跡取りはいずこへ~美人に育ってしまった侯爵令息の転身~

芽吹鹿

文字の大きさ
上 下
10 / 75

10有頂天

しおりを挟む

 雲切れから垣間見える蒼天のようなドレスの色。淑女のお眼鏡に叶った宝飾の数々。
 腹の底をくすぐってくる艶やかな黒髪。さて、そこもとに優雅に立つ女人の正体が実は男性であると、いったい誰が見破れるだろうか。彼がどんな砂糖菓子よりも甘ったるい微笑でいるから、匂い立つような美しさに昏倒する者まで出てくる始末だ。


 イザベルはゆっくりとした足取りでハヤセの下へと動きだしていった。


「とんでもないな。とても半年前の姿からじゃ想像ができないよ」


「惚れないでね?」


「いやまさか。僕にはイザベルしかいないし、そういう趣味もない」


 ランドルフみたいに子細を知っている紳士ですら、うっかり色気を覚える程の威力だ。ハヤセはすれ違う人にいちいち挨拶しているが、その所作がまた男性陣の視線を惹きつけている。老若男女が「ハヤセ・レイフィールド!!」と何かのおまじないみたいに唱え始めた。どのような成り行きでそうなったのか、いつの間にか会場中が一体となっている。とにかく面白いほどハヤセが歓迎されていることだけがわかった。


「君の、思った通りになったわけだが」


「ふふ。ハヤセの努力の賜物でしょう。噂はしょせん噂に過ぎず、実物は噂をはるかに凌駕する完璧さだっただけ」


「それを送りだしたのがイザベルじゃないか。宮廷作法とかマナーを教えたのは君だろう?」


「いいえ。彼は全部知ってたわ」


 だってハヤセは元は侯爵の跡取りだったのよ?そんなイザベルの台詞に、夫側は今知ったかのような驚きぶりを返してくる。


 イザベルはハヤセの教養を信じていた。どんな環境に身を置いても生き抜く術を知っているだろうからと、宮廷に放り投げた。結果がこれである。イザベルの確信は当たりも大当たり。博打よりはいくらか勝算があったとて、幾割かは完全に運頼みだった。でもこれで良かったのだ。人々の喝采があちらこちらから聞こえてくる。デイナイン夫妻はまるで自分たちが祝われているような、彼を見出せたことへの誇らしさを覚えてならない。


