スリーピングドール

フジキフジコ

文字の大きさ
上 下
9 / 23

8.過去

しおりを挟む
那智はもうしばらく、仕事を続けることになった。
医者には今すぐにでもと入院を勧められたが、那智が、記憶がある間は、FakeLipsをやめたくないと言い、事務所はその意を組んで、引退は直前まで発表しない方針を固めた。

FakeLipsはレコーディングを済ませた新曲のリリースが予定されていたため、差し当たって新曲の振り付けを早急にする必要があった。

その後はリリースに合わせてプロモーションのための音楽番組への出演が待っている。
どこまで活動出来るかは本人にもわからない。
難色を示した事務所に、那智が気が済むまでFakeLipsとして活動を続けさせてやって欲しいと頼んだのは樫野だった。

今が過去になったら那智はそれを失う。
だから今を精一杯、生きさせてやりたい、フォローは自分がするからと樫野は言った。

病気のことがわかってからはじめてメンバーの前に顔を出したとき、那智は落ち着いていて、以前と少しも変わりがなかった。
「悪かったな、心配かけて」
ちょっと風邪をこじらせて休んでいただけだというように、笑顔を見せてそう言った。



◆◆◆



「精神的なショックやストレス?」
うな垂れて、「ああ」と樫野は返事をした。
仕事が終わって他のメンバーが帰ったあと、残った芳彦に樫野は言った。

「オレ、全然気がつかなかった。那智にそんなストレスがあったなんて。あいつ、そんなことなんにも話してくれなかったし、オレにはそれがショックだったよ。今だって相当無理してる。前の日に覚えても忘れるからって、スタジオ入りする何時間も前に起きて、朝出かける前に振り、頭に叩き込んで」

椅子に座って両手で頭を抱えるようにして、全身で悔しがっているような樫野の声が痛々しい。

「そう。那智は、ああいう人だから、自分のことは全部自分で背負い込んでしまうんだよ。それがもう癖みたいになっているんじゃないのかな」

芳彦がふとなにかを思い出したような表情を見せた。
滅多に感情を表に出さない芳彦の顔が、一瞬ひどく悲しそうに見えて樫野の心にひっかかった。

「おまえ…なんか、知ってんのか」
樫野の指摘に、芳彦の表情は誤魔化せない動揺を見せた。

「知ってるんだな、オレの知らないこと。なにが、あったんだ?那智に、なにがあった?言えよ、芳彦」
立ち上がって、腕を掴みながら詰めよる樫野に、芳彦は迷うように問う。

「……拓人。拓人は那智のことを、どう思っているの」
好奇心で聞いている目ではなかった。
けれど、聞かなければ話さないという目だ。

樫野は諦めたようにため息を吐いて、芳彦を見つめながら言った。
「そんなこと、知ってるだろ。オレは、那智のことを好きだよ。出会った頃から那智が好きだった」
那智が好きだということを樫野は自分自身にも、那智にも、芳彦たちにすら隠したつもりはない。
その気持ちに後ろめたさなどはない。
だから堂々と言った。

「那智と、寝たの」
けれど芳彦にそう聞かれて、虚をつかれたように一瞬戸惑い、静かに首を振って否定した。
自信家の樫野には、似合わない顔をした。

「それは、どうしてなのかな。誰が見てもわかる。那智も君のことを好きだよね。思いが通じあっているなら、普通のことじゃないかな」
「普通?普通じゃないだろ、オレら男同士だぜ」
「それは拓人の考え?」
「オレは別に、男同士だから駄目だとか思ってない。けど、那智が…」
「那智が、拒んだ?」

もう我慢出来ないというように、樫野の表情が険しくなる。
「芳彦、おまえ、何知ってんだよ!言えよ」

「……虐待」
「え?」
「那智、虐待されてたんだ」
思ってもいなかったことを聞かされて、樫野は驚いて声を失った。



那智の本当の父親は、那智がまだ小さい頃に交通事故で亡くなった。
母親が再婚したのは、那智が小学生の頃だった。
相手は母親が看護士として働いていた病院の医者だった。
その新しい父親に、那智は性的虐待を受けていたという。

