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01嫁入り

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 ルイ・エスペランサは予想だにしなかった言葉を告げられ、はたしてこの場は夢か幻かと疑った。頭では多くの感情が入り乱れ、終始考えがまとまらない。

「隣国の王子のもとに嫁いでほしい」

 目の前の父が懇願を口にする。

「あの……父上いったい」

「わが王国のためなのだ。どうか、これを厳命だと思って聞いてほしい」

 厳命、と父が続けたことにルイは衝撃を受けた。

 我が身は男であり、もうすぐに18歳を迎えようかという時分である。新妻を迎えてもおかしくない自分がまさか嫁入りなんて、ルイは冗談でも笑えなかった。

 名門エスペランサ家の男児として頑張ってきた過去があり、今がある。兄弟はいないので家の大黒柱を継ぐのは必然としてルイになる。勉学に励み、品性と教養を死に物狂いで磨いてきた。人の上に立つための技量、学ぶことは欠かさなかった。国をより良くしたいという理想もルイは忘れたことがない。

「たった一人の息子を手放すのは辛い。この王の胸中も、穏やかではないのだ」

「父上……」

 心が折れそうになった時には、目の前にいる父の威厳ある姿を思い浮かべたりした。すべては目の前の父や母を支えるため、大きな家門を受け継ぐためであった。そんな覚悟のもとで弱音だって噛み殺してきたのに。

 子どもの時は遊びだって我慢してきた。友達といえば庭に生きる植物や虫たちがせいぜいで、同年代との関わりは両親が許さなかった。
外で走り回る子どもたちの姿を後ろから眺めては、深窓で課題をこなす日々。いつかあの楽しげな輪の中に入れたらと思うことはあったが、ルイにとってそれは夢物語だった。


 18年間。自分の今までの人生はなんのためだったのかと、突然にむなしくなった。「頼む、すまない」と父に切実に頭を下げられて、抗議の言葉も出せない。相手の必死さにルイは小さく息を吐くだけ。



 隣国といえば名をシオン王国という。強大な連合王国であり、大小の勢力がシオン家の旗のもとで付き従っている。連合体の規模は膨らみ続けていて、傘下の貴族家の数は500とか600とか噂されている。まさしく世界帝国の名にふさわしい国家である。

「隣国は、平和条約を結びたければそちらの誠意を見せてみろと言ってきた。憎たらしいが、立場を見誤ればエスペランサ家は間違いなく奴らに滅ぼされてしまう」

「私が王子のもとに嫁げば、あちらに誠意を見せたことになるのでございますか?」

 父王はゆっくりと頷いた。

「それが奴らの求めた内容だ」

 王の隣に控えるルイの母が、しずしずと涙をこぼしている。息子の気丈な姿があまりにも不憫でならなかったのだ。
 周りの従者や臣下の顔をまともに見られる余裕は、もちろんルイにはない。しかし失意の宮廷のなか、鼻をすする音やむせび泣く声色ははっきりと聞こえてくる。誰もが現状を嘆いていた。


 資源の乏しいエスペランサ王国は世界的にも弱小といえた。貧しい土地で人々はなんとか生計を立ててはいるが、夏場は畑が荒れて、冬には雪がどっさりと積もる環境。民の生活は極めて貧しい。隣国がその気になれば、エスペランサ領を踏み荒らすことなど赤子の手をひねるようなものだとルイは危惧していた。

「言わずともわかります。平和のために私はシオン王国の人質となる、ということですね」

 沈黙が続く。詳しく語らずとも、それが答えだった。たった一人の家の子として、外交の犠牲者になることにルイは動揺はない。妻になれなんて言われなければ喜んで敵国に向かっただろう。

 どんな相手に嫁ぐのか。相手の年齢は?そもそも王子というが、何番目の王子なのか。ほんとうにシオン王家の血を引いている御方なのか。聞きたいことは山のようにある。でも、それらを訊ねたところでルイは、自分自身が納得いかないことも知っている。

 できればルイはこの場で全力で拒否したかった。

 男性の妻になれだなんて、頭では理解できてもぜったいに嫌だった。国のため、父のため母のため民のためと言われても、どうしてもルイの屈辱感は消えていかない。
婚姻相手は性別はもとより、名も顔も知らない異国の男だろう。ルイは自分がどんなにひどい扱いを相手からされてもおかしくはないと悟っていた。たとえ死んでも死にきれない未来が待っていそうで、この先を丸ごと受け入れるのが怖い。

