跡取りはいずこへ~美人に育ってしまった侯爵令息の転身~

芽吹鹿

文字の大きさ
上 下
12 / 75

12望んでいること

しおりを挟む

 皇太子は幼馴染との再会に感無量といった様子で、人目も憚らずにハヤセを抱き寄せた。人の出入りが無くなった宮殿の中身は、がらんどうとはいったもののそれでも僅かに人がいる。事情を知らない人がこちらを見たら、きっとあることないこと勘違いしてしまうだろう。


「ようやく会えた」


 頭上から降ってくる低い声には強さと慈しみが感じられた。ハヤセの肩を抱く武骨な手に力がこもっていく。


「心配したんだぞ」


「殿下……」


「いくら人を遣っても、ずっとお前の安否がわからなかったから。ずっと……消えて居なくなったのかと思ってた」


 お互いの息遣いが聞こえてきそうなほどの距離。密着した面が燃えるような熱を孕んでいく。


「本当に心配したぞ…………」


 目線を上に移動させると、どれだけ近くに皇太子の顔があるかがわかる。無邪気であどけなかった頃のものとは違った大人びた微笑み。彫刻のように磨かれた顔が、口角を上げてみるとこんなにも人間らしい温かな表情になるのかとハヤセは小さく驚いた。


「殿下、申し訳ありません。この半年間の内に一度でも便りを送ろうとしなかったのは私の浅はかさ故です」


「いいんだ。俺も俺でもっと身近なところに気をつけるべきだった。まさかハヤセが女官として出仕していたとはね」


 ようやく肩を離されたとはいえ、外界の音を入れないためにも結局二人は近く添うようにしていた。軍服につけられた香油の匂いが鼻の奥に詰まる。


「今まで御存知ではなかったのですか?」


「留学中はまったく知らなかったよ。大陸に戻って来てからは噂をつまみながら、少しずつ」


 ハヤセは意味が分からないというように首を傾げた。予想していた状況と違う。皇太子には、近侍やイザベル辺りが情報を共有しているものだとばかり思っていた。少なくとも目の前の男は自分の身の上を知っているだろうと、そうずっと意識していた。


「どうして女官になったんだい?」


 相手は至極真っ当な問いを発してくる。それはそうだ。濃紺のロングドレスにフリルの付いた白い前掛け。かねてよりの男友達がこんな格好でいたら、どうしても気にせずにはいられないだろう。


「それは……」


「ああ、言いたくなければ言わなくても良い。ハヤセが選んだのならそれほど居心地がよかったのだろうね」


 皇太子がさっと潔く制した。抱擁が解かれてから、ハヤセはキョロキョロと目だけを動かして周囲を確認している。それを相手はハヤセがモジモジと言い淀んでいるのだと勘違いしたらしかった。


 なによりも今はただ時間が惜しい。

 出戻ってきた兵士や使用人の姿はない。貴族も奥へと移動が完了している。あとは誘導が滞りなく進められているか、個室で別個に問題が生じていないか確かめる必要がある。とにかく身の上話をしている余裕など最初からないのだ。


 ただ実際のところ、複雑な心境ではあった。自分が女装しているのを、幼馴染はどういう気持ちで見ているのかと。考えれば考えるだけ気恥ずかしくなってくる。元々の理由である、廃嫡の件をどういう顔で伝えるべきかわからなかった。


「あの殿下。そろそろ…………」


 「時間が」と消え入りそうな声で呟くと、相手は伏し目がちになってしまった。ゆっくりと茶でも飲みながら語り合いたい。式典も貴族のことなんかも忘れて、今だけは昔日の面影を追っていたい。だがそんな我儘を言えるわけがなかった。


