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31彼の品格
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「怨みつらみはこの辺にして、本題に行きましょうか」
私怨のほとぼりから徐々に覚めていったエレオノラ。彼女が妥協案について話を切り出すのに時間はかからなかった。反論の余地のないハヤセは粛々と言葉を受けるだけ。変わった動きはしない。
「女官職を辞して、宮中からさっさと出払ってください。それからアルベール殿下とは今後一切の接触を断つように」
それに従えば、ハヤセの正体を暴露することはしない。ストロガノフの強権を濫用しないでおくことまで添えられた。今のハヤセの立場からすれば願ってもないこと。破格の条件であることを両者が認めていた。
「どうでしょう。ハヤセさんには救いの一手かと思いますが」
皇太子を弄んだ、その愚かな相手に情けをかけてやる。
エレオノラの優越感は推して知るべしである。この宮中で、一族の好敵手であるレイフィールドの影響力を下げることに結び付くだろう。加えてハヤセ・レイフィールドに一生返せないほどの大きな借りを作ることができる。
容赦のない摘発よりも、こうして恩を売っておくほうが旨味があることをエレオノラは見越していた。あとは相手が頷くだけである。
「女官は……辞めません。それに殿下との関係を終わらせるわけにもまいりません」
「なぜ。なんのために?」
「私の信念のためです。自分の決めた道を最後まで行ってみたいのです」
子どものようにころころと笑うエレオノラは悦に浸った表情で楽しんでいた。
「幻滅しました。ハヤセさんのような苦労人となら理にかなう交渉ができると思っていましたのに」
「そうですか」とハヤセは着物を擦りながら、憂いもなく宮内へ戻っていった。薄着のエレオノラも遅れながら後を着いていこうとする。だがその足取りは重い。彼女は相手どった才人が、自分との話を断ったことに納得できていなかった。
「もうこのまま、断罪される道しか残っていないのですよ?」
「どう転ぼうと構いません。自分の責任ですし」
振り向いたハヤセはいつもの穏やかさを取り戻していた。エレオノラが見る限り、彼の瞳の色も平時のものと変わらない。この状況で心を静められるものかと、にわかには信じられなかった。
「諦めの境地ってやつかしら。どうして生きることに執着しないのか、わけが分からない」
エレオノラは思う。将来、彼の結末は悲惨な形で終わると思う。
性別を各公文書で偽装して、偽りの内に宮に入りこんだ。前例はないが、議会と皇家の超法規的措置が下されることだろう。往々にして、宮中と皇家を脅かす存在は極刑と決まっている。
「ストロガノフなら生き延びる手段を血眼になってでもつかみ取るわ」
「それじゃあ令嬢とは、そりが合わないのも仕方がありませんね」
宮の内外の境に立つハヤセは、やはり泰然と言葉を発した。
「強情ね、死ぬ気?」
「まさか。それこそ醜く抗うのみです」
美しい横顔がエレオノラをちらと見た。太陽の光が、織り込まれた生糸のような男の黒髪を染める。
女官長の分際で、殿下の愛をひたすらに独占している男である。だがその男はそれを表に出すこともしない。こうも、あっけらかんとしていられるものか。自分の弱みを暴かれて、恥を晒しながら首を吊るされてもおかしくないのに。
「貴方の信念っていったい何なの?」
純粋な疑問を、ついエレオノラは罪深い相手に訊ねてしまった。大した期待感もない。だが情けをかけても靡かなかった男の心根を探ってみたかった。
すると相手からは一言、「人より偉くなりたい……」と呟きが聞こえてきた。
「偉く?」
「父より…………弟より、誰よりも偉くなれば。私はもう、誰かの言葉に振り回されることもなくなる。誰にも服従しなくて良いのだと思うと……手を伸ばさずにはいられないのです」
ハヤセの回答には質問した側がぽかんとなった。「殿下とはそういう関係なのです」と男の方はさらに呟いて、そして微笑んでいる。
「それで…………アルベール殿下に色目を?」
「はい。あなたに成り代わるつもりでおります」
悪びれもしない。エレオノラの代わり、つまりハヤセは皇太子妃の座を狙っていたのだ。
側妃という言葉は、今のハヤセにはない。父オックスの言いつけでもなければ、ストロガノフの予想したハヤセの立ち回りとも大きく違う。家など知ったことではない。完全なる自分の意志がある。
エレオノラは苦心の相を浮かべた。許嫁の自分が座るはずの椅子を、この麗人はかすめ取ろうとしている。その正体は男なのに。妃になる資格などあるはずもないのに。
