スリーピングドール

フジキフジコ

文字の大きさ
上 下
11 / 23

10.タイムリミット

しおりを挟む
「那智、メシ、出来たよ。食べよう」
那智の部屋でダイニングテーブルに皿を並べ終わった樫野が呼んだ。

「…ん」
那智は生返事をして、テレビの前で画面に見入っている。
大型の液晶テレビに映っているのは、新曲の振り付けの練習風景だった。

「那智って」
「…もうちょっとだけ」
言って、DVDを操作するためにリモコンを手にした那智の手からそれをやんわりと取り上げて、樫野はテレビの電源を落とした。
「いい加減にしろ」
「明日、プロモ撮り本番だろ。みんなに迷惑かけたくないんだよ。出来るだけ、頭に入れておかないと」
「そんなに頑張る必要ない。身体、壊したら意味ないだろ。ちゃんと食うもの食って、早く寝るんだ」

那智は恨めしそうに樫野を上目遣いで見上げ、不満気に顔を背けながら言った。
「時間が、ないんだよ。オレには時間がない」
そう言えば樫野はわかってくれるはず。
病気のことがわかってから、那智の我が儘は最終的にはすべて許されてきた。

「おまえの頭にはダンスとFakeLipsのことしか、ないんだな」
ふと、感情を殺したような声で樫野が言った。

「おまえは時間がないってそればかり言う。だけど、おまえに時間がないなら、オレだって同じだってこと、わかってる?」
「樫野……」
普段と違う樫野の様子に、那智の瞳が不安そうに揺れる。

那智にそんな顔をさせたくなかった。
そう思いながら、樫野は自分の気持ちを抑えられない。

「那智、おまえを抱かせてよ」
口にしながら、自分でも驚いた。
そんなことを言うつもりなんて、少しもなかったのに。

「オレのこと、覚えているうちに、抱かせて」
それが自分の望みで本心なのか、樫野にはわからない。
ただ、那智を失くしそうな苛立ちを、那智にぶつけているだけなのかもしれない。

それに、今の那智にそんなことを受け入れられる余裕がないこともわかっていた。

けれど、脅えているのは樫野も同じだった。
忘れてしまうことに那智は脅え、忘れられてしまうことに樫野は脅えていた。

「樫野…オレたち、それはしないって約束した」
「したよ、約束」

気持ちを身体で確かめるのはやめよう。
抱き合わないことで、心で繋がろう。
ずっと一緒にいるために、そうしようと。

「覚えているんだな、そのことは」
皮肉で言ったのではなかったが、その言葉は冷たい口調で響いた。

「でも、おまえにはオレがわからなくなるんだよ?はじめて会ったみたいな顔で、オレを見たりするんだろ?そしたら気持ちなんて確かめようがねえじゃん。オレはさ、どうすればいい?おまえに忘れられたあと、どういう方法で、おまえの気持ちを確かめればいいんだよ?!」
知らず知らずのうちに、言葉が那智を責めている。

なんで忘れるんだ。
こんなに好きなのに。
なんでオレのこと忘れるんだよ!二人で一緒にいた時間をなかったことにするのか?!
傷ついたことも楽しかったことも、一緒に泣いたことも笑ったこともなにもかも!
どうしておまえはそんな残酷なことが出来るんだ!

心で叫んでいる気持ちが声になって、那智のせいじゃないとわかっているのに、止められない。
そんな自分がたまらなく嫌なのに、目の前にあるタイムリミットに優しさはすべて奪われる。

樫野は何かに急き立てられるように那智を抱きしめて床に押し倒した。
「今しかないんだろ?!過去も未来もなくなるなら、オレたちには今しかねえんだろ!」
二人の間から記憶を取り除いたら、二人を繋ぐものはあるのだろうか。

「やめろっ、樫野っ、…や…めっ!」
那智は抵抗した。

抵抗しながら、自分の気持ちを探る。
樫野の気持ちは知っている。
理解もしていた。
過去に交わした約束は、自分の我が儘だ。
だから。
樫野が望むなら、抱かれてもいい。

そう思うのに、今は自分自身を支えるのにせいいっぱいで、自分を追いつめる樫野を拒む気持ちを隠せなかった。
今は二人とも、相手の気持ちを思うことが出来ない。

強引にシャツの中に手を入れて、唇を重ね舌をねじ込んできた樫野の身体を、那智は押し返す。
けれど力任せに押さえつけられて、項や首筋に直向きなキスの雨を浴びているうちに、那智は力を失ったように抵抗をやめた。

「那智…?」
我に返って上から那智の顔を覗くと、横を向いている那智のこめかみに涙が一筋伝っている。
那智は声を出さずに泣いていた。

「…こんなことしたって…意味なんかない。明日になったら…覚えてないんだ…おまえに抱かれたこと…きっと…覚えていられない…」

病気は静かに進行している。
記憶を蝕む病気が、樫野に抱かれても、そのことを記憶に残さないかもしれない。
那智の、静かな涙に樫野は打ちのめされた。

なにをしようとしていたんだろう、自分は。
那智に忘れられるのが辛くて、せめて自分のことをわかっていてくれる那智を抱いて記憶に残そうとした。
自分の記憶の中に残そうと、したのだ。
那智はそのすべてをなくそうとしているのに。

樫野は自分のしたことに愕然とした。
そして那智から逃げるように部屋を飛び出した。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

僕たち、結婚することになりました

リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった! 後輩はモテモテな25歳。 俺は37歳。 笑えるBL。ラブコメディ💛 fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

離したくない、離して欲しくない

mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。 久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。 そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。 テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。 翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。 そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。

【完結】嘘はBLの始まり

紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。 突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった! 衝撃のBLドラマと現実が同時進行! 俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡ ※番外編を追加しました!(1/3)  4話追加しますのでよろしくお願いします。

「恋みたい」

悠里
BL
親友の二人が、相手の事が好きすぎるまま、父の転勤で離れて。 離れても親友のまま、連絡をとりあって、一年。 恋みたい、と気付くのは……? 桜の雰囲気とともにお楽しみ頂けたら🌸

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

【完結】『ルカ』

瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。 倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。 クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。 そんなある日、クロを知る青年が現れ……? 貴族の青年×記憶喪失の青年です。 ※自サイトでも掲載しています。 2021年6月28日 本編完結

【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした

月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。 人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。 高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。 一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。 はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。 次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。 ――僕は、敦貴が好きなんだ。 自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。 エブリスタ様にも掲載しています(完結済) エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位 ◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。 応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。 ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。 『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748

処理中です...