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12.辛くても悲しくても
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なぜか鍵のかかっていないドアを開けて部屋に上がると、部屋の中はまるで嵐が通ったあとのように荒れていた。
「那智…?」
那智は電気もつけないで、放り出された雑誌や衣類や割れた食器の中で虚ろな目をして座り込んでいる。
「那智、どうしたんだよ?!」
ゆっくりと樫野を見上げた目にはまるで生気がなく、樫野は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「……樫野」
自分を見て「樫野」と那智が判別できることに、とりあえずほっとする。
まだ、忘れてない。
なら、自分が那智にしてやれることはきっとある。
「…ない、んだ」
「なにが、ないの。一緒に探してあげる。見つかるまで、オレが一緒に探すよ、那智」
「だけど…わからない…んだ。何を、探していたのか、わからなくなって…」
樫野を見上げたまま、その目が瞬きもしないで潤んで、大粒の涙が溢れた。
「オレ…変だよね。…こんなの…おかしいよ、ぜったい」
樫野は屈んで、抜け殻のように力の抜けた那智をそっと抱きしめた。
ずっと座り込んでいたせいか、那智の身体は冷え切っていた。
「病院に、入ろう、那智。仕事を休んで静かな環境で静養すれば、少しは進行をくい止めることが出来るそうだよ。オレ、行って来たんだ。丘の上にある、窓から海が見えるいい所だよ」
「…休んで、進行をくいとめて、そんなことしてなんになるんだよ。どうせいつか、全部忘れるのに」
素直に、頬を樫野の胸に預けて力なく那智は言う。
「オレがさ、少しでも、ほんの少しでも、那智に覚えていて欲しいんだ。それって、オレのわがままかな」
そう、それはただのエゴだ。
樫野はわかっている。
いっそすべてを忘れてしまった方が、那智は楽になれる。
今の苦しみから逃れて、平静を取り戻すことが出来る。
忘れて欲しくないという気持ちは、どうしようもないエゴだ。
また自分は、自分の思いを那智に押しつけている。
わかっていても、諦められなかった。
「それとも…那智、それとも、オレと二人で暮らさないか。どこか遠くに行って、誰もオレたちのこと知らない場所で、ずっと一緒に、二人だけで、暮らさないか」
思いつきで言ったその言葉は、樫野には目の眩むような誘惑だった。
那智と二人で暮らす。
たとえ記憶を失っても側にいて、那智の瞳に映るのは自分だけ。
那智は完全に自分だけのものになる。
夢のような幻想に酔って、樫野は那智を抱きしめる腕に力をこめた。
「……樫野と、二人で?」
樫野の腕の中で那智も同じ夢を見る。
記憶を失ってもずっと側にいてくれると言ってくれた樫野と一緒なら、怖くないかもしれない。
樫野なら、信じられる。
けれど。
「そんなこと、駄目だ。樫野、絶対に駄目だ」
口許に微笑を浮かべながら、那智は優しく拒んだ。
「どうして?」
「FakeLipsを終わらせないで欲しい。オレがいなくても、みんなで、FakeLipsを続けて欲しい。オレは、病院に入るから…」
「那智…」
結局、おまえはオレだけのものになろうとしない、いつだって自分自身よりオレより、FakeLipsを優先させるんだ。
そう思いながら樫野は苦笑した。
それが、とても那智らしかったから。
「毎日、会いに行く。オレ、毎日、行くから」
那智の髪に口づけながら、幼い子供に言うように樫野は言った。
「…忘れたくない。…樫野、オレ、忘れたく、ねーよ。FakeLipsのことも、みんなのことも…おまえのことも」
「那智……」
「樫野…樫野…かし、の」
樫野の胸にすがって、那智は嗚咽を漏らして泣きつづけた。
「大丈夫…大丈夫だから…那智」
二度と、おまえの前から逃げたりしない。
側にいることしか出来ないから、それだけは守る。
辛くても悲しくても苦しくても、側にいるから。
「那智…?」
那智は電気もつけないで、放り出された雑誌や衣類や割れた食器の中で虚ろな目をして座り込んでいる。
「那智、どうしたんだよ?!」
ゆっくりと樫野を見上げた目にはまるで生気がなく、樫野は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「……樫野」
自分を見て「樫野」と那智が判別できることに、とりあえずほっとする。
まだ、忘れてない。
なら、自分が那智にしてやれることはきっとある。
「…ない、んだ」
「なにが、ないの。一緒に探してあげる。見つかるまで、オレが一緒に探すよ、那智」
「だけど…わからない…んだ。何を、探していたのか、わからなくなって…」
樫野を見上げたまま、その目が瞬きもしないで潤んで、大粒の涙が溢れた。
「オレ…変だよね。…こんなの…おかしいよ、ぜったい」
樫野は屈んで、抜け殻のように力の抜けた那智をそっと抱きしめた。
ずっと座り込んでいたせいか、那智の身体は冷え切っていた。
「病院に、入ろう、那智。仕事を休んで静かな環境で静養すれば、少しは進行をくい止めることが出来るそうだよ。オレ、行って来たんだ。丘の上にある、窓から海が見えるいい所だよ」
「…休んで、進行をくいとめて、そんなことしてなんになるんだよ。どうせいつか、全部忘れるのに」
素直に、頬を樫野の胸に預けて力なく那智は言う。
「オレがさ、少しでも、ほんの少しでも、那智に覚えていて欲しいんだ。それって、オレのわがままかな」
そう、それはただのエゴだ。
樫野はわかっている。
いっそすべてを忘れてしまった方が、那智は楽になれる。
今の苦しみから逃れて、平静を取り戻すことが出来る。
忘れて欲しくないという気持ちは、どうしようもないエゴだ。
また自分は、自分の思いを那智に押しつけている。
わかっていても、諦められなかった。
「それとも…那智、それとも、オレと二人で暮らさないか。どこか遠くに行って、誰もオレたちのこと知らない場所で、ずっと一緒に、二人だけで、暮らさないか」
思いつきで言ったその言葉は、樫野には目の眩むような誘惑だった。
那智と二人で暮らす。
たとえ記憶を失っても側にいて、那智の瞳に映るのは自分だけ。
那智は完全に自分だけのものになる。
夢のような幻想に酔って、樫野は那智を抱きしめる腕に力をこめた。
「……樫野と、二人で?」
樫野の腕の中で那智も同じ夢を見る。
記憶を失ってもずっと側にいてくれると言ってくれた樫野と一緒なら、怖くないかもしれない。
樫野なら、信じられる。
けれど。
「そんなこと、駄目だ。樫野、絶対に駄目だ」
口許に微笑を浮かべながら、那智は優しく拒んだ。
「どうして?」
「FakeLipsを終わらせないで欲しい。オレがいなくても、みんなで、FakeLipsを続けて欲しい。オレは、病院に入るから…」
「那智…」
結局、おまえはオレだけのものになろうとしない、いつだって自分自身よりオレより、FakeLipsを優先させるんだ。
そう思いながら樫野は苦笑した。
それが、とても那智らしかったから。
「毎日、会いに行く。オレ、毎日、行くから」
那智の髪に口づけながら、幼い子供に言うように樫野は言った。
「…忘れたくない。…樫野、オレ、忘れたく、ねーよ。FakeLipsのことも、みんなのことも…おまえのことも」
「那智……」
「樫野…樫野…かし、の」
樫野の胸にすがって、那智は嗚咽を漏らして泣きつづけた。
「大丈夫…大丈夫だから…那智」
二度と、おまえの前から逃げたりしない。
側にいることしか出来ないから、それだけは守る。
辛くても悲しくても苦しくても、側にいるから。
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