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10有頂天
しおりを挟む雲切れから垣間見える蒼天のようなドレスの色。淑女のお眼鏡に叶った宝飾の数々。
腹の底をくすぐってくる艶やかな黒髪。さて、そこもとに優雅に立つ女人の正体が実は男性であると、いったい誰が見破れるだろうか。彼がどんな砂糖菓子よりも甘ったるい微笑でいるから、匂い立つような美しさに昏倒する者まで出てくる始末だ。
イザベルはゆっくりとした足取りでハヤセの下へと動きだしていった。
「とんでもないな。とても半年前の姿からじゃ想像ができないよ」
「惚れないでね?」
「いやまさか。僕にはイザベルしかいないし、そういう趣味もない」
ランドルフみたいに子細を知っている紳士ですら、うっかり色気を覚える程の威力だ。ハヤセはすれ違う人にいちいち挨拶しているが、その所作がまた男性陣の視線を惹きつけている。老若男女が「ハヤセ・レイフィールド!!」と何かのおまじないみたいに唱え始めた。どのような成り行きでそうなったのか、いつの間にか会場中が一体となっている。とにかく面白いほどハヤセが歓迎されていることだけがわかった。
「君の、思った通りになったわけだが」
「ふふ。ハヤセの努力の賜物でしょう。噂はしょせん噂に過ぎず、実物は噂をはるかに凌駕する完璧さだっただけ」
「それを送りだしたのがイザベルじゃないか。宮廷作法とかマナーを教えたのは君だろう?」
「いいえ。彼は全部知ってたわ」
だってハヤセは元は侯爵の跡取りだったのよ?そんなイザベルの台詞に、夫側は今知ったかのような驚きぶりを返してくる。
イザベルはハヤセの教養を信じていた。どんな環境に身を置いても生き抜く術を知っているだろうからと、宮廷に放り投げた。結果がこれである。イザベルの確信は当たりも大当たり。博打よりはいくらか勝算があったとて、幾割かは完全に運頼みだった。でもこれで良かったのだ。人々の喝采があちらこちらから聞こえてくる。デイナイン夫妻はまるで自分たちが祝われているような、彼を見出せたことへの誇らしさを覚えてならない。
「ハヤセ~~!!」
イザベルも高らかな声で彼に叫んだ。目と鼻の先に近づいた彼は、花のように笑顔を咲かせて、こちらへ嬉しそうに手を振ってくれている。
~~~~~
イザベルはハヤセに覆いかぶさる様に抱きついた。幼馴染が衆目など気にする質ではないことをハヤセは知っていたから、受け身もとらず成すがままとした。
「お久しぶりですわね女官長代理」
「公爵夫人も……元気がよろしいことで」
「せっかくの宴だというのに皆さんはお酒も飲まずにハヤセ、ハヤセと大合唱。ここは劇場かと思いましたわ」
「私を祝ってくれる人たちは、さぞや声音がよろしかったのでしょうね。残念なことにここは劇場ではありませんよ?」
二人して笑い合う。かしこまった口調など柄でもないと、互いに覚束ない単語を並べたものだ。
「元気そうで安心したわ」
「おかげさまで」
「困ったことはない?女官はあなたと仲良くしてる?」
「ついさっきこのドレスの着付けをしてもらったんだ。着せ替え人形みたいでいい気分じゃなかったけれど」
「あら、本当に慕われているのね。変な噂ばかりだったからちょっぴり心配してたの」
ぱっと抱擁がおさまると、イザベルの砕けた表情がはっきりと見える。彼女の後ろには背筋良くランドルフが控え、それよりもっと彼方では人の塊が波打つかのようだった。ぞろぞろと屋内に入ってくる人の処理対応に、侍従はしおれて、くたびれてしまっている。
「お仕事も楽しいみたいね?」
「緊張してばかりだけど……楽しいよ。皇家の世話係を毎日だなんて信じられないでしょう?それに管理と人事掌握と、考えただけで頭が痛くなってくるね」
かつてイザベルが見た、屋敷の中に閉じこもっていた彼はもういない。
他人から目くじらを立てられることのない日常では、何気ない会話で笑いが起こる。女性たちの活き活きとした仕事ぶりにハヤセも奮気する。粛々とこなす雑務でさえも、嫌々とやらされていた武芸よりも断然面白かった。皆で協力して宮廷を洗練させることは、とかく独りの間では味わえない達成感をもたらしてくれる。
やっと自分らしくあれる気がした。彼の心はもはや、闇に融けこむ孤独とは無縁であり、自由を得て舞い上がる人間のそれだった。
「アルベール皇太子はもういるのかしら?」
「まだ……。留学からの帰途にあるらしいけど、帝都には到着していないんだって。明日の式には間に合うのかな?」
「え~~~~遅くない??早く二人を引き合わせたいわ。皇太子の驚いた顔が目に浮かぶもの」
二人の談笑に割って入りこめる者などいなかった。
ランドルフも、まるで置き物みたいに棒立ちのまま。アルベールという名前が出てくるたび、周りは敏感に動きを止めるのだ。それが当然の反応だった。まるで近所の友人を挙げるように、皇太子の話題がぽんぽん飛んでくるのだから恐ろしくて敵わない。
ハヤセでさえ帝国の未来の君主たるアルベールの名前を呼ぶのにはいささか躊躇いがある。不敬云々はここでは別として、単純に、およそ八年間会っていない幼馴染の話をすることに気が引けた。
懐かしきアルベールの童顔の次には、あの忌まわしい屋敷の記憶が浮かんでくるのだ。自分に見向きもしてくれない父。レイフィールドの嫡子だからと、その一点をよりどころにしていた、忘れたいと願ってやまない過去。ぽっかりと胸に穴が空いてしまえるほど、何の感情も動かなかった頃の記憶だ。
「ハヤセ、大丈夫?」
こちらの虚ろ気な視線に、幼馴染は驚異的な反応を示して声をくれる。常人離れした観察眼と人の懐に容易に入りこむ朗らかさ。イザベル・デイナインという女性の存在の大きさを、改めて衆人が認めていることだろう。
「イザベル。私、今がすごく楽しいんだよ」
「さっき聞いたし、ハヤセの顔見てればわかるわよ。どうしたの急に」
「まだお礼を言ってなかったから。私を屋敷から出してくれたことも、恵まれた居場所を与えてくれたことも、こんな素敵な生き方を教えてくれたことも、言葉では言い表せないほど感謝してる」
「こちらはあんまり手助けできた気がしないけれど、友達の苦境を和らげることができたのならお安い御用よ?」
彼を宮廷にねじ込んであげただけ、あとは勝手に彼の才能と努力が開花してくれたのだ。イザベルはお礼など不要だという手振りを見せてから、ぎゅっとハヤセの手を握り締めた。「まだまだこれからよ」とあえて抑えめの語気でハヤセを励ます言葉を掛けるのだった。
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