「ハヤセ~~!!」


 イザベルも高らかな声で彼に叫んだ。目と鼻の先に近づいた彼は、花のように笑顔を咲かせて、こちらへ嬉しそうに手を振ってくれている。


~~~~~


 イザベルはハヤセに覆いかぶさる様に抱きついた。幼馴染が衆目など気にする質ではないことをハヤセは知っていたから、受け身もとらず成すがままとした。


「お久しぶりですわね女官長代理」


「公爵夫人も……元気がよろしいことで」


「せっかくの宴だというのに皆さんはお酒も飲まずにハヤセ、ハヤセと大合唱。ここは劇場かと思いましたわ」


「私を祝ってくれる人たちは、さぞや声音がよろしかったのでしょうね。残念なことにここは劇場ではありませんよ?」


 二人して笑い合う。かしこまった口調など柄でもないと、互いに覚束ない単語を並べたものだ。


「元気そうで安心したわ」


「おかげさまで」


「困ったことはない?女官はあなたと仲良くしてる?」


「ついさっきこのドレスの着付けをしてもらったんだ。着せ替え人形みたいでいい気分じゃなかったけれど」


「あら、本当に慕われているのね。変な噂ばかりだったからちょっぴり心配してたの」


 ぱっと抱擁がおさまると、イザベルの砕けた表情がはっきりと見える。彼女の後ろには背筋良くランドルフが控え、それよりもっと彼方では人の塊が波打つかのようだった。ぞろぞろと屋内に入ってくる人の処理対応に、侍従はしおれて、くたびれてしまっている。


「お仕事も楽しいみたいね?」


「緊張してばかりだけど……楽しいよ。皇家の世話係を毎日だなんて信じられないでしょう?それに管理と人事掌握と、考えただけで頭が痛くなってくるね」


 かつてイザベルが見た、屋敷の中に閉じこもっていた彼はもういない。
 他人から目くじらを立てられることのない日常では、何気ない会話で笑いが起こる。女性たちの活き活きとした仕事ぶりにハヤセも奮気する。粛々とこなす雑務でさえも、嫌々とやらされていた武芸よりも断然面白かった。皆で協力して宮廷を洗練させることは、とかく独りの間では味わえない達成感をもたらしてくれる。


 やっと自分らしくあれる気がした。彼の心はもはや、闇に融けこむ孤独とは無縁であり、自由を得て舞い上がる人間のそれだった。


「アルベール皇太子はもういるのかしら?」


「まだ……。留学からの帰途にあるらしいけど、帝都には到着していないんだって。明日の式には間に合うのかな?」


「え~~~~遅くない??早く二人を引き合わせたいわ。皇太子の驚いた顔が目に浮かぶもの」


 二人の談笑に割って入りこめる者などいなかった。

 ランドルフも、まるで置き物みたいに棒立ちのまま。アルベールという名前が出てくるたび、周りは敏感に動きを止めるのだ。それが当然の反応だった。まるで近所の友人を挙げるように、皇太子の話題がぽんぽん飛んでくるのだから恐ろしくて敵わない。


 ハヤセでさえ帝国の未来の君主たるアルベールの名前を呼ぶのにはいささか躊躇いがある。不敬云々はここでは別として、単純に、およそ八年間会っていない幼馴染の話をすることに気が引けた。


 懐かしきアルベールの童顔の次には、あの忌まわしい屋敷の記憶が浮かんでくるのだ。自分に見向きもしてくれない父。レイフィールドの嫡子だからと、その一点をよりどころにしていた、忘れたいと願ってやまない過去。ぽっかりと胸に穴が空いてしまえるほど、何の感情も動かなかった頃の記憶だ。


「ハヤセ、大丈夫?」


 こちらの虚ろ気な視線に、幼馴染は驚異的な反応を示して声をくれる。常人離れした観察眼と人の懐に容易に入りこむ朗らかさ。イザベル・デイナインという女性の存在の大きさを、改めて衆人が認めていることだろう。


「イザベル。私、今がすごく楽しいんだよ」


「さっき聞いたし、ハヤセの顔見てればわかるわよ。どうしたの急に」


「まだお礼を言ってなかったから。私を屋敷から出してくれたことも、恵まれた居場所を与えてくれたことも、こんな素敵な生き方を教えてくれたことも、言葉では言い表せないほど感謝してる」


「こちらはあんまり手助けできた気がしないけれど、友達の苦境を和らげることができたのならお安い御用よ?」


 彼を宮廷にねじ込んであげただけ、あとは勝手に彼の才能と努力が開花してくれたのだ。イザベルはお礼など不要だという手振りを見せてから、ぎゅっとハヤセの手を握り締めた。「まだまだこれからよ」とあえて抑えめの語気でハヤセを励ます言葉を掛けるのだった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結済み】乙男な僕はモブらしく生きる

木嶋うめ香
BL
本編完結済み(2021.3.8) 和の国の貴族の子息が通う華学園の食堂で、僕こと鈴森千晴(すずもりちはる)は前世の記憶を思い出した。 この世界、前世の僕がやっていたBLゲーム「華乙男のラブ日和」じゃないか? 鈴森千晴なんて登場人物、ゲームには居なかったから僕のポジションはモブなんだろう。 もうすぐ主人公が転校してくる。 僕の片思いの相手山城雅(やましろみやび)も攻略対象者の一人だ。 これから僕は主人公と雅が仲良くなっていくのを見てなきゃいけないのか。 片思いだって分ってるから、諦めなきゃいけないのは分ってるけど、やっぱり辛いよどうしたらいいんだろう。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている

迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。 読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)  魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。  ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。  それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。  それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。  勘弁してほしい。  僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

処理中です...