「そう……か。行かなければいけないんだったな」


「申し訳ありません。まともに時間もとれず」


「いやいいんだ。それにこれからは同じ建物の中だ。いつでもお互い会えるようになる。留学の話をお前にたっぷりと話してやるから覚悟しておけよ?」


 明るく笑いながら、皇太子はまた自分の席に戻っていった。彼は騒ぎが止むまでここに居続けるらしい。その広い背中を一瞥してから、ハヤセもまた自分の持ち場へと急いだ。


~~~~~


 無限に続くような長い廊下を突き進んでいく途中、部下の何人かと鉢合わせになればいちいち声をかける。問題がなければ何より。おかしいことがあったらすぐに大きな声で叫ぶようにと伝えておく。貴族たちが手薄な宮殿で何をしでかすかわかったものではない。


 この指示を何回も繰り返し、二階、三階へと宮殿の中を巡回していくと、案の定どこからか甲高い叫び声が聞こえてくる。外の音をもろともしない歯切れのある響きだ。位置は二階であろう。ハヤセは飛ぶようにして全速力でそちらへ向かっていく。


「どこで問題があったの?」


「女官長!!あちらの廊下です。誘導に一向に従おうとしないのです」


 何人かの女官がわざわざ階段で待機してくれている。皆が蒼白一色の顔をしているのにハヤセは気をやった。


「迷惑なお客には誰があたっていますか」


「イヴです。彼女がなんとか時間を稼いでくれています」


 ハヤセは感嘆の声を漏らしてから、先ほどよりも落ち着いた足取りで進んでいった。部下が指し示す方向には確かに人がいる。


 禿頭の男の頭が特に目立っている。それにあまりに近づきすぎると、男が怒りに任せて不平のようなものを隣りの女性にぶつけているのがわかってきた。


「いったいいかがなさいましたか?」


できるだけ柔らかい声で、丁度よい距離に立ちながら男に向かう合う。


「貴様は?」


「女官長代理、ハヤセ・レイフィールドでございます。ストロガノフ候爵でいらっしゃいますね?」


男はふんと鼻息を立てた。式の最前列にいたこの貴人を知らない者などいない。


「ようやくまともそうなのが来たわい。このヒヨッコでは相手にならなくてな」


 イヴは唇を固く引き締め、涙を堪えるようにしていた。まるで叱りを受けた子どものように彼女は縮こまってしまっている。


「何か彼女に不手際がありましたか」


「それもあったが、問題はそこではないのだ女官長殿。なぜワシがあんな狭苦しい小部屋に押し込められなくてはいけないのか。無性に腹が立っておるのだ」


失望を滲ませながら男が自身の頭を撫でる。


「あの群衆を見たかね?とても式を再開するなどできんことだろう。うるさいったらありゃしない」


 これにはハヤセ個人も同意見だった。短時間で解決するものでもなし、皇太子の人気ぶりを踏まえると今日一日はうるさいままであろう。だが女官としてはこれに同調することはできない。立場もある。どうぞ自由にお帰り下さいなどとは口が裂けても言えない。


「衛兵たちが鎮めている最中です。どうかしばらくの間だけ、我慢していただけると助かるのですが」


「そんなにワシを引き留めたければ、もっと十分にもてなしてくれないとだな。こちらとて時間を切り崩して来ているのだぞ?」


 威圧的な物言いが続く。そもそも男にあてがった部屋は来賓用の寝泊まりに使う部屋だったはず。このような苦情を受けつけないために毎日精緻に整えられてあるものだ。批判されることすらおかしい。


 ハヤセの後ろに控えていた女官たちの、ひゅっという呼気が聞こえてくる。彼女たちの顔面蒼白ぶりが見ずともわかる。


 ストロガノフ侯爵の娘は、アルベール皇太子の許嫁である。それだから男の持つ権威に畏怖することは決しておかしいことではないのだ。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~

綾雅(要らない悪役令嬢1巻重版)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」  洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。 子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。  人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。 「僕ね、セティのこと大好きだよ」   【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印) 【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ 【完結】2021/9/13 ※2020/11/01  エブリスタ BLカテゴリー6位 ※2021/09/09  エブリスタ、BLカテゴリー2位

暑がりになったのはお前のせいかっ

わさび
BL
ただのβである僕は最近身体の調子が悪い なんでだろう? そんな僕の隣には今日も光り輝くαの幼馴染、空がいた

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜 ・話の流れが遅い ・作者が話の進行悩み過ぎてる

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

処理中です...