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【番外編】結婚しようよ(独身編)
7.プロポーズ
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雅治は病院にいた。
病室のベッドには、右脚を固定されて吊るされた状態で横になっている林田がいた。
「災難だったな」
雅治が言うと林田は情け無い顔で、「参ったよ」と答えた。
二日前、林田は自宅のマンションの非常階段から転落して、右脚と肋骨を骨折した。
顔や手にも擦り傷があり、額や口許には白いガーゼが貼られていた。
「それで、事故ってことで済みそうなのか」
昨日は、病室に警察が事情聴取に来たらしい。
「ああ、元カノと婚約者がつかみ合いの喧嘩をして、それを仲裁していて、足がもつれて転落した、被害届を出すつもりはないって説明した。警察も事件性なしと、判断してくれた」
「それは、事実なのか」
「よく覚えてないんだ。もしかしたら、突き落とされたかもしれない。だとしても、自業自得だ。オレのせいだ」
「結婚は」
「婚約破棄された。こんな面倒は嫌だって。それも、仕方ない」
林田は、なにもかも諦めたように、深い溜息を吐きながら言った。
「彼女、ああ、元カノの方だけど、他の女に盗られるくらいなら、あなたを殺して私も死ぬ、って叫んだんだ。昭和の演歌かよ、ってびっくりした」
「確かに、それはすごいセリフだ。それだけ、本気でおまえを愛してたってことだろ」
「愛か?オレには執着に思えるよ」
「愛は執着と同じだよ」
雅治がそう言うと、林田は驚いた顔をした。
「意外だな。小田切にも、そんな激しさがあるのか。おまえはオレと同じで、理性的で合理的な性格だと思ってた」
そう言ったあと、嘆息して言葉を続ける。
「オレはもう、当分、誰とも結婚出来そうにない。恋愛とか、女性の気持ちとか、わかっているつもりで、なにもわかってなかった気がするよ」
「林田、結婚ってなんのためにするんだと思う?」
唐突に、雅治はそんな質問をした。
「なんでって、結婚して子供を作ってとかっていうのは、社会的責任っていうかさ」
「オレは、もう結婚制度は現代社会に合ってないし、システムに欠陥があると思っている」
「だからおまえは結婚しないって?」
雅治は笑った。
「オレは、結婚しようと思う」
林田はまた、驚いた。雅治には、驚かされてばかりいる。
「誰と?あ!そういえば今朝のスポーツ新聞に、おまえと女優の朝田舞花の熱愛スクープの週刊誌の見出しが載ってたぞ。まさか、朝田舞花と結婚するのか?!」
「朝田舞花?この前、テレビ局ですれ違ったけど、喋ったこともない」
「じゃあ、誰と結婚するんだよ」
「言っただろ、付き合っている恋人がいるって」
「だけど、それ、男なんだろ。小田切、おまえ憲法24条は知ってるよな?」
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」
さすがに弁護士だけあって、一語一句間違いなく暗唱した。
「そう、それだ。つまり、婚姻は異性間にしか認められていない。おまえ、法律家として、世間に一石を投じたいのか?」
「いや、そんなつもりはない。オレは、結婚なんていうのは、その相手と一緒に生きていくってことを、宣言するくらいの意味しかないような気がするんだ」
「宣言って、誰に」
「わざわざ届けを出して認めてもらうんだから、国というか、社会に、かな」
「それこそ意味のないことじゃないか」
「うん、意味なんかない。本当はお互いが一緒に生きていくっていう意思さえあれば、それでいいと思う」
林田は矛盾の多い雅治の言葉に顔を顰めて確認した。
「じゃあ、どうして、わざわざ世間をざわつかせるようなことをするんだよ」
「オレのエゴだよ」
「エゴ?」
「そう。形のないもの、目に見えないもの、手に触れられないものに名前をつけて、自分のものにしたいんだ」
林田は、呆れたように雅治を見たが、その晴れやかな表情に当てられたように、ため息を吐いて、言った。
「エゴじゃない、それは愛って言うんだ」
「ありがとう」
雅治がエゴと表現した感情に、愛という名前をつけてくれた同僚に微笑んで、雅治は礼を言った。
***
パパラッチにカメラを向けられたあの日から、雅治とは会っていなかった。
店のカウンターで、スポーツ紙に載った女性週刊誌の見出しを見て、晶は溜息を吐いた。
「人気イケメン弁護士、人気女優浅田舞香と深夜の密会!」
目に写っているのはそんな太文字だ。
あのカメラマンは目的を達成したのだろうか。
雅治からは電話があった。
