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7.嘘と真実
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那智の部屋の前で、随分長い時間、立っていた。
不意に那智とはじめて話した夜のことを思い出していた。
今は、そんな場合ではないとわかっているのに、インターフォンを押そうとした指がまた止まる。
那智の代わりに聞いた検査の結果を、どんなふうに那智に告げるべきか、ここまで来て樫野はまだ迷っていた。
真実か嘘か、那智を救えるのはどちらだろう。
ドアの前で答えを決めかねていると不意にドアが内側から開いた。
「樫野」
「那智、なんで?まだ、ベル押してないのに」
「なんとなく、おまえの気配がした」
少し目を細めて、那智が笑ったような表情をした。
無理に浮かべた笑顔だとしても、まだ那智が笑えることが嬉しかった。
「……で、なんだって?」
リビングのローテーブルを挟んで向かい合って座る。
「うん…」
テーブルの上に置かれたコーヒーの入ったカップを見つめて、樫野は言葉を探した。
「オレの病気、なんなの?」
自分の目を覗きこむ那智の真剣な眼差しを感じて、樫野はゆっくり視線を合わせる。
喉に何か硬いものが詰まっているように、言葉はなかなか口から出ない。
「那智」
やっと、樫野は口を開いた。
「進行性記憶喪失?」
「ああ」
「で?どうなるんだよ、これから。治る…の?」
「もちろん。ちゃんと、治療すれば、良くなるって。だけど、治療には時間かかるらしい。那智、最近、無理しすぎてたんだよ。ストレスが原因らしいから、仕事、休んで、静かなところでゆっくり…」
「樫野!」
強く呼ばれてはっとした。
いつのまにか、那智から視線を逸らしてぼんやりとテーブルの角を見つめていた。
目を見ながら嘘をつくことの出来ない自分の不器用さに、樫野は幻滅した。
顔をあげて、樫野は那智を見て笑顔を作った。
「なに、那智」
「嘘、つくなよ。そんなことが聞きたいわけじゃない」
「嘘じゃねえよ。オレ、ちゃんと聞いてきたんだ」
「オレが知りたいのは…あと、どれくらい覚えていられるのかってことだ。オレは、あと、どれくらい、踊れるんだ?どれくらい、Fake Lipsとして、みんなと一緒に、踊れる?」
「那智…」
覚悟は出来ている、そんな落ち着いた口調に樫野の方が冷静でいられなくなる。
半年だと、医者は言った。
もって、あと半年……。
短すぎる。
一緒にいたすべての時間を忘れてしまうまでたった半年。
こうしている間にも、那智の中では過去は刻々と失われているのかもしれない。
あの、夜のことも。
オレを拒絶したことも。
その理由(わけ)も。
『どうして、あのとき、オレのこと仲間に入れてくれなかったんだよ』
後になって那智に聞いた。
『圭太と悠希のことは、すぐに入れたんだろ』
『だっておまえ、うぜーんだもん』
那智はいつも笑いながら答えをそんなふうにはぐらかした。
でもたった一度だけ、真顔で言ったことがある。
『おまえのこと、怖かったんだ』と。
人懐っこい笑顔が魅力的だった那智は、それなのになぜか警戒心は強かった。
どんなに親しい友人でも、心の内には近づけない用心深さが身についているようだった。
怖かった。
その意味をまだ聞いていない。
「あとどれくらい覚えていられるのか」と聞く那智は、すでにもう事実を受け入れて、諦めているように思えた。
そんなこと、許せない。
自分が、許せない。
樫野は那智を引き寄せて、細い身体を抱きしめた。
「那智!オレ、なんでもするから!おまえのために出来ること、なんでもするから!」
「やっぱり…そうなのか」
那智の口から出た言葉に驚いて、樫野は那智を見た。
「…おまえ、まさか、カマかけたの?」
樫野の腕の中で那智の身体がガクガクと震えはじめる。
「…忘れるんだな…なにもかも…忘れるんだ…オレは……」
「那智…」
名前を呼ぶ樫野の声は那智には届いていない。
那智はただ一人で、高い崖の縁から今にも突き落とされそうな絶望と戦っている。
「…おまえたちの、ことも…自分のことも…わからなく、なって……ダンスも…出来なくなって…。それなのに、生きてることに、意味が、あるのか…、なんにも、なくなるんだ…オレには…なんにも…。そんなのイヤだ。…忘れるくらいなら、死んだ方がいい…死んだ方が…うっ…うう」
顔を覆った指の隙間から涙と一緒に苦痛に喘ぐような言葉が漏れた。
那智の言葉にショックを受けながら、自分の心を奮って樫野は言う。
「那智!おまえは何も失ったりしないよ。たとえ記憶を失っても、オレが側にいる。あいつらだって、同じだよ。おまえの側にいる。ずっと側にいる。ずっと、おまえの側にいる。だから、頼むから…」
生きてることに意味がないなんて、そんな悲しいこと、言わないで。
