跡取りはいずこへ~美人に育ってしまった侯爵令息の転身~

芽吹鹿

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33本心

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 冬宮殿は12の大部屋と、200を数える小部屋から成る。左殿に皇家一族が住まい、右殿のあまった個室で宮殿直属の廷臣が寝泊まりする。

 いかに住まう宮殿が共同だとしても、中央棟には監視人も鎮座しているから、皇家と臣下の私的なやり取りが自然になされるのは稀である。

 実際、友人や趣味の相手など、お付きの従者以外でそのような関係に発展した実例は少なかった。異性どうしならばなおのこと。


 アルベールとハヤセもそれを熟知していて、宮中に不穏な憶測を招かないよう最大限の注意を払っていた。
 彼らは人目のつかない宮の中庭や、エイナ宮で逢引する。今回は例外的に、供回りを付けずエイナ宮を貸し切っていた。


「傷は、大丈夫か?」


 エレオノラとの事件から3日後、アルベールとハヤセは久しぶりの対面を果たすことになる。公務を終えて、待機場所に引き戻ろうとしたところ巡り会った。
 どちらから尋ね寄ったのか。確かなことは、ほとんど無意識の内に皇太子の側が接近していたことであった。


 アルベールは事件を細部まで聞き及び、ハヤセとすぐにでも話したかった。逆にハヤセはあまり人の目につくことをしたい気分にはなれなかった。

 エレオノラ嬢のこと、自分の身の内のこと。なによりアルベールの恋心に気づいてからは慎重に立ち回りたかったのだ。


 平素を装って話しかけてくる男。彼の精悍な顔つきを見るのはいつぶりだろうかとハヤセは思った。
 このようにお互いの姿をまじまじと見合うことも季節が移ってからは無かった。


「大丈夫だよ。女官のみんなが丁寧に処置してくれたから」


 主従の間柄には似つかわしくない、対等な調子でハヤセは応じた。これは二人の親密さを演じるため、だと認識していた。これは他人の目が行き届かないところでは変に畏まらなくて良いと、アルベールが持ちかけたことである。本意で。


「そうか……」


「アルベールは何も心配しないで。みんなが私を助けてくれているんだ」


 腫れはすっかり引いて、痣も残らなかったとハヤセは説明した。

 アルベールは傷の過程を確認できなかったが、幼馴染で恋しい相手が傷つけられたとなれば黙っているわけにはいかない。許嫁のエレオノラを御前会議で晒そうかとも思案したが、それは宰相がすんでのところで食い止めている。


 大きな手のひらがハヤセの傷のあった左頬に触れる。アルベールの骨ばった手指からは考えられない繊細な触れ方に、ハヤセはじっくりと温もりを感じられた。

 手慣れている。このように頬を撫でてやる相手が、アルベールの近くには他にいるのだろうか。ハヤセは少しだけ男を勘ぐったが、すぐに無駄だと思って考えをひっこめた。
 許嫁ともろくに面識がなかったという皇太子だ。元来、配偶者というものにまったく興味が無いのだろうと察しはつく。


「ストロガノフは、面倒なことを起こしてくれたものだ」


 エイナ宮に臣下の目が無いとわかるや、普段では吐き出さない愚痴や小言が放たれる。
 なすがままよと、アルベールはだらりと上体をハヤセに傾けた。それを受けた側もアルベールの軍服の胸元辺りに顔を埋める。


 両者とも馬車馬のごとく働いていて疲弊していた。冷え切った身体に鞭打つ毎日。いつだって無我夢中だった。


「ハヤセはエレオノラ嬢と話したらしいじゃないか。どんなことを話したんだ?」


 食い気味に迫るアルベール。声の張りはイマイチだが、惚けている訳では毛頭なかった。大変な騒ぎを起こした当人たちだが、騒動前の言動は包み隠されたままである。


「驚かないでね?」


 嫋やかな美少女のようなその人が、アルベールの耳元で告げるのだった。
 ある程度の覚悟をもって言葉を受けたはず。しかし「殿下の妃になりたい……と」、ハヤセの思いついても言えないようなセリフのせいで、アルベールは身動きが取れなくなってしまった。


「な……なにを?」


 ハヤセの様子を至近距離で見ていたアルベールは気がおかしくなりそうだった。胸の高鳴りが止まらない。アルベールはどくどくと脈打つ自分の鼓動を抑えようとした。


 その表情は戸惑いから葛藤へ、わずかに喜色を露わにしながらも、何とも言えない絶妙な表情に落ち着いた。
 「本当のことなのか?」と上の方からかすれ声が降ってきたから、こくんとハヤセは頷いた。


「私がアルベールの妃になるつもりだって、本当に言ったよ。中庭で令嬢と」


「そうじゃなくて、ハヤセが……俺との婚姻を望んでいるって…………」


 夢か現か。アルベールは幻惑に囚われているのではないかと疑った。
 ハヤセの方は顔を俯かせて、相手の胸にすり寄るようにしていた。複雑な心境をアルベールに悟られないよう面を上げることはしない。


「…………そう。そうなの」


 か細く言った。ハヤセの本心、ではなかった。大きな権力を得たくて、自分勝手なことに幼馴染の心の隙間に入りこんでいる。後ろめたかった。でもここで止まってしまえば、一縷の希望すら捨てることになる。すべてが水の泡となってしまう。


「ハヤセの言葉はたまに…………嘘か本当かわからなくなるな…………」


「ごめんなさい。今まで言えずにいて、いきなりで戸惑ったよね」


 恋人まがいの存在が明け透けに大志を宣言してきたのだ。頭を抱えるアルベールの態度は至極もっともである。
 彼の心中では感情が入り混じっていた。それも当然だろう。


 恋人のふりをしてほしいと頼みこまれてから、アルベールはずっと考え続けている。父の侯爵や一門から逃げるように宮へ。性別を隠して出世をしていく幼馴染。無二の友がどうやら複雑な立場にありながら、それを他言する様子は微塵もない。

 過去を覆い隠すほどに眩い活躍をしているが、やはり近くにいれば暗い影もより克明に見えてくる。


「顔を上げて。ハヤセ」


「…………え?」


「俺の目を見て告げてほしい。もう一度」


 ハヤセは沈黙の上で彷徨っている。


「お前がもし妃になる確たる覚悟があるのなら、どうか俺の視線から逃げないで」


 その空気に耐えかねて、アルベールは相手の小さな顎に手をかけて、ゆっくりと上げていった。


「堂々といつもみたいに俺を見てみろよ」


「や……だ、あ……」


 声は震え、やり場のない不安に怯みそうになる。アルベールの縋るような瞳の色。泣き出しそうなほど眉を寄せて、ハヤセを見下ろしている。
 アルベールは懐中から逃げようとするハヤセの腰を強く抱いた。


「やっぱり、お前は俺のことを想っても愛してもいなかった……そういうことか?」


 ハヤセはひゅっと青ざめた。口元の感覚がどうであったか思い出せない。力の入れ方を忘れたように、ついに遮る言葉さえも振り絞れなかった。
 アルベールは「あぁ」と憂さで満たされた無力なため息をついた。


「お前にとっては……、すべては妃になるための茶番……だったのか?」


 ハヤセは言を受けてぶんぶんとかぶりを振った。「違う」とも声を出しかけたが、アルベールの落胆ぶりに立ち竦んでしまった。

 返す言葉が無い。この場をやり過ごす方法が、ハヤセにはどうしたって浮かばなかった。深まる失望のまなざし。気負うアルベールの顔は沈鬱に支配されていった。
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