週刊誌のことには触れずに、「大事な話がある。今夜店に行くから」と、言った。
とうとう、その日が来た。
雅治と別れる日が。
晶はもう、泣きそうだった。
カウンターの中で、グラスを磨きながら、ママが気遣うようにちらちらと晶を見る。
その視線に気づくたびに、晶は、にっ、と笑って見せた。
「晶ちゃん、しっかりしてね。大丈夫よ、失恋くらいで死にはしないし、男なんて、いくらでもいるんだから。ほら、誰でもいいから、予約しておきなさいな」
ママの言葉に店の客が「オレ、立候補する!晶くんと付き合いたい!」と手をあげた。
オレも、オレもと、何人も手があがる。
特定のパートナーがいても、カップルの二人も手をあげた。
ただみんな、晶を慰めたいだけなのだ。
カランと音がして、店の扉が開いた。
みんなが一斉に入ってきた、雅治を見る。
店の一番奥のテーブル席に座っていたカップル客が、心得ているとばかりにカウンター席に移動して、晶と雅治に席を譲った。
「なんだか今日、いつもより混んでるな」
椅子に腰掛けて、雅治が言った。
「あ、うん。場所、変える?話しづらかったら…」
「いや、いいよ。ここで」
「そっか」
晶はもじもじと、自分の指先ばかり見ていた。
雅治の顔は見られなかった。
「晶」
名前を呼ばれて、仕方なく顔をあげると、雅治と目があった。
綺麗な顔だと思う。
凛とした意思の強そうな眼差しも、美しい曲線を描く鼻も、セクシーな口許も、大好きだった。
今だって大好きだ。
泣くまい、と思うけど、目にはもう薄い水の膜が出来ている。
「いいよ、わかった。大丈夫だから。気にすんな」
晶は早口で、言った。
早く、目の前から消えて欲しくて。
涙がこぼれ落ちる前に、いなくなってほしくて。
「え?大丈夫って、なにが?オレ、まだ何も言ってないけど」
雅治は苦笑しながら、どこに隠し持っていたのか、テーブルの上に小さな紺色の箱を置いた。
「ん?」
晶がその小さな箱に視線を移して小首を傾けたとき。
「結婚しよう、晶」
雅治が、言った。
晶がその言葉の意味を理解する前に、店内は拍手喝采と、おめでとう!という声や歓声に包まれた。
晶は、驚いて立ち上がった拍子にテーブルに足が当たり、椅子ごと後ろにひっくり返った。
二人が付き合うことになった、あの日と同じように。
「大丈夫か、晶」
雅治は晶の手を握って、晶を立たせ、腕に抱きながらもう一度、言った。
「結婚しよう」
■おわり■後日談的おまけがあります
病室のベッドには、右脚を固定されて吊るされた状態で横になっている林田がいた。
「災難だったな」
雅治が言うと林田は情け無い顔で、「参ったよ」と答えた。
二日前、林田は自宅のマンションの非常階段から転落して、右脚と肋骨を骨折した。
顔や手にも擦り傷があり、額や口許には白いガーゼが貼られていた。
「それで、事故ってことで済みそうなのか」
昨日は、病室に警察が事情聴取に来たらしい。
「ああ、元カノと婚約者がつかみ合いの喧嘩をして、それを仲裁していて、足がもつれて転落した、被害届を出すつもりはないって説明した。警察も事件性なしと、判断してくれた」
「それは、事実なのか」
「よく覚えてないんだ。もしかしたら、突き落とされたかもしれない。だとしても、自業自得だ。オレのせいだ」
「結婚は」
「婚約破棄された。こんな面倒は嫌だって。それも、仕方ない」
林田は、なにもかも諦めたように、深い溜息を吐きながら言った。
「彼女、ああ、元カノの方だけど、他の女に盗られるくらいなら、あなたを殺して私も死ぬ、って叫んだんだ。昭和の演歌かよ、ってびっくりした」
「確かに、それはすごいセリフだ。それだけ、本気でおまえを愛してたってことだろ」
「愛か?オレには執着に思えるよ」
「愛は執着と同じだよ」
雅治がそう言うと、林田は驚いた顔をした。
「意外だな。小田切にも、そんな激しさがあるのか。おまえはオレと同じで、理性的で合理的な性格だと思ってた」
そう言ったあと、嘆息して言葉を続ける。
「オレはもう、当分、誰とも結婚出来そうにない。恋愛とか、女性の気持ちとか、わかっているつもりで、なにもわかってなかった気がするよ」
「林田、結婚ってなんのためにするんだと思う?」
唐突に、雅治はそんな質問をした。
「なんでって、結婚して子供を作ってとかっていうのは、社会的責任っていうかさ」
「オレは、もう結婚制度は現代社会に合ってないし、システムに欠陥があると思っている」
「だからおまえは結婚しないって?」
雅治は笑った。
「オレは、結婚しようと思う」
林田はまた、驚いた。雅治には、驚かされてばかりいる。
「誰と?あ!そういえば今朝のスポーツ新聞に、おまえと女優の朝田舞花の熱愛スクープの週刊誌の見出しが載ってたぞ。まさか、朝田舞花と結婚するのか?!」
