跡取りはいずこへ~美人に育ってしまった侯爵令息の転身~

芽吹鹿

文字の大きさ
上 下
22 / 75

22イヴの視界~男か女か②~

しおりを挟む
 会場の騒ぎが遠のいていく。
 女官長が退場しても混乱が大して収まらないのは、先の毒殺だの呪殺だのと騒いでいた人のせいであった。

 会場に並べられた菓子類、茶類、酒類の毒見はなされていない。全て市場から取り寄せたままの姿で出されていた。


 根も葉もない言い草だが、それらを口にしていた客人からすれば堪ったものではない。毒が入っているのかと皇后陛下に詰め寄る人々の多いことだった。倒れた女官長の心配よりも、自分の生死を不安がる人のほうが大多数であったのだ。


 騒ぎの渦中、会場を抜けて廊下を渡っていく。何人かの衛兵に出くわしたがこちらに気をかけてくる者はいない。あからさまに知らんぷりを決め込んでいる。人が倒れても無関心でいるエイナ宮の使用人を、イヴはあからさまに卑下した。


「あなたの名前は?それと、ハヤセとはどういう関係?」


 デイナイン公爵夫人は女官長を易々と運び歩きながら、そう訊ねてくる。


「イヴ・ハーツと申します。ハヤセ女官長直属の部下です」


「ふーん。全部知っているの?」


 「全部」と夫人は殊更にそこを強調してくる。イヴは若干引っかかりを感じたが、今日の出来事ならば「全部」知っていると、強く頷いてみせた。


「そう……ハヤセも信頼し合える人を見つけたのね」


「…………」


「また手紙を出さなくなっていたから、ハヤセ。心配だったけれど。取り越し苦労だったかしら」


 胸にしまった女官長に夫人はそっと呟いた。それでも横抱きにされた女性は昏々と眠り続けている。



 夫人とイヴが辿り着いたのは寝台を揃えた一室である。

 腕の痺れに耐えかねたように、女性をベッドに乗せ上げた瞬間、夫人は悶絶の声を漏らした。


「痛……」


 イヴの出る幕はほとんど無かった。運ぶことも道を先導することもせず、手持ち無沙汰に着いてきただけである。ひとまず部屋の扉は閉めて人目の心配は無くしておく。


 夫人がわざわざここまで来たことに理由を見出さずにはいられない。きっと女官長の根深い秘密を知っているのだろう。イヴは追及したがった。


「じゃあハヤセの服を脱がせましょう」


「あ……はい」


 フリル付きの前掛けを手早く取り外していく。黒一色に染まっても絶世の美女は変わらないとしみじみ思いながら、宮廷支給のワンピースにも手を掛け、下から順にボタンを取り去っていく。

 乱れた黒髪から覗く額からは、玉のような汗が吹き出していることがわかった。
 腹部の痛み。先日までは気にも留めていなかったが女官長はずっと痛みを感じていたのだろうか。


 ボタンを取り終えて顕わになった部分の肌は、やはり雪のように白かった。しかし懸念していた腹周りの布を夫人がめくり上げると、その理想は砕け散ることとなった。


「何これ…………」


 目を覆いたくなるほどの痣の数々。見るだけで嗚咽が走ってしまう。浅黒く染まった肌。
 真っ白な身体にまるで斑点のように滲んだ不吉なそれは、どうにも正体がわからない。デイナイン夫人は今にも泣き出しそうな顔で、その染みを指でなぞった。


「打撲痕かしら」


「そんな!!誰から」


 イヴは全力でかぶりを振った。自分の上司がまさかそのような危険に身を置いているとは受け入れられなかった。皇太子に大事に扱われて皇后からも気に入られている。

 いじめなんてもってのほかだ。彼女の直接的な政敵であろうストロガノフ家とは、一度しか相まみえたことがない。ハヤセ・レイフィールド憎しと思っている人など帝宮内にはいないはず。そこだけはイヴは譲れなかった。


 では打撲の痕でなければ、浅黒い染みの正体は何か。追究だってしたくない。部下が上司の尊厳を踏みにじって良いことなんてない。


 雲の上に感じたハヤセ女官長の存在が、急に近くなってくるのがやるせない。



 女官長は帝国で一番美しい女性だと公言できる。だがそんな女性だって闇を抱えていた。それがわかっただけ辛かった。



 腹から胸へ、白い柔肌を辿っていくとまるで女神の生まれ変わりみたいだ。下着からわかる小ぶりな胸の膨らみ、ほとんど目では捉えられない膨らみが、よく見ると確かに………、


「あれ………」


 下着から飛び出てきたのは布の塊だった。そして女性にあるべき胸の膨らみが見当たらない。気のせいだろうと、不躾は承知で下着の中を鷲掴む。


 感触はない。上手く呼吸ができない。激しい胸騒ぎを止められなかった。


「女……じゃないの?」


 そのつぶやきは、隣にいたイザベルにも聞き届けられた。彼女は頭を抱えて、女官とハヤセの顔を見合っていた。


「知らなかったのね。はぁ、この子の秘密がバレちゃった」


 なにか触れてはいけないものを開けてしまった。無知のイヴでも、それだけは確信することができた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

家を追い出されたのでツバメをやろうとしたら強面の乳兄弟に反対されて困っている

香歌奈
BL
ある日、突然、セレンは生まれ育った伯爵家を追い出された。 異母兄の婚約者に乱暴を働こうとした罪らしいが、全く身に覚えがない。なのに伯爵家当主となっている異母兄は家から締め出したばかりか、ヴァーレン伯爵家の籍まで抹消したと言う。 途方に暮れたセレンは、年の離れた乳兄弟ギーズを頼ることにした。ギーズは顔に大きな傷跡が残る強面の騎士。悪人からは恐れられ、女子供からは怯えられているという。でもセレンにとっては子守をしてくれた優しいお兄さん。ギーズの家に置いてもらう日々は昔のようで居心地がいい。とはいえ、いつまでも養ってもらうわけにはいかない。しかしお坊ちゃん育ちで手に職があるわけでもなく……。 「僕は女性ウケがいい。この顔を生かしてツバメをしようかな」「おい、待て。ツバメの意味がわかっているのか!」美貌の天然青年に振り回される強面騎士は、ついに実力行使に出る?!

【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。

N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間 ファンタジーしてます。 攻めが出てくるのは中盤から。 結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。 表紙絵 ⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101) 挿絵『0 琥』 ⇨からさね 様 X (@karasane03) 挿絵『34 森』 ⇨くすなし 様 X(@cuth_masi) ◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完】僕の弟と僕の護衛騎士は、赤い糸で繋がっている

たまとら
BL
赤い糸が見えるキリルは、自分には糸が無いのでやさぐれ気味です

処理中です...