けれど樫野の言葉は那智に届いてはいないだろう。
那智に、届かない。
不意に那智とはじめて話した夜のことを思い出していた。
今は、そんな場合ではないとわかっているのに、インターフォンを押そうとした指がまた止まる。
那智の代わりに聞いた検査の結果を、どんなふうに那智に告げるべきか、ここまで来て樫野はまだ迷っていた。
真実か嘘か、那智を救えるのはどちらだろう。
ドアの前で答えを決めかねていると不意にドアが内側から開いた。
「樫野」
「那智、なんで?まだ、ベル押してないのに」
「なんとなく、おまえの気配がした」
少し目を細めて、那智が笑ったような表情をした。
無理に浮かべた笑顔だとしても、まだ那智が笑えることが嬉しかった。
「……で、なんだって?」
リビングのローテーブルを挟んで向かい合って座る。
「うん…」
テーブルの上に置かれたコーヒーの入ったカップを見つめて、樫野は言葉を探した。
「オレの病気、なんなの?」
自分の目を覗きこむ那智の真剣な眼差しを感じて、樫野はゆっくり視線を合わせる。
喉に何か硬いものが詰まっているように、言葉はなかなか口から出ない。
「那智」
やっと、樫野は口を開いた。
「進行性記憶喪失?」
「ああ」
「で?どうなるんだよ、これから。治る…の?」
「もちろん。ちゃんと、治療すれば、良くなるって。だけど、治療には時間かかるらしい。那智、最近、無理しすぎてたんだよ。ストレスが原因らしいから、仕事、休んで、静かなところでゆっくり…」
「樫野!」
強く呼ばれてはっとした。
いつのまにか、那智から視線を逸らしてぼんやりとテーブルの角を見つめていた。
目を見ながら嘘をつくことの出来ない自分の不器用さに、樫野は幻滅した。
顔をあげて、樫野は那智を見て笑顔を作った。
「なに、那智」
「嘘、つくなよ。そんなことが聞きたいわけじゃない」
「嘘じゃねえよ。オレ、ちゃんと聞いてきたんだ」
「オレが知りたいのは…あと、どれくらい覚えていられるのかってことだ。オレは、あと、どれくらい、踊れるんだ?どれくらい、Fake Lipsとして、みんなと一緒に、踊れる?」
「那智…」
覚悟は出来ている、そんな落ち着いた口調に樫野の方が冷静でいられなくなる。
半年だと、医者は言った。
もって、あと半年……。
短すぎる。
一緒にいたすべての時間を忘れてしまうまでたった半年。
こうしている間にも、那智の中では過去は刻々と失われているのかもしれない。
あの、夜のことも。
オレを拒絶したことも。
その理由(わけ)も。
『どうして、あのとき、オレのこと仲間に入れてくれなかったんだよ』
後になって那智に聞いた。
『圭太と悠希のことは、すぐに入れたんだろ』
『だっておまえ、うぜーんだもん』
那智はいつも笑いながら答えをそんなふうにはぐらかした。
でもたった一度だけ、真顔で言ったことがある。
『おまえのこと、怖かったんだ』と。
人懐っこい笑顔が魅力的だった那智は、それなのになぜか警戒心は強かった。
どんなに親しい友人でも、心の内には近づけない用心深さが身についているようだった。
怖かった。
その意味をまだ聞いていない。
「あとどれくらい覚えていられるのか」と聞く那智は、すでにもう事実を受け入れて、諦めているように思えた。
そんなこと、許せない。
自分が、許せない。
樫野は那智を引き寄せて、細い身体を抱きしめた。
「那智!オレ、なんでもするから!おまえのために出来ること、なんでもするから!」
「やっぱり…そうなのか」
那智の口から出た言葉に驚いて、樫野は那智を見た。
「…おまえ、まさか、カマかけたの?」
樫野の腕の中で那智の身体がガクガクと震えはじめる。
「…忘れるんだな…なにもかも…忘れるんだ…オレは……」
「那智…」
名前を呼ぶ樫野の声は那智には届いていない。
那智はただ一人で、高い崖の縁から今にも突き落とされそうな絶望と戦っている。
「…おまえたちの、ことも…自分のことも…わからなく、なって……ダンスも…出来なくなって…。それなのに、生きてることに、意味が、あるのか…、なんにも、なくなるんだ…オレには…なんにも…。そんなのイヤだ。…忘れるくらいなら、死んだ方がいい…死んだ方が…うっ…うう」
顔を覆った指の隙間から涙と一緒に苦痛に喘ぐような言葉が漏れた。
那智の言葉にショックを受けながら、自分の心を奮って樫野は言う。
「那智!おまえは何も失ったりしないよ。たとえ記憶を失っても、オレが側にいる。あいつらだって、同じだよ。おまえの側にいる。ずっと側にいる。ずっと、おまえの側にいる。だから、頼むから…」
生きてることに意味がないなんて、そんな悲しいこと、言わないで。
けれど樫野の言葉は那智に届いてはいないだろう。
那智に、届かない。
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