カラダの恋人

フジキフジコ

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カラダの恋人【第一部】

8.人にはいろいろ事情がある

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大学のテストが終わって明日から冬休みに入るって日。
オレは間宮を飲みに誘った。
オレと紺野がよく行く、小さいけど雰囲気のいい明るい南国風の居酒屋で、オレは間宮に紺野を紹介した。
あんまりこういう店に来たことがないのか、間宮は物珍しそうに店内を見回していた。

「でも間宮さあ、ピアノやってること、なんで言ってくれなかったんだよ」
「ごめん。隠すつもりはなかったんだけど、言いそびれてしまって」
「そりゃあ正解だよ、黙ってて。こいつってさあ、自分のわかんない世界の人間に対してすげえ引っ込み思案だから」

間宮のことをなんとなくムシが好かないハズの紺野は、それにしちゃあ最初から打ち解けて気安い口を利いている。
「悪かったな!引っ込み思案でっ」
オレは手に持っていた箸で紺野の手の甲を刺した。

痛い、と大騒ぎをする紺野を無視して、
「なあ間宮、今度弾いてよ、ピアノ。そうだほら、例の『月の光』とかさ」
オレは言った。
「オレも聴きたいなあ。トモに聴かせてもどうせこいつ寝ちゃうから、オレに聴かせた方がいいぜ。ほら、オレはトモと違って一応バイエルの初級まではクリアしてるし」
「おまえいちいちうっせえんだよ!」
オレは紺野の髪を引っ張った。
紺野はオレの頬を抓った。

オレたちが痛さに堪え、顔を歪めて睨みあっていると、間宮は静かな口調で言った。
「ピアノ、やめたんだ」
「え?……ええっ?!なんでっ?」
「うん…。思うように弾けなくなってね。まあ、いろいろあったんだけど」
やめた?
その権威あるなんとかコンクールに何度も優勝していて、加藤や四ノ宮まで名前を知ってるくらい、有名なのに?

どうして、また。
と喉まで出かかった言葉を、かろうじてオレは飲み込んだ。
人にはいろいろ事情があるものだ。
オレなんかにはわからない、芸術家の苦悩とか大変なことがあったんだろうなあ。

そう思って、オレが次になんて言っていいか言葉を探していると、
「でもさあ、趣味で弾くならどんなふうに弾いてもいいだろ?おまえの好きなように弾けばいいじゃん。そういうの、聴かせろよ」
小さい頃からずっと弾いていて、中学生で日本一になって、そして挫折したことなんてまるでなんでもないことみたいな言い方で紺野は言う。

「おまえ、そんな無理言っちゃ…」
無神経な紺野の言葉に間宮が傷ついたんじゃないかとハラハラするオレに、間宮は、
「そうか、そうだね。今度、二人に聴いてもらおうかな」
明るく笑顔を見せながら言った。

なんかほっとして、オレの胸の中にあったわだかまりも解けて、久しぶりにいい気分で酔った。
軽口からすぐに喧嘩になるオレと紺野を、間宮はずっと静かな微笑で見つめていた。
間宮の、その温かで柔らかい視線は、心地のいい音楽みたいだ。
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