「朝田舞花?この前、テレビ局ですれ違ったけど、喋ったこともない」
「じゃあ、誰と結婚するんだよ」
「言っただろ、付き合っている恋人がいるって」
「だけど、それ、男なんだろ。小田切、おまえ憲法24条は知ってるよな?」
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」
さすがに弁護士だけあって、一語一句間違いなく暗唱した。
「そう、それだ。つまり、婚姻は異性間にしか認められていない。おまえ、法律家として、世間に一石を投じたいのか?」
「いや、そんなつもりはない。オレは、結婚なんていうのは、その相手と一緒に生きていくってことを、宣言するくらいの意味しかないような気がするんだ」
「宣言って、誰に」
「わざわざ届けを出して認めてもらうんだから、国というか、社会に、かな」
「それこそ意味のないことじゃないか」
「うん、意味なんかない。本当はお互いが一緒に生きていくっていう意思さえあれば、それでいいと思う」
林田は矛盾の多い雅治の言葉に顔を顰めて確認した。
「じゃあ、どうして、わざわざ世間をざわつかせるようなことをするんだよ」
「オレのエゴだよ」
「エゴ?」
「そう。形のないもの、目に見えないもの、手に触れられないものに名前をつけて、自分のものにしたいんだ」
林田は、呆れたように雅治を見たが、その晴れやかな表情に当てられたように、ため息を吐いて、言った。
「エゴじゃない、それは愛って言うんだ」
「ありがとう」
雅治がエゴと表現した感情に、愛という名前をつけてくれた同僚に微笑んで、雅治は礼を言った。
***
パパラッチにカメラを向けられたあの日から、雅治とは会っていなかった。
店のカウンターで、スポーツ紙に載った女性週刊誌の見出しを見て、晶は溜息を吐いた。
「人気イケメン弁護士、人気女優浅田舞香と深夜の密会!」
目に写っているのはそんな太文字だ。
あのカメラマンは目的を達成したのだろうか。
雅治からは電話があった。
週刊誌のことには触れずに、「大事な話がある。今夜店に行くから」と、言った。
とうとう、その日が来た。
雅治と別れる日が。
晶はもう、泣きそうだった。
カウンターの中で、グラスを磨きながら、ママが気遣うようにちらちらと晶を見る。
その視線に気づくたびに、晶は、にっ、と笑って見せた。
「晶ちゃん、しっかりしてね。大丈夫よ、失恋くらいで死にはしないし、男なんて、いくらでもいるんだから。ほら、誰でもいいから、予約しておきなさいな」
ママの言葉に店の客が「オレ、立候補する!晶くんと付き合いたい!」と手をあげた。
オレも、オレもと、何人も手があがる。
特定のパートナーがいても、カップルの二人も手をあげた。
ただみんな、晶を慰めたいだけなのだ。
カランと音がして、店の扉が開いた。
みんなが一斉に入ってきた、雅治を見る。
店の一番奥のテーブル席に座っていたカップル客が、心得ているとばかりにカウンター席に移動して、晶と雅治に席を譲った。
「なんだか今日、いつもより混んでるな」
椅子に腰掛けて、雅治が言った。
「あ、うん。場所、変える?話しづらかったら…」
「いや、いいよ。ここで」
「そっか」
晶はもじもじと、自分の指先ばかり見ていた。
雅治の顔は見られなかった。
「晶」
名前を呼ばれて、仕方なく顔をあげると、雅治と目があった。
綺麗な顔だと思う。
凛とした意思の強そうな眼差しも、美しい曲線を描く鼻も、セクシーな口許も、大好きだった。
今だって大好きだ。
泣くまい、と思うけど、目にはもう薄い水の膜が出来ている。
「いいよ、わかった。大丈夫だから。気にすんな」
晶は早口で、言った。
早く、目の前から消えて欲しくて。
涙がこぼれ落ちる前に、いなくなってほしくて。
「え?大丈夫って、なにが?オレ、まだ何も言ってないけど」
雅治は苦笑しながら、どこに隠し持っていたのか、テーブルの上に小さな紺色の箱を置いた。
「ん?」
晶がその小さな箱に視線を移して小首を傾けたとき。
「結婚しよう、晶」
雅治が、言った。
晶がその言葉の意味を理解する前に、店内は拍手喝采と、おめでとう!という声や歓声に包まれた。
晶は、驚いて立ち上がった拍子にテーブルに足が当たり、椅子ごと後ろにひっくり返った。
二人が付き合うことになった、あの日と同じように。
「大丈夫か、晶」
雅治は晶の手を握って、晶を立たせ、腕に抱きながらもう一度、言った。
「結婚しよう」
■おわり■後日談的おまけがあります
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