なんて手につかなかった」
扉の奥から反応はない。アルベールが心境を吐露したことで、あちらは何を思ったか。
口にしてくれなければ顔色さえわからない。もどかしい、ひとり語りで空気もおかしくなってしまった。
「いつか、お前の口から本心を語ってくれることを信じている。俺はずっと」
「欲深いものですよ。私の本性は」
「いいよ。教えてくれ」
無性に気持ちが張ってしまい、唇が渇いていく。扉を開けてしまえばどれだけ楽だろう。ひたすら耳打ちするかのように声を送り、相手の声を求めている。
「愛してくださいますか?こんな醜悪な人間を」
震える声。それきり言葉は途切れてしまった。扉の奥からの気配は消え、ハヤセの安らかな調子はいっこうに戻らなかった。さめざめと泣いている。扉の前にハヤセがいる。それだけが確かなことであった。
アルベールは自分の呼吸音を煩わしく思った。扉越しから漏れ聞こえるハヤセの動きを、まったく捉えることができなかったからである。
50
お気に入りに追加
912
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜
・話の流れが遅い
・作者が話の進行悩み過ぎてる
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)
夏目碧央
BL
兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。
ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(要らない悪役令嬢1巻重版)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる