跡取りはいずこへ~美人に育ってしまった侯爵令息の転身~

芽吹鹿

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52恋と愛に苛まれる

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 弟を庇うようなハヤセの素振りが一瞬目についたが、それは杞憂であった。アルベールは相手の心底深くを理解した。

 剣を持つ彼は、麗しい人を安堵させるために、その力をわずかに緩める。


「なぁハヤセ。俺はあの日から、心に決めていることがあるんだよ」


 柔らかな頬に触れつつ、片腕でやさしくハヤセを抱き上げる。手負いの野獣が動き出すかもしれないからと華奢な身体は後ろに手繰り寄せていった。


 弟の命が尽きようとしている。クリスのわずかな抵抗を、最期の渾身の姿を。
 瀕死の中での獣の暴れぶりを、人々は眺めるだけだった。アルベールは大男の剣回しを軽くいなすだけ。


 隙だらけの相手にとうとうアルベールは決意を固めることだった。


「ハヤセの障害になるものは俺がぜんぶ壊してやる」


 言葉は凍えた空気をさらに凍結させていく。誰もが精神を砕いていく傍らで、ただし一人だけは違っていた。アルベールの内にだけは煌々と燃え上がるような魂が宿る。


「この愛はきっと無駄なんかじゃない。俺はそう思うんだよ。罪も罰も、二人で受け止めていけばいいんだよ」

 過去との決別を迫られている。堪らずハヤセは崩れ落ちた。
 それはいけない、許されないのに。何を考えているのだろう。どんな感情で自分は泣いているのか。


 どうしようもなく衰弱した心が、まるで救われたかのように錯覚してしまう。どうしても澄みきっていく。晴れた日のように。アルベールが自分のことごとくを浄化していくようだ。


「えぐっ……ひっ…………う……うぅ……」


「もう過ちは犯さない。二度とお前を一人にはしなくないんだ」


 凪のように穏やかな。ハヤセは混濁する世界にありながらアルベールの懐中に包まれている。そうして温かい鼓動を聞いた。


「だから…………そばにいてくれないか」


 彼はとっくに選び進んでいた。恋に燃え上がりながらも、その想いをひたすら一途に貫いている。ハヤセのことだけを想って止まない、彼らしい決意だった。

 あぁ彼だ。彼こそが自分の求めていた答えなのかもしれないと。ハヤセはそう思った。これまでの苦労が報われると予感がして、アルベールの言葉に魂が打ち震えている。


「じゃあなハヤセの弟……レイフィールドの跡取り」


 衆人が固唾を飲んだ。クリス・レイフィールドが地に伏していく。部屋に残される事実は、たったそれだけだった。


 吹き出す返り血を浴びてもハヤセもアルベールも何も感じなかった。特にハヤセは弟への別れの言葉など、持ち合わせていなかった。
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