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16尖兵

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 秋、皇太子が帝国に帰還してから数月が経とうとしている。

 宮内の中でも特に主要な「大宮殿」においては、日頃と同じく人と物がごった返している。公的な行事はここで執り行われるため、皇太子が帰還した直後から人の密度がさらに倍加したように思われる。


 すぐ隣の「帝国迎賓館」では外国の要人を次から次へと捌いていく作業に追われていた。皇太子の帰還が報じられるたびに、各国からは祝いを表す外交使節が送られてくる。いくらもてなしてもキリがないと、迎賓館の廷臣が弱音を吐く始末だった。


 皇家の住まいである「冬宮殿」は、青白く澄んだ輝きに荘厳さが際立っている。左右対称の建物の外観は、他の巨大な宮殿とも一線を画すような独特な赴きがある。帝国の繁栄を象徴する精巧な石造りに、余分な装飾など不要だ。その存在感だけで旅人すら寄ってくるのだから、偉大な佇まいといえる。


 冬宮の病床に伏す皇帝陛下の代わりとして、半年間は皇后陛下と帝国宰相オズモンド・カンテが政務一切を引き継いでいた。その時の宮内はまるで死にかけの生命のようで、ほとんど皇帝陛下の具合と同調するかのように沈みかえっていたことだった。

 だがしかし皇太子が帰り政務の権限が彼の手に渡った瞬間、宮内は息を吹き返したように活気を取り戻した。帝国の最終意思決定をまだ20にも満たない青年が務めるのだ。若き血潮に帝宮は溢れんばかりである。


 オズモンドは思うのだ。幹部重鎮、廷臣の大部分は皇太子の上から下までの細やかな統率を絶賛している。積極的に国の根本を変えていくのだという若い指導者の意志に、帝宮は諸手を挙げて応えた。


 それは新しい時代の到来を皆が予感している証左であろう。もちろん、皇帝陛下が存命している手前、公然とそれを言うことはできないかもしれない。だが次期皇帝の即位はまだかと、誰もが皇太子を嘱望していることは明白だった。


 寝たきりの皇帝陛下では扱うことがままならなかった政策にも向き合って、既に一定の成果をあげてしまっている。大陸全土が抱える貧困問題についても積極的に救いの手を検討し、民からの好感度も高まりつつある。これらはアルベール皇太子殿下が臨時摂政になってまだわずかの内でやってのけてしまったことだ。


 このまま、さらにますます帝国に存在感を放つようになるであろう。理想通りの政権交代ではないだろうか。皇帝から皇太子へ、父から子へ、今すぐにでも世代を引き継いでも問題は無いように感じられる。


~~~~~


 若き貴公子の躍進に胸を高鳴らせていたのも束の間のこと。オズモンドの耳にとある噂が舞い込んできたのは、秋も深まる頃であった。


 国の最高権力機構である、連合会議が大宮殿で行なわれることになった時。名だたる重鎮が顔を揃えている中で、侍従長のヨハンがそそくさと歩み寄ってくる。その時の男には珍しく沈着さが足りておらず、足取りも覚束なかった。


「皇太子殿下が恋をしておられる」


 開口一番、予想外の言葉を打ち出される。こちらの思考が追いついてこず、あわやそうかと頷いてしまうところだった。


 公的な行事にあって、分を弁えろと叱ることもできたが、この状況で人の恋事を寄越すなどただごとではない。


 耳打ちしてくるヨハンの語調からはどことなく気の迷いを感じる。当然だ。婚礼前の皇子が別の女人に色恋を覚えるなどただでさえ体裁が悪い。それを公の場で伝えてくることの後ろめたさや如何。


 しかし報告されたからには、こちらも黙っているわけにはいかなかった。いったい殿下は誰に恋をしているのかねとこちらが訊ねると、ヨハンは「ハヤセ・レイフィールド女官長代理」と一息に言ってしまう。
 頭にずしりと岩が乗っかかる気分がした。なるほど、これは面倒な。


 皇太子の許嫁はストロガノフ令嬢。対する女官長代理はもはや言わずもがなで「レイフィールドの至宝」と称えられる令嬢である。


 あの理想的な皇子も男であった。まぁ男であれば仕方がないことであろうと、言ってしまえればどんなに楽なことか。まさか侯爵令嬢と婚約を予定しておきながら、また別の侯爵令嬢とよろしい関係になるなど考えにも至らなかった。

 見ず知らずの女人に手を出してくれた方が、まだ対処が簡単だったであろうにと歪んだ気持ちになる。これだけで将来的な侯爵家同士のぶつかり合いが避けがたいものになると確定した。


 オズモンドは会議の終わりには、もう一度侍従長に目を合わせ、「どこまで?」と訊ねた。お互いかなり苦しげな顔をしていたことだ。

 どこまで、とは皇太子と女官長がどれだけ逢瀬を重ねているのかを聞くための台詞のつもりだったが、焦りすぎて重要な主述が抜け落ちていることに気づかなかった。
だが、これだけで侍従長のヨハンには聞き届けられたようで、「まだわずか」という短い答えが返ってくる。人が入り乱れるなかで最小限の、精一杯の返しであった。


 まだわずか、その返答をどう捉えたらよいだろうか。既に男女の関係にあるのか、はたまた密会が数回あるだけなのか。いずれにしても問題が表面化する前に事態を掌握せねばならない。そして出来得ることなら皇太子の気心を変えて、女官長への恋事をも解消させる。


 皇太子には頭が上がらない。記念式での件で自分の首が飛んでもおかしくなかった。数多の公務を積極的に取り組む姿勢も素晴らしい。宰相の自分からしてみれば皇太子の存在は救世主に思えてならないのである。

 敬意は表している。だが心を鬼にしなければ。許嫁との婚礼を前に、不道徳が過ぎると説き伏せる。それは宰相である自分の務めであろう。
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