「嘘だろ…そんなこと…。なに、言ってんだよ、おまえ」
「本当だよ。僕、偶然、見てしまったんだ」

思えば那智は、同じ年頃の少年たちとはいつもほんの少しだけ雰囲気が違った。
明るく、チャーミングで人を惹きつける魅力を持ちながら、時々、見間違いかと思うような哀しそうな顔をする。
明と暗が危ういバランスを保っていたのだと、あとになって芳彦にはわかった。
皮肉なことに、そのアンバランスさが、那智の最大の魅力だった。

「那智の家に、借りていたDVDを返しに行ったんだ。玄関のインターフォンを押そうとしたら、調度那智のお父さんが出てきて、那智なら居間にいるから、あがっていいって。何も知らない僕は居間にあがって、半裸で蹲っている那智を見た」

那智の義父は、そうなることをわかっていて自分を入れた。
那智の無残な姿を友人に晒すために。
通り過ぎたとき、口の端を歪めて笑ったのにはそういう意味があった。

「そのとき、那智は、気丈だった。パニックになったのは、僕の方だった。那智の暴力を受けて傷ついた体を目の当たりにして、怖くて、那智の前で震えていたんだ。こんなことなんでもない、慣れてるんだって、笑ったんだ、那智は」

那智を、強いと芳彦は思った。
けれど樫野から病気の原因を聞いて、すぐにそのことが思い浮かんだ。
那智は強かったんじゃない。
受けた傷を癒さず、そっと隠していただけだったのだろうか。

「母親は?母親はなんで、那智を助けなかったんだ!?」
怒りで身体を震わせながら、樫野は芳彦に向かって激昂した。
芳彦は頭を振った。

「那智のお母さんがそのことに気づいていたかどうか、確かなことは僕は知らないけど。でもその頃、那智のお母さんは体調を崩して、仕事が出来なかった。だから、もし知っていたとしても、生活するためには、あの人に頼るしかなかったのかもしれない」
「知ってて、見過ごしたってことか?!」

許せない、那智の義父も、母親も。
「僕だって、何も出来なかったよ。それを知ったあとも、那智を救うために、なにも出来なかった。那智のお母さんを責められない」
「なんでだよ、なんで…芳彦!」
「黙っていて欲しい、誰にも言わないで欲しい、それだけが那智の望みだったから」

その言葉に、樫野ははっとした。
「それって…いつまで、続いてたんだ」
「多分、デビューのあと、那智が家を出るまで」

愕然とした。
自分が那智と知り合ったあとも、那智はその暴力を受けていた?

「許さない、そいつ…殺してやる!」
樫野は側にあったテーブルを思い切り蹴った。
「殺してやる!」

芳彦は憐れむように樫野を見て、静かに首を振った。
「昔のことだよ。それに、那智は拓人に知られるのを一番怖がっていた。君は、最後まで知らなかったことにしておいたほうがいい」
諭すように言う。

「なぜ、拓人に知られたくなかったか、理由はわかるよね」
「だけどオレ、自分が許せねえよ。何も知らないで、那智がそんな辛い目にあってること知らないで、あいつに、自分の気持ちばかり押しつけていたってことじゃねえか!」
その男に怒りながら、樫野の怒りの半分は過去の自分に向けられた。

「…だから、なのか?だから、那智は、忘れようとしているのか?オレのせいなのか?……那智」

自分を責めながら、樫野の心は過去を彷徨う。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

続きは第一図書室で

蒼キるり
BL
高校生になったばかりの佐武直斗は図書室で出会った同級生の東原浩也とひょんなことからキスの練習をする仲になる。 友人と恋の狭間で揺れる青春ラブストーリー。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

発情薬

寺蔵
BL
【完結!漫画もUPしてます】攻めの匂いをかぐだけで発情して動けなくなってしまう受けの話です。  製薬会社で開発された、通称『発情薬』。  業務として治験に選ばれ、投薬を受けた新人社員が、先輩の匂いをかぐだけで発情して動けなくなったりします。  社会人。腹黒30歳×寂しがりわんこ系23歳。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~

シキ
BL
全寮制学園モノBL。 倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。 倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……? 真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。 一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。 こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。 今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。 当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。

某国の皇子、冒険者となる

くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。 転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。 俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために…… 異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。 主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。 ※ BL要素は控えめです。 2020年1月30日(木)完結しました。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

処理中です...