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29侯爵令嬢、対面
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ハヤセとエレオノラの対面は、あたかも偶然のように侍従の目には映ることだった。しかし実際のところは、寸分違わずにストロガノフ侯爵が娘をそこまで手引きしていた。
彼の持ちうる情報のおかげで、女官長の日々における仕事の段取りの全容は把握できている。
だからあとは女官長とかち合うように宮中を散歩しているだけでいい。歴戦の外交官にとって、愛娘の要望を実現することなど造作もないことであった。
「な……っ!!」
ヨハン侍従長の絶句と、その場に居合わせた女官たちの絶望感は言うまでもない。そして女官を連れ立っていたハヤセも同様に狼狽えることとなる。
「ひ、ひかえよ。こちらはストロガノフ侯爵と、皇太子殿下の許嫁であるエレオノラ嬢である」
侍従長の声。内々に準備をしていたヨハン以外は、その来訪者の名前を聞くだけでも頭がどうにかなりそうだった。
何気ない勤務日。それが相まみえてはいけない二人の修羅場に様変わりしていく。誰もが釘付けになっていた。
ハヤセと、エレオノラに対して。
「皆さん……、ごきげんよう」
エレオノラの無表情から挨拶が降ってくると、それだけで怪しげな空気が漂った。
父の侯爵と違い、豊かな金髪を持つエレオノラは不思議な魅力に包まれた女性だった。決して容姿が抜群に優れているわけでもなく、機知に富んだ掛け合いが出来そうな雰囲気もない。
あと二年もすれば大人の仲間入りを果たすが、その風貌からは不相応な幼さも感じられる。どこか放っておけず、気になってしまう。
「あの、エレオノラ様……」
「うん?」
「今日はどうして」
「殿下に会いたくて、ね」
ふらふらと徘徊するエレオノラはまるで姫君でないような佇まいだった。暇さえあれば普通に民と談笑したりする変哲な女性だと。この貴賤に疎いところが、彼女の真の強みの一つだった。
隣で密かに控える下女に話し寄るエレオノラの様子は、まさに彼女の人柄を思わせる。内気とは程遠い。見た目にそれが表れないだけで人との会話は好きなのだろう。
「お父様の特権で来たのよ。ふふふ」
「それはまたなんと殊勝な」
「ここに来れて嬉しいわ。こうやって働いている方々にもたくさん会えて、宮殿とはどんなところか見聞を広めることもできました」
「まさか殿下に会うためだけに来たわけがない」と令嬢の腹を探ろうとする女官たちは多い。令嬢の開かれた口からは、未だにささやかな言葉しか出てはいないが。
それでも、女官の誰もが上司の身を案じていた。ここでは何が起きてもおかしくない。レイフィールドとストロガノフの抗争が、今ここから始まる可能性だってある。そしてその矢面に立たされるのは、他ならぬ上司のハヤセ女官長だった。
「少し熱に浮かされちゃったみたい。ちょっといいかしら、風に当たりたいのだけど」
ぱたぱたとエレオノラは手で扇ぐ。ヨハンは彼女のその言動が、先よりずっと尊大になっている気がしてならなかった。
保護者のストロガノフ侯爵は、紅茶を片手に廊下を彷徨っている。もてなしは結構だと遠慮を入れつつも、名品の茶と菓子に舌鼓を打ちながら。ついでに許可もなく王宮を闊歩していたのだ。親娘そろって自由で気ままである。
「ハヤセさん。よろしかったら、連れて行ってくれないかしら」
侍従長のヨハンを一瞥した後、どこに視線を送るでもなくエレオノラはそう告げた。自然と、さも当たり前かのように令嬢が述べるため、周りの空気はゆったりと流れていった。
「父もいないし二人きりで話せるわ。ね、いいわよね?」
彼の持ちうる情報のおかげで、女官長の日々における仕事の段取りの全容は把握できている。
だからあとは女官長とかち合うように宮中を散歩しているだけでいい。歴戦の外交官にとって、愛娘の要望を実現することなど造作もないことであった。
「な……っ!!」
ヨハン侍従長の絶句と、その場に居合わせた女官たちの絶望感は言うまでもない。そして女官を連れ立っていたハヤセも同様に狼狽えることとなる。
「ひ、ひかえよ。こちらはストロガノフ侯爵と、皇太子殿下の許嫁であるエレオノラ嬢である」
侍従長の声。内々に準備をしていたヨハン以外は、その来訪者の名前を聞くだけでも頭がどうにかなりそうだった。
何気ない勤務日。それが相まみえてはいけない二人の修羅場に様変わりしていく。誰もが釘付けになっていた。
ハヤセと、エレオノラに対して。
「皆さん……、ごきげんよう」
エレオノラの無表情から挨拶が降ってくると、それだけで怪しげな空気が漂った。
父の侯爵と違い、豊かな金髪を持つエレオノラは不思議な魅力に包まれた女性だった。決して容姿が抜群に優れているわけでもなく、機知に富んだ掛け合いが出来そうな雰囲気もない。
あと二年もすれば大人の仲間入りを果たすが、その風貌からは不相応な幼さも感じられる。どこか放っておけず、気になってしまう。
「あの、エレオノラ様……」
「うん?」
「今日はどうして」
「殿下に会いたくて、ね」
ふらふらと徘徊するエレオノラはまるで姫君でないような佇まいだった。暇さえあれば普通に民と談笑したりする変哲な女性だと。この貴賤に疎いところが、彼女の真の強みの一つだった。
隣で密かに控える下女に話し寄るエレオノラの様子は、まさに彼女の人柄を思わせる。内気とは程遠い。見た目にそれが表れないだけで人との会話は好きなのだろう。
「お父様の特権で来たのよ。ふふふ」
「それはまたなんと殊勝な」
「ここに来れて嬉しいわ。こうやって働いている方々にもたくさん会えて、宮殿とはどんなところか見聞を広めることもできました」
「まさか殿下に会うためだけに来たわけがない」と令嬢の腹を探ろうとする女官たちは多い。令嬢の開かれた口からは、未だにささやかな言葉しか出てはいないが。
それでも、女官の誰もが上司の身を案じていた。ここでは何が起きてもおかしくない。レイフィールドとストロガノフの抗争が、今ここから始まる可能性だってある。そしてその矢面に立たされるのは、他ならぬ上司のハヤセ女官長だった。
「少し熱に浮かされちゃったみたい。ちょっといいかしら、風に当たりたいのだけど」
ぱたぱたとエレオノラは手で扇ぐ。ヨハンは彼女のその言動が、先よりずっと尊大になっている気がしてならなかった。
保護者のストロガノフ侯爵は、紅茶を片手に廊下を彷徨っている。もてなしは結構だと遠慮を入れつつも、名品の茶と菓子に舌鼓を打ちながら。ついでに許可もなく王宮を闊歩していたのだ。親娘そろって自由で気ままである。
「ハヤセさん。よろしかったら、連れて行ってくれないかしら」
侍従長のヨハンを一瞥した後、どこに視線を送るでもなくエレオノラはそう告げた。自然と、さも当たり前かのように令嬢が述べるため、周りの空気はゆったりと流れていった。
「父もいないし二人きりで話せるわ。ね、いいわよね?」
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