「頼む、ルイ」

「すべて父上のなすがままに」

 苦しい心境で、それでも声を発することはできた。震える口を抑えながら、泣きそうな表情を隠すのでルイは精一杯だった。

~~~~~

 婚礼までの道のりは、18歳の青年には耐えがたいものだった。
 エスペランサの実家を出る直前まで、ルイは嫁入りのための道具を準備することとなる。

 「あちらの国の奥方になる」ための用意をさせられていると思うと、嫌で嫌でたまらなくなる。ふだん見ることのない豪奢な衣装や、生地の薄い趣味の悪い下着、貴賓用の礼服などが荷にしまわれていくのを見ると、ルイは寒気を感じた。

「あちらがどのような服飾を求めてくるかわからないのです。今だけは我慢なさってください」

 侍女がそのように諭してくる。新たな服の仕立てのため、彼女たちに採寸やら試着やらで着せ替え人形のように扱われる。悔しかった。
仕方ないとはいえ、ルイは泣きそうになりながら男物、女物に袖を通していった。

 初めて知るシオン王国の挨拶や、踊りの振りつけなど。社交の場で困ることが無いように念入りにマナーは仕込まれた。
 言語についてはルイは会得していたので、地方ごとの発音の訛りを仕上げるだけで済んだ。順調に基礎学習は終えられそうであったが、しかし、閨での営みを覚えることだけは彼は頑なに拒んでいた。

「いやだ、絶対に」

「夫婦となるのですから夜の営みの機会もございましょう。おぼえておかなくては、ルイ様が困るのですよ」

「うぅ……ないよ。そんなこと」

 最後には根負けしたが、その内容はルイには到底受け付けられないものであった。男どうしで愛しあう方法、行為の一部始終を言語化されたら気分が悪い。
ルイの母が率先して本を片手に教えを授けた。だが、これがルイには拷問のようだった。女性との肉体関係すらない彼だから、どうやっても想像の域を出ることはない。
しかも母が教えてくるそれは、単に身体をつなげること以上の、いくつか子を宿すまでの過程をも含んだ内容であった。

(私は男なのに)

 その説明に意味があるのか。母は絶対に使う時が来ると力説するが、明確な根拠はない。身体の中を具体的に説明されても、気持ちの悪い感覚しかあとには残らなかった。

「あなたの行動がエスペランサ家の命運を決めてしまうのです」

「それは……肝に銘じておりますが、母上」

「夫となる相手に粗相がないよう、あちらに行き着いても性知識は学び怠ってはいけません」

 言っているはずの母が、誰よりも気まずい表情をしている。ルイは彼女を真正面から見ることはできなかった。


 月も隔てないうちにシオン王国の迎えの使者がやってきた。

 その豪勢な一行には誰もが驚いた。エスペランサの民が「谷から軍隊がやってきた」と勘違いするほどで、確かに力を誇示する凱旋のように見えなくもない。ざっと1000人はいそうな衛兵の行列。ルイはその壮観さを遠くから見て、とんでもないところに自分が攫われるのではないかと気が気ではいられなかった。

「エスペランサの姫君をお迎えにあがりました」

 初対面で述べられた台詞はともかく、使者は穏やかな物腰でルイと向き合ってくる。相手からはいかにも結婚を祝うかのような明るい雰囲気が漂う。慌ててルイも所作を改めて、代表者にお辞儀を深めに返した。

「ルイ・エスペランサと申します。えっと……この見た目どおり私は女でなく男なのですが」

「存じております。形式上の挨拶ですので、どうか無視してくださると助かります」

「そうでしたか。あの、たびたび水を差すようで申し訳ないですが、お相手の王子もこのことは承知しているのですか?」

 同性婚なんて正気か?とルイはつい本音を漏らしそうになった。こちらの意図はともかく、代表者からは「無論です」と言わんばかりにニコニコと微笑みが返された。意外にも、迎えにきた彼らから邪気は感じず、敬いと気遣いが強く感じられる。その点だけはエスペランサ家を安堵させた。

「レオポルド・シオン殿下の名において、今回のご成婚は必ず両国の繁栄につながることをお約束いたします」

「レオポルド……?」

「はい。もちろん、ルイ様の伴侶になる王子殿下の名にございます」

 使者は何気なく伝えてくるが、当のルイや家の人はその名を初めて聞くこととなった。王子の名前。「レオポルド……レオポルド」と受け手はうわ言のように何度か唱え続けた。

「さっそくシオン王国に向かいましょう。国王陛下や、殿下たちが心待ちにしておられます」

 形式上の挨拶がある程度済まされ、大きな荷物が運び込まれていく。ルイとその従者たちは厳かな馬車の奥で腰をおろす。奇妙で長い旅路が始まろうとしていた。
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