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17その感情
しおりを挟む冬宮殿の閑散を何と喩えたらよいだろう。オズモンドは身に沁みる静けさを肌で感じていた。番兵の屈強たるや。侍従女官の身のこなしからも高級感が醸し出されている。
最低限の人員で回されている冬宮殿には静謐さと気品が漂う。このようにいかにも皇帝の住まいとして趣きがあるのだが、中途半端な職位では立ち入ることさえ叶わない。故に廷臣たちの憧れの場所だが、それだけにここでの宮仕えには相当厳しい査定が要求されていた。
不定期に催される廷臣の選抜において、特に優秀だった者のみが冬宮に上がることができる。これだから上澄みの使用人、頑丈そうな兵士たちが居並ぶのにも説得力がある。
「ハヤセ女官長代理は?」
昼下がりの鳥の声。オズモンドと侍従長ヨハンの二人は冬宮殿の館内にいた。かねてよりの噂について物申すべく、そこではある人との面談を予定していたのだ。今は女官を捕まえて例の女性の所在を問いていた。
「女官長代理ですか。今は皇后陛下主催のお茶会で、出払っているのです」
「ふむ……そうか」
冬宮殿の人員の中でも際立って影響力のある廷臣といえば彼女に違いない。ハヤセ・レイフィールド。社交経験のない令嬢だと、彼女が宮に入ったばかりの時は散々耳にしたものだ。
デイナイン公爵直々の推薦ということで仕方なく人事に混ぜてはみたものの、役に立つか否かは日を見ずとも明らかだろうと思った。精々が大宮殿の雑用が関の山であろうと。
レイフィールドの剛健さと力強さを微塵も持たない少女だ。今にも手折れそうな儚さと崩れ落ちてしまいそうな幸薄な美人。あれほど衝撃的な第一印象も他にはない。
まさに自らの心臓に触れるかのような心地がした。そんな少女が宮に仕え始めて、その才能を開花させるまでに時間はかからなかったという。大宮殿の女官頭に任じられたかと思えば、すぐに冬宮殿に呼び召され、あれよあれよという間に女官長になった。
全くもって異例も異例。ここまで早い出世は女性初であった。こちらは、レイフィールドに子女がいただろうかと何とも気を抜かして油断ばかりしていた。ハヤセ女官長代理の大躍進を見届けられなかったのは、廷臣からすれば非常に悔やまれることである。
「では予定通りに」
「はい。呼んで参りましょう」
侍従長が別離し、目当ての相手を探しに向かっていく。女官長代理がいないことを知れたのは大きい。もしもいたとなれば、場所ごと言葉ごとに気を遣う心構えが入り用であったが、どうやらその心配もない。
~~~~~
男同士であれば気兼ねなく、とはいったものの目の前の貴人に対しては先行きが怪しかった。アルベール皇太子の顔と面したオズモンド。
その胸の内は、まるで神さまに崇敬するかのように手を合わせる態度だった。これで強気の言葉など掛けることができるのか。それは何とも言い難い。
「で、用件は?」
足を組んで座する殿下の見目は「騎士の中の騎士」の二つ名にふさわしい。昼間なのに公務の合い間を縫って来たことが一目でわかる疲れの顔。皇太子の仕事への熱心ぶりは、いささか体調を崩すほどだと侍従長からは知らされている。
「早めに頼むよオズモンド。まだ昨日の仕事が残っているんだ」
「ええ。では手短に。ハヤセ・レイフィールド女官長代理とのことでございます」
ゴツゴツとした武人のような体躯をしているのに、殿下の顔は柔らかそうに表情を変えていく。眉を不審そうにひそめながらこちらに向き直る。
「ハヤセが、なんだ?」
「婚礼前の殿下はいわば穢れなき神の御身そのものにございます。その御身を自ら汚すことがあってはならないと前置きいたしまして、最近の殿下はそうした心掛けが少々足りていないように感じるのです」
「何が言いたい?」
あからさまに態度を悪くする光輝の皇子に焦り、こちらは背中の大粒の汗を感じる。
「ハヤセ女官長代理とはどのような間柄なのでしょうか」
「幼馴染で、かけがえのない俺の親友だ」
「本当にそれだけですか?」
「なに?」
徳の高すぎる彼に寄ってたかる男性女性の多いことだ。とにかく彼と知り合うだけでも良い。そう熱心に彼を追い続ける人間だっているほどだ。
従者によると、しかし殿下はデイナイン侯爵夫人と女官長代理との友好を一心に重んじているという。ここに何か秘密があるのではないか。そう考えてしまうのは不純な大人だからだろうか。
「女官長代理もレイフィールドの御令嬢だということはわかっておりましょうな?」
「令嬢………まぁ…………」
記念式の時と同じく、皇太子は訳も言わずにそっぽを向いてしまう。目線上に立つ侍従長がこくりと頷いた。これは、もはや確定しても良さそうである。
「やはり殿下は……ハヤセ女官長代理に友情以外の感情を抱いておいでらしい」
「違うな」
「いいや私の目は見破れませんよ。その顔の赤らみが物語っておいでだ」
カタチのよい頬がほのかに紅潮している。これが恋い慕う相手の名前を聞いて昂る男の顔でなければなんであろう。
「殿下……私は殿下の恋心を抑えつけたいわけではないのです。しかるべき手順と、段取りさえ整えてくだされば文句も指摘も致す気はありません」
「オズモンド」
「ハヤセ女官長代理を好ましいと恋い慕う気持ちの前に、ストロガノフ令嬢との婚約を迎えなければ。そちらを早急に進めることができれば殿下の気持ちも少しは」
「止めろ!!オズモンドッ」
皇太子と隔てていた長卓が真正面を滑るように吹っ飛んでいった。そちらには侍従長がいたが、かろうじて彼は避けることができた。片手で机を操る貴人の驚異に、オズモンドも侍従長も身震いする。辺りを包むのは皇太子の怒気である。
まるで人が変わったかのように、この場の貴人は、オズモンドの服の袖口をちぎれるほど強く引っぱってきた。
「俺とハヤセのことは、何も、口出しするな」
「ぐ………」
殺意が青の瞳から漏れ出ている。宰相という肩書きはどこかへ忘れ、今はただこの恐ろしい気迫に怯えていた。
「たとえ宰相であってもだぞ。次にこのような話を仕掛けてきたらその減らず口もただでは済まないと思え」
いいかげんに袖から手を放され、言葉を返す間もなく皇太子は元来た廊下を帰っていってしまった。続けて従者、護衛の兵士が鼻息を起こしながら部屋を後にする。
腰が抜けた。オズモンドは怒れる皇太子の形相を思い浮かべる。あの表情は天使すら恐怖するのではないか。
侍従長のヨハンがほとんどオズモンドと同じ体勢で、向かいに垂れている。やはり腰が抜けたのであろう。
オズモンドは考えた。あの床を震わす怒声と気迫は、どういったものであろうかと。恋の病にしたってあのような凄みは出せないように思えた。むしろ幼馴染を中傷されたからと純粋に怒っているようにも見えなくなかった。
だが、「口出しするな」と言われた。友人との関係に口出しするなというのは殿下の勢いからしてもおかしなことだ。殺意を籠めるほどの、なにか後ろめたいものが隠されていることは間違いがない。
刹那の緊張から緩んだ思考からは、ぐちゃぐちゃと取り留めのない感情が出てくる。
殿下は怖い。殿下は恐ろしい。殿下は何かを隠している?
不純な大人たちはまだ確信が持てずにいた。「恋をしている」とはまた違った力が、殿下を突き動かしているような気がしてならない。
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