冗談じゃない。
情をかけるべき相手を間違えたとエレオノラは思った。彼は、ハヤセ・レイフィールドはそんな器に収まる人間ではなかったのだ。
私怨のほとぼりから徐々に覚めていったエレオノラ。彼女が妥協案について話を切り出すのに時間はかからなかった。反論の余地のないハヤセは粛々と言葉を受けるだけ。変わった動きはしない。
「女官職を辞して、宮中からさっさと出払ってください。それからアルベール殿下とは今後一切の接触を断つように」
それに従えば、ハヤセの正体を暴露することはしない。ストロガノフの強権を濫用しないでおくことまで添えられた。今のハヤセの立場からすれば願ってもないこと。破格の条件であることを両者が認めていた。
「どうでしょう。ハヤセさんには救いの一手かと思いますが」
皇太子を弄んだ、その愚かな相手に情けをかけてやる。
エレオノラの優越感は推して知るべしである。この宮中で、一族の好敵手であるレイフィールドの影響力を下げることに結び付くだろう。加えてハヤセ・レイフィールドに一生返せないほどの大きな借りを作ることができる。
容赦のない摘発よりも、こうして恩を売っておくほうが旨味があることをエレオノラは見越していた。あとは相手が頷くだけである。
「女官は……辞めません。それに殿下との関係を終わらせるわけにもまいりません」
「なぜ。なんのために?」
「私の信念のためです。自分の決めた道を最後まで行ってみたいのです」
子どものようにころころと笑うエレオノラは悦に浸った表情で楽しんでいた。
「幻滅しました。ハヤセさんのような苦労人となら理にかなう交渉ができると思っていましたのに」
「そうですか」とハヤセは着物を擦りながら、憂いもなく宮内へ戻っていった。薄着のエレオノラも遅れながら後を着いていこうとする。だがその足取りは重い。彼女は相手どった才人が、自分との話を断ったことに納得できていなかった。
「もうこのまま、断罪される道しか残っていないのですよ?」
「どう転ぼうと構いません。自分の責任ですし」
振り向いたハヤセはいつもの穏やかさを取り戻していた。エレオノラが見る限り、彼の瞳の色も平時のものと変わらない。この状況で心を静められるものかと、にわかには信じられなかった。
「諦めの境地ってやつかしら。どうして生きることに執着しないのか、わけが分からない」
エレオノラは思う。将来、彼の結末は悲惨な形で終わると思う。
性別を各公文書で偽装して、偽りの内に宮に入りこんだ。前例はないが、議会と皇家の超法規的措置が下されることだろう。往々にして、宮中と皇家を脅かす存在は極刑と決まっている。
「ストロガノフなら生き延びる手段を血眼になってでもつかみ取るわ」
「それじゃあ令嬢とは、そりが合わないのも仕方がありませんね」
宮の内外の境に立つハヤセは、やはり泰然と言葉を発した。
「強情ね、死ぬ気?」
「まさか。それこそ醜く抗うのみです」
美しい横顔がエレオノラをちらと見た。太陽の光が、織り込まれた生糸のような男の黒髪を染める。
女官長の分際で、殿下の愛をひたすらに独占している男である。だがその男はそれを表に出すこともしない。こうも、あっけらかんとしていられるものか。自分の弱みを暴かれて、恥を晒しながら首を吊るされてもおかしくないのに。
「貴方の信念っていったい何なの?」
純粋な疑問を、ついエレオノラは罪深い相手に訊ねてしまった。大した期待感もない。だが情けをかけても靡かなかった男の心根を探ってみたかった。
すると相手からは一言、「人より偉くなりたい……」と呟きが聞こえてきた。
「偉く?」
「父より…………弟より、誰よりも偉くなれば。私はもう、誰かの言葉に振り回されることもなくなる。誰にも服従しなくて良いのだと思うと……手を伸ばさずにはいられないのです」
ハヤセの回答には質問した側がぽかんとなった。「殿下とはそういう関係なのです」と男の方はさらに呟いて、そして微笑んでいる。
「それで…………アルベール殿下に色目を?」
「はい。あなたに成り代わるつもりでおります」
悪びれもしない。エレオノラの代わり、つまりハヤセは皇太子妃の座を狙っていたのだ。
側妃という言葉は、今のハヤセにはない。父オックスの言いつけでもなければ、ストロガノフの予想したハヤセの立ち回りとも大きく違う。家など知ったことではない。完全なる自分の意志がある。
エレオノラは苦心の相を浮かべた。許嫁の自分が座るはずの椅子を、この麗人はかすめ取ろうとしている。その正体は男なのに。妃になる資格などあるはずもないのに。
冗談じゃない。
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